蓬莱寺京一 9:00? 新宿駅前▲

 

「畜生!また遅刻かよ!」

 蓬莱寺京一は走っていた。それはもう、全力で。

『日曜日の朝9:00、駅前でね』

 土曜日の放課後、そう言われたときには確かに間に合わせるつもりだったのである。彼にしては珍しく、目覚まし時計を押入れから引っ張り出してきたほどである。

 だが。

「何で壊れてるんだよ!目覚まし時計ぃぃっ!」

 たぶん粉々になっていた目覚まし時計に罪は無い。

 どちらかといえば、その傍らに放り出されていた木刀の方に注意を向けるべきであろう。

「着いた!時間は・・・げっ!もう9時25分!」

 時計を見て驚愕した京一は慌てて辺りを見渡す。

・・・あちらこちらに佇む待ち合わせらしき人々の中に、男装の女子高生という特殊な存在は見当たらない。

「やべぇ・・・居ねぇよおい・・・」

「あれ?待ち合わせすっぽかされちゃったの?おにーさん?」

 不意に、声がかけられた。

「あん?」

 気の抜けた声と共にそちらに目を向けると、フレアスカートと白のフリル付きブラウスという『ろりっ!』な服装の少女が一人、ウィンクしつつこちらを見上げている。

「べ、別にすっぽかされたわけじゃねぇぞ!ちょっとあいつが遅刻してるだけだ!うん!そうに違いない!あははははははは・・・」

 京一がやけっぱちで笑い始めた瞬間だった。

「30分近く遅刻しといてどの口でほざいてるの?」

 少女は急にジト目になってそんなことを言ってきた。

ウィンクをやめ、開いた左目は赤い。

「へ・・・?」

 京一は間抜けな声を出してその少女の顔をまじまじと眺める。

 10秒。

 20秒。

 30秒。

「た、龍麻か!?」

「気付くのが遅いっ!」

 突き上げるような掌底で顎を強打された京一は30センチほども浮いてから地面に倒れ込む。

「こ、この破壊力・・・確かに龍麻だ・・・」

「・・・次は龍星脚あたりを」

「待て!待つんだ龍麻!嘘嘘嘘嘘!可愛い!ラブリー!最高!いやぁ、俺が龍麻を見間違えるはず無いだろ!?」

 にっこりと微笑む少女・・・緋勇龍麻に京一は慌てて立ち上がり弁解を始めた。

「で?」

 龍麻は、笑顔のままで拳を握って京一に突きつける。

「悪かった!遅れたのは悪かった!だから殺さないで・・・」

「・・・うん、そのリアクションはなかなか。今回は許してあげよう」

 龍麻は苦笑まじりにそう言って地面に置いてあった小さなバッグを拾い上げる。ピンク色の、これまた少女趣味な一品だ。

「いやしかしだな、まさか龍麻がそういう服装で現れるとは思わなかったからよ・・・」

「ん?可愛いっしょ?」

 スカートの端を掴んでくるっと回ってみせる龍麻の姿は素手で蝙蝠を殴り殺し、真神の総番長を蹴り倒した豪傑と同一人物とは思えない。

「そのボディーラインにその服装・・・ちょっと犯罪的だ・・・」

 思わず呟いた京一に龍麻はにこーっと微笑んだ。

「確信犯」

「マジかよ・・・」

 

 

「しかしその服装・・・おまえの趣味なのか?」

「ん?別に。普段はTシャツにキュロットとかだよ。男もんのシャツにジーンズってパターンも多いかな」

 目的地へと歩く道でも服装の話が続く。

「じゃあなんなんだ?それ・・・似合ってるけどよ」

「京一が萌えるかな?っていう実験」

 京一は、がくりとつんのめった。

「お、おまえ・・・」

「あはは、ほんとはね・・・普段男装してる分、こういうとこでバランスとっとこうかなって。まぁいろいろあんのよ。緋勇の龍麻ちゃんにもさ」

 あまり明るいとはいえない笑いと共に龍麻は足を止めた。

「さてっと、ここが目的地だよ」

「あん?・・・如月、骨董品店!?なんだ?ここ?」

 てっきりどこかの道場にでも連れて行かれるのかと思っていた京一はすっとんきょうな声を上げる。

「ん〜、わかりやすく言えば武器屋かな。さ、入った入った」

 龍麻は京一の背を押してその古びた店内に入った。

「ど〜も〜」

 軽く声などかけながら踏み込んだその空間は不思議なほどの清涼感に満ちている。

「いらっしゃい・・・何の用だい?」

「を・・・?こんにちは」

 店の奥から聞こえた声に龍麻は軽く頭を下げ、そちらへ向かった。京一もわけがわからないながらその後に続く。

「どうも。拳武の紹介できました。道具欲しいんですけど」

「そうか、君が・・・話は聞いているよ」

 店の奥に座っていたのは着物を優雅に着こなした青年だった。秀麗な美貌に、今はやや驚きの表情を浮かべている。

「それで・・・何が欲しいんだい?」

「刀を一本。そうね、初めてだから切れ味よりも頑丈なのをお願い。タイプやらなんやらは彼が使うことを考慮して」

 すらすらと注文する龍麻に圧倒されている京一を眺めて店主はふむと頷いた。

「君、流派は?」

「あん?ああ、法神流だ」

 半ば忘れかけていた流派名を答えるとその目が一瞬だけ見開かれる。

「そうか・・・なるほど。少し待っていてくれ」

 店主はそのまま立ち上がり店の片隅から一本の日本刀を携えて帰ってきた。

「鬼丸国綱。鎌倉時代、鬼退治に用いられたといわれる一本だよ。君にはちょうどいいだろう?」

「・・・ちょっと振らせてくれ」

 日ごろはどうあれ京一も剣士である。師匠の元に居た頃には真剣を扱ったこともある。

「とと、そうそう。重いんだよなこれが・・・」

 持ってすぐこそ少し戸惑いが見えたが、すぐに滑らかに剣閃を描き出す。室内だとか、周りに物が山積みになっているとかそういったことを心配する必要がなさそうなほど安定した軌道に龍麻と店主は満足げに頷く。

