黒い。

黒い世界。

 高みから人の世を見下ろし、黒衣の少年が笑う。

「自然への恐れを忘れた醜く愚かな人間共よ・・・今こそ神の威を思い知るがいい」

 声にあわせ、彼の周囲で闇がうごめいた。

 闇。

否、それは数え切れぬほどの鴉。

漆黒の羽をざわめかせ、時を待つ。

「その罪を、その傲慢さを贖え・・・還るんだ・・・」

 呟いて少年は懐から取り出した笛を唇に当てた。滑り出るように流れ出した澄んだ音色にバサリと異音が混じる。

「カァアアアアアアアッッ!」

 そして。

 金属をかきむしるような甲高い鳴き声と共に鴉達は飛び立った。

 狩る為に。引き戻す為に。そして。

「行け・・・天使を産む為に・・・」

 

 

−真神学園 3−C教室−

 

「はにゃぁぁぁ・・・」

 龍麻は大きなあくびと共に辺りを見渡した。

どうやらホームルームの間、うとうとしてしまっていたらしい。周囲の生徒達は既に帰り支度や部活の準備を始めている。

「・・・春眠、暁に吠えるだおー。がおー。にゃ〜ん」

「いや、もう春でもないし猫は吠えないんじゃない?」

 近寄ってきた女子生徒に言われた龍麻はパチッとウィンクをしてサムズアップ。

「ナイスつっこみ。恵美っち」

「どういたしまして。龍麻っち」

 こちらも親指を立てて女子生徒は笑い、ぽんっと手を打った。

「そーじゃなくて。マリア先生が呼んでたよ。職員室に来て欲しいって」

「先生がね・・・OK。さんくー」

 龍麻にとって犬神杜人、マリア・アルカードの二人は要注意人物の二大巨頭である。正体不明、敵か味方かも不明。しかも義眼に時おり映る巨大な氣はとても無視できない。

(まあ、逃げるわけにも・・・いかないか)

 

 

−真神学園 職員室−

 

「・・・これはこれは」

 龍麻は職員室の扉を眺めて小さく笑った。片目を閉じて義眼だけでもう一度確認する。

 結界だ。人払いと思わしき境界線が職員室の扉に引かれている。

あまり厳重なものではなく、龍麻や京一といった《力》あるものには影響を与えないが一般人が入ろうとするのは難しい程度のレベルだ。

(ま、邪魔されたくないのはお互い様だし、ほっとこう)

 頷き、気軽な表情を作って扉を開ける。

「しっつれいしま〜す」

「ふふふ、緋勇さん。よく来てくれたわね」

 龍麻のクラスの担任教師、マリア・アルカードは自席にいた。結界があったことで予想はついていたが、他の教師の姿は見えない。

「今は職員会議だから他の先生方は会議室よ。ワタシはあなたに話があったから抜け出してきたの」

 その視線に気付いたのかそう言ってきたマリアに龍麻は適当な相槌を返して彼女のそばの椅子に座る。

「緋勇さん、学校は楽しい?」

「ええ、そりゃあもう、最高ですよ」

 漢字一文字で表すならば『愛』。そんな表情で龍麻は答えた。なんの演技もない、本心だ。このことだけは何も偽る必要はない。

「ふふ、緋勇さんらしいわね」

 マリアも優しげな笑みで頷く。それからしばらくの間は勉強はどうとか友達もたくさん出来たみたいで安心しただとか、そんな話が続いた。

(気負いすぎかな・・・今回は特に仕込みなしってこと?この人、見た目に反して教師としては真面目だからなぁ)

 他愛のない話題の連続にやや気の抜けた、その瞬間。

「ねえ龍麻。年上の女性って、好きかしら?」

(え・・・?)

 唐突な台詞に龍麻は目をしばたかせた。

(!・・・しまった!)

 そして、失策を悟る。声が出ない。体が動かない。視線すら外せず、ぼぅっとマリアを見つめ続けるしかない。

「っ・・・」

 くらり、と。

力の抜けた首では支えられずに自重に負けた頭が前へと傾く。その姿は、しなだれかかるように見えなくもない。

「あら、積極的なのね・・・嫌いじゃないってことかしら?」

 クスクスと囁く笑み。同時に背なへと回される手。抱き寄せられる。

「ふふふ・・・」

 囁きは耳のすぐ傍・・・首筋から漏れ聞こえる。動かす事の出来ない視界にマリアの白い、白い首筋が覗く。

 それは、当然にこちらの首筋を晒している事を意味していて。

「大丈夫よ・・・今は、少しだけ・・・」

 囁きと共にマリアの唇が龍麻の首筋に迫る。ほの暖かい吐息が肌を包み、そして・・・

「甘いですよ。先生。あたしを誰だと思っているんです?」

 その言葉と共に、マリアの首筋にぞろりと暖かい感触が走った。

「!?」

 慌てて身を起こすと目の前に悪戯っぽく笑った龍麻の笑顔がある。挑むような視線でマリアを見つめつつ、ぺろりと出した舌で唇の周りを舐めている。

「生徒を喰っちゃうのはいかがなもんでしょーかね?」

「教師を舐めるのも、結構非道徳的だと思うわ・・・」

 マリアは首筋を押さえて囁いた。細められた両眼が、赤く輝き・・・

 ガラガラガラ。

 ドアの開く軽い音と共にその光は霧散した。

「おや、マリア先生と緋勇か」

「い、犬神先生!?何故ここに・・・」

 入ってきたのはくたびれた白衣をまとった男。冴えない服装に似合わぬ鋭い瞳が肉食獣を思わせるその男は、マリアと並ぶもう一人の異教師、犬神杜人である。

「ははは、酷いなぁ。いくらルーズでも僕は教師ですよ?職員室にくらい来ます。会議室が禁煙なもので煙草を吸いに戻ってきたんですがね」

 わざとらしい物言い、口元に浮かんだ冷笑。

「・・・・・・」

 ギリッと歯の食いしばる音と共に一瞬だけ膨らんだ人外の氣・・・それも瞬く間に消え去りマリアはすっと犬神から目をそらした。

「・・・ありがとう、緋勇クン。もう帰っていいわ」

「そうですか。では、失礼します」

 龍麻は軽く頭を下げて立ち上がった。

「?・・・」

マリアは瞬間、僅かに感じた香りに・・・本能を揺さぶられる何かに眉をひそめたが気を取り直して机の上の書類に目を落とす。

「・・・・・・」

 一方、龍麻はゆっくりと出口へ向かい、煙草を口の端にぶらさげて待つ犬神の前で足を止めた。

「無茶をする奴だ」

「・・・負けず嫌いでして」

 呆れたように言ってくる犬神に龍麻は微笑み返す。

「ふっ・・・まぁいい」

 犬神も軽く笑ったが、すぐに真顔になった。

「緋勇。一つ忠告しておくが・・・旧校舎を甘く見ないことだ」

 背後のマリアが聞き耳を立てる気配を感じながら龍麻は肩をすくめる。

「・・・ええ。わかってますよ」

「いいな?あそこは・・・よくない」

 言い捨てて自分の席へ戻る犬神に軽く頭を下げて廊下に出た龍麻はふぅと息をついた。誰も居ない放課後の廊下を歩き始めて軽くよろめき、目を細めて笑う。

「わかっては、いるんですよ・・・それでも・・・躊躇している余裕がないだけでね・・・」

 

 

 

−真神学園 3−C教室−

 

