「・・・速水機大破」
 瀬戸口はぽつりと呟いた。
「・・・多目的水晶からのフィードバック無し。接続が外れたのか、それとも・・・」
 機体モニターの情報を読み上げる森の声に答える者は居ない。しんとした空気の中、指揮車の多目的モニターに前のめりに倒れ伏した士魂号を執拗に踏みつける竜の姿が映っている。
「これが・・・現実ですか」
 坂下は吐息と共に呟いた。
「希望はなく、この世界にあるのは過去と現在のみ・・・そんなループがまた続くのですか・・・」
「きぼー?」
 ふとののみは呟いた。少し前に速水と交わした会話が脳裏をよぎる。

『えっとね、じゃあね、のぞみさんの意味は何ですか?』
『のぞみだから、希望かな』
『きぼう・・・きぼー。しってるのよ。むかしでもいまでもないところでしょう。おとーさんが言ってたのよ』
 そして。
『むかしでもいまでもないところがわかればせかいはえらばれるって』


「かこと、げんざい・・・むかしといま?」
「・・・ののみさんは知らなくていいことですよ」
 寂しげな坂下の言葉にののみは大きく首を振った。
「ちがうのよ。ののみは、ののみじゃなくて、のぞみなのよ」
「はぁ?」
 隣のオペレーターシートの瀬戸口がきょとんとするのに構わずののみは空を見た。
 そして手をさし伸ばす。
「むかしといまではないどこかがわかったのよ。それはみらいなの」
 呼びかける。その先にいるはずの友達へと。
「いままでがんばろうって言ってきたのは、みらいをよぶためなのよ。いまが、そのときなのよ。むかしでもいまでもない、どこかにつながるところに、みんなでいくのよ」
 照明が落ち、暗闇に閉ざされた士魂号のパイロットシート。
 竜が士魂号を破壊する音に混じってかすかに聞こえてくる通信に答えるように、何かが動いた。
「かなしみにめーするの!だれひとりしななくても、おはなしはおわるのよ。それがせかいのせんたくなの」
 ののみは確かめるように大きくうなずいて叫んだ。
「もういちどたつのよ!たちなさい。なっちゃんをたすけるの!」
 竜が吠える。装甲が殆どはげ落ち、ミサイルポッドも半ばからそげ落ちた瀕死の士魂号に止めをさすために聖銃の有効射程までゆっくりと後ずさる。
「ばんぶつのせーれーがどうか、しらない。うんめーがどうとか、きいてないっ!でも、あっちゃんは、たちあがるのよ!のぞみがそう決めたから!」
 竜の右腕・・・聖銃に精霊回路が浮かぶ。大気中のリューンをその身に巡らせて竜は空中にエネルギー誘導の方陣を描く。
「それが、せかいのせんたくなのよ。のぞみがきめたの。せかいは、良くなるのよ。ぜったいに!」
 ののみは・・・否、のぞみは体中で叫び声をあげた。
「たちなさい!」
「・・・・・・」
 闇の中、ふらふらと蠢いた左手がアクセスホールに差し込まれる。露出した多目的水晶がシステムダウンしていた士魂号に強制接続を計った。
「たちなさい!」
 士魂号の足がぴくりと動いた。断裂した人工筋肉を振るわせて、各部からオイルとも血ともつかない液体を吹き出しながら・・・
 のぞみは、大きく息を吸い込んだ。
「たちなさい!」
「餓ぁあああああああああっっっっ!」
 力強いその声をかきけさんとばかりに竜が吠えた。左手に集まった『力』が方陣に導かれてレーザーとなり士魂号を襲う。
「まだだぁっ!」
 瞬間、士魂号が跳んだ。