「いいぜ。これ。なかなかだ」

「そうね。じゃあ、これ貰うわ。支払いは現金でね」

 鞄からぽんっと投げ出された封筒の分厚さに京一はぎょっとした。

「お、おい龍麻!こ、この金・・・!」

「ああ、あたし達の共有財産だから気にしないでよ。ほれ、ラーメン代払ってるでしょ?あれもこのお金から出てるのよ。出所はまだ教えられないけど後ろめたいのじゃないから」

 肩をすくめてそう言った龍麻に京一はしばし難しい顔をしていたが数十秒の逡巡を経て、結局頷いた。

「わかった。おまえが言うなら信じるぜ。だけどよ、どーすんだ?この刀。木刀と違って持ち歩くわけにもいかねぇし」

「ああ、だいじょぶ。喰わせるから」

「食わせる?」

 聞き返す京一に軽いウィンクを投げて龍麻は一枚の紙を取り出した。分厚いその紙にはなにやら複雑な模様が書き込まれている。

「ほう・・・封神符じゃないか。しかしずいぶんと手を加えているようだね」

 店主は関心したような声で呟いた。

「ほうじんふ?」

「もともとは物の怪をその肉体ごと封印するために作られた呪符なんだけどね。これは、それを改造した暗殺アイテムなのよ。ちょっと木刀貸して」

 ぽかんとしている京一から受け取った木刀にその符を貼り付け龍麻はニッと笑う。

「暗器って知ってる?何気ないものに武器を仕込むんだけど・・・これはその、究極の技術ってとこかな・・・オンキリキリバサラウンバッタ・・・!」

 叫び複雑な印を切った瞬間。

「うぉっ!なんじゃこりゃあ!」

 ボっ・・・と呪符が燃え上がった。次いで、軽く触れ合わせた木刀と日本刀がぶるりと震え、ゼリーをぶつけ合ったかのようにどろりとその輪郭が一つになっていく。

「物が物を喰い、その性質を取り込む・・・拳武謹製、喰神符ってわけ」

 やがてそこに残ったのは木刀だけになった。龍麻はそれを掴み、自分の髪を一本引き抜いてその刀身にたらす。

 ぱらりと両断されたそれに京一はおおっ・・・と声を上げた。

「持ち主の意思に反応して性質が変化するの。見た目はそのままに刀だって思えば刀、木刀だって思えば木刀になるってわけね」

「・・・忠告しておくけど、その手の思念操作はそれなりに慣れを必要とする。日ごろから訓練することをお勧めするよ」

 店主に言われた京一は無言で頷いて木刀を掴む。

「言われるまでもねぇ・・・まかせろ龍麻。俺は・・・強くなるからよ」

「ん。わかってる。京一は最強の剣士になれる素質があるからね」

 あっさりと言われてやや赤面している京一に龍麻はニッと笑って見せた。

「っていうわけでね、修行がてらちょっと来てほしいトコがあるんだけどね・・・」

 

 

▲ 醍醐雄矢 11:20 真神学園レスリング部室▲

 

 

「おお、すまんな・・・わざわざ来てもらって」

 レスリング部の部室を訪れたジャージ姿の龍麻を醍醐雄矢はそう言って出迎えた。

「はろぅ!醍醐君。ここにあたしを呼び出したって事は、用事はアレね?」

「うむ・・・」

 リングの上に立ち、重々しく頷く醍醐に龍麻はウィンクする。

「あぁん!らぶりぃな醍醐ちゃんに愛のタックルを!?駄目・・・駄目よ!まだ心の準備が・・・!」

「な・・・い、いや、そうではなく・・・」

 頭を殴られたようによろめいた醍醐の言葉を龍麻は聞いていない。

「真面目そうな顔して積極的なんだからん!うふふ〜、女の子にはいろいろと準備があるんだぞっ?」

 ぱちんっとウィンクを投げられて醍醐は既にダウン寸前であった。ロープに沈み込むように後ずさり、あわあわと口を動かす。

「い、いや、そのだな、お、俺は・・・」

「さて、前振りはこのくらいにして本題にはいろっか。もう一回戦いたいのかな?」

 いきなりの方向転換に真っ白な頭で見つめてくる醍醐にクスリと微笑み龍麻はひらりとリングに上った。

「おーい、このくらいで呆けてるようじゃラブリーデビル龍麻ちゃんの仲間はやっていけないぞー」

「う、ああ・・・」

 醍醐は深呼吸を繰り返してなんとか頭をすっきりさせ、改めて龍麻に向き直る。

「落ち着いた?」

「うむ・・・それで、頼みなのだが・・・」

 言いながら握った拳は龍麻のものよりも二周り以上大きい。おそらく、それが生み出す破壊力も同様に大きいだろう。

 だが、現実の戦いにおいて龍麻の拳は常に敵の中枢を砕き・・・醍醐はそのフォローすら一人では出来ていない。

「龍麻。俺に、発剄を教えてくれ・・・!」

「・・・・・・」

 龍麻は即答しなかった。予想は出来ていたが、すぐに頷ける問題でもない。

「醍醐君。発剄はうちの流派における秘伝なわけで・・・どうして学びたいのか、教えてもらえるかな?」

「・・・俺は、弱い。人間相手ならばそう簡単に負けはしないが、化け物相手では役に立たん。もっと・・・もっと強い武器がいるのだ・・・!」

 醍醐は叫び、バッと頭を下げた。大きな後頭部を見下ろして龍麻は右目を細める。

「・・・発剄は、基礎修行で3年、練氣で5年、放出で2年。最短でも合計10年の修行を経て体得するものなんだけどね・・・」

「な・・・そ、そんなにかかるものだったのか・・・!」

 顔を起こし絶望の表情を浮かべる醍醐に龍麻は頷き、目を閉じた。

「そう・・・でも、時々・・・ほんとに稀に、呼吸するように氣を練れる人が居るのよ。葵ちゃんのようにね」

「み、美里がか!?」

「そ。彼女は魔人化することで数十年修行した治癒術師並みの能力を手に入れた・・・でもこれはもともと彼女に備わっていた資質が目覚めただけ。もしもあなたにそれと同じような資質が眠っていれば・・・ちょっとしたきっかけで使えるようになるかも」

