AM9:30。今日も今日とてぐっすりと眠っている山名春彦の枕元に音もなく人影が立った。
「・・・・・・」
 人影は無言で手を頭上高く上げた。その手に、なにやら長い物が握られている。鍔のついたそれは、どうやら刀のようだ。
 片足を引き、半身になって人影は刀を握り直した。そして・・・
「その首、貰ったぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
 裂帛の気合いと共にそれを振り下ろす!
 ぴしぃっ!
 鋭い音を発して三上友美の振り下ろした竹刀は春彦の喉に食い込んだ。
「痛っ!」
 春彦は一声叫んで喉を押さえて激しくもだえる。ひとしきり悶え終わって見上げた視界の中で、友美はにぱっと笑っている。
「おはよー!今日はちょっと趣向を変えてみましたー!」
「・・・武器の使用は汚いぞ。40点」
 いつも通り、春彦は溜息と共に立ち上がった。


 朝食を終えて春彦がソファーでテレビを眺めていると友美が近づいてきた。
「さ、そろそろ大学行くわよ」
「・・・・・・」
 春彦はしばらく考え込む。
「いや、今日はやめておこう」
「え?・・・ああ、また例の病気が始まったか」
 首を振って友美が呟くと洗い物をしていた冬花が血相を変えて春彦に飛びついた。
「は、春彦さん病気なんですか!?熱は・・・痛いところはありませんか!?」
「・・・冬花が押しつけてくる箸が痛い」
「あ、すいません・・・」
 洗ってる途中なので持ってきてしまった箸を後ろに隠しながら冬花は春彦から離れた。
「冬花さん、そういう病気じゃなくてね・・・春彦って時々妙に無気力になるのよ。で、そういうぼーっとしてる日の事を病気って称してるだけで」
「わかりました!躁鬱病ですね!?すぐにカウンセリングの準備を!」
「できるのか?」
「う・・・できません〜」
 涙ぐんでいる冬花の頭を春彦は軽く撫でた。
「ただの気まぐれであって病気じゃない・・・心配するな」
「単位は心配だけどね」
 春彦は肩を竦めて答えない。
「じゃ、あたしは行くわ」
「ああ」
 友美は時計を見ながら部屋を出ていった。
「あら、そういえば水が出しっぱなし」
 言って冬花も洗い場に移動する。
 春彦はぼんやりとその背中を見ながらソファーに背中を預けた。
「冬花・・・ここの生活には慣れたか?」
 不意の問いに冬花は振り返ってにっこりと微笑んだ。
「ええ、すっかり。特製シロップの種類ももうすぐ3桁です」
「そ、そうか・・・」
 春彦が口を閉じると冬花はハミングしながら洗い物を再開する。しばらくして全ての食器を洗い終えた冬花は手を拭いてから春彦に歩み寄り隣に座った。
「いい天気ですねー」
「ああ。最近雨が降らないな」
 のんびりと呟いて外を見つめる冬花に適当な相槌を返しながら、春彦はその整った横顔を眺めていた。
「あの、なんでしょうか?」
 視線に気が付いた冬花が首を傾げる。
「いや・・・別に」
「・・・私の顔、やっぱり変でしょうか」
 唐突な言葉に今度は春彦が首を傾げた。
「好みにもよると思うのだが平均的な観点から見れば非常に綺麗な顔だと思うぞ?」
「でも・・・目は赤いですし、髪は白いですし。色合い的には変ですよね?」
 冬花は淡々とそう言って笑って見せた。らしくない笑顔に春彦はわずかに眉をひそめる。
「俺は目が黒く髪が赤い。色合い的におかしいか?」
「似合ってますよ」
「おまえも似合っている」
 冬花は黙って春彦を見つめた。しばらくして、頭をこつんと春彦の肩にのせる。
「ありがとうございます・・・」
「気にするな」
