−真神学園 3−C教室−

「おはよ〜・・・う・・・?」

 予鈴5分前というわりとぎりぎりな時間になって教室のドアを開けた龍麻は一斉に向けられた視線の束に思わず硬直した。

「な、なんなのかな〜」

 目立ってるだろうとは思ったが、無言で見つめられるとは思っていなかった。対応に困り、乾いた笑みを浮かべる。

「・・・・・・」

 そんな様子を無視して生徒たちは無言で立ち上がった。

「・・・・・・」

「おーい、なにかな〜」

 後ずさった龍麻に生徒たちの目がきらりと輝く。

 そして。

「緋勇く〜ん!待ってたよ〜!

「緋勇!おまえ佐久間に勝ったんだって!?」

「ねぇねぇ!技見せてよ!」

「お姉さまって呼んでいい?ってか呼ぶよ!」

 生徒たちは一斉に襲い掛かってきた。いや、別にそういう意図ではないのだろうが好奇心に支えられたその襲撃は昨日の佐久間達よりもよっぽど迫力がある。

「ぬおっ!?い、いやちょっとみんな落ち着きなさいって」

「うふふ、そうね」

 微かな笑いと共に背後からかけられた声に龍麻はずばっと音を立てて振り返った。

「美里さんっ!ナイス登場っ!」

「あ・・・」

 色の違う両眼に見つめられた葵は不意に昨晩の自分を思い出した。引き込まれるような眼差しに、思わず頬が紅潮する。

「?・・・美里さん?」

「はぅっ!な、なんでもないのよ!?わ、わたしはべつに、その、えと」

 いつも冷静で微笑を絶やさない生徒会長のいきなりな狼狽にクラスメートは一斉に不審そうな顔をした。その視線が龍麻と葵の間を何度も交差する。

「・・・ほほーぅ」

 そして、一斉に巻き起こる奇妙な声。

 納得したような、からかってるような・・・

「ち、違・・・別に私は緋勇さんとはなにも・・・」

「あはは、美里さんおもいっきり墓穴・・・」

 苦笑する龍麻に更に赤面した葵はおろおろと辺りを見回す。どこかに助けはないかと。

「うふふ、緋勇クン、もうみんなと打ち解けたみたいね」

 救いは、すぐ後ろから来た。

「あ、マリア先生。おはようございます」

「おはよう。さぁみんな席に着きなさい。ホームルームをはじめるわよ?」

 マリアの声に生徒達は不承不承と言った感じでそれぞれの席に戻る。

「はぁ・・・助かった・・・」

ほっとした表情で自席へ向かいかけた葵の肩にぽんっと手が載せられた。

「先生?」

「何を騒いでいたのか、後でゆっくり聞かせてもらいますからね?」

「あう・・・」

 あまり、助かってもいなかったようだ。

−3−C教室 放課後−

 休み時間、昼休みと順調に大騒ぎを繰り広げ、気づけば全ての授業が終わっていた頃。

「緋勇さん!ちょぉっと待って!」

 帰り支度を始めていた龍麻を元気のいい声が制止した。

「あ。遠山さん」

「遠野!それじゃあ桜吹雪でしょうが!」

 わざとなのか冗談なのかわからない龍麻の言葉に杏子はガッと吼えてから自分の口に手を当てる。

「ととと、そんなことを話しに来たんじゃなかったんだ」

(・・・ごまかし、失敗)

 龍麻は内心で呟いてから首をかしげる。

「どしたの?あ、昨日言ってたインタビュー?」

「それもあるけど・・・ねぇ緋勇さん。昨日・・・あの後あいつらと・・・」

 こちらの顔色の変化一つ見逃さないといった目でこちらを見つめる杏子の姿に龍麻はふぅと息をつく。

「嘘ついても無駄だよね、多分。っていうか、既に噂になってるのも遠野さんの仕業だろうし・・・」

「あ、あはは・・・別に言いふらすつもりは無かったんだけど佐久間達が逃げてくの見ちゃってさ、なんか興奮しちゃって・・・」

 龍麻は表情を変えぬまま思考をめぐらせた。

「まぁいいけど・・・確かに佐久間グループとはケンカしたし、勝ったわね。でもそれは・・・」

「真神一の伊達男がついてたから、だよな?」

「うわっ、どこから現れたのよあんた!」

 いきなり割り込んできた声に杏子は腰に手を当てて怒鳴る。

「へへっ、いいじゃねぇかそんなの。なぁ、緋勇」

「や。蓬莱寺くん。あんだけ熟睡してたのに放課後になるとすきっと起きるんだね」

 やや呆れたような顔をつくった龍麻は杏子に見えない位置で手を振って京一に感謝の意を伝える。

 自分の格闘能力をまだ伏せておきたい龍麻が見せたわずかな表情を見て取って京一がわりこんできたことに対して、である。

「っつーわけでさ、緋勇。昨日の俺の活躍を祝ってラーメンでも食いにいかねぇか?いい店があるんだぜ」

「あ、いーわね。それ。ラーメン好きなのよ。あたしってば」

 妙に息の合った会話に入っていけず杏子はむーっとむくれた。

「あのねぇ!あたしが先に話してるんだから割り込むんじゃないわよ!」

 京一に叫んでから龍麻に視線を向ける。

「緋勇さんもこのアホに付き合うこと無いのよ?」

「うーん、そーかもね。考えてみたらわけわからない理由で誘われてるし」

「ぐっ・・・緋勇、おまえ、さてはアン子に惚れたな!?」

 一転、カラカラと笑う龍麻に京一は『何でだ!』とのけぞってから思わずわけのわからない言葉を吐いていた。

「きょ、京一っ!馬鹿なこと言ってんじゃ・・・」

「惚れたよ?」

 慌てて抗議しようとした杏子の声をあっさり頷く声がさえぎる。

「・・・・・・」

「・・・・・・」

 口を大きく開けたまま硬直している二人にニコっと笑って龍麻は肩をすくめる。

「冗談だけどね」

「そ、そうだよな・・・」

「半分は」

「半分かよっ!」

 反射的につっこんでから京一は諦めのため息をつく。それなりに場慣れしているつもりの自分だが、どうやらこの少女にはかなわないように出来ているらしい、と。

「はぁ、なんだか調子狂っちゃったわ・・・緋勇さん、今度は必ずインタビューさせてもらうからね?」

「おっけーよ。遠野さん」

 こちらはこちらでいつもの猪突猛進が発揮できないでいる杏子に龍麻は笑顔で手を振った。

「じゃあ、またね!」

 そう言って去って行った杏子を見送って龍麻は京一に向き直る。

「で?蓬莱寺君もなにかあたしに用があるんじゃないの?そんな顔してるよ?」

「へへへ、やっぱ鋭いな。まぁ、用があるのは俺じゃないけどな」

 京一は笑いながら背後を親指で背後を指差す。そこには・・・

「よぅ、緋勇・・・昨日は悪かったな」

 醍醐雄矢の巨体が悠然とそびえていた。

「ん?ああ、佐久間のこと?いいっていいって。きにしないほーがいいよ?」

 龍麻はニコニコと答えるが、佐久間だけ呼び捨てのあたりに、やや不快感が見える。

「そう言ってもらうと助かる。ところで緋勇。つきあってくれんか?」

 醍醐が何気ないつもりで放った言葉に教室に残っていた生徒達が一斉にどよめいた。

「あら〜、顔に似合わず積極的だねぇ」

「は?」

 苦笑まじりに龍麻が言った言葉に醍醐は一瞬だけきょとんとしたがすぐにぶんぶんと首を振る。

「い、いや、そういう意味ではなくて・・・」

「違うの?」

 口を尖らせ、上目遣いで龍麻は長身の醍醐を見つめる。紅と黒の双眸が潤んだ視線で醍醐の心をかき乱し・・・

「ひ、緋勇・・・?」

 もはや驚きのあまり息も絶え絶えな醍醐に緋勇はくすっと笑って舌を出して見せた。

「じょーだんだよ。醍醐君。あたしに用があるんでしょ?いこーよ」

「・・・緋勇、おまえ、なんかすげぇな・・・」

 遠野杏子と醍醐雄矢・・・二人の豪傑をいいように振り回す龍麻に京一は改めて畏怖を覚えたのだった。

−レスリング部・部室−

 醍醐に連れられてレスリング部の部室にやってきた龍麻は思わず目を丸くした。

「り、リングがある・・・」

 広い部室の中央にどんっとそびえているのはまぎれもなくプロレスリングだった。

白いマットのジャングルに、今日も嵐が吹き荒れる。

「醍醐君・・・あたしの気のせいじゃなければ、レスリング部ってのはアマレスをやってるんであって・・・リングは関係ないんじゃ?」

「・・・その辺は、聞かないでくれ・・・」

 醍醐はたらりと汗を一筋流して遠い目をした。

(・・・趣味か・・・)

