●  一幕 「緋勇龍麻」  ●

「ただいまぁ・・・」

 まだ慣れない自宅へと帰ってきた龍麻はそう呟いて軽く息をつく。

「カーテン、カーテン」

 電気をつけてから素早くカーテンを閉め、制服のボタンに手をかける。

丁寧に上着を脱いでハンガーにかけ、しわが出来ないように丁寧にズボンを脱ぎこちらもズボンつりにかける。

「まぁ、どんなふうに置いといても痛まないのはわかってるけどねー」

 呟きながら龍麻は下着姿のままでベッドに身を投げる。

「・・・順調、よね」

 天井を見上げて呟いてから龍麻はごろりとうつぶせになった。

(蓬莱寺京一・・・美里葵・・・あの二人は明らかに『候補者』ね。多分桜井小蒔と・・・ひょっとしたら醍醐雄矢も・・・)

 順調と言うわりに、枕に隠されて見えないその目は奇妙に感情の色が薄い。

 トゥルルルルルル・・・

 枕元で鳴った電話の子機を手探りで掴んで龍麻は耳に押し当てる。

「みか・・・緋勇です」

「・・・気をつけたほうがいいな。些細なことでも、注意しておくべきだ」

「あ、紅葉くん・・・」

 龍麻の声がやや柔らかくなった。

「どうだい?真神学園は・・・」

「うん、いいとこだよ。明日香も楽しかったけど、こっちはもっといい感じ。例えるなら超超超超いい感じ?」

 電話の向こうの声があきれたのか沈黙したのにくすくすと笑みをもらしてから龍麻はその表情を消す。

「それに・・・今日だけで『候補者』に3人・・・ひょっとしたら4人、会えたよ。全て、順調」

「・・・そう」

 電話の声はそれだけ言って再び沈黙する。今度は龍麻も口を開かず、電話ごしに二人は静かに時を過ごす。

「・・・僕は」

 先に沈黙を破ったのは電話の向こう側だった。

「僕は、常に君の側に居る。光あるところに影があるように、常に君を護り続けている」

「・・・ん。さんきゅ。だいじょぶだよあたしは」

 龍麻はそう言って微笑み、目を閉じる。

「大丈夫・・・あたしは・・・緋勇龍麻はこんなところで立ち止まるわけにはいかないんだから・・・」

           ●  二幕  「蓬莱寺京一」  ●

「はい味噌ラーメンお待ち」

「お!あいかわらず早ぇえな!」

 蓬莱寺京一は満面の笑みを浮かべて割り箸をパチンと割った。

「早い、か・・・」

 ラーメンをずるずるとすすりがてら京一は呟いてみる。

(あいつ・・・緋勇龍麻・・・なんてスピードだよアイツは・・・)

 京一とて、スピードには自信がある。冗談半分とはいえ『神速の木刀使い』を名乗っているのは伊達ではないのだ。

 だが。

(その俺の速さを・・・あきらかにアイツは超えてやがった。正直あいつとやり合ってもあの動きを捉えられるかどうか)

 京一は既に何度も繰り返した自問自答を再び始める。

 つまり、自分は・・・緋勇龍麻に勝てるのか?

 そして。

(なんで俺、あんなにアイツのことが気になるんだ?惚れた・・・とか、そういう問題じゃねぇ。アイツの傍に居なくちゃなんねぇ・・・そんな気がする・・・)

「緋勇、龍麻か・・・」

           ●  三幕  醍醐雄矢  ●

「ふんっ・・・ふんっ・・・」

 呼気で黙々と数を数えながら醍醐雄矢は黙々と腕立て伏せを繰り返す。

(223、224、225、226・・・)

 淡々と、だが滑らかに上下動する体から湧き出る汗が蒸気となって室内に溢れ、窓から外気へと流れ込む。

「・・・あの技・・・」

 数える合間にふと浮かんだ姿に醍醐は呟いてみた。

(佐久間はけして弱くはない・・・だというのに・・・最初の一撃で既に決着はついていた・・・後から放った蹴り技も凄まじかったがあれは他の者たちの戦意を奪うために使った・・・本来なら出すまでもなかった技だ)

 床についていた二本の腕のうち、左をはずして右腕一本で体を支える。

(あの佐久間を、一撃で沈める・・・俺に可能か?)