 残った人工筋肉を軋ませて四つん這いのまま士魂号は赤い光の奔流を紙一重でかわし再び地面へと今度は仰向けに崩れ落ちる。
「くっ・・・まだ足掻くか!」
 竜の後頭部、かつて狩谷夏樹だった顔が憎々しげに唸る。
「まだ・・・やることが残ってるからね」
 奇跡的に無傷だった外部スピーカーから流れてくる速水の声に歓声があがった。
「あいつ・・・やっぱり生きてやがった!」
「不死身の速水の名は伊達じゃねぇな!」
「浮かれるのは後にしなさいっ!」
 原は部下達を一括して唇を噛む。
「速水君が生きていたからと言って生身で竜に勝てるわけじゃないのよ!?あの士魂号はもう限界・・・いえ、さっきの回避行動が出来たこと自体が奇跡よ」
 真っ赤な機体データモニターを見つめる原に滝川がくってかかった。
「俺達が出ます!機体を準備してくれ!」
 今にも走りだそうとする滝川の袖を田辺が掴む。
「そ、それが・・・竜が出現と同時にハンガーを壊しちゃってて・・・その、複座型は間に合いましたけど他の機体は・・・ごめんなさい!」
「そんな・・・なにもできねぇのかよ!ウォードレスは!」
「駄目だ。瓦礫の下を今から掘るわけにもいかん」
 若宮の悔しげな言葉に原はきつく唇をかみしめた。
(何か無いの・・・?何か・・・)
 空気が沈滞したその瞬間。
「あれ?このエンジン音、なんだろ?」
 最初にその音に気が付いたのは新井木だった。
「フフフ・・・お困りのようですねぇ」
 聞き慣れたエンジン音と共にあまり聞き慣れたくない笑い声が聞こえる。
「岩田十翼長!どこに行って・・・それは!」
 呆然とした視線に迎えられて、その車は指揮車の隣にゆっくりと停車した。
 士魂号やレールガン、指揮車と共にいくつもの戦場をくぐり抜けた唯一の非戦闘車両。「補給車!なぜ!?これも一緒に瓦礫の下の筈・・・!」
 掠れて響く原の声に運転席の窓から首を出した岩田が甲高い声で笑う。
「フフフ・・・こんな事もあろうかとっ!こぉんなこともあろうかと昨日のうちに校舎裏に隠しておいたのですよぉ!イイっ!すごくイイッ!」
 妙なポーズで吠えている岩田を押しのけて、不機嫌そうな茜が顔を出した。
「ふん、下らないとは思ったけど僕も手伝った。応急修理に必要な部品も工具キットも用意してある・・・早く乗りなよ」
「あんたまた偉そうに・・・でも、イカス!だわ」
 そっぽを向いている茜にそう言いながら森は傍らの原を見つめた。
「班長!」
「ええ。・・・善行、聞いてた?」
 問いかけに一テンポ遅れて善行からの通信が返ってくる。
「では、私も励むことにしましょうか」
「了解・・・失敗したら、非道いわよ?」
 そう言って切れた通信に善行は思わず横っ腹を押さえた。
「司令、どうしました?」
「いや、ちょっと古傷がね・・・それよりも通信を開いて下さい。援護しますよ」
 瀬戸口のからかうような声に善行は咳払いしながら答えた。
「しかし善行よぉ、どうやって補修作業の時間を稼ぐんだ?指揮車で突っ込むのか?」
 もっともな本田の疑問に善行は微笑みながら眼鏡の位置を直す。
「指揮車程度では時間稼ぎにもなりません。大丈夫、ありますよ・・・武器はね」


「補給車・・・?ふん、無駄な足掻きだ。どうやったって僕に勝てはしない。唯一僕と対等である絢爛舞踏がこの調子では」
 竜は猛スピードで迫る補給車を無視して士魂号に右手を向けた。