 目を開き、龍麻は構えをとった。反射的に身構えた醍醐を見据え、言葉を繋げる。

「今から、あなたに発剄を打ち込む。前に戦ったときのとは違う、全力の奴を。殺すつもりで。素質があれば、無意識のうちに体が防御を行う筈よ」

「な、なければ・・・?」

 ニッコリと浮かべた笑みは、天使か悪魔か・・・

「大丈夫」

「だ、大丈夫か」

「うん。大丈夫。死んだ後の事考えてもしょうがないから」

 ・・・悪魔だった。

「さて、冗談はここまで。覚悟を決めなさい醍醐雄矢。あなたが選択したのなら躊躇ってる暇なんて無いはずよ」

 冷たい声に醍醐は恐怖を覚え・・・それ故に、覚悟を決めた。

「そうだ。出遅れてしまっている俺には怯えている時間などない・・・!頼む!」

 叫びと共に腰を落とし両手を顔の前で交差させたクロスガードをとった醍醐に龍麻はニィッと口元を吊り上げる。

「その覚悟やよし。なら・・・緋勇龍麻の名の下に・・・」

 呼気と共に手のひらがぼんやりと光る。

「掌底・・・」

 醍醐は歯を食いしばり、あの旧校舎で蝙蝠を打ち砕いた一撃を思い出す。そして、それを耐え切る自分を思い描く。

(出来る・・・俺には出来るはずだ・・・)

「発剄っ!」

 瞬間、閃光が走った。

「おおおおおおおっ!」

(何だ!?・・・なにかが・・・溢れる!?)

 思わず絶叫した腹から全身へと何か熱いものが流れ、満ちていく感触。未知のそれに戸惑ううちに閃光は消えさっていた。

 醍醐の叫びが尾を引いて消え去り、静寂が満ちる。

 パチパチパチ・・・

 その静寂を破ったのは、龍麻の拍手だ。

「おめでとう。これで第一段階はクリアーよ」

「で、出来た・・・のか・・・?」

 呆然と自分の手を見つめる醍醐に龍麻はピンっと人差し指を立てて振ってみせる。

「ネタばらしをするとね・・・あたしの義眼は人の保有する氣を測定できるのよ。ざっとだけど。だからこいつを使って醍醐君の氣が常人離れしてるのは測定済み。氣を操る素質に関しては魔人化が始まる前に発剄を目視できた時点で証明されてるしね」

「な、ならば今のは・・・?」

 混乱気味の醍醐に龍麻は柔らかい笑みを浮かべた。

「全身に行き渡らせるって概念を理解するにはちょうどよかったから。醍醐君は一度発剄を受けてるから全身くまなくガードしなくちゃいけないこと、体が知ってるし」

「確かに、腹から何かが広がっていくような感触があったが・・・」

 深く息を吸い、あの瞬間を思い出すと再び熱い流れが体を巡りだす。

「丹田で錬氣されて全身を循環する。ま、それが基本ね。後は呼吸法やらチャクラの開放やらイメージ制御やら・・・そういう技術を学べば普通の発剄くらいなら撃てるようになるはずよ」

「う、うむ!よろしく頼む」

 醍醐は再び頭を下げ、ふと首をかしげた。

「しかし・・・イメージを掴ませるだけのために死ぬほどの攻撃をしなくてもいいのではないか?」

「ん?ああ、あれね。あれ、嘘だから」

 あっさりと龍麻は言い切って笑う。

「やーね醍醐っち。この愛くるしい龍麻ちゃんが仲間を殺しちゃうような攻撃、するわけないじゃない。うん、ありえな〜い」

「な、何と・・・!」

 醍醐は目を見張り、ガクリと崩れ落ちた。

「お、俺は・・・仲間を信じられなかった・・・龍麻なら笑顔で殺人的な一撃を繰り出してくるかもとか、間違って殺してもごめんの一言で済ませそうだとか、あるいは死んでも情けないの一言で生き返らせるかもとか思ってしまった!どこかの空からデーモン龍麻などという言葉まで聞こえて・・・」

 嗚咽と共に放たれる言葉に龍麻のこめかみがひくひくと痙攣する。

「許してくれ龍麻!」

「許すかっ!」

 龍麻は今度こそ全力の龍星脚で醍醐をリング外にまで蹴りだした。

「ったく・・・詳しいことは後でまた教えるからね!」

 

 

       桜井小蒔 1:30 真神学園弓道場 ▲

 

 