「よぉ龍麻。ドコ行ってたんだよ」

 ゆっくりと教室に戻ってきた龍麻を京一の明るい声が出迎えた。

「ぃやん、乙女の秘密よん」

 龍麻はかるくしなを作りながら答えて自分の机に歩み寄る。

「もう用事がねぇんなら、一緒にラーメンでも喰いにいかねぇか?」

「あ、いーわね。おーい醍醐君〜、ラーメン奢ってあげるからついといで〜」

「・・・緋勇。もので吊るのはやめてくれないか?」

 醍醐は苦笑まじりに荷物を持ち、龍麻達の方へやってきた。

「へへ、いいじゃねぇかタイショー。龍麻のおごりは俺たちのライフラインだぜ?っと、小蒔!ラーメン喰いに行くけどおまえも来るか?」

「あったりまえだよ京一!ボクを誰だと思ってるの!?」

「ふふふ、小蒔ったら」

 無闇に気合満タンな小蒔の隣で笑う葵を眺めて龍麻はちょいちょいと手招きをした。

「葵ちゃん、おいでおいで〜」

「え?どうしたの?龍麻さん」

 きょとんとした顔で近づいてきた葵に龍麻はウィンクをしながらスカートの裾をヒラリとめくりあげた。

「きゃ!?」

「ぅおおおおおおっ!」

「な・・・!」

「た、龍麻クン!?」

 それぞれの驚きの声でのけぞった4人の中で最初に我に返ったのは葵だった。1テンポだけ遅れて京一の目が鋭く細められる。

「怪我・・・!」

「龍麻・・・何があった?」

 太もも、スカートに隠れるか隠れないかという位置が数センチにわたってざっくりと裂け、生々しい断面を見せている。

「ま、気付けのお約束ってとこかな・・・葵ちゃん」

「ええ、すぐ治すわ」

 葵はきりっとひきしまった表情で傷口に手を触れ、体内で高めた氣をそこから龍麻へと流し込む。

「おお、直った直った。さんくー」

「何があったんだ龍麻・・・」

 醍醐の問いに考え込む龍麻を見て京一は目を細めた。

「俺達がまだ知るべきでないことなのか?」

「ん・・・ごめん。まだ調査中だから。とりあえず当面みんなには関係ないから無視しちゃってくれるかな」

 その台詞に醍醐が口を挟もうとするよりも早く京一は大げさな身振りで頷く。

「よし!龍麻がそういうんなら構わねぇ!さっさとラーメン喰いにいくか!」

「・・・ふふ、あたし内部で好感度5ポイントアップ」

 龍麻は小さく呟いて謝意を伝え、ポンと手を打ち合わせて見せた。

「よし!じゃあ・・・」

「ちょっと待ったぁっ!」

 行こうか、と言いかけた龍麻の声を怒声にも似た叫びがかき消す。

「よかった!まだ居た!」

 大声と共に教室に飛び込んできたのは新聞部部長、遠野杏子である。ちなみに、鬼気迫る様子ではあるが反転したりはしない。

「そこのいつもの5人組!ちょっと私のお願い聞いてくれない?」

「断るっ!」

 即答で叫び返したのは京一だ。しっしっと追い返す仕草をする。

「俺たちはこれからラーメン喰いにいくんだからな!」

「なによ、ラーメンと私の話、どっちが大事だって言うの!?」

「ラーメンっっ!」

 握り締めた拳と共に突き出された答えに杏子はあきれたような顔で首を振った。

「わかった、わかったわよ!みんなにラーメン奢るから!それで話し聞いてくれるでしょ!?」

「うわ。杏子ちゃんの口から『奢る』なんて官能的な台詞が吐かれる日が来るとは・・・成る程、よっぽどの難問なわけね」

 龍麻は一瞬だけ真顔をのぞかせてからニコリと微笑む。

「ど?みんな。旧校舎のときみたいに暴走されても困るし聞いてみてもいいかな?」

「苦しゅうない、苦しゅうないぞ!この蓬莱寺京一様に任せるが良い!」

 一転、ノリノリになった京一は既に廊下に立っている。聞くまでもない。

「うふふ、蓬莱寺君ったら・・・」

「ああなったら止まんないよ。しょうがないねっ!」

「うむ・・・仕方あるまい」

 

 

−真神学園 校門前−

 

 6人が校門にまでやってきたときだった。

「あ、犬神先生だ。いぬが・・・むぐっ!?」

 もう帰るのか100メートルほど離れた道路を歩いていた犬神教師を見つけて大声を出しかけた小蒔の口を、京一は神速とさえ言っていい速度で塞ぐ。

「馬鹿!おまえなに呼んでんだよ!あんな奴に見つかったら・・・」

「見つかったら、なんだ?」

 声は、京一のすぐ背後から聞こえた。

「うぉおおっ!いつのまに!?」

「フン・・・おまえが痴漢行為を働いている間にな」

 言われた京一は小蒔の口を塞いでいた手をばつが悪そうに離す。

「いやあ、神出鬼没もさることながら京一が後ろを向いた瞬間無意味に駆け寄ってくるその芸人根性に龍麻脱帽です!」

 龍麻のつっこみには反応せず、犬神は白衣のポケットからよれよれになった煙草の箱と黄色いリボンを取り出す。

「一応、用はある」

 煙草の箱を軽く振り、箱から顔を出した一本を銜え取って犬神はそう言った。煙草の箱はそのままポケットにしまいリボンの方だけを龍麻に差し出す。

「を?今日も今日とてらぶりーえんじぇるな龍麻ちゃんにプレゼントですか?その心は『君をボクの愛で縛りたい・・・』とか?とか?とか!?くーっ、このえっち!」

「・・・裏密からだがな」

 ぐげ、と呟いたのは京一だ。醍醐も真っ青な顔でリボンから遠ざかろうと後ずさる。

「先生とミっちゃんの組み合わせってことは・・・また占いシリーズですか?」

「ああ。未(ひつじ)の方角に獣と禽(とり)の暗示だそうだ。意味は自分で考えるんだな」

 静かな笑みを浮かべた龍麻に犬神は突き放すような声でそれだけ言ってリボンをその手に握らせる。

「金箆だ。わかるな?」

 その言葉に、横で聞いていた小蒔はくいっと首をかしげた。

「お菓子?」

「それはコンペイトウ・・・とりあえず、届けてもらってありがとうございます。先生。お礼はいずれ体で・・・」

 龍麻のウィンクを払いのけるような仕草をして犬神は去って行った。その仕草はそっけないが、常の犬神杜人よりも明らかに表情が柔らかい。

「おい龍麻。気をつけたほうがいいぜ。ことによると犬神の野郎、本気でおまえのこと狙ってるかもしれねぇ」

「ん?ああ、多分それはないよ。仮にセンセが年下好みで生徒に手をつけるくらい見境がなくても・・・あたしにだけは手を出さない」

 色のない笑いを浮かべ龍麻は歩き出した。

「あの人は、あたしが緋勇龍麻であることを理解しているからね・・・」

 

 

−ラーメン 王華−

 

 

「まずはこれを見て頂戴」

 注文もそこそこに杏子は鞄を漁った。中から新聞を取り出してカウンターに広げる。そこに置いてあった水のコップは龍麻が手品のように素早くどこかへ移動済みだ。ひょっとしたら普通に手品かもしれない。