 春彦は呟いて天井を見上げた。以前は結構汚れていたが、今は照明の笠にいたるまで輝かんばかりに手入れされている。
「やはり、気になるのか?そういうの」
「時々不安になるんです。自分が誰なのかって・・・どんな人間だったのかなって。こんなカラーリングなんでどこの国籍かすらわかりませんから」
「カラーリングときたか・・・俺にとっては、冬花は冬花なのだがな」
「はい。そう思ってもらえているから私は不安に勝てるんです」
 どちらからともなく二人は口を閉じた。静かな時がゆっくりと二人の周りを流れ去っていく。
 いつからだろうか。排他的な春彦の世界に冬花が居ることに違和感を持たなくなったのは。その空気が欠かせない安らぎになったのは。
「・・・うむ」
 ぼーっとしたまま数十分が過ぎた頃、おもむろに春彦が呟いた。
「出かけてくる」
「どちらへ?」
「・・・いいところだ」
 例によって無表情な春彦に冬花はきょとんとした目を向ける。
「いいところですか?」
「そう。いいところ」
 春彦は立ち上がった。冬花もちょっと遅れて立ち上がる。
「あの、私が行っても大丈夫なところでしょうか?」
「ああ。来たいならついてこい」

 春彦と冬花は連れだって歩いていた。
 春彦はいつも通り黒いコートに黒いニットキャップをかぶっている。冬花は友美から譲られた白いコートを着ているがその下は相変わらずブラウス一枚だ。
 一月が終わり二月になっても暖かい冬は続いていた。異常気象というにはあまりにも毎年続くこの陽気はいわゆる温暖化というやつなのだろうか。
 暖かいのは嫌いではないが、刺すような寒さが時々恋しくもなる春彦だった。
「あったかいですねー」
「ああ」
 時々言葉を交わしながら、ぶらりぶらりと二人は歩いていく。昼前ということもあってか、歩く先に人影はまばらだ。
「あ、川ですよ春彦さん」
 しばらくして冬花が声をあげた。
「ああ。目的地はここだ・・・」
 春彦はそう言って川岸の緩やかな斜面に座った。芝生が敷いてあるそこは、柔らかく春彦の体重を受け止める。ついてきた冬花もその隣にちょこんと座った。
「静かですねー」
 辺りを見回した冬花が呟く。
 住宅街から少し離れた川沿いにあるこの道は、近所の小学校が終わるまでは殆ど人通りがない。川のせせらぎと風のかすかな音、時折聞こえる自転車の音・・・それだけがそこを彩っていた。
 春彦は芝生にごろんと寝っころがった。空は今日も青い。目を閉じるとひんやりとした二月の空気を乗り越えて日差しが体に降り注ぐのを感じる。
 冬花も真似して寝っころがってみた。
「土って・・・意外と暖かいんですね」
「・・・太陽からの熱を最初に受け止めるのは地面だ。続いて空気が輻射熱で暖まる。アスファルトが焼けるように熱いと陽炎が出来るだろ?」
「きもちいーですねー」
 春彦のどうでもいい説明を冬花は聞いていない。春彦も聞いてほしいわけではないので黙って目を閉じている。
「くー・・・」
 しばらくして、隣から静かな呼吸音しか返ってこなくなってから春彦は起きあがった。
「4分32秒か・・・友美の記録に迫る寝付きの良さだな」
 呟いて穏やかな寝顔を見つめる。
「私なら3分で寝て見せますよ?」
 不意にかけられた声に顔を上げると、いつぞやの行商人がニコニコと春彦を見下ろしていた。
「失礼しますね」
 言いながら行商人は春彦の隣に腰を下ろす。
「・・・商売か?」
 春彦が問うと行商人は大きく頷いた。
「ええ、今回はいい物がそろってますよ〜?まずは・・・」
「いらん」
 即答する春彦に行商人は悲しげな顔を向けた。
「せめて見てから言って下さいよ・・・」
「うむ。冗談だ」
 行商人は冷たい目で春彦を突き刺しておいてからリュックサックを漁った。