「おまたせっ!」

 弓道場に駆け込んできた龍麻の姿に小蒔は歓声を上げた。

「わ!龍麻クン胴着だ!」

「ふっふっふ・・・陰陽一対の武術、その陽門たる継承者にのみ着ることの許される由緒正しきモノなのだ!」

 龍麻は着込んだ白い胴着の襟元をピンっと弾き、それから肩をすくめた。

「っても、一子相伝だから門下生はあたし一人だけどね」

「へぇ〜!なんかどこかの暗殺拳みたいだねっ」

 しきりに感心する小蒔に一瞬だけ微笑み、龍麻はすぐに真剣な表情になる。

「さて・・・あたしに稽古をつけて欲しいって話だったけど?」

「うん。ボク、蝙蝠のときもこの前もあんまり役に立ってない気がして・・・」

 確かに、彼女の討数はいまだ0のままである。

「ん・・・そう、ね」

 龍麻は数秒間迷い、目を細めた。

「確かにこのままでは、あなたは役立たずね。いずれ戦闘要員から外れてもらうことになるわ」

「え・・・?」

 そこまではっきりとキツイことを言われると思っていなかった小蒔はきょとんとした顔で思考停止する。

「これから先、この東京に様々な事件がおこる。これは予想ではなく、ただの事実。魔人や化物が本格的に動き出す日も近い。その時に・・・牽制しか出来ない魔人では戦力にならないから」

「そ、そんな・・・」

 小蒔は反論しかけて俯いた。

「ううん、その通り、だね」

 俯きがちのその表情に、彼女らしい生命力が無い。

「でも・・・やっぱり怖いんだよ。何かを傷つけるなんて・・・」

「まあ、それが普通の反応だろうけどね」

 龍麻は壁に寄りかかり、手甲をはめた両手を眺める。

「あたしはこの手でたくさんの命を絶ってる。まだ人間は殺していないけど・・・いずれ誰かを殺すことがあるかもしれない。必要ならば躊躇わないと、決めてもいる」

「人を・・・!?だ、駄目だよそんなの!」

 青ざめた小蒔の表情に龍麻は笑った。

 小蒔と自分、どちらを笑ったのかはわからない。

「もちろん出来るだけ殺さないつもりだけどね。でも、もし敵がこちらを殺すつもりで向かってきていたら・・・そしてそれが簡単には無力化できない相手だったら・・・殺さなければ、仲間の誰かが死ぬかもしれない。それはあたしが殺したってことだから」

 握った拳の先に、青ざめた小蒔の顔。それが普通の・・・本当に健全な反応であることに龍麻は一瞬だけ羨望の表情を浮かべ、すぐにそれを打ち消した。

「桜井小蒔。今、決めなさい。これから先の戦いに参加するか否か。・・・今後一切戦わないとしても友達だってことには変わりは無いけどね」

 小蒔は龍麻を見つめて小さく震える。その瞳・・・赤と黒の眼光が、ここでNOと答えれば二度と同じ世界を見ることはないと告げている。

 確かに友達のままかもしれない。

だが、一生彼女は『仲間』とは呼んでくれないだろう。

(・・・・でも、それよりも・・・)

 眼差しが導く記憶。緋勇龍麻と名乗る少女と始めて出会った晩に見た夢。

(龍麻クンって・・・ときどきこういう目をする。すごく寂しそうな)

 表情は無表情な、冷たいもの。瞳にも何の意思も見えない。

それでも小蒔は龍麻の顔に寂しさを感じた。

 だから。

「ボクは、戦うよ。やっぱり怖いし誰かを傷つけるなんて考えたくないけど・・・葵や龍麻クン・・・京一や醍醐クンと一緒に居たいから・・・」

 はっきりと、そう言った。

「ボクは、龍麻クンの仲間になりたい・・・」

 いつもの自分、元気で能天気な桜井小蒔を意識して演じて笑う。引きつったその笑みを見つめて龍麻もまた微笑んだ。

「・・・ありがと」

 小さな声は、小蒔に届いただろうか。

「では、試合の為ではない戦闘用の練習をしてみようか」

「うん!お願いしますっ!師匠っ!」

 ぺこっと頭を下げる小蒔に苦笑し、龍麻は持ってきたバックの中から丸めたポスター大の紙を取り出した。

「これは式神って言うんだけどね、こうやって定められた折りかたをすると・・・」

 折り紙の『やっこさん』のような曖昧な人型に折られた紙はぶるりと震えて動き出す。

「わ!わ!な、なにこれ!歩いてるよっ!」

「うん。ちゃんとした術者じゃなくても使えるようにしてある奴だから立って歩く位しかできないけど、今回の目的にはちょうどいいから貰ってきたのよ」

 身長1メートルちょっと、小さな子供くらいの大きさの人型は龍麻の指示でちょこちょこと歩き弓道用の的の前に立つ。

「なんか可愛いね。龍麻クン」

「そうね。では、あれを撃ち殺して頂戴」

 さらっと言われた台詞に小蒔はぎょっとする。

「う、撃ち殺すって・・・」

「まぁ、あれは物だから死ぬわけじゃないけどね。頭か胴体のど真ん中に当てなさいって事。あっちは見ての通りふらふら動いてるだけだから簡単でしょ?」

 指差された人型はゆっくりとした動きで右へ左へと歩き回っている。指示された単調な動作を繰り返すことしか出来ないようだ。

「うん。わかった・・・」

 小蒔は呟き、ゆっくりと弓を構える。いつもどおり、ただ的が動いているだけだと自分に言い聞かせながら。

 しかし。

「あ、あれ?・・・お、おかしいな」

 普段なら意識せずともピタリと定まる射線が震える。姿勢もどこか崩れ、自分が何をしているのかもよくわからなくなってくる。

「だ、大丈夫!ボクは大丈夫!べ、別に紙を破るくらい!」

「違う。あなたは、これから、あれを殺すの」

 龍麻の声は耳元で響いた。びくりと震えた小蒔の背に龍麻の胸の感触が伝わる。いつのまにか、彼女は寄り添うようにそこに居た。

「た、龍麻クンやめてよ・・・そういうプレッシャーのかけ方」

「ここで躊躇うようでは実戦でも使えない。そういう、ものよ」

 弓を握る手に、矢を引き絞る腕に、そっと龍麻の手のひらが添えられた。

「忘れないで。あなたは誰かを傷つける。だけどそれはあなただけで背負うことじゃない。あたしが、居るからね」

 囁かれた言葉に小蒔はガクガクとぎこちなく頷いた。いつもの数倍の時間をかけて狙いを定め、呼吸を整える。

「いくよ・・・」

 視線の先に、踊るように動く紙人形。

 今から、小蒔はそれを殺す。

「・・・・・・」

 静寂。

 呼吸。

 鼓動。

弓と矢がこすれるキリキリという音。

 震える手。

 背中に感じる龍麻のぬくもり。

 その全てを感じ・・・

 