 心の中で呟きながら龍麻はきょろきょろと辺りを見渡した。

「あれ?貸しきり?他の部員の人は?」

「うむ・・・実はあの後、佐久間達が歌舞伎町で他校の生徒とモメてな・・・目があったとかそういう理由らしいんだが、相手が入院するほどの怪我をしたらしい。学校からはまだ何も言われてはいないんだが、PTAからはいろいろと苦情がきているらしくてな・・・謹慎の意味も込めて自主的に休部中だ」

「あいつはチンピラかよ・・・そんなもん、部には無関係だってばっくれちまえばいいじゃねぇか」

 腕組みして眉をひそめる京一に醍醐は笑って首を振った。

「これもケジメというものだ」

「ったく、お前は堅すぎんだよ」

「そういう京一君は柔らかすぎだけどね」

 龍麻は肩をすくめながら突っ込みを入れ、醍醐に向き直る。

「で?あたしに何の用かな?」

「うむ・・・」

 醍醐は話がそれていたことに気づき、慌てて居住まいを正した。そのまま、ばっと頭を下げる。

「緋勇、いきなりで失礼なのはわかっているが・・・俺と戦ってくれ」

 予想通りと言えば予想通りな台詞に京一はやや呆れたような顔をした。

「おまえ、ほんとは昨日の喧嘩、最初から見てただろ?最初は俺が佐久間をどうあしらうかを見ようとしてたけど、結果はあの通り緋勇が大活躍。それで興味がこいつに移ったってとこか?」

「む・・・」

 口ごもった醍醐に京一はへへっと笑った。

「お見通しなんだよ。おまえがそんなにやけた顔をしてるのはプロレス中継を見てるときか強い奴と戦う前だけなんだからな」

「・・・京一。何故おまえはそんなに鋭いのに成績はあんなにも悪いんだ?」

「うるせぇ!おまえだって同じようなもんだろうが!」

「む・・・」

 醍醐は思わず口ごもった。確かに彼らの成績は同じようなものである。しかも、京一は勉強しないが故に成績が悪いだけだが醍醐の方は根本的に勉学に向いていない。

 別に馬鹿だというわけでもないが、数学やら物理やらをやっていると何故かスクワットがやりたくなるのだ。

 人、それを逃避行動と呼ぶ。

「・・・緋勇、女性に頼むのは気が引けるのだが、ぜひお願いしたい。俺と、全力で戦ってくれ!」

「・・・話をそらしたな。タイショー」

 呟く京一を無視して醍醐はもう一度深々と頭を下げた。

「頼む。緋勇!」

「うーん・・・」

 龍麻は顎に手を当てて醍醐を観察する。

(・・・ただの学生にしては異様に密度の高い氣ね。しかも覚醒してる様子は無い。ってことは相当高いポテンシャルってことか。『候補者』と見ていいかな・・・)

 義眼を通してもたらされる情報に一つ頷き龍麻はニコッと微笑んだ。

「いーわよ。やりましょ」

「おお。すまん。恩にきる!」

 満面の笑みを浮かべた醍醐にいーっていーってと手を振ってから龍麻はふと真顔になる。

「終わったあとでも感謝していられるとは限らないし」

 ぞくっとする声に昨日見た壮絶な龍麻の攻撃を思い出し、男二人は思わず顔を見合わせた。

「なーんてね」

 一転明るい声でそう言って龍麻はリングに歩み寄った。トップロープをひらりと飛び越えて中に入る。

(・・・ひょっとしたら、俺はとんでもない奴に挑もうとしているのか?)

 反対側のコーナーからリングに上がって醍醐はひとりごちた。

 普通に考えれば龍麻を恐れる理由は何も無い。体格面では絶対的な差があるし、いくら武道に秀でているといっても自分とて数えるのも馬鹿馬鹿しいほどの喧嘩を勝ち抜いてきた身だ。そうそう技術面で劣るとは思えない。

(が・・・この存在感・・・わからん)

 醍醐は気を引き締めながら腰をやや落とし構えを取った。そのままちらりとリングの外を見る。

「・・・京一。いつまでいるつもりだ?」

「かてぇこというなって。だいたいそれ言ったら昨日のおまえはなんだ?」

「む・・・」

 論破された醍醐は諦め顔で視線を龍麻に戻した。

「緋勇はいいのか?」

「うん。別に減るもんじゃないし。あ、蓬莱寺君。ついでだからゴング鳴らしてよゴング」

「おう」

 京一は嬉しげに頷いてゴングの傍に置いてあった小さなハンマーを手に取る。どうやら彼もやりたかった役らしい。

「行くぜっ!」

 何故か自分が戦うような声を上げて京一はゴングを叩く。

 カーン!

 澄んだ音が鳴ると同時に龍麻はすっと半身になる。構えらしいものはとっていないが、一応戦闘態勢のようだ。

(彼女のスピードは昨日見た。まずはそこを攻略するか)

 醍醐はすり足でゆっくりと龍麻に近づく。そして。

「でやああッ!」

 残り数歩分の間合いをひと跳びで越えて鉈のようなローキックを叩き込む。当たればしばらくは歩くのも困難になりそうな、重く速い一撃。

 だが!

「よっ・・・と!」

 涼やかな声と同時に醍醐の蹴り足に響いた感触はあまりに軽快だった。

それもその筈、龍麻はインパクトの一瞬前に軽く飛び上がり、足元を通過するその足を蹴って後方へと宙返りをしてみせたのだ。

「なっ・・・」

「嘘だろ!?」

 男二人は同時に驚愕の声を上げる。見事なバク宙で間合いを離した龍麻は足音も無く着地し、すっと息を吸い込んだ。

「今度はこっちから行くよ!」

「む・・・!」

 それを聞き、醍醐は攻めの構えから一転して対打撃戦の構えに切り替えた。本来なら掴み技を狙う場面ではあるが、今回はパンチとキックのみで戦うと決めているのでプロレスよりも空手に近い構えだ。

 一度掴んでしまえば、体重と腕力による戦力差は決して埋まらない。打撃ならばラッキーヒットというものがあるが組技には実力以外の要素は無いのだ。

(それでは、おもしろくない・・・!)

 心の中で呟いた瞬間、視界の中で龍麻が動いた。

「な・・・!」

 警戒していたにもかかわらずあっさりと懐に飛び込まれて醍醐は目を大きく見開く。体が反射的に左へステップを踏み、半円を描いて逃げようとするが・・・

「はッ!」

 それを許さず龍麻は右の掌底を醍醐の脇腹へと叩き込んだ。

「がっ・・・」

 突き抜けるような衝撃に思わず声が出る。醍醐をして、これまで味わったことの無い鮮烈な痛みであった。

(だが、耐えられぬ程ではない・・・!)

「おるあァァッ!」

 痛みは、鍛錬によって無視することが可能になる。そして醍醐はそれを習得した優れた格闘士であった。歯を食いしばり、至近距離に居る龍麻へとひるむことなく拳を振り下ろす。

「いいリズム・・・これなら、十分ノれるね!」

 そして、龍麻もまた極めて優秀な格闘士であった。打ち込んだ右腕を引き戻す動きと身をかがめる動きを同時にこなして醍醐のハードブロウを軽快にかわし、

「ぃぃっやッ!」

 鋭い気合と共に一気に伸び上がり、ほぼ密着した状態のまま真上へと左足を突き上げた。柔軟性、バランス感覚、筋力、どれが欠けても成立しない驚異の蹴撃だ。

(これは佐久間が喰らった・・・!)

 思う暇こそあれ。

 ズドッ・・・!