「商品番号一番、どんなに眠くても一発で目が覚める不思議ドリンク!」
「見せてくれ」
 春彦は怪しげなドリンクを受け取ってしげしげと眺めた。
「・・・ヒOポン?」
 手製のラベルに小さく書いてあった商品名を読み上げる。ちなみにヒロOンとは猫目剤とも呼ばれる覚醒剤の一種で、所持しているだけで処罰の対象である。
「はっはっは。軽い茶目っ気ですよ。この藤田、違法品なんて扱ってませんってば」
 口ではそう言いながら行商人は素早くドリンクを回収してしまい込んだ。春彦はお返しとばかりに冷たい視線を行商人にぐっさりと突き刺す。
「ふに・・・藤・・・田?」
 不意に隣からあがった頼りない声に、春彦は行商人を睨むのをやめて振り返った。
「起こしてしまったか?」
 声をかけると冬花はぼーっとした顔で頷いた。視線をふらふらとさまよわせ行商人の顔を見つけてぼけっとそれを見つめる。
「ふぁれ?えっと、どこかで、会ひましたっけ?」
「いえいえ、一度はり倒されただけですよ」
「はぁ・・・」
 何が何だかといった風に頷いた冬花に春彦が助け船を出した。
「おまえがうちに来た日にドアにぶつかった男で、自称行商人だ」
「自称って・・・まあいいですけど」
 苦笑する行商人の顔を眺めて冬花はぱちぱちと目をしばたかせた。
「ん〜」
 冬花は身を乗り出して行商人の顔を見つめる。
「どうした?」
 春彦が尋ねると首を捻りながら体を戻した。
「えっと、それ以前にどこかで会ったような気がして」
「記憶が戻りそうなのか?」
「それが、全然駄目でした。えへ」
 えへじゃないだろうと心の中で突っ込んで春彦は溜息をついた。
「あー、まあそれはそうとして・・・どうですお嬢さん、何か買いませんか?」
 行商人は営業スマイルをうかべてリュックサックの中から怪しげな物を次々に取りだして見せた。
 よく解らないドリンク数本、いかにもな巻物、お札に藁人形、ウィジャ板に皮むき機、靴下とネクタイと黒いニットキャップ、穴あき包丁に小振りの中華鍋等々等・・・
「統一性とか協調性とかに背を向けた品揃えだな」
「半ば趣味ですからね。格安でご提供しますよ?」
「あ!これはいいですね!」
 指を可愛らしくくわえてその商品・・・というか、がらくたというか・・・を見つめていた冬花が不意に目を輝かせた。
はい藁人形ね。今なら五寸釘も付けて2500円です
「え?いえ、それじゃなくて・・・」
「お客さん渋いねー。この万能ライターは叩く刺す締めると一台三役の・・・
「やめんか」
 春彦は行商人の脳天に世界の巨人ばりの手刀を打ち下ろした。
「はうっ!?」
 悲鳴を上げる行商人は無視して冬花に向き直る。
「で?どれが欲しいんだ?」
「えっと、欲しいとかそういうのじゃないんですけど・・・あのニットキャップが・・・」
 春彦は片方の眉だけを上げて冬花が指差したニットキャップを見た。しばらくしてから自分がかぶっていたニットキャップを脱いで見つめる。
「同じだな・・・」
 二つの黒い帽子はサイズこそ違うが全く同じ色でデザインだった。量販品だとはいえ、何か作為的なものは感じる。
「おや、お客さんこれをご所望ですか?」
 立ち直った(らしい)行商人はそのニットキャップを手にとって冬花に尋ねた。
「えっと、はい」
「これ、不思議機能は何もついてませんよ?」
「いらんというに・・・で、いくらだ?」
「は、春彦さん?」
 冬花が目をぱちぱちとしばたかせる。
「うーん、可愛い奥さんに免じて3000円でどうです?」
「お、奥さん!?」
 冬花が赤い顔でうわずった声をあげるのを無視して春彦は頷いた。