 弓を、放った。

 

 ひゅんっ

 聞きなれた風切り音とともに、放たれた矢が音も無く紙人形の頭を貫通する。

 瞬間。

「キィィィィィィィィッィィィッ!」

 甲高い悲鳴が弓道場に響き渡った。

「ひっ!?」

 小蒔は予想していなかったそれに思わず弓を取り落としそうになる。だが、龍麻がその手のひらを包み込み、持ち直させた。

「駄目。落としては。あなたが命を預け、命を奪うそれを離しちゃ駄目」

「う、うん・・・」

 今度こそ震えを隠せず、今にもうずくまりそうな小蒔の体を龍麻は後ろから抱きしめる。

「よくやったね。上出来よ」

「うん・・・うん・・・」

 紙人形は頭部を失いぐったりと倒れている。

「後でもう少しレベルの高い練習をやるけど・・・今はゆっくりやすみなさい・・・」

 

 

▲ 美里葵 15:20  美里邸 ▲

 

 ぴんぽーん・・・

「あ」

 リビングで落ち着きなくテレビを眺めていた葵は鳴り響いたチャイムに立ち上がった。

「はい、今出ま・・・」

「今でま〜す!」

 だが、彼女が歩き出すよりも早く軽快な足取りの男女が玄関へと駆け抜けていく。

「え?え?え?」

「はい、いらっしゃい!」

「ど・・・どうも、こんにちは・・・」

 勢いよく開けられたドアの外で、龍麻はやや呆然と頭を下げた。男物のシャツにブラックジーンズを着込んだ姿は確かなふくらみを見せる胸以外は性別を感じさせない。

「うふふ・・・はじめまして。葵の母です」

「父です。君の事は葵がよく話していてね。いやいや、噂どおりの素敵な彼氏・・・」

「きゃああああああっっ!」

 絶叫と共に龍麻を体当たりのように突き飛ばして外に押し出し、葵は後ろ手に素早くドアを閉める。

「え、えっと・・・こんにちは、葵ちゃん・・・」

 肩で息をしている葵に龍麻は苦笑まじりに声をかけた。

「ご、ごめんなさい龍麻さん・・・ちょ、ちょっと待っててね・・・」

 葵は引きつった笑顔でそれだけ言い残して、素早くドアの向こうに消える。

「おーい、葵ちゃーん・・・」

 どうしたものかと呟いている龍麻の耳に『恥ずかしがること無いだろうははは』『そうよねぇ。素敵な人じゃない』『だからそういうのじゃないって言ってるのに・・・!』などと声が聞こえてきた。

(うーむ。性別が曖昧になってきてるみたいね。少し予定より早いかな)

 そして数分がたち。

「お、おまたせ・・・」

 ぐったりとした葵がようやくドアを開けた。

「あはは、おじゃまします」

 肩をすくめて龍麻は美里家へ足を踏み入れる。玄関に両親の姿は無いが、どこからかこちらを覗う視線を感じる。

「わ、私の部屋二階だから・・・」

 葵もそれに気付いたのかキッと周囲を睨み龍麻の手をとった。そのまま足早に階段を昇り自分の部屋に駆け込む。

「愉快なご両親ね。あたしは好きだな〜」

「・・・恥ずかしい」

 かくんと肩を落とした葵は龍麻の手を握っていることに今更ながら気付き慌てて手を離した。

「あはは、こんなのでよければいくらでも握っててよ」

「わ、わたしはその・・・あの・・・」

 真っ赤になってぷちぷちと呟く葵に龍麻はいたずらっぽい笑みで近づいてみる。

「それとも・・・『俺』が握ってあげた方がいいかな?」

「お、俺!?」

 目を丸くする葵の頬に軽く手を添えて微笑みを妖しげなものにする。

「二人っきりなんだから恥ずかしがることないぜ。葵」

「た、龍麻さん!?」

「そんな他人行儀な呼び方するなよ。いつもみたいに『あなた』って呼んでくれ・・・」

 徐々に近づいてくる顔を葵は息も絶え絶えに見つめる。

(冗談よね?冗談よね?冗談よね?いつもどおりの冗談よね?)

 龍麻の指で軽く上を向かされる。吐息を感じ、背筋がびくっと震える。

 反射的に目を閉じてしまった葵は金縛りにあったように動けなくなった。

(し、しっかりしなさい葵!『ふぁーすときす』なのよ?なし崩しでいいの!?)

 天使の葵が脳裏で囁く。

(おっと、この機会を逃したら次のチャンスはいつかわかんないわよぉ?)