 人体が立てるにしてはやけに鈍く重い音が響き渡り、醍醐の巨体が軽々と吹き飛んだ。たっぷり2メートル以上移動し、ロープに引っかかってようやく止まる。

「くっ・・・」

 醍醐はぐらぐらと揺れる視界を何とか建て直し、即座に立ち上がった。常人なら気絶していてもおかしくないダメージだが、その頑強な体はいまだ屈していない。

「物凄い威力だ・・・これなら佐久間が為すすべもなくやられたのも頷ける」

 呟きながら再度構えをとる醍醐を見ながら京一は違和感に囚われていた。

(そうか?違うぞこれは・・・技は確かに一緒だが・・・)

「緋勇、手ェ抜いてないか?」

「京一!?」

 醍醐の驚きの声に京一は自分でも驚いていた。そんな筈は無い。新宿・・・いや、東京中にその名を轟かせ、恐れられている醍醐雄矢相手に、女の子が、手を抜いている?

「手抜きじゃないよ。似たようなもんだけど・・・」

 だが、龍麻はあっさりとそれを肯定した。

「何っ!?」

 呆然と声を上げる醍醐に龍麻はすっと表情を消す。

「格闘に関しては、手を抜いてたわけじゃないの。でも・・・」

 言いながら、彼女は初めて構えを取った。手を開いたままの左腕を軽く曲げ、右腕は拳を作り腰に引く。

 ロープ際に立ち尽くす醍醐に対し龍麻の立ち位置はリングの中央。その距離は約3メートル。

「あたしは、こういう技も、持ってる人種だから」

 そして、そのまま踏み出しもせずにその拳を鋭く突き出す。

「ふッ!」

 呼気とも声ともつかぬものが龍麻の口から放たれ・・・

 バンッ!

 破裂音と共に醍醐の体が後ろへと吹き飛んでいた。蹴りで吹き飛ばされたときとは違って全身に走る衝撃は、水面に激突した痛みに似ているかもしれない。

 そんなどうでも良いことを考えながら醍醐はロープを越え、場外に叩きつけられた。体中が痛んで動けないが、それ以上に何をされたのかがわからない。

「・・・醍醐君は丈夫だからこれくらいの発剄なら平気だと思うんだけど・・・」

 やや心配が覗える龍麻の声に京一ははっと我に返った。

「発剄・・・そうか、今の光・・・発剄だ・・・素手でも出せるもんだったのか・・・」

「え・・・」

 びっくり顔になった龍麻に視線を向けて京一は滅多に見せない真剣な表情になる。

「俺の師匠が使い手だった。俺も一応使えるけど、攻撃って呼べるレベルじゃねぇ」

「そっか・・・」

 龍麻は顔に貼り付けただけの、無理矢理な笑みを浮かべて踵を返した。倒れている醍醐をそのままに、部室のドアへ向かう。

「ごめん、醍醐君の介抱お願い。あたしが治療するのもなんか変だし」

「おう」

 醍醐のプライドのこと考慮して京一は頷き、出て行く龍麻を見送る。

「さて・・・と」

 パタンとドアが閉まるのを見届けてから京一は大の字になって倒れている醍醐に近づいた。

「大丈夫か醍醐。しっかし見事にやられたな〜。真神の醍醐ともあろう男が、一介の転校生、それもあんな可愛い女の子にだ。外に漏れたら大騒ぎだぜ?」

「構わんさ。あれだけ盛大にやられればな・・・どうだ?おまえも」

「馬鹿言え。俺なんて一分ももたねぇよ」

 京一の軽口に醍醐は苦笑する。

「はははッ、食えない男だ。心にも無い事を言って・・・」

 体中を走る痛みを味わうように少し区切り、天井を見上げる。

「・・・緋勇龍麻か。あの強さは本物だな。特に最後のあれはなんだったんだ・・・?おまえにははっきりと見えていたみたいだが」

「その言い方だとおまえも一応見えてたか。素質あるんだな」

 京一は長く修行を積んでいるからこそ氣による攻撃が目視できる。彼が知っている限りそういった経験の無い醍醐がおぼろげながらそれが見えたというのなら、そうとうの才能だといえるだろう。

「どこであんな技を覚えたのだろう・・・それに、負けたというのにこの胸の中に流れる清清しい風はなんだ?・・・久し振りだな、こんなに気持ちが晴れたのは。不思議だ・・・」

 醍醐は呟きながら目を閉じた。そのまま動かなくなる。

「あ?おい!醍醐!ちょっとまて!まだ逝くな!おまえのでかい体背負って帰れってのか!?」

 結局、京一は人目を忍んで保健室のベッドまで醍醐を担いで行き、そこに彼を放置して逃げた。

 

−真神学園 3−C教室−

 翌日。

 朝からの質問攻めを適当にあしらい続けた龍麻はようやく訪れた放課後にふぅと息をついた。

 ある意味自業自得なのだが、昨日の放課後のことはあっというまに周知の事となっていた。しかも、いつのまにか京一を取り合っての三角関係の清算となっている。なんだそりゃ。

ともあれ、再度・・・しかも今度は時間制限なしの質問攻撃にあうことを恐れた龍麻は六限目の教師が出て行くと同時に行動を起こした。

「緋勇サン、チョット話が有るから、放課後職員室まできてちょうだい」

 とマリア教師に言われていたのを口実に、龍麻はそのスピードを遺憾なく発揮してカバンを掴み教室を飛び出す。

「あ、緋勇さん!ちょっと待って・・・!」

「インタビューはまた今度ね!」

 廊下ですれ違った杏子にも足を止めず龍麻は駆け続けた。なにか、「今日は違うんだって!」とか聞こえるが取りあえず無視する。

「・・・ふぅ、そろそろいいかな」

 職員室前までやってきてようやく龍麻は足を止めた。

「さすがにちょぅっとだけ目立ちすぎた感じかな」

 基本的に目立ちたがりではあるし、彼女の目的は目立たなければ果たせない。わかってはいるが、ちょっとやりすぎたかと軽く反省。

「しつれいしまーす・・・」

 言いながら入った職員室は、しかし無人だった。

「まじですかー・・・?」

 呟きながら龍麻は職員室の中を歩き回る。

「お、ここかな?マリア先生の机」

 几帳面に整理された机に英語の教材を見つけて龍麻は立ち止まった。ちょっと考え込んでから椅子を引き出してそこに座る。

「ふふふ、緋勇サン。学校には慣れたかしら?とか言ってみたりして」

 足を組み、ちょっと前かがみになって龍麻はマリアの真似をしてみた。

 その瞬間。

「・・・おまえは何をやってるんだ?緋勇」

「うきゃぁっ!?」

 背後からかけられた呆れたような声にびくっとのけぞる。

「あ、あはははは・・・犬神せんせえ・・・」

 龍麻はあわてて飛び起き、向き直った。気配も音も無く背後に立っていた犬神はふっと笑って龍麻を眺めている。

「ど、どーしたんです?らぶりーな龍麻ちゃんと許されぬ恋に身を焦がすんですか?」

「・・・龍斗も草葉の陰で泣いているだろうな・・・」

 苦笑と共に呟かれた言葉に龍麻はきょとんと首をかしげた。

「なんでもない。それより緋勇。マリア先生に呼ばれたのか?」

「はい。でも居ないみたいですね」

「さっき廊下で教頭と話していたからすぐ来るだろう。それより緋勇」

 不意に、犬神の雰囲気が変わった。

(!?やっぱりこの人、なんか違う・・・人間じゃ、ない?)