「・・・ジャ○アンツ4連敗・・・欝ね。激しく」

「うわ、龍麻おまえ巨○ファンかよ!」

「へぇ?京一はさしずめタ○ガース派かな?」

「いや、ベ○スターズ」

「そこじゃなくて!社会面よ社会面!」

 ガッと怒鳴る杏子に龍麻はテヘりと笑い、指差された記事を読み上げる。

「・・・『渋谷で頻発する謎の猟奇殺人事件、ついに9人目の犠牲者』か。いずれも全身に裂傷、内臓及び眼球の損失・・・ね」

「おまけに現場には決まって大量の羽・・・それもカラスの羽が飛び散ってる。目撃者は無し。狂信的カルト集団がどうのとか二流の大衆紙ではいってるわね」

 ふふん、と鼻で笑う杏子に小蒔はむーっと顔をしかめる。

「この犯人をボクたちに捕まえろって言うの?アン子」

「まさか。そんなの公僕の務めじゃない。あたしが頼みたいのは真相の究明よ」

 あっさりと言い切った言葉に今度は醍醐が険しい顔をした。

「俺は反対だ。旧校舎の件やこの前の花見の『怪異』とは違う。現実に警察も動いている『事件』に今更一介の高校生が首を突っ込むべきではないと思う」

「相変わらず固いわね醍醐君。普通の事件ならそうかもしれないけどね、これは多分違うと思うわ。ジャーナリストの勘がそう言ってるの」

 龍麻は目を細めて杏子の横顔をのぞき見る。

 渋谷の連続殺人事件について、龍麻は他の面々より多くの情報を持っている。彼女のバックにある組織もまたこの件に関心を寄せており、暫定的なレポートの結論は杏子の勘と同じだった。

(鋭いな・・・勘は無意識の中で統合された情報によるシグナル。杏子ちゃんを侮ると痛い目を見そうね)

「いい?みんな。あたしが思うに、犯人は・・・」

「犯人は・・・」

 それぞれの前に置かれたどんぶりを抱えて一同は身を乗り出した。杏子は数秒間のためを作って低い声で囁く。

「・・・鴉ね」

「・・・まんまじゃねーか」

 呆れたような京一の声に杏子はチッチッチと指を振った。

「わたしだって最初は鴉を装ったか模倣した人間だと思ったわよ。でも、眼球やら内臓やらが現場から消えてるのよ?どこ行ったの?ポケット?それとも鞄?よりによって血がドバドバ出そうな内臓とかを?」

「・・・無理ね。臭いもきついし、少なくとも繁華街で目撃者を出さずに9回繰り返すのは無理なんじゃない?空でも、飛べなかったらね・・・」

 龍麻の答えに杏子は頷く。

「そうなのよ。だから調べてみたわ。鴉がらみでおきた事件。鴉が人を襲うのはそんなに珍しい事じゃないの。でも、それは雛や巣を護る時に限られるわ。こんな短時間に9件も起きるなんてありえないわね」

「だったら・・・」

「さっきも言ったけど人間には無理よ。かと言って他の動物だった場合羽を撒き散らす偽装なんてできない」

 足を組んだままドンブリ片手に杏子は手帳のページをめくっている。

「鴉はね、とんでもない雑食性なの。栄養になるなら牛の糞から猫の死体まで何でも食べるわ。当然、生きた人間もね」

 龍麻は塩ラーメンをひとしきりすすってから天井を見上げた。そのままの姿勢で杏子の言葉を継ぐ。

「そして、鴉は飛ぶ。空を飛ぶ狩猟者は強いよ。群れになって空から襲ってくる鴉は・・・大型肉食獣の居ない人間の領域における食物連鎖の頂点に居るってことだね。もちろん、人間を除いてはって条件があるけどね」

 その言葉の裏にある真意に京一は敏感に反応した。

「操ってる奴が、居るってことかよ。何が楽しいのかしらねぇけど食物連鎖に人間を組み込もうとしてる奴が・・・」

 杏子もわが意を得たりと大きく頷く。

「百歩譲っても旧校舎のコウモリみたいな不自然な生き物ね。しかも鴉はこの東京に二万羽近くいるのよ?もしそれが全部人を襲い始めたら・・・」

「女性や子供が安心して歩けない社会が来る」

 醍醐は腕組みをして唸った。

「全ての鴉と言わずとも・・・渋谷はここ新宿のすぐ隣だ。いつこちらで被害が出るとも限らん。人ごとではないか・・・」

「でしょ!?だからお願い!一緒に来て!」

 パンッと手を合わせた杏子に京一達は一斉に龍麻を見た。その顔には全員同じ文字が書かれている。

「わかったよ。杏子ちゃん。この件、あたし達が引き受ける。でも・・・」

 そこまで言って言葉を区切った龍麻に京一達は同時に口を開いた。

『アン子はついてきちゃ駄目!』

「な・・・何もハモらなくても・・・葵ちゃんまで・・・」

「杏子ちゃん自身の推理でしょ?この件の裏に魔人が居るとして・・・戦いの場で邪魔にならないとでも思ってる?」

 容赦ない台詞に杏子はぐっと言葉に詰まった。ならないと言いたい意地とリアリストとしての判断。龍麻の邪魔はしたくないという好意。全てが入り混じる。

「戦いの場以外では杏子ちゃんがあたし達のNo1よ。この事件を見つけてきてあたし達に持ちかけた時点で満点ね。だから後は、実戦部隊の出番なんじゃない?」

「・・・分業ってわけね。OK、わかったわ。その代わり帰ってきたらしっかり話し聞かせてもらうからね!ちゃんと特ダネ獲ってくるのよ!」

 

 

 勘定を済ませて渋谷へ向かう龍麻達に杏子はふと思い出した事件を口にした。

「そうそう、渋谷といえば・・・醍醐君、佐久間が入院したのって知ってる?」

「何!?佐久間が!?」

 驚愕する姿に杏子はため息をつく。

「やっぱり知らないか・・・渋谷にある高校の連中と喧嘩になったんだって。理由は目が合ったとか合わないとかそういうレベルらしいわ」

「あいつはチンピラかよ」

 京一はやれやれと肩をすくめた。かつてはそれなりに佐久間の力を評価していた彼ではあるが、喧嘩をやめ戦闘向けの訓練を再開した彼にとってはもはや興味の対象外だ。

「・・・佐久間の奴」

 一方で醍醐はそう簡単に割り切れない。彼の中で今も責め立てる痕がそれを許さない。鬱々とした気分でぼそりと呟く。

「最近、何かに苛立っているようだったからな・・・俺がもっと相談に乗ってやれれば良かったのだが」

「醍醐君。あまり抱え込まない方がいい。今はそれを考えている時じゃないし、これからゆっくり解決していけばいい問題でしょ?あたし達も相談には乗るしね」

「うむ・・・」

 龍麻の言葉に醍醐は曖昧な表情で頷いた。

(そう、時間はある。今度こそ・・・間違わない)

 

 

−渋谷駅前交差点−

 

「うわ・・・なんですかーこの人ごみ〜〜〜」

 龍麻は呆然と呟いた。平日だというのに渋谷駅前は壮絶な込み合い方を見せている。賑やかなのは好きだが、さすがに少し気圧される。

「おーいひーちゃーん。おいてくぞ〜!」

 京一の声が遠い。この辺りはやはり都会人と田舎育ちの差が出ているようだ。

「ちょ、ま・・・うにゃぁぁ!?」

「きゃぁ・・・!」

 悲鳴が、二つ重なった。慌てて駆け出した龍麻は横合いから飛び出してきた少女を押し倒すように突き倒してしまったのだ。

「あはははは・・・ごめん、そっちの趣味はあるけど今はそういう意図じゃないよ」

「え?あ、えと、そう、ですか・・・」

 トリッキーな謝罪に戸惑いの表情を浮かべる少女の手を取り、龍麻はひょいっと引き起こす。

「怪我とかはない?ああ、おしりに砂が・・・」

 パンパンとスカートの汚れを払い、少女の視線がそれたその隙に龍麻はなんとなく義眼を起動してみた。

「っ・・・!?」

「え?・・・どうしました?」

 しかしそれも一瞬。小さな苦鳴と共に左目に宿った白い光が消える。

「あ、あはは・・・なんでもないなんでもない」

 パタパタと笑顔で手を振る裏側で龍麻はこっそりと冷や汗を拭った。

(何よ今の・・・葵ちゃん並み・・・いえ、場合によってはそれ以上。しかも陰よ!?あんな氣・・・人の身で宿せるの?これではまるで黄泉に直接・・・)