 悪魔の葵が天使を押しのける。

(っていうか、どっちにしろ嫌じゃないわけね)

 冷静な葵が肩をすくめる。

 GOSTOPが脳裏でぐるぐる舞っているうちに唇に龍麻の吐息がかかり・・・

 

 こんこん、がちゃり。

 

 ノックもそこそこに、ドアが開いた。

「あ・・・」

「え・・・」

「あら・・・?」

 龍麻の、葵の、そしてケーキと紅茶の載ったお盆を持った美里母の声が交差する。

「あらあら〜・・・お邪魔しちゃったわね〜。ごゆっくり〜」

 

 ぱたん。

 

 そのまましまったドアに葵は呆然と視線を注いだ。階下から『パパ!パパ!葵が大人への階段を三段飛ばしで駆け上ってますよ!』『おお!こりゃめでたい!母さん今夜は赤飯だ!』などと聞こえてくる。

「・・・死にたい・・・」

 どんよりと淀んだ目で呟いた葵に龍麻は苦笑した。

「まぁまぁ、いざとなったらちゃんともらってあげるから。ね?」

「ふぁえっ!?」

 悲鳴とも歓声とも付かぬ声を上げてのけぞって葵はあとずさる。

「あはは、冗談冗談。ま、あたしはいつでも準備OKだけど」

 ウィンクなど投げてから龍麻はようやく真顔になった。

「さて、本題にはいろっか。確か相談があるって言ってたよね?」

「え、ええ・・・」

 一方葵はまだ動揺の抜けない表情で頷く。

「それは、のこと・・・かな?」

 龍麻に聞かれ、葵はゆっくりと話し出した。

「傷を治せる。それが私にはあるけれど・・・でもそれはみんなが怪我しないですむ≫じゃないから」

 龍麻はふむと頷き目を細める。

(頭がいい葵ちゃんのことだから・・・治癒能力の重要性がわからないってわけでもないわね。優しさ故の完璧主義・・・放っておくと裏返る可能性がある、か)

「龍麻さん。私の≫は他の使い方、できないのかしら・・・」

「醍醐君や小蒔ちゃんみたいな強化タイプと違って、葵ちゃん達能力者タイプは一人で使える≪≫の種類が多いから・・・可能性はあるよ」

 神妙に頷く葵を前に龍麻は懐から小ぶりのナイフを取り出した。

「みんなを守れる力を望んでるっていったよね?それなら、まずは防壁の術がいいと思うのよ」

「う、うん・・・」

 鈍く輝く刃に気圧され戸惑う葵にかまわず左手を開き、その上にナイフをかざす。

「全てはイメージよ。あなたが守りたいと願えば守れるの。たとえば、あたしの手のひらを貫くこのナイフを止めたりもできる」

「え・・・」

 不意の言葉に思考停止している葵の目の前でナイフが振り下ろされた。

「駄目ぇええええっ!」

 ずぶり・・・

 絶叫に鈍い音が重なる。ナイフは10センチほども肉に食い込み、手のひらを貫通していた。

「龍麻さん!龍麻さん!龍麻さん!」

 動揺してひたすら同じ言葉を繰り返す葵の唇を龍麻は無事な方の指でぴたっと押さえる。

「落ち着いて。あんまり騒ぐとご両親が来ちゃうよ?」

「そんなことより手が・・・!」

「ん。治してくれる?」

 ナイフを抜いて差し出された手のひらの生々しい貫通痕に葵は息を呑み、キッと表情を引き締めてそこに手をかざす。

「光よ・・・」

 呟きと共に傷口を光が包み、拭い去るように傷が消えていく。

「うん、もう痛くない。治癒能力は完全に使いこなせてるみたいね。というよりも、もともと備わっている能力だから呼吸するみたいに自然に癒せるのかも」

「そんなことより龍麻さん!いきなりなんてことを・・・!」

 青ざめた葵を静かに見つめ龍麻は肩をすくめた。

「次は止めてね。結構痛かったから」

「ま、またやるつもりなの!?」

 あっさりといわれて悲壮な表情になった葵に軽く微笑む。

「大丈夫。今度はちゃんと補助をつけるから」

「ほ、補助・・・?」

 問いに答えず龍麻は部屋の中を見渡し予想通りあったそれを手に取った。

「ふふ、葵ちゃんは絶対にクリスチャンだと思ったのよね。これにでてくる逸話や天使、聖霊・・・そういったものをイメージすると力がまとめやすいはずよ。でもイメージはイメージだから自分の力しか頼れないってのは忘れないでね」

 手渡された聖書と龍麻の間で不安げな視線をさ迷わせながら葵は恐る恐る口を開く。

「神様は・・・いないって言うこと・・・?」

 信仰の根幹に関わる発言に龍麻はあっさりと首を振った。

「居るよ?E.H.V.Aに会えた人間は人類史全てで見てもゼロに近いらしいけどね。もっと規模の小さな神だったら会うのは難しくないみたい」

 言いながらピッと立てた指の先に小さな火が灯る。

「ただ、葵ちゃんの力は聖堂騎士とかと違ってあくまでも自分の氣が源だってだけ。そして氣を変質させるってのはこれで結構難しいのよ。ちなみにあたしは雪漣掌とか巫炎とか、技っていうイメージを使っているわ」

「私にとっての想像しやすいのは奇跡・・・小さい頃から親しんできた神様のお話・・・そういうことなのね」

 やはりこの娘は頭がいいと龍麻は微笑んだ。その満足げな表情と対照的に葵の顔は不安げなままだ。

「大丈夫よ葵ちゃん。まだ時間はあるんだからのんびり行きましょ。とりあえず、二回目やってみよう」

「あ・・・ちょっとまって!」

 もう一度ナイフを振り上げた龍麻を慌てて葵は止める。

「イメージは大丈夫だと思うんだけど・・・≫をどこにいれればいいのかよくわからなくて。わたし・・・はじめてだから」

 

 がちゃり。

 