「彼女には気をつけるんだな」

「・・・どういう、意味でですか?」

 真剣な表情の龍麻に犬神は再度笑みを浮かべる。

「いろいろだ。じゃあな」

 それだけ言って出て行く犬神と入れ替わりに当のマリア教師が職員室に入ってきた。出ていく犬神に何か言いたげな視線を向けてから龍麻を見つけてふわっと笑みを浮かべる。

「ごめんなさい。待たせちゃったみたいね」

「いえいえ、大丈夫です」

 パタパタと手を振ってみせた龍麻に隣の席の椅子をすすめ、マリアは自分の椅子に座った。足を組み、やや前かがみになって口を開く。

「ふふふ、緋勇サン。学校には慣れたかしら?」

「ぶっ・・・」

 さっき自分で真似た通りの台詞で話を切り出された龍麻は聞かれてたのかと冷や汗をかいたが、どうやらただの偶然のようなので苦笑しながら口を開く。

「親切な人が多いみたいですから」

「そういえば蓬莱寺クンと仲がいいみたいね。蓬莱寺クンはああ見えて優しい子だから」

 龍麻はそうですねと軽く頷く。彼が優しいのは、半ば直感で理解できていた。

(紅葉とはまた違うタイプのいい男だよね。昔のあたしが会えてたら好きになったかもしれないかなぁ・・・)

「それと美里サンのことなんだけど・・・アナタ、彼女のことどう思う?」

「はぁ、美人ですね。優しいし運動神経もいいです。ちょっと空回りが多いけどそこがまぁ可愛いといえば可愛いんじゃないかと。経験も少なそうですし、特別視しないで優しく接すれば好感触が返って来ると思いますよ?」

(この短期間で・・・恐ろしい子・・・)

 ぐっとガッツポーズを取る龍麻に口元に手を当てたガ○スの仮面チックな怯えた目をしてからマリアは気を取り直して話を続ける。

「彼女、クラス委員で生徒会長でしょう?しっかりしいるけど、その分イロイロと悩みが多いと思うから・・・緋勇サンが友達になってくれたら心強いと思うの」

「理屈はわかりますけど、あたしだと逆効果じゃないですか?迷惑かけ倒しそうなきがするんですけど?」

 昨日の朝の騒ぎも元はといえば龍麻が原因だ。

「転校してきたばかりのアナタにこんな事を頼むのはおかしいのはわかっているんだけど、アナタは他人の痛みがよく分かるコだと思ったから」

「・・・・・・」

 龍麻は赤い左目だけをすっと細めた。反射的な行動だったのですぐにやめ、いつもの表情に戻す。

(明日香学園でのことは師匠達のところで規制かけてるけど、なにか掴まれててもおかしくは・・・ないよね)

「ふふふッ、今日は時間を取らせてゴメンなさいね、それじゃ気をつけてお帰りなさい」

 態度を決めかねている間にマリアは話を打ち切る気になったらしい。

「はい。失礼します」

(犬神先生の言う通りね。彼女はあたしを知っている・・・)

 礼儀正しく頭を下げて龍麻は職員室を出た。廊下を歩き始めて5歩目でふと振り返り、そっと呟く。

「違う。あたしを、じゃない。緋勇龍麻の存在を・・・知っている・・・」

−真神学園 正門前−

「よぉ、遅かったじゃねぇか」

「あ、蓬莱っち。学校サボったのになんでここにいんの?」

 やや暗い気持ちで歩いてきた道のりが嘘のように明るい声で龍麻はぶんぶんと手を振る。

「おうよ。今日学校に来ちまったら質問責めに会うだろうとおもってな。タイショーと二人でちょいとエスケープってわけだ」

 木刀の入った袋で肩をとんとんと叩いて京一はへへへっと笑った。

「醍醐の奴、『武道家にとって、不必要な戦いを避けることは逃げにあたらない』とかなんとか。そういう問題かっての」

「ははは、醍醐君そんなこと言ったの?」

 龍麻は笑いながら校門の陰に視線を投げた。そこで出てくるタイミングを測っていたらしい大柄な影がビクリと震える。

「ちなみに私の義眼には熱源探知機能がついてます」

「それ、既に義眼じゃねぇよ」

 京一がつっこんでいる間に醍醐はそそくさと龍麻の横に移動した。

「よ、よお緋勇。昨日は悪かったな。無理につきあわせてしまって・・・」

 照れくさそうな顔をしているが、その表情に怯えがない。その事実に龍麻は目に見えて嬉しげな顔になる。

「よかった。あたしの読み、外れてなかったね。アレを見ても、醍醐くんなら怖がらないって思ったんだ」

「俺は?俺も見てたんだけど?」

 最後に使った発剄のことだと思い当たって京一は口を挟んだ。

「蓬莱寺くん、その程度のことを気にするような繊細なタイプ?」

 ある意味馬鹿にされているような言葉だが、とりあえず好意的に解釈しておく。

「いいけどな。俺だって一応錬氣くらいできるし・・・それはともかく、俺たちが待ってたのはアレだ。昨日言ってたろ?ラーメン屋の話。昨日の礼に俺と醍醐で奢ろうってな」

「うむ。迷惑でなければ、是非お願いしたいのだが」

 へへっと笑う京一と無意味に重々しくこちらを覗き込む醍醐を順繰りに見つめて龍麻は親指を立てた握りこぶしをビッと突き出した。

「おっ?」

 了解を意味するサムズアップに京一の顔が喜色を浮かべた瞬間。

「地獄に落ちろ」

 龍麻は冷たい声と共に拳を半回転させ、その親指を地面に向けた。

処刑宣告だ。

「何ぃ!?」

「クソッ、ここまでか・・・」

 唖然とする二人を見て龍麻はクスリと笑う。

「うそうそ。うそだってば!」

 笑顔のまま、すっと二人の男の間に入り左右の腕を二人にからめる。

「お、おまえ・・・趣味悪ぃ冗談言うなよ!見ろ、醍醐なんて気絶寸前だ!」

「西に小陰白虎・・・陰陽五行の印もって、相応の地の・・・」

 虚ろな視線をふらふらと宙にさまよわせながら謎の台詞を呟いている醍醐の顔の前で京一はパタパタと手を振る。

「おい、醍醐!起きろ!・・・駄目だ。完全にトんじまってる」

「おっけーおっけー。ラーメン屋まで引きずってけばそのうち起きるって」

 さらっと無茶なことを言っている龍麻にそうだなと頷いてから京一は肘に当たる柔らかい感触に気づいて頬を緩める。

(おお、男物なんか着てるから小蒔側かと思えば、案外すげぇなこいつ・・・)