「あの?」

「うぉっとぉ!あはは、あんまり可愛いからおねぇさん、ちょっと見とれちゃったよん」

 一瞬だけ素に戻っていた龍麻はパチリとウィンクしていつもの表情を作り直す。

「ふふふ・・・おもしろい人ですね」

 少女は唐突な台詞に垂れ目がちの顔をほころばせた。可愛らしく小首をかしげて尋ねてくる。

「あの、名前・・・教えてくれませんか?どこかでお会いした気がするんです・・・」

「あたしの名前、ね」

 龍麻はどちらのことかしらと一瞬だけ自嘲してからびしっと人差し指を立てた。

「その名も素敵な緋勇龍麻ちゃんだよん。ちなみに、真神学園の3年生ね」

「え!?そ、そんな・・・」

 何故か目を真円にして驚愕している少女に龍麻の中でピクリと警戒心が芽生える。

「それで?キミの名前はなんていうのかな?」

「あ・・・ええと、わたし、比良坂っていいます。比良坂紗夜です」

 ペコリと頭を下げた少女の笑顔に龍麻は警戒を解いた。理性は気を付けろと告げているが感情がそれを押し戻す。

 その笑顔に、堕ちた者特有の歪みは感じられない。

「紗夜ちゃんか。いい名前ね。それで・・・」

「龍麻さ〜ん!」

 何かを問いかけようとした瞬間だった。雑踏の向こう側から聞きなれた声が届いた。

「を?あの声は葵ちゃん」

「・・・わたし、失礼しますね」

 少女・・・比良坂はその声を聞いて唐突に頭を下げる。

「え?」

「それじゃあ、また会えるといいですね!」

 言うなり雑踏の向こう、葵の声がしたのとは逆の方向へ去って行った。

「・・・なんだろね」

「龍麻さん?」

 首をかしげる龍麻の傍らへやってきた葵は人の波に消えていく栗色の髪にむっと顔をしかめた。

「・・・・・・」

「葵ちゃん?どしたの?」

 声をかけられて葵はギシギシと首を龍麻の方へ向ける。

「セッカクノチャンスヲ、ジャマシテシマイマシタカ?」

「はい!?」

 金属の軋むような声で言ってきた葵に龍麻はぎょっとして聞き返す。その表情を見て葵は我に返った。

「あ・・・その・・・」

「を?葵ちゃん嫉妬?嫉妬ですねン!?だぁいじょうぶ!龍麻は葵一筋だYO!」

 ぺしぺしと肩を叩いて笑う龍麻に葵は真っ赤になって首を振る。

「えっと、その、そうじゃなくて・・・何故か今の人を見たら負けたくない!って・・・」

 自分でもよくわかっていない生理的な対抗心に葵と龍麻は顔を見合わせて首を捻る。

「ま、いっか。みんなは?」

「横断歩道の向こうで待っててくれてるわ。こっちよ」

 葵につれられて歩く事数分。ようやく龍麻は京一たちと合流した。結構離されていたらしい。

「遅いぜ龍麻!何やってたんだよ」

「ナンパ」

 簡潔な回答に京一と葵、ついでに小蒔もギョッとしてのけぞる。

「ふむ・・・龍麻、個人的な交際関係の構築に口出しをする気はないが時と場合というものをだな・・・」

「そうじゃねぇだろ醍醐っ!」

 腕組みをして渋い顔をする醍醐の後頭部を京一は平手ではたいた。

「龍麻!ナンパするくらいならおまえの隣にはほれ、この通り真神一の伊達男が・・・」

「京一!それも違うだろ!」

 その京一のわき腹を小蒔の鋭いフックが抉った。肝臓を強打されて京一はずるずると崩れ落ちる。

「龍麻クン!そういう悪質な冗談はやめようよ。葵の心臓が止まっちゃうよ?・・・ねぇあお・・・い?」

「・・・・・・」

 遅かった。

「うわっ!葵が息してない!」

 

 

 数分後、ようやく蘇生した葵はゴメンと手を合わせる龍麻に引きつった笑顔を見せた。作り笑いのプロフェッショナルの彼女らしくない表情に小蒔と京一は・・・

(葵、本気だ・・・)

(まさか美里がライバルになるとは・・・)

 と複雑な表情を浮かべる。

「まあ、色々と横道にそれちゃったけど・・・」

「そらしたのはおまえだぞ龍麻」

 京一のつっこみはビシッと親指を立てた笑顔でごまかし、龍麻が探索再開を告げようとした瞬間だった。

「きゃぁっ!」

 かすかに、だがたしかに悲鳴が聞こえた。瞬間、龍麻と京一の表情がパチリと切り替わる。

「聞こえた聞こえたぜッッ!!俺に助けを求めるお姉ちゃんの悲鳴が!!!」

「ふっふっふ、龍麻ちゃんに救いを求める新しい出会いがっ!!」

 哄笑と共に走り去る二人を呆然と眺めて葵と小蒔は呆然と呟いた。

「・・・少なくとも京一を求めては居ないと思う・・・」

「・・・龍麻さん、そんなに女の子と知り合いたいのかしら・・・」

 微妙な台詞に小蒔は一瞬色々と問い詰めたい衝動に駆られたが、結局それを押さえつけて走り始めた。

「葵!醍醐クン!ともかくボク達も行こっ!」

 

 

−渋谷 路地裏−

 

 

「おかしいじゃない!もうこれで4回目よ!?」

 声を頼りに飛び込んだ路地裏で龍麻が目にしたものは黒雲のように日差しを遮るカラスの大群、そしてその中心で悲鳴を上げる女性だった。

「た、痛っ・・・!」

女性はしきりにハンドバッグを振り回して抵抗しているが手足には幾つもの切り傷が刻まれ、疲労のせいで動きも緩慢になってきている。

「カァアアアアアアッ!」

「きゃ・・・あっ!」

 ひときわ大きく振り回したバッグが手からすっぽ抜けて飛ぶ。

その隙は、致命的だ。むき出しになった頭へとカラス達の鋭いくちばしが迫る。

「やべぇ!間にあわねぇ!」

 京一は叫んだ。女性まではあと10メートルと少し。しかし、走りながら引き抜いた木刀のリーチを合わせても彼の間合いは2メートルに満たない。発剄も波紋状に広がるタイプで射程距離が足らない。