「どうした葵、なにか大声が聞こえたが・・・」

 そのとき、前触れ無しで再びドアが開いた。同時に龍麻の手から手品のようにナイフが消える。

「お、お父さん!ノックぐらいして・・・!」

「はっはっは、いつもは気にしないのに思春期だなぁ」

 快活に笑い、ふと美里父は真顔になる。その視線は床に散った龍麻の血に注がれていた。

「悲鳴、緋勇くんの名を連呼する声、ちょっと待って、血、はぢめてだから・・・」

 呟きに葵はきょとんとして首をかしげる。

「お父さん?」

「・・・緋勇くん。焦りは禁物だからね。葵、コツは力を抜くことらしいぞ。痛いかもしれないが深く呼吸をして耐えるんだ。痛いのは最初だけだから」

 美里父は快活な笑みでシュタッと手をあげる。

「では、ごゆっくり」

「え・・・?え・・・!?お、お父さん!?何言って・・・」

 何を言われているのか葵が理解したときにはもう手遅れだった。

「おーい母さん!葵が大人への階段をグランドールなみの超光速で・・・!」

「お父さんんんんんっっっ!?」

 爽やかな笑みを残して階下へと走り去る父に絶叫して葵はぐったりと崩れ落ちる。

「あはは、ジョークのわかるゆかいなお父さんね」

「うう、ほんとに冗談かしら・・・なんだか本気で誤解してそうな・・・」

 うなだれる葵を眺めて龍麻は笑った。

・・・下を向いた葵からは見えないその表情はやや自虐的である。

(ごめんの一言も、言えないんだけどね)

「じゃあ、誤解を更に加速させてみよッかなー」

 表情を作り直し、いつもどおりの笑みで言った言葉に葵は顔中に『?』を浮かべて顔を上げる。

「左手、出して」

 龍麻は言いながら手を取り、ポケットから取り出したそれを窓から差す夕日にかざす。

「指輪・・・?ってゆびわっ!?」

 葵は脊髄反射だけでそう呟き、一拍置いて夕日より更に赤くなった。

「ん。ほら、はめてあげる」

 そっと添えられた龍麻の手が自分の指にリングを通すのを葵は呆然と眺める。

 薬指に、はめられた指輪。

「あ、あう・・・」

「この石はコランダム。磨かれた姿ではサファイアと呼ばれるわね。幸運を呼ぶって言われてるから・・・きっとあなたを守ってくれると思う」

 指輪ごと少女の左手を握り、龍麻は続ける。

「呪化加工されてるからあなたのイメージがある程度曖昧でもこれを通すことで具現化できる筈なの。常に携帯してね」

「あ、ありがとう・・・」

 真意を測りかねて戸惑う葵に微笑み、龍麻は一歩遠ざかった。

「お礼なんて・・・私にはもったいない」

「え?今、なんて・・・?」

 聞き返す葵に答えず龍麻は左手をかざし、再度ナイフを振り上げる。

(これは、あたしの償いに過ぎない・・・!)

 間髪入れず振り下ろされたナイフに悲鳴を上げかけた葵はキッと表情を引き締め龍麻の両手を包み込むように手をかざした。

「姿持たぬ精霊の燃える盾よ・・・龍麻さんに加護を・・・!」

 力強い声。

そして一瞬の静寂。

「ん・・・完璧ね」

 龍麻は振り下ろしたナイフの先に感じる抵抗に目を細めた。振り下ろした刃は見えない何かに阻まれ、肌に触れていない。

「空気を圧縮して抵抗を強めた盾・・・これが全身に展開できるようになれば極めて強力な援護になるわ」

 葵は数秒間硬直を続けた後、ふぅと息をついた。

「よかった・・・」

「そうね。おめでとう。後は練習していけば自由に・・・」

 頷いた龍麻にふるふると首を振ってみせる。

「龍麻さん、怪我してない・・・」

「え・・・?」

 きょとんと見開かれた紅黒の瞳を見上げてぺたんとその場に座り込んだ葵はふぇ〜っと長い息をつく。

「心臓が裏返るかと思った・・・」

「べ、別にあたしは怪我したっていいのよ。もともとそういうものなんだから」

 動揺を隠せず、やや落ち着きない龍麻に葵はぶんぶんと首を振った。

「それでも、龍麻さんが傷つくのはやなの・・・!」

「そんな涙ぐまなくても・・・」

 苦笑し、龍麻は葵の頭を抱き寄せた。

 今度こそ、何の演技も打算もなく。

「あたしは大丈夫だから、ね?・・・葵ちゃんや京一や、みんなを守るのがあたしの全てだから・・・全て終わるまであたしは絶対に死んだりしないから」

「・・・龍麻さんは・・・いつか自分を壊しちゃう気がして・・・怖い・・・」

 龍麻は答えられない。ただ葵に身を寄せる。

「龍麻さんは・・・自分が嫌いなの・・・?」

「・・・ううん、大丈夫。あたしは緋勇龍麻っていう人間が、大好きだから」

 曖昧な言葉。だが、間近に見上げた二色の瞳に嘘は感じられなかった。葵は諦めて龍麻の体に額を押し付ける。

「・・・いつか、話してくれると、嬉しい・・・」

 囁くような声に龍麻は一瞬だけ口を開きかけ、やめた。

(話せるかな・・・生きてるうちに・・・)

 苦笑未満に顔を歪ませ、龍麻はもう一度だけぎゅっと葵を抱きしめた。

「さて、取り敢えずはぢめての体験は無事すんだわけね。後は回数を重ねていけばどんどん上手くなるわよ」

「う・・・た、龍麻さん!わざと妖しく言ってない?」

 腕の中でたじろぐ葵に龍麻はたっぷり3秒溜めをつくってからそっと囁く。

「だって、ご両親が覗いてるから。ちょっとサービスを・・・」

「えええええええええええええええええええええっっっ!?」

 

 

 

       ???? 17:10 真神学園近くの公園 ▲

 