「でしょ?いっとくけど詰め物なし、純粋100%の天然物よ」

「う・・・」

 あっさりと思考を読み取られてたじろぐ京一に『にまっ』と笑って龍麻はすっと息を吸い込んだ。

「ではでは、ラーメン屋さんにれーっつ・・・」

『ゴーッ!』

 一気に叫んだ言葉の語尾が、背後から響いたもう一つ声と綺麗にはもる。声の主はいつの間にか忍び寄ってきていた小蒔だ。

「こらあ、京一。放課後の寄り道は校則で禁止されているだろッ」

「俺かよ!それにおまえだって今ゴーッとか叫んでたじゃねぇか!」

 京一の叫びに小蒔は冷たい目で舌を出す。

「ベーッだ!転校生クンを悪の道に誘って、しかもそんなことまでさせてる外道色ボケ魔人には言われたくない・・・よッ!」

 最後の『よッ!』と共に小蒔は鋭い正拳突きを放った。反射的に飛びのこうとした京一の体が、龍麻が掴んでいる腕のせいで無防備なままその軌道に残される。

「ふぐっ・・・!」

 結果、小蒔の小さな拳は正確に鳩尾へと突き刺さった。京一は声にならない声と共にその場に崩れ落ちる。

「をを!凄いね!桜井さん!」

 途端、龍麻は京一と醍醐に絡めていた腕を解き小蒔に飛びつく。

「わっ・・・!」

「でも、手首の返しがちょっとだけ遅いかな〜そこを直せばもっと破壊力があがるよ〜」

 小蒔の頭を胸元に抱き寄せるようにして龍麻はニコニコと笑った。

「そいつに・・・それ以上攻撃力をつけて・・・どーすんだよ・・・」

「ほら、すぐに復活した」

 唸りながら立ち上がる京一を指差して邪気なく言ってきた龍麻に小蒔は真剣な視線で頷く。どうやら師弟関係のようなものが成立したらしい。

「まあそれはそれとして・・・行かないの?ラーメン屋。ボクおなかすいちゃった」

「そね。行きましょっか。ってあたし場所がわかんないんだっけ」 

「くっ・・・何でいつの間にか小蒔まで・・・」

 なにか無性に悔しい京一に追い討ちをかけるように小蒔はにぃっと意地の悪い笑みを浮かべた。

「あのさ、京一。下駄箱のあたりに犬神先生が居たんだよね」

「ぐっ・・・わかった。つれてくから呼ばないでくれ」

 歯軋りする京一に小蒔は立てた人差し指をふる。

「もちろん京一のおごりだよね?」

「くそぉっ!緋勇、わかってんだろーな!」

「はいはい、責任もってちゃんと半分出すわよ〜」

 賑やかに去って行く3人は、とある事実に全く気づいていない。

 呆けたままの醍醐はその後5分にわたって一人で校門の前に立っていた。

−ラーメン屋『王華』−

「ボク、塩ラーメンね!」

「親父、いつものな」

「チャーシューメンを頼む」

「じゃああたしは、塩バターコーンで」

 バラバラと注文を済ませてから龍麻と小蒔は顔を見合わせて笑った。

「あはは、ボクとおんなじだね!」

「おいしーよね。塩」

 少女二人の会話をなんとなしに聞いていた醍醐はふと気づいて口を開いた。

「そういえば、今日は美里と一緒ではないのか?桜井」

「うん、葵はアン子に頼まれて一緒に旧校舎を探検だって。ほら、アン子ッてばここの所、例の幽霊騒動の真実に迫るんだって張り切っていたから」

「ゆ、幽霊!?」

 何故か声を裏返して醍醐が叫んだと同時に4人の前にラーメンが次々と置かれ始めた。それぞれのドンブリに箸をつけながら話を続ける。

「ほひゃあ、あふぇふぁろ?」

「うわっ!汚いな〜京一!汁が飛んだよ汁が・・・」

 嫌そうな顔をした小蒔を気にした様子もなく京一は咀嚼していた麺を飲み込んで箸を振る。

「そりゃあ、あれだろ?あの赤い光が見えるとか何とか。確か2人ほど行方不明になってるらしいぜ」

「うん。他にも長い髪の人影が見えたとか動物の唸り声が聞こえるとか、とにかく色々怪しい噂があるんだよね」

「ゆッ幽霊なんて、この世の中に居る訳ないじゃないか」

 ラーメンが熱いからという理由では納得できない汗を顔中に浮かべて冷静なふりをする醍醐に京一はまぁなぁといった感じで頷く。

「何が幽霊だ。幽霊は夏って相場は決まってるじゃねェか。今は春だぜ」

「馬鹿じゃないの京一。幽霊が夏だけなんて誰が決めたんだよ。ねぇ緋勇クン」

 頭から否定されたのが気に食わないのか小蒔は口を尖らせて龍麻に話を振る。

「ん〜、夏はお盆があるから・・・帰ってきてる人が多い分目撃例が増えるってのはあるよ。まぁ地縛霊とかはテリトリーに入れば問答無用で出てくるけど。もう一つの可能性としては・・・」

「ゆ、幽霊はともかくっ!あそこは老朽化していて危険だぞ!あちこち穴も開いていると聞くし野良犬・・・そう、野良犬とかが住み着いて居たら危険だろう?」

 妙に詳しく説明しだした龍麻の声を遮るように醍醐は小蒔に話しかけた。

「うん、ボクもアン子にそう言ったんだけど・・・なんだか頼もしいボディーガードにあてがあるから大丈夫だって」

「・・・そのボディーガード、多分ついてってないよ」

 龍麻はあちゃーっというような顔で一人呟く。

(しくじったわね・・・その旧校舎とやら、どうにも怪しいわ。あのときちゃんと遠野さんの話を聞いとくべきだったか・・・)

「そ、それにしても・・・あそこは立ち入り禁止になっているから、中には入れないと、聞いて、いるぞ・・・」

「抜け道があるんだってアン子は言ってた・・・大丈夫?醍醐クン、顔色悪いよ?」

 不思議そうに言われて醍醐が壊れたおもちゃのようにガクガクと首を振った時だった。

 ガララララッ!

 激しい音と共に背後の入り口が開き、少女が一人店内に飛び込んできた。

「アン子!?どうしたんだ?」

 驚いた京一が声をかけても息を切らした杏子は口をパクパクさせるだけで何も答えられない。

「み、ミズ・・・」

 うめくような声を喉から絞り出して杏子は手近なコップを掴んだ。

「アアーッ!俺の水っ!」

 京一が悲鳴を上げるのを完全に無視してそのまま一気に中の水を飲み干す。

「お、俺の、水がっ!」

「水一杯でそんなに悲しそうな顔しないでも・・・ほら、あたしの水あげるからさ」

 言いながら差し出した飲みかけのコップを受け取り飢えた獣の表情で黙り込んでしまった京一に気づかず龍麻は杏子に近づく。

「どうしたの?遠野さん・・・何か、あったんでしょ?」

 ゆっくりと、幼い子供に諭すように呼びかけられてようやく杏子は落ち着いたようだ。

「みんな・・・!お願い、美里ちゃんを探して!」

「!?」

 一斉に息を呑んだ一同の沈黙を最初に破ったのは、やはり親友の小蒔であった。

「葵が・・・葵がどうしたの!?アン子!」

「あ、あたし旧校舎の取材がしたくて・・・美里ちゃんに付き合ってもらって抜け道から中に入ったの・・・でも途中で変な光におっかけられて・・・気づいたらはぐれちゃって・・・」

 俯いた杏子の瞳から眼鏡へとポタリと涙がこぼれた。

「あたし、あたし・・・美里ちゃんを見捨ててきちゃった・・・どうしよう・・・」

 龍麻はそれを隠すように杏子の頭を抱き寄せる。

「遠野さん、よく頑張ったね。最良の選択だよ」

「え・・・?」

 聞き返す杏子の体を離し、龍麻は小さな笑みを見せた。

「遠野さんがここに来てくれなかったら、あたしはこの事を知らなかったわけだから」

 立ち上がり、取り出した財布から代金を出しカウンターに置く。

「・・・あたしは遠野さんの選んだ頼りになるボディーガードでしょ?こんなとこでさぼってたけど、遅ればせながら二人を護ってみせるよ」

「う、うん・・・」

 二度目だ・・・と杏子は思っていた。焦りや後悔で混乱していた頭が、二色の瞳で見つめられただけで不思議と落ち着いていく。

「さ、案内して」

 肩を叩かれた杏子は力強く頷いて入り口へ向かう。やや厳しい顔の龍麻がその後を追った瞬間、残りの3人の呪縛が解けた。

「ちょ、ちょっと待ってよ!ボクも行く!」

「遠野、案内しろ」

「ああ、早く行こうぜ」

 口々に言ってくる三人に龍麻はちらりと視線を送る。その瞳が、どこか冷たい。

「時間がないから止めはしないけど、後悔はしないでね」

「な、何?」

 視線と声、両方に気圧されて醍醐は思わず足を止めていた。その背中を京一がバンッと叩く。

「緋勇!俺達ぁなぁ、友達が危ねぇかもしれねぇのにノンビリ座ってられるほど薄情じゃないんだよ!」

「そ、そうだよ!葵は・・・ボクの親友なんだ!」

 叫びながら外で待つ杏子の元に飛び出していく二人に口元をほころばせて龍麻もまた外へ出た。

「・・・・・・」

 一人残された醍醐は龍麻の言葉の意味を考えながら後を追おうとしてふと立ち止まる。

「・・・ひょっとして、桜井と京一のぶんは俺が払うのか?」

−真神学園 旧校舎−

「うわ〜っ、なんか、かろうじて建ってるって感じだね」

「もう五、六十年経つらしいからね。建てられてから」

 小蒔と杏子の会話に耳を傾けながら龍麻は左の紅眼の機能を切り替えた。

(物凄い氣が渦巻いている・・・でも、これはおかしいわ。仮に地下空洞があるとしても、ここまでの氣が自然に地脈から抽出されるなんて・・・一度徹底的に調べる必要がありそうね。紅葉を通して誰か風水師にでも連絡を取って・・・)

「おい緋勇!置いてかれちまうぜ?」

 京一に肩を叩かれて龍麻は我に返った。考え込んでいる間に杏子達は中に入ってしまったらしい。

「蓬莱寺くん。ここのこと、どう思う?これを感じてもまだ後悔しない?」

「・・・やべぇな。清浄な氣と歪んだ氣が混じり合ってわけわからねぇ状態になってる」

 言って京一は手にしていた袋の紐を噛んだ。首の動きでそれをはずし、一気に木刀を引き抜く。

「だけどな・・・後悔なんかするかよ!仲間のひとりも助けられねぇんじゃ何の為の剣士だ!」

「ふふふ・・・OK。行こうか」

 龍麻は頷き、校舎の壁にあいた穴から中へと入る。

「・・・第二次大戦中っていうから、約60年前の建物よね。戦時中は陸軍の訓練学校に使われていたのよ。それに何でも、当時は軍の実験用の施設が地下にあったっていうし、いずれにしても歴史のある建物っていうわけね」