「・・・・・・」

京一の数メートル先を人間離れしたスピードで走る龍麻とて徒手空拳ゆえに間合いは狭い。発剄は届くが威力が高すぎて女性の頭部も一緒に吹き飛ばしかねない。

完全な手詰まり。

京一の脳裏にその言葉が浮かんだ瞬間だった。

「レディが助けを求めてんだぜ?そう簡単に諦めんなよ!」

 見知らぬ声が、その思考を断ち切った。

「な・・・」

「雨紋君!」

 声のした方を見た女性の叫びの中、龍麻はポケットに手を突っ込んだ。そこに入っていた『ソレ』を掴み出しざま呟く。

「巫炎・・・」

握った拳に炎が生まれ・・・

「散華!」

 強い叫びと共にアンダースローで振るった腕から放たれたのは赤熱した金属片の群れだ。氣の炎で熱されたそれらは元は10円玉だったものである。

「ギャアアアアアアアッ!」

20に届こうというそれは散弾のようにカラスに襲い掛かり、その羽を抉ってボトボトと地面へ叩き落す。

 同時に。

「ライトニングボルトぉっ!」

 叫び声と共にグルグルと回転する何かが女性の頭上を通過した。穂先からピシピシと白光を迸らせるそれは長槍だ。触れてしまったカラス達がこちらも地面へ墜落する。

「よっしゃあっ!」

 それを追う様に立てた金髪も鮮やかなロッカー風の少年が駆け込んできた。地面に突き立った槍を引き抜きざま女性の方に視線をやる。

「ほらあんた!さっさと下がンな!」

 頭上のカラスがとりあえず一掃されたのを見届けた女性は声に答えて素早い身のこなしで跳ね起き、走り出した。それを見た龍麻は手を大きく振って指示を出す。

「京一!その人保護して!」

「お、おう!」

 京一は答えざま手近なカラスを数匹叩き斬り、女性の前に立った。

「君達は・・・?」

「正義の味方ってとこだな。この程度の相手なら頼りにしてくれていいぜ」

 その間に、槍の少年と龍麻は次々にカラスを叩き落していた。群れの動きが鈍ったところへ、

「行くよッ!嚆矢!」

 ようやく追いついた小蒔の鏑矢が止めを刺した。三半規管を狂わされたカラス達はよたよたとどこかへと飛び去って行く。

 数秒にわたる羽ばたきの合唱の後、静寂に満たされた路地を眺め回してようやく龍麻は戦闘態勢を解いた。

「戦闘終了。みんな、お疲れ様」

 パンッと手を打ち京一たちに笑顔を向け、そして、そのままの表情で少年に向き直る。

「助太刀さんきゅ。どっちかって言うとあたし達がキミの助太刀だったかな?」

「どっちでも大した差じゃねぇさ。それより・・・アンタもこりないねぇ」

 そう言って少年が向けた視線の先にはハンドバッグを拾って近づいてくる女性が居る。

「ふふ・・・あなたに助けられるのも三回目ね・・・」

 女性は苦笑しながら龍麻と少年の近くに立ち、傷の痛みに軽く顔をしかめた。

「とりあえず、その傷どうにかしときましょっか。葵ちゃん、お願い」

「ええ。光よ・・・」

 葵は軽く会釈をしながら女性に近づき、氣で治療を開始した。時計を逆回しにするように治っていく傷に女性は目を丸くする。

「この《力》・・・あなた達も雨紋君の仲間?」

 その言葉に雨紋と呼ばれた少年と龍麻達は顔を見合わせた。

「どう・・・」

 言おうとした台詞は『どうだかな』だろうか?だが、雨紋が口を開くと同時に龍麻の声がその言葉を遮っていた。

「そうよん。あたし達はチームってわけね」

「ちょ、ちょっと待てよ龍麻!何でいきなりそんな事に・・・」

「そうだぜ、オレ様とあんた達は初対面だろうが!」

 ギョッとした様子の二人にうんうんと頷いて龍麻はニコっと必殺の微笑みを浮かべる。

「ほら、この通り息もぴったし。雨紋君シャイだからあたし達と友達だって言うの、恥ずかしいらしいんです」

「うふふ、雨紋君らしいわね」

 口元に手を当てて笑う女性の納得した姿に雨紋が抗議しかけた時だった。

「・・・龍蔵院の、今は話を合わせて頂戴」

 可聴域ぎりぎりの低い声にその動きが止まる。反射的に横目で覗った龍麻の表情が一秒の数分の一という瞬間だけ冷徹な戦闘屋のものになったのを見て雨紋はチッと舌打をする。

「勝手に言ってろ」

 ぶっきらぼうな肯定の台詞に女性は再度クスクスと笑い、ハンドバッグの中を漁り始める。どうやら今のやり取りには気付かなかったようだ。

「・・・・・・」

 仲間内でもどうやら京一しか気付いていないらしい。その京一も思うところが在るのか何のリアクションもしない。

「あった。ありがとう、助けてくれて。これ、渡しておくわ」

 そう言って女性が差し出したのは名刺だった。

「ルポライター、天野絵莉さん」

 龍麻はそれを読み上げ、ふむと頷く。

「龍麻・・・まずくはないか?美里とおまえは彼女の前で力を使っている。口止めの必要があると思うのだが」

 耳打ちする醍醐の、こっそりのつもりだろうが巨躯ゆえに必要以上に目立つ言葉に龍麻は肩をすくめて首を振った。

「大丈夫よ。あたし達、雨紋君の《力》についての記事とか読んだことないでしょ?」

「・・・成程。彼女に俺達の《力》を記事をする気があるのなら雨紋の《力》も記事にしている筈、か」

 腕組みをして納得した表情を浮かべる醍醐に頷いて龍麻は天野に向き直る。

「で?記者さんがここに居るってことは・・・やっぱり渋谷の連続殺人かな?」

「ええ。一応猟奇事件の線で調査してたんだけど・・・さすがに、ここまでみたいね」

「へぇ?しつこいあんたがどういう風の吹き回しだい?」

 意外そうな雨紋に天野は苦笑した。

「私はこれでも仕事でこの事件に関わってきたから。異常行動をとるカラスとそれに対抗する槍使いの少年ならギリギリ記事に出来ても・・・彼女達が現れた時点でアウトね。SFかホラーになっちゃうわ」

そして、悔しげな一言。

「それにこれはジャーナリストとしての勘だけど・・・これ以上首を突っ込めば、私は死ぬと思うから」

 シビアな言葉に京一達が顔を見合わせた瞬間だった。

『ふふふ・・・よくわかっているじゃないか』

 その場に居た全員の脳に、声が走った。

「唐栖っ!やっぱりおまえか!」

 雨紋は反射的に叫び、辺りを睨みまわす。

『良かったじゃないか雷人。君にも仲間ができたようだね』

 声は含み笑いのような波動を含んで響いた。

「あなたが・・・あなたがあのカラス達を!?」

『無事でしたか。あなたは十人目に相応しいと思っていたんですがね・・・くくく・・・』

 険しい顔で叫ぶ天野に声は陶酔するような声を返す。

「カラス使い君。キミ・・・何が目的なのかな?とりあえずキミ、無差別っぽく9人も殺してるんだけどね」

 ノンビリとした中に静かな殺気のこもった龍麻の言葉に声は笑いの波動をいっそう濃くする。

『殺すのが目的だなどと思わないで欲しいな。これは神罰なんだよ。僕は手に入れたんだ・・・神の《力》をね。地上を這いずるだけの蟲けら共にその偉大な神の意志が理解できるはずもない・・・』

「・・・わからないし、わかりたくもないわね。キミがそれを主張するなら・・・あたしはこう言うだけね」

 静かにそこまで言った龍麻は鋭い視線で天を突いた。

「待ってなさい。これからあんたに・・・人罰を下してやるわ」

『くくく・・・いいとも。僕は逃げも隠れもしない。神の座に相応しいここで待っているよ・・・』

 それきり声は消えた。雨紋はちっと舌打ちをして首を振る。

「クソ!本当におまえなのかよ・・・!なんでこんなことに・・・!」

「・・・何故かは、直接聞きましょ。知ってるんでしょ?あいつの言う神の座に相応しい場所って奴を」

 龍麻はそう言ってから目を閉じ、ふぅと息をついた。

「天野さんはとりあえずこの渋谷を出てもらいます。これからあいつを強襲するからそんな余裕は与えないつもりですけど、狙われる可能性、捨てられませんからね。多分あいつの《力》は渋谷内のカラスくらいしか操れないから距離を取れば大丈夫」