ベンチに座る男物の学生服を着た少女。木立を挟んだその背後数メートルの場所に、二人の少年が佇んでいた。

「しかし緋勇さんも一箇所一箇所着替えることもないでしょうに」

 苦笑する監察方の少年に壬生紅葉は長いため息を返す。携えたスーツケースが重い。

「気分の問題、だそうです・・・僕だってこんな荷物もちを好きでやってるわけではありませんよ」

「またまた、1年生が手伝うって言ってたのに断ったそうじゃないですか」

 楽しげに言われて紅葉はぎょっとした。

「だ、誰から聞いたんですか!?」

「いえ、あてずっぽうです。本当にそうだったんですね」

 あっさりとひっくり返しておいて監察方の少年は表情をあらためる。

「まぁ冗談はさておき・・・大丈夫なんですか?彼女は」

「・・・大丈夫でなければ困る。この計画はやり直しも中止もできませんからね」

 紅葉は無表情に言い放つが、少年は目を細め首を振った。

「計画のことではありませんよ。彼女自身のことです。当初の計画よりも事態の進行は早い。その分、負担も大きいはずですが?」

「彼女を使い潰すつもりはありません。ですが、彼女や僕達よりも計画の進行が重視されるのも、事実です。人は替えがききますがこの一年間をやり直すことは出来ませんからね」

 沈黙。

少年は口を開かず紅葉を見つめる。

そして数十秒の沈黙を経て、

「僕だって・・・好きでやってるわけではありませんよ・・・」

 紅葉は再びその言葉を繰り返した。

 一度目との違いは、そこに血を吐くような痛みが伴っていること。

「だがあの役割を彼女は選んだ。1年間、彼女は戦わなければならないし・・・どれだけ傷ついても死なない限りやめられない道です」

「助けてはあげないんですか?館長に頼めば他の仕事から外してもらえると思いますけどね」

 少年の言葉に紅葉は暗い表情のまま首を振る。

「そういうわけには・・・いかない。僕には殺すことしか出来ないから。・・・護ることも、助けることも出来ない・・・そんな、奪うだけの人間は彼女の仲間に必要ない」

「・・・どうでしょうね。それは彼女が決めることですから。俺に言わせればあなたは武器です。武器は、使い手の意思によりどんなものにもなると思いますが?」

 ある意味失礼な言葉に返答はない。

少年は肩をすくめて紅葉と共に再度龍麻の方へ視線を投げた。

「あ、立ちましたよ。次、どこいくんでしたっけね?」

「・・・真神学園旧校舎。調査結果については君の方が詳しいでしょう?」

 紅葉に言われて少年は懐からPDA(携帯情報端末)を取り出す。

「記録によればあの位置には過去、龍泉寺という寺があり・・・そこに巨大な龍穴があったといわれています。現在あそこにある空洞がそれかどうかはわかりませんけどね。幕末の大戦時には龍穴の生んだ空間の歪みにより富士山まで行けたと言う話ですよ」

「実際僕も潜ってみたんですが・・・かなり潜っても果てがなく、際限ない数の化け物が襲ってきましたよ」

 さり気無く龍麻を尾行しながら二人は話を続けた。

「専門筋によればかつて無限の広がりをもっていた空間が何らかの方法で封印され、限りない深さを持つ具現化空間が生まれたようですね。当然物理的には存在してないわけですがあそこで出現するクリーチャーは人を殺せますから・・・壬生さんも気をつけてくださいね」

「ふっ・・・誰に言ってるんです?」

 視線の先で龍麻はてけてけと歩き、時々紅葉たちの方を振り返って笑う。

「・・・笑われてますね。思いっきり尾行に気付かれてますよ?」

「・・・僕たちがいくら気配を消しても向こうは熱源探知から氣の読み取りまで出来ますからね」

 ぼやく紅葉に少年は声に出さず呟いた。

(ばれるのがわかってるなら堂々と一緒に歩けばいいのに・・・頑固だね。この人も)

 

 

 

       5人 17:30 真神学園旧校舎前 ▲

 

「葵!?どうしてここに!?」

「小蒔・・・?」

「きょ、京一!?」

「よう。葵と小蒔はともかくあんたは来ると思ってたぜタイショー」

 互いの顔を眺めて口々に言い合う面々を眺めて龍麻はパンッと手を打った。

「はーいはい!いいですか?先生の話をよーく聞いてくださいね?」

「誰がセンセだよおい・・・で?ここに全員集まってるってことは・・・みんな覚悟を決めたってことか?」

 京一の問いに龍麻は頷いた。

「これから先、この東京で色々なことが起きる。断言こそ出来ないけど、多分間違いない。あたしはそれと戦うつもりだし、そうなると仲間が居て欲しいと思う」

 静かに告げ、その4人を・・・緋勇龍麻の仲間になるべき者達を見つめる。

「だけど強制はしたくない。死なせたくもない。だから、あたしはここであなた達に尋ねるわ。あの日、旧校舎でしたのと同じ質問を」

 そして、静かに差し出された手には、既に手甲がはめられている。

「この手を取る?危険なだけで何の報酬もないこの世界へ、この戻れぬ道へあなたは足を踏み入れるの?」

 一瞬の静寂。それを破ったのもまた、あの日と同じく京一だった。

「乗ったぜ。聞くまでもねぇ」

 短い言葉と共に龍麻の手に自分のそれを乗せる。

 葵が、醍醐が、最後にやや躊躇いがちに小蒔が、その上に手を載せていく。

「・・・契約はなされたわ。あたしは、あたしの一番大事なもの・・・緋勇龍麻の名にかけてあなた達を守る」

 微笑み、龍麻は旧校舎の方へ向き直った。

「行きましょう。一緒に、ね・・・」

 

                          

     第三話  追の幕 「そして、戻れぬ道へ」      閉幕

     第四話  序の幕 「先輩」             開幕