「・・・舞、おきてよ、舞!」
 遠くから聞こえる声に舞はゆっくりと目を開けた。
「くっ・・・どれくらい寝ていた?」
「ほんの数分・・・それより各部動作チェックをお願い。僕は何とか防御してみるから」 冷静な速水の声にもうろうとしながらも頷きかけた舞は視界がはっきりすると同時に絶句した。
「あ、厚志!そなた・・・」
 胸部への直撃。現在の劣勢の原因となったその一撃は胸部装甲だけでなく機体中枢をもひしゃげさせていた。それはつまり、コクピットへと直接ダメージを与えていたのであり・・・
「見た目ほど悪くはないよ。ウォードレスを着てないぶん体格が小さくなったのが幸いしたかな」
 胸から下をひしゃげた金属に埋めながら速水はいつも通りのぽややんとした声で答える。
「・・・本当に大丈夫なのか?」
「何とかね。肋骨の何本かは持ってかれたと思うけど」
 あまりにも普通の声に舞は曖昧に頷く。
「無理は、するでないぞ」
 らしくもない陳腐な台詞を吐いて舞は機体機能のチェックに取りかかった。彼女の知っている限り速水厚志という男は不死身であり、どんなピンチも何とかする男なのだ。
 大丈夫だ・・・大丈夫に違いない。
 それが希望的観測であると言うことを舞はあえて無視した。


「きちー!やっぱ無理があるばい!」
 情けない声をあげた中村の後頭部を田代は光る右フックで殴りつけた。
「うっせえぞ!喋る力があったら手に力入れろ!」
「角度調整・・・あってますか百翼長」
 若宮は全身の筋肉をしならせて『それ』を支えながら滝川に問いかける。
「ああ、バッチシだ!」
 滝川はそう叫んで額のゴーグルを装着した。滝川本気モードである。
「でもホントに大丈夫なのか?ウォードレスも着てないんだぞ?」
「はん!不良をなめんなよ!・・・いままで死んだダチの為にもやめられっかよ!」
 叫びながら田代は青く変色した掌で『それ』を・・・戦闘開始直後にはじき飛ばされていた士魂号用のジャイアントアサルトライフルを支える。
「それよりも、チャンスは一度きりです。慎重に角度を調整して下さい!」
 生身のまま三人がかりで砲身を支え、滝川が狙いを付ける。
『いいですか?露出している狩屋君の顔・・・その至近距離に、しかも当てないように狙撃して下さい!』
 若宮の腰に下げられた通信機から善行の檄が飛ぶ。
「了解!」
 滝川は唇を嘗めてからキッと目を凝らした。深呼吸し、食いしばった歯の間から呟く。
「・・・速水。俺はお前みたいなヒーローにはなれねぇよ・・・俺はお前に護ってもらわなかったらもう死んでるような・・・ただの臆病で平凡なガキだ。でも・・・でもよぉっ!」
 巨大な引き金に腕を回す。銃口の先に竜が居る。最強の幻獣が今まさに人類最後の希望を撃ち抜こうとしている。
「俺だって!親友くらい助けてぇんだよ!」
 滝川は絶叫と共に体中で引き金を引いた。
 ズドンッ!
 人の身には過重な反動に若宮は耐えた。中村と田代も火傷を覚悟で砲身のぶれを押さえた。そして・・・


「最後だ絢爛舞踏・・・ん!?」
 士魂号にとどめを刺そうと聖銃を構えた竜は本能的に危険を察知して振り返った。飛んできた200ミリ弾を振り払った左腕で弾く。
「邪魔をするなぁっ!そんなに僕が憎いのか!?そんなに僕が邪魔なのか!?」
 ちょっかいを出してきたのが5121小隊の人間であったことが、ただでさえ冷静な判断力を失っていた竜を完全に逆上させた。
「伎ぃぃぃぃっぃぃいぃっぃぃい!」
 竜は歪な咆吼をあげ、もはや動くこともできない士魂号に背を向けて生意気な人間達に右腕の聖銃を向けた。
「今よ!」
 フルアクセルで疾走していた補給車からそれを見た原は部下達に檄を飛ばし、自身もまだ停車しきっていない補給車から飛び出した。
「フフフ・・・速水君聞こえますか?」
 岩田は補給車の通信機で士魂号へと呼びかけた。
「いいですか?動ける程度にまで修理しますから士魂号の制御をこっちにゆだねて下さいぃぃぃ!」
『わかったよ。ありがとう』
 言葉短かに答える速水に変わって今度は舞の声が通信機から届いた。
『岩田、何故このような準備が出来た?何故竜がここを襲うと分かっていた?』
 岩田は倒れ伏した士魂号の部品を奇跡的なスピードで交換していく整備員達をちらりと眺めてから軽く笑った。
「その答えはあなたもよく知っている言葉ですよ千翼長」
『・・・岩田。そなたもやはり芝村か』
 それには答えず岩田は運転席を出た。彼の計算では、修理が間に合う可能性は50%以下なのだ。すこしでも、確率を引き上げる必要があった。
「タァイガー!そこのレンチを取ってくださいぃぃぃぃぃ!」