「・・・あなた達はどうするの?」

 天野はわかっていて尚そう問いかける。

「もちろん、戦いますよ」

「危険よ?警察に任せる気は?」

「無理なの、わかってますよね?」

 もちろん、わかっている。天野自身が一番。

大人の常識では・・・組織としての判断ではこの非現実的な事件・・・否、怪異には対応できない。

 自分が、無為であるように。

「あなた達は・・・何故戦うの?」

 それでも、何かがしたかった。天野はその思いをのせて問う。

「私達は・・・」

答えたのは、葵だった。

「私達なりに東京を護りたいんです。私達が生きている、この街を・・・その想いは、子供でも大人でも・・・誰でも同じだと思うから・・・」

 天野はその言葉に数秒間沈黙を続け、やがてふぅとため息をついた。

「・・・その通りね。ふふ、ほんと・・・子供扱いなんて出来ないわ。私はこんなに年を取ったのにね」

 無謀だった過去を懐かしんでいるのか小さな笑みを浮かべた天野に雨紋はボソリと口を挟んだ。

「オレ様達もあんたも今出来ることを今やってるってだけだぜ。年は関係ねぇさ」

「・・・・・・」

 再度の沈黙を経て天野は再度苦笑を浮かべ、キッと表情を引き締めた。

「ほんと、どちらが子供かわからないわね・・・ええ、わかったわ。私は、私に出来る戦いをする。情報っていう武器はあなた達の《力》にも・・・唐栖って子の神の《力》とやらにも劣らないって信じているから。ジャーナリストとしてね」

「それは、あたし達に情報提供してくれるって解釈しても?」

 龍麻の問いに頷き、しかし天野はやや悔しげだ。

「ええ。でも、あまり期待はしないでね。この事件、私は動物の異常行動っていう線で調査していたから・・・鴉そのものについての情報が中心になるわ」

「はい、お願いします」

 龍麻は素直に頷いた。一流のジャーナリストが手持ちの情報を公開するというのは裸になってみせると同義の、心理的な全面開放なのだ。真摯に受け止めならなければならないということを龍麻は知っている。

「ありがとう。じゃあまず・・・鴉の生態についてはどの程度知ってるかしら?」

 天野が語り始めた話は杏子のものと大差ない内容だった。鴉の特性や都会での生態系、何故か人から嫌悪されるという事実。

 流石によく整理されており、それぞれのテーマについても深く掘り下げてあるが今回の事件に対してはあまり意味が無い。そんな空気が流れ始めた時。

「さて、じゃあそろそろ本題に入りましょうか」

 天野はその前提を全てひっくり返して見せた。

「ほ、本題ぃぃ!?今までのはナンだったんだ!?」

 京一の驚愕に悪戯っぽい笑みを浮かべて天野は深呼吸をする。

「今までのは調査結果。ここからが私の意見。鴉というのは多く神の使いとされてきたわ。多分彼の言う神の《力》っていうのはその辺りをイメージしてるんでしょうね」

「神様の使いだって何だって・・・それで人を殺していいなんてことあるわけないよッ!」

 小蒔の憤りに頷き言葉を続ける。

「鴉が彼にとっての神だとして、彼はどうやって神と意を交わすのか。その答えは・・・多分笛の音だと思うわ」

「神に語りかける音楽・・・神楽のこと?根拠は何です?」

 龍麻に問われて天野は目を閉じた。3度にわたる鴉の襲撃、その度に聞こえてきたその音を脳裏で反芻する。

「私があのカラス達に襲われたときに・・・必ず笛の音が聞こえたから。後はさっきの情報と、何よりもジャーナリストの勘かしらね」

「了解。それなら信じられるわ。情報提供、感謝します」

「ふふ、また会えるといいわね。なにか私に出来る事があったら連絡してくれると嬉しいわ。名刺の番号、私の携帯だから」

 言って天野は去って行く。

「ありがとうございました」

 龍麻はもう一度頭を下げ、さてと呟いて雨紋の方へと視線を向ける。

「じゃ、行こっか」

「待てよ。あんたら・・・いや、あんたは、何者だ?」

 雨紋は槍を片手に油断無く龍麻を睨んだ。

「オレの流派を見抜ける古武術使いなら敵ってことはなさそうだけどよ、それで味方ってわけでもないンじゃねぇか?」

「クールね。それで居てハートは熱い。理想的だわ」

 龍麻は芝居がかった仕草でパチンと指を鳴らす。

「まぁ、龍蔵院の名を知っていた事に関しては師匠繋がりね。表の宝蔵院、裏の龍蔵院っていったら実戦古武術・・・特に魔狩の武術を納めるものにはメジャーだから。ね、京一」

「・・・まぁな。俺も名前くらいは聞いた事あるぜ」

 京一の答えに含まれた微量の苛立ちは武術家としての対抗心か。

「とりあえず名乗っとこうかな。あたしは緋勇龍麻。こっちのカリスマ生徒会長は美里の葵ちゃん。隣のコケティッシュな弓道部が桜井小蒔っち。男性陣に移って大きい方がレスリング部兼番長の醍醐雄矢どん。んで赤髪の方が蓬莱寺京一」

 龍麻はそこで言葉を区切ってちらりと京一を見た。

「・・・まあ、一言で言えば軽薄な男ね」

「龍麻ぁあああああああああっ!」

 扱いの悪い自分に血涙を流して抗議する京一に龍麻はパタパタと手を振って笑う。

「ウソウソ。蓬莱寺京一・・・あたしやキミと同じ古武術使い、アタッカー。そしていい男。まぁそんな感じかな。ちなみに、全員真神学園の3年生ね」

「・・・年上か。真神の醍醐に蓬莱寺って言えば俺も聞いた事あるぜ。オレは渋谷神代高校の2年、雨紋雷人だ」

「なんだ、年下かよ。態度でけぇな」

 京一の言葉に雨紋は鼻で笑って見せた。

「そう思うならそれっぽい行動を取るンだな。セ・ン・パ・イ?」

「くそぉっ!なんか無茶苦茶ムカツクなぁおい!」

 どうにも、この二人の相性は悪いようだ。まぁ予想通りといえばその通りだが・・・

「ん?魔人学園と言えば・・・昨日絡んできた奴らも真神だったな・・・」

 ふと思い出して口にした雨紋の台詞に醍醐の表情がみるみる暗くなる。

「佐久間の事か・・・迷惑をかけたようだな。すまない・・・」

 全身から放たれている失意のオーラに雨紋は困ったような表情を浮かべて額を押さえた。

「あンま気にすんなよ。喧嘩なんてどっちが悪いってもんじゃねぇだろ?お互い様だぜ。まぁ・・・あんまムカついたんでちょっとやりすぎちまったしな・・・入院しちまったんだろ?」

「そうみたいね。キミだったんだ。あれ」

「ああ。仲間はみんな逃げてンのに一人で狂ったみたいに突っ込んできやがったから、しょうがねぇンで足を折った。すまねぇ」

 逆に頭を下げられて醍醐は少し救われたような気分でこちらも頭を下げなおす。

「そう言ってもらえると助かる・・・」

(醍醐くんは佐久間のことを我が事とし過ぎる傾向があるわね・・・この事、覚えておく必要があるかも)