「よし、その値で買おう」
 あわあわと冬花が暴れている間に春彦が財布から千円札を三枚取り出して行商人に渡すと、行商人は毎度と笑って商品を春彦に手渡した。
「ほら」
 春彦は受け取った帽子を冬花の頭にぎゅっとかぶせる。
「あの・・・本当にいいんですか?」
「大丈夫だ」
 春彦が頷いてみせると冬花はにっこりと笑った。
「ありがとうございます!これは家宝にして子々孫々にまで・・・」
「よせ」
 縦チョップで春彦がつっこみを入れると冬花はえへへと笑ってそれに答えた。
「さて、私はこれで」
 行商人はそれを横目にすっと立ち上がった。
「うむ。次はもっとまともな品揃えを期待する」
 春彦はそこまで言ってから声のトーンを下げた。
「どうせ、また来るんだろう?」
 行商人は底の見えない不思議な笑顔を返す。
「さて、どうでしょうね?ではごきげんよう・・・」
 その背中を見送ってから春彦は嬉しそうに帽子の位置を直している冬花を見つめていたがしばらくしてから冬花の頭をぽんと叩いて立ち上がった。
「さて、帰るか」
「はい!」
 

 アパートの階段を登りながら春彦は横を歩く冬花を見た。
「・・・そんなに欲しかったのか?それ」
 放っておけばそのままスキップでも始めそうな冬花に聞いてみる。
「はい!このご恩はギャラホルンが吹かれるその日まで忘れずにいます!」
「・・・その例え、一般人にわかるのか?」
 どうでもいい会話を交わしながら階段を登りきり廊下の角を曲がると、見知った背中が春彦達の部屋の鍵を開けているのに遭遇した。
「友美、今帰りか?」
 友美は、ん?と振り返る。
「あ、春彦・・・あれ?冬花さんも」
「散歩に行ってな・・・その帰りだ」
「ふふ・・・あんまり気持ちいいんで私、寝ちゃいました」
「ああ、いつもの川辺ね・・・あれ?」
 友美はきょとんと首を傾げる。
「その帽子どしたの?」
「はい、春彦さんに買って貰いました」
 にこやかに笑う冬花を友美は無表情に見つめた。
「あの、何か?」
 問われて慌てて手を振って見せ笑う。
「あ、えー、なんでもないなんでもない。はは・・・」
 春彦は二人を何とはなしに眺めていたが、妙な気配を感じて眉をひそめた。
「・・・・・・」
 無言で首だけ振り返ると、廊下の角に隠れてこっちを伺う黒い人影が目に映る。
「浅野・・・相変わらず何をしている?」
「お、やっと気付いたか未熟者め。オレは大学からずっとつけてたっていうのに」
 むしろ嬉しそうに浅野景子は姿を現した。相変わらずその背後には佐野が控えている。
「い、一体どういうことですか浅野さんっ!」
 友美が狼狽しながら叫ぶと浅野はにんまりと頬を吊り上げた。
「山名の部屋の前に女の子が二人・・・怪しいね。怪しいなあ。怪しいよな?」
「え?別に・・・」
 いきなり話題を振られた佐野が素で答えると、
「怪しいよな!?」
 威圧する浅野の視線が佐野の眼球を通して脳幹を直撃し、佐野はおみやげの赤ベコのようにがくがくと首を縦に振った。
「ほら、もてないくせに女好きのバカ・・・ちがったタカですらそう言ってるぞ。これはもう有罪判決が下されたと言っても過言じゃなかろ?」
「脅しただけじゃないですか!」
「・・・そもそも何が罪なんだ?」
 春彦が呟くが浅野はそれには取り合わずニヤニヤ笑いを続ける。
「三上が挙動不審だったからつけてみれば大ビンゴだ。くっくっく・・・」
「あ、あたしと春彦は幼なじみだから、遊びにくらい来ますよ」「へぇ?で、本当のところどうなんだ?冬花?」
 不意に話しかけられてほぇ?と首を傾げる冬花に友美は必死になって目でサインを送る。
(冬花さん!適当に誤魔化して!)