 黴と埃の匂いのする廊下で二人を待っている間に杏子は取材の成果を醍醐たちに披露していた。

「その話なら俺も聞いたことがあるぞ、遠野。確か一階の奥に地下に下りる梯子があるらしいな」

顎をさすりながらそう言ってくる醍醐に杏子は口元に手を当てて驚く。
「詳しいのね、意外だわ醍醐君」
「ああ、俺の祖父が職業軍人だったんで、生前よくその話を聞かされていたんだ」

「お待たせ。行こ?」

 龍麻と、その後ろから現れた京一を確認して杏子達は奥へと歩き出す。

「地下があんのか。意外とお宝とか眠ってたりしてな。ちょっと行ってみるか?」

 歩きながらそんな軽口を叩く京一を、隣に居た小蒔がキッと睨みつけた。

「今はそんなことしてる場合じゃないだろ!葵を探さなきゃ!」

「わかってるって、でも気になるじゃねえか・・・ははぁ、小蒔。おまえ地下って聞いてびびってんな?ナニが縮んじまってるんだろ?」

 京一の下品な台詞に小蒔の顔が一気に紅潮する。羞恥か、激怒か・・・おそらく、後者であろう。

「ナニって何さ!」

「ナニは、ナニだよぉ〜ん」

「・・・ちなみに、こんな格好してるけど、あたしにはついてない物です」

 後ろから含み笑いと共に言って来た龍麻に京一はくるっと顔だけ振り返った。

「ほんとかぁ?ここはひとつこの蓬莱寺京一様がついてるかどうか確認を・・・っておい」

 雰囲気が暗くならないように続けていた軽口を思わず中断して京一はまじまじと龍麻の顔を見つめる。

「ん?どうしたの蓬莱寺くん」

「京一〜っ、早く行こうって言ってるだろ?」

 龍麻と小蒔の声を無視して京一は眉をひそめた。

「なんか違和感が・・・あ!緋勇!おまえ、目の色が違うぞ!」

「京一!なに今更確認してるんだよ!あたりまえだろ!?緋勇クンの目は赤と黒!」

 不安と心配でイライラしている小蒔の言葉を手で制して龍麻は静かな視線を京一に向ける。

「蓬莱寺くん。『今は』何色になってる?」

「・・・青だ。なんか、すこし光ってるような気もする」

(相生を補助する龍石が水行に・・・ってことは、何か木行の存在が戦闘状態だってことか)

 心の中で呟き、龍麻は足を速めた。

「遠野さん、美里さんとはぐれたところへ急ぐわ。それと、みんな離れないようにね」

「え?どういうこと?」

 小蒔の質問に龍麻は答えない。何かを感じ取ったらしい京一と、龍麻を信頼しきっている杏子が無言でそれに従い足を速める。

 醍醐と小蒔が顔を見合わせてその後ろをついていくこと数分。

「この辺だったと思うけど・・・」

 杏子がそう言って足を止めた。

「わかった。ちょっと待って」

 龍麻は義眼の能力を切り替えて辺りを見渡す。目に入る壁や扉が消え、代わりに氣の塊が周囲に並ぶ。

(あちこちに、なんか飛んでるけどこれは違うか。ってこれ・・・!?)

 廊下の左側に何もないのを確認して右を向いた瞬間、反射的に義眼の機能を切って龍麻は後ずさっていた。

(い、今一瞬だけ見えた気の大きさ!?あれが美里さんの!?)

「お、おい!どうした!?」

 京一の声になんでもないと手を振ってみせて龍麻は歩き出す。

「・・・美里さんを見つけたよ。こっち」

 言って近くの教室の扉を開けると、その中からぼんやりとした青い光が漏れ出してきた。

「遠野、お前が言っていた光というのは・・・」

「ううん、あたしが見たのは赤い光」

 龍麻を先頭に教室の中へと入る。青い光は教壇の影から漏れてきているようで光源が見えない。

「この光って・・・あ、葵!?」

 回りこむようにその光に近づいた小蒔は思わず叫んでいた。その視線の先で、美里葵が倒れている。

 青い、清浄な光を体に纏って。

「・・・美里さん。起きて・・・」

 立ちすくむ小蒔の横を抜けて龍麻は葵に近づき、そっと抱き起こす。

「ん・・・」

 葵の口からかすかな声が漏れ、小蒔たちはほっと息をついた。謎の光も今は薄くなり、ゆっくりと消えていく。

「龍麻・・・さん・・・」

 葵はぼんやりとした頭で目に映った顔に声をかける。半分寝ているような状態なので、声がおぼつかない。

(・・・ああ、ゆめねこれ。そうよねそんなつごうよくたつまさんがってなにわたしったらたつまさんのことをなまえでよんでたりああゆめだからいいわよねさっきまでなにかにおいかけられるこわいゆめだったからそれくらいの・・・)

「ごほうびくらいいいよねたつまさん・・」

「ご褒美?大丈夫?美里さん。取りあえず息を大きく吸って。楽になるから」

「はぁい。たつまさんがそういうなら・・・」

 まだ意識のはっきりしていない葵は素直に息を吸い込み、吐き出す。深い呼吸に合わせて体内のチャクラが未熟ながら自然と氣を練り、余分な氣を放出し・・・

(・・・夢にしては、妙にリアルね。龍麻さんが・・・)

「って、本物!?」

 葵は叫びざま頭を振って勢いでピョンっと立ち上がった。専門用語で言うところのヘッドスプリング起きである。

「わ、私別にその、あの・・・って、小蒔?みんなも・・・」

 ようやく正気に返ったらしい葵の姿にぽかんと呆れていた小蒔と杏子が視線を向けられて我に返った。

「葵!大丈夫!?痛いトコとかない!?」

「美里ちゃん!ごめんね!置いてっちゃってごめんね!」

 抱きついてきた二人の背中をぽんぽんと叩く葵は既にいつもの母親然とした包容力を取り戻していた。

「大丈夫、ちょっと怖かったけど・・・みんなが来てくれたから・・・」

「再会、うれしいね。無事、よかったね。でも、抱き合って喜ぶにはちょっと早いかな」

「どういうことだよ緋勇・・・って、目の色が紅にもどってるぜ?」

 龍麻は京一の声に答えず、廊下の方に視線を投げる。

「遠野さん、美里さんと桜井さんをつれて校舎の外へ出て。すぐに戦闘が始まるから」

「緋勇さん?それって・・・」

 どういう意味と言いかけた葵の動きが止まった。

「こ、この感じ・・・さっきも・・・」

(・・・共振してるね。完全に覚醒したってことか・・・)

 龍麻は内心の呟きを打ち消して再度杏子に指示を飛ばす。

「早く!あと2分以内に美里さんを連れて脱出!」

「わ、わかったわ・・・」

 今まで見せたことのない鋭い表情と声に杏子は一も二もなく頷き、何か言いたげな葵を引きずるようにして教室を飛び出す。

「桜井、おまえも・・・」

 言いかけた醍醐をキッと睨んで小蒔は背負っていた弓袋から弓と矢を取り出し弦の張りを確かめる。

「ボクはここに残る!なにか・・・何かが来て、それとみんなが戦うなら・・・ボクだって戦う!」

「桜井!」

 説得しようと声を張り上げる醍醐の肩を龍麻は静かに叩いた。3人の視線が自分に集まっているのを確認してゆっくりと口を開く。

「3人ともよく聞きなさい。ここから先は、あなた達の世界ではない。日常と非日常を分ける線に今、あなた達は立っている。今ならまだ戻れる」

 何か言いかける京一を手で制して龍麻は続けた。

「殺されるかもしれない。誰かを、何かを殺すかもしれない。そういう世界。あたしは、既にこちら側に居るけど・・・あなた達はそうじゃない。美里さんは既に脱出したから、ここに踏みとどまる必要も無い。それでも、戦うの?」

「・・・全員逃げるまでに、おいついてくるとおもうけどな」

「ああ、それはあたしが殺すから」

 あっさりと言われて3人はぎょっとした顔で龍麻をみつめる。

「大丈夫。相手は多分人間に属するものじゃないし、どんな数でもあたしは絶対に死なない。それだけはない。でも、あなた達は・・・油断すれば死ぬわよ」

 沈黙。龍麻が設定した2分という時間も残り少ない。

「そんな、死ぬなんて・・・」

「自分には無縁だって考える、それが日常の世界。いいことだよ。本当はそういう世界にだけ人は居るべきだから。でもこっちがわに来ちゃったら・・・本当に、あっさりと死ぬかもしれないの。それでも、このあたしの手を取る?」