 龍麻は心の中でメモをとりながらパンッと手を打ち合わせる。

「さて、親睦も深まったところで・・・そろそろ案内してくれない?あいつの居場所に」

「・・・それは、オレ様の力を借りたいってことか?」

 真っ直ぐにこちらを見る雨紋に龍麻もまた赤と黒の眼差しを正面から返す。

「ええ。キミにはあたし達が・・・あたし達にはキミが必要だから」

「あんたらもそれでいいのか?」

「数で押してくる奴が相手だぜ?少なくとも今は手が居るだろうよ」

 二つ目の問いには京一が答えを返す。

「・・・OK。あんたの言うとおりだ。これ以上あいつに時間を与えるわけにはいかねぇんだ」

 強く強く槍を握り締め、雨紋は頷いた。

「行くぜ。あいつは・・・代々木公園に居る」

 

 

−代々木公園入り口−

 

「・・・こりゃ、すげぇな」

「・・・ええ」

 代々木公園へ一歩足を踏み入れた瞬間、京一と葵は眉をひそめた。

 氣というものは、その発生源によって感触が変わる。陽の性であるか陰の性であるか、それを放った時の感情、属性その他もろもろにより。

「ん・・・こりゃまた・・・予想よりも濃密ね。ちょっと侮ってたかも。この公園内はほとんど異界化してるわよ。何の力も無しに入ったらそれだけでちょっと危ないわね」

 龍麻の台詞に醍醐は首をかしげる。

「・・・俺には不気味だとしか感じ取れないが」

「ボクも」

「オレ様もよくわからねぇな。外とは何か違うって程度か」

 今のところ、はっきりとそれが掴めるのは能力者タイプの葵と氣に関する熟練度の高い京一のみのようだ。

「確か、入った人が何人か出てきてないのよね?」

「ああ。それで、オレはここを張り始めたんだ。ほとんどは追い払えたんだが夜のうちに忍び込んだらしい奴らが何人か出てこねぇ・・・クソッ!」

 苛立たしげにフェンスを蹴りつける雨紋に龍麻は微笑んだ。誰にもわからないことではあるが、それは作り笑いではなく心からの笑みである。

「キミは、いい子だね」

 龍麻は言ってくしゃくしゃと雨紋の頭を撫でた。

「うわッ!?な、なにしやがんだ!」

 慌てて飛びのき、倒れたツンツン髪を立て直す雨紋を優しく見つめる

「自分のことで精一杯な人が多い中で見ず知らずの人を助け続けるっていうのは、辛いよね。その上で自分の忠告を聞かなかった人のことで心を痛めてる人を、いい子以外のなんて呼ぶの?」

「お、オレ様は・・・無関係の奴が死ぬのが嫌なだけだ。後は・・・そうだな、オレ様もあんたらと同じで・・・生まれ育ったこの渋谷が好きだってだけだ。オレ様に出来る限り、護りたい」

 そっぽを向いて言ってくる雨紋の照れた様子に葵もクスクスと笑った。

「うふふ・・・龍麻さん、雨紋くんのことよっぽど気に入ったのね」

「んだとぉっ!?おい龍麻!そんな他校の年下よりはこの真神一の伊達男・・・」

 例によって例のごとく騒ぎ始めた京一だったが、不意に口をつぐんで空を見上げた。視線の先に、どこかから飛んできたカラスが公園の奥へ飛び去る姿が映っている。

「遊んでる場合じゃねぇな。向こうは準備万端整えて待ってやがる・・・時間を与えれば与えるほど敵が増えるぜ。あいつ、渋谷中のカラスをここに集める気だ」

「そうだね。雨紋君、行こう。それと、よければ敵の・・・唐栖とやらの情報を教えてくれるかな?」

 和みモードから京一の警句で瞬時に戦闘体制に入った真神の5人を驚きの目で見つめて雨紋は頷く。

(こいつらは・・・本気で全部食い止める気だ・・・オレが一人でチマチマやってたことを集団で・・・組織としてやる気だ)

 それは、雨紋がこれまで考えたことのないやり方だった。自分に出来る限りのことはやっていたが、自分に出来ないことを補う為に仲間を集めるまではしなかった。

 それは、結局自己満足に過ぎなかったのではないか?

 だから、自分は犠牲者を増やしてしまったのではないか?

「こっちだ・・・奥にある工事現場の上に・・・きっとあいつは居る。この渋谷で一番高い、神に近いとこにな」

 

 

−代々木公園 鉄塔前−

 

 やがてたどりついたのは、建設途中で放置された鉄塔のふもとだった。見上げると、そこかしこにカラスの集団がとまっているのが見える。

「唐栖・・・唐栖亮一は先月オレ様のクラスに転校してきたヤツだ。無口なヤツでさ、友達も出来なかったンだが・・・オレ様とは席が近かったせいかよく話をした。お互い音楽好きってのもあったンだろうな」

 雨紋はロック専門、唐栖はクラッシック系中心とジャンル違いではあったが。

「ヤツだって最初からあンなんだったわけじゃねぇ。大人しい、消極的なヤツだったんだ・・・」

 言いながら、鉄塔に足を踏み入れる。

「ただ・・・一度だけ、ヤツが怒っているのを見たことがある。道端で死んでたカラスを見つけたときだ。そのカラスは・・・面白半分にエアガンで撃ち殺されてたンだ・・・」

「っ・・・」

 思わず声を漏らしたのは葵だ。悲しげに顔を歪める。

「非道い・・・」

「そうだな。オレ様もムカついて、犯人を捜して脅してやったりもしたンだが・・・」

 鉄と靴の打ち合わされるカンカンという音を伴奏に雨紋の話は続く。

「それが二、三週間前のことだ。で、その後数日してオレ様はここに呼び出されて唐栖と話をした。長い話だったが内容はさっきあんたらも聞いたのと大差ねぇ」

 脳裏に浮かぶのは、友と思っていた男との最後の会話。

『雷人。君は神の存在を信じるかい?』

 そう切り出した唐栖は普段の無口が嘘の様に生き生きと語った。

『僕は信じる。証拠もある。神は《力》持つものと持たざるものの二種類を作った・・・そして僕は《力》持つものとして選ばれたんだ・・・真の平等をこの世にもたらす為に!そして雨紋。君もまた《力》持つものとして選ばれたんだ』

 どうしてあの時唐栖の話をもっとよく聞かなかったのか。何故、その真意がわかるまで語り合わなかったのか。

 後悔は先に立たないと言う。だが、それでも思うのだ。

「オレがもう少しあいつの傍にいてやれれば・・・こんなことにはならなかったかもしれねぇ・・・」

「なら、そうしようよ」

 龍麻は軽い口調で言った。ぎょっとして振り返る雨紋に大きく頷く。

「あたし達は唐栖を殺しに行くわけじゃない。こんなことはやめさせて・・・その後のことも考えなくちゃいけない。そのときに、きっちり話をつけてやんなさい」

「・・・ああ」

 雨紋は頷き返し、手にした槍を強く握りなおす。傍らを歩く龍麻の横顔に見惚れながら。

(師匠・・・あんたの信条、少しわかった気がするぜ・・・)

 今は行方不明の師に語りかけ、階段の先を睨む。

「・・・なぁ雨紋。その唐栖ってヤツ、4月に転校してきたんだよな?」

 しばし無言で階段を昇り続けていた京一が不意に放った言葉に雨紋は頷いた。

「ああ。それがどうしたンだ?」

「いや・・・今年に入ってから・・・特に今学期になってからは妙な事ばかり起こりやがると思ってよ。バケモン蝙蝠にゃあ襲われるわ妖刀は暴れまわるわ人類をカラスの餌にしたがる奴は出るわ・・・極め付けで妙な技を使う転校生は来るわ。なぁ龍麻」