(了解です、友美ちゃん!)
 アイコンタクトを終えて冬花はにこやかに口を開いた。
「景子さん、立ち話もなんですし取り敢えず中でかき氷でもどうです?丁度昨日の晩新作のシロップが出来たばっかりなんですよ」
「違うでしょうがぁっ!」
 友美は頭をかきむしって絶叫した。
「あー、冬花・・・?」
 浅野が静かに口を開く。
「ここ、ひょっとしておまえん家か?」
「いえいえ、春彦さんのお家ですよ?」
 友美はほっと息をついた。
「私はただの居候ですから」
「ぐあああああああっ!」
 友美は頭を抱えて絶叫した。
「・・・なあ、山名?」
「なんだ?」
 にやぁーっと笑って浅野は細めた目を春彦に向ける。
「幼なじみと付かず離れずっていうこの手の話の使い古されたパターンをひた走ってるかと思いきや、いきなり同棲生活驀進中でしかも二人とは流石だな。三上とってのは知ってたけど・・・な?」
 肩をぽぅんと叩かれた友美はざっと後ずさりして壁に張り付いた。
「いいいいいいつからあたしが住んでることを知ってたんですか!?」
「今知った。でまかせだったんだが・・・そうか、おまえもか」
「つぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!」
 友美は再び叫んでから近くにいた佐野の鳩尾を右肘でどつき、思わずうずくまろうとして下がった顎を掌底ではねあげ、よろめいた体を右肩からの体当たりで吹き飛ばした
佐野は「ぷろぱっ!?」などと叫びながら廊下に沈む。
「・・・友美、あの程度の誘導尋問に引っかかるとは情けないぞ?」
「ふふふ、友美ちゃんはいい子だから」
「それにしたってあんなあっさり引っかかるとはな」
「うう、純真な少女を汚い大人達がいじめるよぅ・・・」
 4人はドアを開けて部屋に入ってしまった。
 後には、屍が一つ。


「さて、と」
 片側3人、最高6人掛けの食卓の片側に座った浅野は呟きながら向かい側にいる三人を眺め回した。
「やっと尻尾を捕まえたってトコだな。同棲の事実を大学中にばらまいてやればおまえの名声も地に落ちるだろうなぁ?」
 ニヤニヤ笑いと共に投げかけられた質問を無視して春彦は目の前に置かれた、一種名状しがたい色のシロップがかかったかき氷にスプーンを刺し口に運ぶ。
「・・・色のわりに、普通の味だ」
 呟いて視線を上げ浅野を見つめる。
「落ちるような名声など、持ち合わせてはいないと思うがな」
「そうでもねえぜ。な?」
 悪戯っぽく視線を向けられた友美は眉を寄せたまま口を開いた。
「あの、浅野さん・・・悪ふざけが過ぎますよ?やめて下さい・・・」
「やだ。おもしろそうだから」
 心底嬉しそうな浅野を見て友美の胸の中に暗澹たる気持ちが広がっていった。大学に入ってから約二年、この極悪なセンパイがこういう表情をしているときは何を言っても無駄というのは嫌と言うほど思い知らされている。
「いやぁ、楽しみだなぁ・・・みんなびっくりすんだろーなあ・・・」
「・・・なあ友美。この件がばれると、何か悪影響がでるのか?」
「え?そりゃ・・・なんか色々噂が流れるだろうし、そうなったら・・・あ、あ、あ、あんたのファンの娘達が自暴自棄になって何するかわかんないし・・・多分大丈夫だと思うけど冬花さんのことで大学側が動いたらまずいことになるかもしんないし」
「・・・俺のファンってなんだ?」
「いるんだぜ結構。まあ、そうなると当然怒りの矛先は友美に向かうだろうな」
 浅野がニヤニヤしながら春彦を見る。