 問うまでもない。

(無理だ。負けるようなことがあるとは思わないが・・・)

 醍醐の動きが止まった。

「闘って、みたい・・・」

 体のそこから湧き出てくるような切実な願い。

「あいつと、俺は闘ってみたい・・・どうしても」

 立ち上がり、ぐっと拳を握ってみる。

「緋勇・・・龍麻と・・・」

          ●  第四幕  「桜井小蒔」  ●

 夢を見ていた。

 いつものように教室へ行くと、いつものように葵が微笑んでいて、京一が醍醐をからかっており・・・そして背の高い少年がやれやれといった表情で笑っている。

 小蒔は元気良く彼らの中に飛び込んでいき話の輪にまじる。

「ひーちゃんおはよ!」

 そう挨拶した夢の中の自分に小蒔は首をかしげた。

 ひーちゃんとは、今日出会ったばかりの転校生のあだ名だ。

(でも、緋勇クン、女の子・・・)

 そう思った瞬間、夢の中の少年はすっと姿を消した。気づけば、そこに立っているのは紅と黒、二色の瞳を持った少女になっている。

(うん、これが緋勇クンだよね)

 夢の中で、五人は楽しげに話している。まるで、そうやって一緒に居ることが初めから決められている様に・・・そうあるべくして生まれたように自然に、嬉しそうに。

 でも。

(緋勇クンだけ、笑ってない・・・)

 否。顔は、笑っている。だがその瞳は、悲しげな・・・そしてなによりも寂しげなものであるように小蒔には見えた。

(ねえ緋勇クン、なんでそんな目をしてるの?ボクに、話してよ・・・力になりたいんだ・・・)

 小蒔の心の動きに反応したのか、龍麻はふと『こちら』を見た・・・夢の中の小蒔ではなく、それを眺めている方の小蒔を。

「ごめんね・・・」

「え・・・?」

 夢の中の呟きに現実の小蒔が問い返した瞬間。

「あ・・・」

小蒔は、目を覚ましていた。

「おねーちゃん!お風呂入れっておかーさんが言ってるよ〜」

「うん!わかった〜!」

 遠くから叫んでくる妹の声に叫び返して小蒔はうたた寝していたベッドから身を起こす。

「・・・なんか、変な夢を見たような・・・」

 呟いて首をひねるが、よく思い出せない。

「ええっと、確か・・・」

 その中で、ただひとつだけ確かなこと。

「緋勇クンの、夢だったな・・・」

            ●  第五幕 「美里葵」  ●

 ちゃぷりと。

 静かに湯が波立つ。

「・・・・・・」

 美里葵は静かに湯船に身をゆだねて瞳を閉じた。

 そこに浮かぶのは、紅と黒の瞳。

(緋勇龍麻・・・さん)

 心の中でそっと呼んでみるだけで、なにか暖かいものが広がっていくのがわかる。

(私・・・どうしちゃったの?)

 心の中で呟き、自分の胸をそっと押さえてみる。

(鼓動が、早い・・・あの人のことを考えるだけで・・・こんなにドキドキする。なんで・・・やっと会えたって、そう思ってるの?)

 なんとなく、なんとなくだが思い当たる理由はある。噂には聞いていたし、いつかは自分もとは思っていた。

 だが。

(駄目よ葵!ひ、緋勇さんは女の子なのよ!?)

 ぶんぶんと首を振り、葵は目を開けて天井を眺める。

(『緋勇』さん、か・・・ちょっとだけ・・・ほんのちょっとだけ・・・名前で呼んでみようかな・・・)

 その発想自体が既に恋する乙女のものだと言うことに気づかず、葵はなんとなく姿勢を正してから息を整える。

「た・・・た・・・た・・・龍麻、さん・・・龍麻くん・・・えっと、龍麻・・・」

 ややどもりながらそう言ってみた瞬間、葵の顔が一気に紅潮する。

(駄目駄目駄目!葵、あなたはノーマルなのよ?それにそんなこと神様がお許しにならないわ・・・)

 ぶんぶんと首を振るが、ふと聖書の一節を思い出して葵は動きを止める。

(『汝の隣人を愛せよ・・・』全てのものを愛することを主はお許しになってるのよね)

 一瞬だけ感情に身をゆだねかけた葵は次の瞬間更に激しく首を振っていた。

(駄目駄目駄目駄目!神様をだしに使うなんて最低よ葵・・・!)

 ひとしきり自己嫌悪してからぶくぶくと葵は湯船に顔を沈める。

(ほんとに、どうしちゃったんだろう、私・・・)

 葵は心に焼き付いて離れないその名を、もう一度心の中で呼んでみた。

(緋勇・・・龍麻・・・)

 

 彼らは知らない。この夜が、彼らにとって最後の夜だと言うことを。

 この夜が・・・『普通の』人間として過ごす終焉だと言うことを。

 そして、夜が明ける。

 『魔人』として生を受ける、新たな世界の朝が来る・・・

 余談だが、美里葵はその後風呂場でのぼせているところを母親に発見された。

 自らの駄目っぷりに、おもいっきりへこんだのは言うまでもない。

 

        第一話 追の幕 「終わりし日々」 閉幕

            序幕  「紅」      開幕