 一方、竜と指揮車を結ぶ直線上に一組の男女が居た。
『距離150、迎撃準備・・・本当に、二人だけで防御できるのですか?』
「はい。おまかせください」
 善行からの通信に答えてから壬生屋は傍らの来須に視線を向けた。
「力は、戻りましたか?」
「・・・わからない」
 来須は右腕を眺めて言葉少なに答える。彼を常に護り、共に戦ってきた精霊達は今速水と共にある。精霊手を使える力が残っているか、微妙なところであった。
「では、私から先に行かせていただきます」
 壬生屋はそう言い置いて歩を進め、こちらに聖銃を撃とうとしている竜に向かって携えていた日本刀を・・・壬生屋家の家宝『鬼しばき』を抜きはなった。
「くっ・・・」
 こみ上げる不快感を押し殺してピンと背筋を伸ばす。
「遙か昔よりあしきゆめと戦うは我等がさだめ・・・高々20年ほどで成り上がったあの者達に・・・」
 言いかけてふと口を閉ざす。何と小さいことだろう。最強の幻獣と化した友を尚救おうとする男もいれば、土壇場で尚家柄などという物にこだわっている女が居る。
 壬生屋は、言おうとしていた言葉を少しかえてみた。
「あの者達だけに、負担をかけるわけにはいきませんっ!」
 言葉と共に右足を踏みだし流水のごとき動きで『鬼しばき』の刀身を回転させる。
 刹那、聖銃の光が閃いた。
「この古い血に残る最後の力を・・・未来に!」
 同時に壬生屋の腕が芸術的な動きで剣閃を描く。その刀身から光が・・・青い精霊の光が溢れ出た!
 きゅぅおん・・・
 異音を立てて聖銃の赤い光と精霊の青い光が相殺して消える。
「きゃぁっ!」
 壬生屋は衝撃波に押されて校庭に転がった。ほんの僅かにしか残っていなかった神秘の力を無理矢理呼び覚ました反動で体中に激痛が走る。
「雄雄雄雄ォォォォォォッォッッッッ!」
 竜はひときわ大きく叫び再び右腕を指揮車と滝川達に向けた。
「連射!?」
 壬生屋は叫びながら立ち上がろうとしてがくっと膝を落とした。
「く・・・かはっ!」
 咳き込んだ吐息に血が混じる。
 それを見た来須の目がすっと細められた。
「・・・・・・」
 無言で右腕を伸ばし竜に向ける。その腕を、そっと褐色の掌が包んだ。
「・・・ヨーコ?」
 戸惑うような問いかけに小杉はにっこりと微笑みその腕に複雑な模様を描く。来須の目から見れば間違いだらけのその模様は、それでも青い光を放ちだした。
「はじめに模様ありきデス。ヨーコは幸せの娘デスよ?」
 暖かい笑みを浮かべる小杉に来須は数秒の間呆然としていたがやがて静かな笑みを返した。
「ちがいない」
 呟く来須の額に小杉はそっと口づける。
「これは、勝利のおまじないデス。そしてこれは・・・」
 更に違うところに口づけて小杉はたたたっ・・・と駆け去っていく。
「・・・やるか」
 来須は力強い視線で竜を捉え、その右腕が光を貯えるのを凝視した。
「虞、餓ぁっ!」
 咆吼と共に放たれた光に来須はその身を巡る精霊の力を解き放った。
「・・・俺も賭けよう。まだ勝負は終わってない」

                                                            <その3へ>