「友美が困るのか?」
「ま、そうなるな」
「そうか・・・」
 春彦はゆっくりと頷いた。
「浅野。この件は誰にも言うな」
「やだね」
 即答した浅野に春彦はもう一度同じ言葉を繰り返す。
「言うな」
 浅野は春彦の目を見て眉をひそめた。
「俺にならともかく、冬花と友美に被害が及ぶなら、俺はおまえを許すわけにはいかなくなるぞ」
「どうするってんだ?」
「怒る」
 険悪な雰囲気に友美は青くなって春彦と浅野の顔を見比べた。
 物心ついた頃からずっと春彦の側にいる友美だが、春彦が怒ったところというのは数えるほどしか見たことがない。
 そう、最後に見たのは・・・あの約束の時か。
「あの、春彦さん?」
 不意に口を開いた冬花の声で友美は我に返った。
「私は別に構いませんから、怒らないで下さい。勝手かもしれませんけど・・・私、春彦さんの怒るところは見たくありませんから」
 ね?と冬花はにっこり笑った。
「あ、あたしだって今更何言われたって平気だよ!?既に東京核弾頭娘とか女ガッツとかミス轟天号とか言われてるし」
「・・・極めてマニアックな称号だな」
 呟きながら春彦は二人を順番に見た。
 いつも通りの柔らかい笑顔とちょっと緊張気味の顔がそこにある。最後に視線を浅野に向けるとそこには無表情な顔がこちらを見つめていた。
「・・・だ、そうだ」
 短くそれだけ告げると浅野は無表情なまま肩を細かく震えさせた。震えはだんだん大きくなり浅野は俯いてその震えを止めようとした。
 だが。
「く・・・くく・・はは・・・ははははは」
 抑えきれない笑いが口から漏れ出た。
「はっはっはっはっっはっははははははっはは!」
 いきなり爆笑しだした浅野を友美はきょとんとした目で見つめる。
「あ、浅野さん?」
 やばいクスリですか?と聞こうとした友美を浅野は笑いながら手を振って制す。
「は、っは、はぁ・・・いや、おもしろいなおまえらは」
 笑いすぎて涙の出てきた目をこすりながら浅野は呟いた。
「あのなあ、オレが本当にばらすとでも思ってたのか?」
「思ってました」
「確信してた」
 友美と春彦が同時に断言する。
 浅野はちょっと嫌な顔をした。
「ったく、んなわけねーだろ?ちょっと試してみただけだよ。おまえらの人の良さをな。まあ、ここまで強固な信頼関係を築いてるとは・・・特に山名が本気で怒りそうだったってのは想像以上の結果だったけどな」
「・・・・・・」
 春彦はいつも通りの仕草で肩をすくめた。
「しかしまあ、おまえも凄い男だな。こんないい娘を二人もはべらせてる奴なんてそうそう居ないぞ?」
「は、はべら・・・」
 友美は顔を真っ赤にして絶句した。
「私は春彦さんの側ではべらせて貰う資格はありませんけどね」
「ん?」
 小さな呟きに春彦が横を向くと冬花の笑顔がその視線を迎えた。
 気のせいかと春彦は首を振って正面を向く。
「はあ、騒いだら腹減ったな。そろそろ飯にしよっか」
 浅野がにやっと笑ってそう言った。
「・・・人の家でご飯まで食べて行くんですか?」
 友美の冷たいつっこみに浅野は人差し指を振って答える。
「ばーか、おもしろいもん見せて貰ったお礼に今日はオレの奢りだ。出前取るぞ出前!」
「宴会モードだな・・・まあ、たまにはそういうのもいいか」
 春彦は苦笑して呟いた。

 

 ちなみに。
「ところで、何か忘れてませんか?」
 冬花の呟きは誰にも届かなかった。
 4時間後、すっかり冷えてしまった佐野が発見されるまで。