 躊躇。

困惑。

恐怖。

「逃げることを拒むなら、あたしの手を取りなさい。あなた達を支配するのはあたし。あなた達を護るのもあたし。この・・・緋勇龍麻よ!」

 その名が叫ばれると共に、背後の扉がはじけとんだ。

「きゃぁっ、なにアレ!」

 小蒔の悲鳴と共に4人はその扉と、そこからなだれ込んでくる無数の紅い光点に向き直った。

「蝙蝠・・・だな」

「だがよ、醍醐。あれは普通の生きもんじゃねぇだろ。どう見たって」

 途絶えることなく飛び込んでくる黒い塊を眺めて京一は呟いた。遅まきながら、死ぬかもしれないという言葉に信憑性を感じる。

「今から逃げるってのは現実的じゃないわね。決められないなら部屋の隅でガード固めててくれる?」

 龍麻は一人静かに前へ出る。その両手には、いつの間につけたものか古めかしい手甲が装着されていた。

「決断は5秒でお願い」

 言いながらさらに一歩前に出た瞬間。

「5秒もいらねぇよ」

 その横に、京一が立った。いつものように木刀で自分の肩を叩き、へへっと笑う。

「俺の先祖は江戸の町を護る為に鬼と戦ったっていう言い伝えがあってな・・・」

 醍醐と小蒔に聞こえないように小さな声で京一は囁いた。

「俺もそうなろうってんで師匠についてったんだ。それに・・・師匠に言われたことがある。いつか緋勇を名乗る龍の拳を持つ男に出会えたなら、そいつについて行けってな。まぁ、女だったけど服装は男だから問題ないだろ?」

 龍麻はちらりと横目で京一を眺めて口元を緩める。

「ありがとう。“京一”・・・」

「!?・・・ああ、まかしときな、“龍麻”。お前の背は俺が護る!」

 二人がさらに一歩前に出たのを見て、小蒔は覚悟を決めた。

「緋勇クン!ボク、どうしたらいいかよくわかんないから指示を出して!ボクは言われたとおりに撃つよ!絶対、躊躇わないから!」

「・・・OK、小蒔ちゃん。矢をつがえて待機お願い。残りの矢の本数は常に把握して」

「・・・緋勇、俺は桜井を護っていればいいのか?」

 その光景に、醍醐は自然とそう言っていた。何故かはわからないが彼の中にこの非日常から抜け出すという選択肢は存在していなかったのだ。

「そう。でも支配空域が確定したら徐々に前に出て。最終的には包囲殲滅するから」

 龍麻は言いながらすっと息を吸い、気を練る為に意識を集中させる。方法はわかっている。条件も整っている。後は・・・

「京一、あたしの名前、呼んでみてくれる?」

「は?」

 戸惑いながらも京一は小声のまま答える。

「お前の名は緋勇、龍麻だ」

「そう・・・あたしの名は緋勇龍麻。その名の下に・・・」

 凛とした声が狭い教室の中、蝙蝠たちの叫び声と交差する。

「戦闘開始っ!」

 声と同時に京一は駆け出した。通り過ぎざまに左右の蝙蝠を叩き落し、地面に落ちたそれに木刀の切っ先を突き立てる。

「キィィィィッ!」

 悲鳴と共に伝わるゴリッとした感覚に顔をしかめながら京一は龍麻の姿を探した。

「はッ!・・・たッ!」

 視線の先、龍麻は舞うように拳を振るっていた。姿勢の乱れる蹴り技は使わず、左右の掌打をほとんど目視すらしていないまま蝙蝠に叩き込んで1分とかからず10匹近い敵を叩き落す。

「ど、どうやったらあんなスピードで空を飛ぶものを叩けるんだ?」

 醍醐の驚愕の声を背に京一は更に数匹の蝙蝠を地面にたたきつけた。

(・・・狙って打つのを繰り替えすんじゃなくて最初に打つ目標を全て捕捉してやがる!ありゃあ完全に戦闘用の・・・)

 普段とは別人のような鋭い視線で京一は周囲を一瞥する。

(クソッ、俺も出来るはずだ!昔あれだけ修行したじゃねぇか!)

 ただの喧嘩に慣れてしまい思ったとおりに動かない体に苛立ちながら木刀を振る京一の背中にとんっと何かが当たった。

「!?」

 ぎょっとして振り返ろうとする動きは柔らかな指先で制される。

「大丈夫よ、京一。あなたの動きはどんどん良くなってるから。まぁ、畑違いなんでそんなに信用されても困るけど」

「・・・わりぃな。もうちょっと、覚えてると思ったんだけどよ」

 集団戦の、心得を。

「小蒔ちゃん!敵集団両サイドにそれぞれ二本ずつ交互に!」

 龍麻は小蒔に指示を出してから京一に一つ頷いて見せた。

「できるよ。大丈夫・・・あたしも、今いろいろと試してるところで不安だけど、君たちがいるなら、多分大丈夫。だから、ね?」

「・・・ああ、まかせとけ。包囲すんだろ?行こうぜ!」

 小蒔の矢が通過して一瞬だけ動きの止まった蝙蝠の集団の右サイドに京一は躊躇わず飛び込んだ。

(見るんじゃねぇ。視るんだ・・・!)

 目から入ってくる情報と空気を切る羽音、それらを組み合わせ、蝙蝠たちの移動ルートを読む。

(あとは、それを・・・)

「ぶった斬る!」

 振るわれた木刀が元の構えで停止した瞬間、床に6匹の蝙蝠が転がっていた。全て、正確に両断されている。

「きょ、京一!?今のは・・・!」

 醍醐の驚愕に答える余裕もなく京一は周囲の蝙蝠と・・・龍麻の姿を探す。その視線の先で・・・

「掌底・・・発剄っ!」

 龍麻の掌から放たれたのは前日醍醐が喰らったものとは比べ物にならないレベルの巨大な気塊だった。やや上向きに放たれたそれは十数匹の蝙蝠を天井に叩きつけ、欠片も残さず消し去ってしまう。

「な、なに!?今の!」

「醍醐くん!前進開始!きっちり7歩前に出てそっちに行った奴をしとめて!」

 小蒔の声を掻き消して龍麻の声が響く。

「応っ!」

 それに答えて醍醐は前に出た。龍麻と京一の挟撃から逃れてこちらへ来た蝙蝠を重く鋭いフックで連続して叩き落す。

 連携は、ほぼ完全だったといえる。間合いが長く天井近くから地面すれすれまでの蝙蝠を的確に叩き落す京一と素手ながら射程距離の長い発剄を持つ龍麻。

 そこから逃れようとすればそれを見越した小蒔の矢が牽制し、醍醐が止めを刺す。

 そうやって数分間の戦いを経て、残りの蝙蝠も僅かになっていた時だった。

「しまっ・・・」

 醍醐が声を上げる。残り少ない蝙蝠がまとめて突進してくるのを止めきれず、小蒔の方へ数匹通過してしまったのだ。

 その数、きっちり五匹。

「わぁっ!」

 小蒔はあわてて弓をそちらに向けるが撃ったばかりのそれに矢をつがえるのにまごついてしまう。

「桜井っ!」

 醍醐は慌てて振り返り小蒔に襲い掛かる蝙蝠に追いすがった。床を強く蹴り同時に三匹を叩き落すものの、残った二匹が鋭い牙を小蒔に向け・・・

「たあああああああっ!」

 それが柔らかな肌を突き破ろうとした瞬間、黒い疾風がその二匹をまとめて絡み取って小蒔の背後へと駆け抜けた。

「ひ、緋勇クン!?」

 振り返った小蒔の視界に映るのは龍麻の姿だった。

「間に合ったみたいね」

頭を握りつぶした蝙蝠を両手にぶら下げ・・・右目の上から鼻梁を通り左頬まで切り裂かれた傷から流れ落ちる血に顔を染めている。

「緋勇っ!おまえ、顔に傷が・・・!」

「いいのよ。あたしはそういうのじゃないから」

 醍醐の恐慌まじりの声にやや冷たい声で答えて龍麻は蝙蝠を床に捨てた。

「緋勇クン・・・だ、大丈夫・・・?」

「言ったでしょう?あなた達は、あたしが護る」

 小さな微笑すら浮かべながら数の激減した蝙蝠の群れに向けた視線が鋭く光る。

「それに、この程度は気にしてる暇、なさそうだから」

「え?」

 小蒔と醍醐はその視線を追って振り返った。

「やっと気づいたのかよ醍醐!小蒔!さっさと援護しやがれ!」

 京一は悪態をつきながら隙なく木刀を構えなおす。既に蝙蝠はドアから飛び込んでくるのを止めている。今室内に居る十匹ほどを倒せば終わりだろう。

 だが、最後に飛び込んできた二匹はそれまでの蝙蝠とはまるで違った。

「でかい・・・!」

「な、何なのアレ・・・!」

 醍醐と小蒔の声を受けて、その2匹が羽ばたく。翼の先から先まで、ゆうに2メートル。あきらかに生物の範疇から外れている。

「小蒔ちゃん、ここで行方不明になったのって、何人?」

「二人だけど・・・え!?」

 その符号に気づき、小蒔の顔がさっと青ざめた。

「間違いないわね。あの二匹、喰ったのよ。その二人を・・・」

「馬鹿言うなよ!蝙蝠が人の肉なんか食うわけが・・・!」

「肉じゃないわよ。多分、血とそれを媒介にした生命力。肉自体も他の小物が食べたかもしれないけどね・・・ああ、鬱陶しいなこの傷。血、止まらないし・・・」

 京一の叫びに答えて龍麻が戦場に駆け戻りかけた時だった。

「遅れてごめんなさい・・・!」

 長い黒髪が、蝙蝠が居るのとは反対側のドアから飛び込んできた。

「葵!?」

 呆然とする小蒔に頷き返し、葵は見た目よりずっと強靭な脚力をいかして龍麻の元に駆け寄る。

「・・・あなたも、現実から逸脱するの?」

 小声の囁きに、葵は強い意思を秘めた瞳で頷いた。

「・・・そこが、あなたの居る側なら」

 囁きと共に龍麻の顔へと手をかざす。

「私に、力を・・・」

 瞬間、暖かい光が傷を包んではじけた。不審な顔で龍麻が血を拭うと、その下から傷もしみもない綺麗な肌が現れる。

「治ってる・・・」

 驚きの視線に葵は緊張のおももちで頷いた。

「こうすれば治せるって・・・何故かわかるの」

「・・・ん。ありがとう。後でたっぷりご褒美あげるからね」

 ぐしぐしと頭を撫でることで葵を赤面させてから龍麻はバッと蝙蝠へと向き直った。

「京一!醍醐くん!そのデカイ奴2匹を凍らせる!砕いて!」

 謎の指示にも二人は素直に頷いた。8割の信頼と、残りの2割は・・・やけっぱちに近い感情にしたがって。

「小蒔ちゃん!あたしに近づいてきたチビ蝙蝠はお願い」

 龍麻は叫びざま駆け出した。文字通り疾風怒濤の勢いで京一と醍醐の間を駆け抜けて大蝙蝠へと突進する。

「はっ、たっ!」

 鋭い声と共に飛来した矢が襲ってきた小蝙蝠を追い払うのを横目で確認して右の大蝙蝠に飛び掛り・・・

「雪蓮っ!」

 体内を循環させた氣を冷気として掌に集中させる。

「キィィィィ!」

 叫びながら急降下してきた大蝙蝠の一撃と冷たく凍る右腕が交差した。

 ピィィィィィンッ!

 と、鋭い音が響き、狙いをはずし通過した大蝙蝠の全身が凍りに包まれる。

「よっしゃぁっ!」

 その結果を見届けることなく駆け抜けた龍麻の開けたスペースにすかさず走りこんだ京一は横薙ぎの一撃でそれを打ち、その内部の蝙蝠もろとも粉々に打ち砕いた

「もう一つ!」

 二匹目の大蝙蝠はその京一が無防備にさらした背中に襲い掛かってくる。龍麻は鋭いターンで向き直るが、まだ攻撃するには間合いが遠い。

「させんっ!」

 だが、そこへ醍醐が割り込み両の羽を掴み止めて防御する。

「雪蓮・・・掌っ!」

 刹那、背後に回りこんだ龍麻が二発目の雪蓮掌を大蝙蝠の体に叩き込んだ。

みるみる凍結していく大蝙蝠を見据え、醍醐は一歩下がってから鋭い回し蹴りを放つ。

 パンッ・・・

 軽い音とともに大蝙蝠はこちらも粉々に砕けて床に散らばる。

「き、きぃぃぃいっ・・・」

 残った普通の蝙蝠たちも弱々しい動きで廊下に飛び去り、ようやく教室内に静けさが戻った。

「・・・勝ったの、かな」

 小蒔が呟くのに龍麻は頷き、落ちていた蝙蝠の死体の前でしゃがみこんだ。

「緋勇さん、それってやっぱり蝙蝠なの・・・?」

 葵がおそるおそるかけてきた声にも龍麻は振り返らない。羽を広げてみたり無理矢理口をこじ開けたりしながら首を振る。

「蝙蝠だってのは間違いないけど、人肉食の蝙蝠なんてのはちょっとね・・・これだけ翼が発達する必要は街に住む生物には必要ないし・・・明らかにこれは人を襲う為の生物ね」

 ぽいと死体を投げ捨てて龍麻は立ち上がった。

「ところで美里さん。さっきの≫だけど、あれは前から?」

「いいえ、さっきはじめて・・・」

 戸惑いの表情を浮かべる葵を首だけ振り返って龍麻は見つめる。

(じゃあ、覚醒したってことか。候補者から、魔人のひとりへ昇格。これで逃がすわけにはいかなくなったわね)

 そんなことを考えている自分が嫌で龍麻は再度蝙蝠の死体に目を戻す。

「み、美里っ!?」

 しかし、背後から聞こえた小蒔の声に龍麻はふりかえらざるを得なかった。ばっと身を翻した視線の先には、再度青い光に包まれている葵の姿がある。

「わ、わたし、さっきの力のことを考えてたら急に・・・!」

 ――――目覚めよ

 瞬間、5人の頭の中で声がはじけた。

(この声・・・覚醒の兆し!?)

 一人龍麻だけが師から伝え聞いていたその現象を冷静に見つめている。

「どうやらおかしいのは葵の体だけはないようだな・・・」
「ボク達の体からも青い光が!?」
「・・・クッ、どうなってやがんだ」

(まずいわ・・・脱出するまで、意識が持たない・・・)

 急激に膨れ上がる氣の奔流に精神の安全装置が気絶という回避手段を提供する。

 次々に倒れ伏す仲間たちを見つめ、遠くから迫る強大な闇の氣を左目に映しつつ。

(あたしは、みんなを・・・)

 最後に残った龍麻もまた、気を失った。

−真神学園 旧校舎前−

「ん・・・」

 どれくらい眠っていたのだろうか。

 四人がそろって目を覚ました時には、既に月が頭上から柔らかな光を投げ下ろしていた。

「俺達、なんで外に出てるんだ?」

 京一が全員の疑問を代表して龍麻に問いかける。

「・・・これに関してはあたしもわからないわね。あたしにわかるのは、ここから生きて出られたことを喜ぶべきだってことね。それも、全員無傷で」

「・・・うん、そだね!ボク、おなかすいちゃったよ!」

 そう言って笑う小蒔の顔はまだ少しぎこちないけれど。

「ははは、桜井は色気より食い気だな。俺も腹は減ったし・・・どうだ?もう一度ラーメン屋に行くか?」

「うん!今度は葵も一緒にね!」

「うふふ、小蒔ったら」

 一同はなんとか帰ってきた日常へと意識を切り替えた。

「じゃあ行こっか!生還記念にみんなに一杯ずつ奢っちゃうよ!」

「まじか!?」

 龍麻がパンっと手を打ちながら言った言葉に京一と小蒔が大げさなガッツポーズを取り葵と醍醐がそれを見て苦笑する。

 そんな騒ぎの中・・・

(ついに始まったんだ・・・)

 龍麻は静かな視線を旧校舎に向けていた。

(候補者は覚醒した・・・そしてあたしも)

「おーい、はやくいこーぜ!」

「はーい!」

 声だけは元気よく答えて龍麻は歩き出す。

――――――目覚めよ

 今も耳に残るその声と共に。

              第二話  本幕  「覚醒」     閉幕

                   追の幕 「日常/非日常」 開幕