 反撃を・・・場合によっては鉄拳でのつっこみを期待して京一は龍麻のほうに視線を投げ・・・

「・・・うん。自覚、してる・・・変・・・だよね?」

「ぅえ」

 絶句した。目の前に居るのは卓抜した拳法使いでも、冷徹な魔狩でもない。ただの、うちひしがれた少女で・・・

「って騙されねぇぞ龍麻っ!そう毎回毎回ひっかかるか!」

「にょ?新人君も居るしもうちょっとひっぱってもいーじゃん!」

 龍麻はそう言ってニャハハハと笑い、足を速めた。先頭に立ち、見えてきた屋上を見据えて拳を握る。

「さて、和んだところでそろそろ気合を入れよっか」

 振り返らず言ってくる背中に5人はそれぞれの武器を握りなおす。

 龍麻自身もまた、手甲を両の手にはめて足を踏み出した。

 そして。

「・・・やあ、待っていたよ」

 鴉の王はそこに居た。まだ床の張られていない鉄骨が交差しているだけの屋上で、数百を数える黒い翼を従え悠然と立っている。

「唐栖・・・」

 呻くように名を呼ぶ友に一瞬だけ視線を向け、唐栖は目を閉じた。

「僕にはわからないよ・・・何故君達は僕に抗うんだい・・・?神に選ばれた証である《力》を持っているというのに」

「《力》の有る無しは関係ねぇだろうが!こんな意味のねぇ人殺しをする奴はぜってぇ許せねぇ!」

 京一の咆哮に唐栖は目を開けた。憎しみと怒りのこもった視線が京一たちを打つ。

「それならば、動物達は殺してもいいというのかい?自然は汚してもいいと!?水を汚し、空気を汚し、楽しみの為に他の命を奪う。それどころか人間同士ですら殺しあう!こんな愚かで穢れた生き物が他にあるのかい!?」

「だから人間を滅ぼすってのか!?ふざけんじゃねぇぞてめぇ!」

 弾劾に、しかし唐栖は首を振った。

「人を滅ぼす?僕はそんなことはしないさ。人間達もまた自然の一部・・・それを無くすなんてことは、神の御技ではない・・・」

 そして、バッと手を振り眼下の街を、渋谷を指し示す。

「だが見るがいい!自然の恩恵を忘れ奢り高ぶる人間達を!自然の輪から外れた人間はその増長故に正気を失っている!環境を破壊するだけに飽き足らずその牙は同種にすら向けられている!自分のことしか考えず犯罪の芽は摘んでも摘みきれ無い程だ!このままではほどなく人間の世界は崩壊する!それも・・・自らの手で!今、誰かが粛清しなくてはならないんだよ!自分達が自然の一部に過ぎないことを思い知らせてやる必要があるんだ!ならば!その役は神に選ばれた僕達がやらなくてはならないだろう!?その為の《力》じゃないか!」

「待てよ唐栖!」

 たまらず雨紋は叫んだ。

「神に選ばれた奴なんていねぇんだよ!この街が腐ってんならオレ一人一人変えていかなくちゃならねぇんだ!特別な《力》を持つ者としてじゃなく・・・人間としてだ!・・・な!?オレとやり直そう・・・唐栖!」

「・・・・・・」

 唐栖は一瞬だけ眩しそうな目で雨紋を見た。一度何かを言いかけ、しかし口を閉ざし首を横に振る。

「・・・僕にはもう人間など信じられない。黒い水の中に一滴だけ澄んだ水をたらしたところでその色が変わろう筈が無い。もっと根底から変えていく必要があるのさ。水そのものを変えていかなくては・・・そうでなければ何故こんな《力》があると言うんだい?人でありながら人でない《力》が!この戦う《力》は何の為にあると言うんだい!?」

 妄執の光を湛えた目は龍麻達を眺め回し、葵の前で止まった。

「何故君達は超越者であることを否定するんだ・・・特に君だ。美里葵」

「わ、私の名前を・・・?」

 思わず一歩あとずさった葵に構わず唐栖は空へと手を差し出した。舞い降りたカラスの一羽がそこにとまる。

「知っているさ。僕の可愛い鴉達が全て教えてくれる。神威を降ろす少女・・・君は神の力そのものを手にしながらそれを使おうとしない。全てを焼き尽くすだけの《力》が君には備わっているというのに」

「わ、私は・・・そんなこと・・・」

「今からでも遅くはない。美里葵、君は僕の側に来るべきだ。君の力、美しい容姿・・・僕の傍にいるのが相応しい。さあ・・・君のいるべき場所はそこではない・・・」

 差し伸べられた手に葵は思わず後ずさりかけ・・・

「悪いけど、そういうわけにはいかないのよね」

 力強い声と共に抱きとめられた。

「あんたが何を考えようと勝手だし、世直しが必要ってのもあながち間違いとも言えないけどね・・・」

 見上げれば、赤と黒の眼光が鋭く前を・・・討つべき敵を見つめている。

 揺るがない瞳が、そこにある。

「葵はあたしのモノよ。誰にも、渡さない。あんたみたいな頭の中でだけ神になってる奴になぞ、触れさせてもあげない」

 それは、どう控えめに見ても傲慢な言葉であろう。だが、その手のぬくもりが・・・言葉の強さが、葵の心を熱くした。

「・・・唐栖さん。すいません。私は・・・あなたのもとへは行けません。この人は・・・みんなは、私の大事な仲間ですから」

 だから、はっきりと告げる。偽らず、自分の意思を。

「それに、私は信じています。人の優しい心を。誰かを愛し護ろうとする意志を。だから、私は・・・あなたと戦います・・・!」

 その言葉を皮切りに京一たちは一斉にそれぞれの武器を構えた。

木刀を、拳を、弓を、そして槍の穂先を向けられた唐栖は首を振り、懐から古めかしい横笛を取り出した。

「そうか・・・なら・・・皆、ここで死ぬがいい!」

 そして甲高く澄んだ笛の音と共に周囲に止まっていたカラスが一斉に飛び立つ。黒い風を纏って唐栖は哄笑した。

「はははははははははははっ!ここで待っていたことに意味がないとでも思うかい?ここには足場が無い!組み合わせた鉄骨しかないここにおいては!空を飛べない君達に勝ち目なんて無いんだよ!」

 声と共にカラス達は龍麻達へと殺到した。その数たるや百に届こうと言う数だ。黒い壁が突っ込んでくるのに等しい。

 それを睨み、龍麻は高速で思考をめぐらした。戦力を計算し、特性を計算し、先を読む。

「陣形っ!あたしと京一が前に出る!左右に分かれてチャージ!葵は防御術の後回復に専念!順番は京一、雨紋、醍醐、小蒔、自分!そして・・・」

 ちらりと、雨紋を見る。

「雨紋は中盤を広範囲にガード!小蒔と醍醐を預けるから敵の布陣を出来うる限り拡散させる!いいわね!?」

「な・・・」

「龍麻・・・!?」

「龍麻クン!?」

 驚愕の声に龍麻は振り向くことなく言葉を叩きつける。

「彼の戦術眼に関しては緋勇龍麻が保証する!彼とあたしを信用しなさい!」

「いいのかよ?オレをそこまで信じちまって!」

 カラスの群れは至近に迫っている。もはや余裕は数秒というところだろう。

「・・・キミ、いい子だから。戦闘、開始っ!」

 言い残してはじけ飛ぶような勢いでダッシュする。鉄骨から鉄骨へ、堕ちれば即死の細い足場をサーカスのような軽業で飛び移っていく。

「まかせたぜ!後輩っ!」

 一瞬遅れて京一もまた飛び出した。龍麻よりもやや遅いが鉄骨を飛び移りカラスの群れに突撃する。

「・・・姿持たぬ精霊の燃える盾よ・・・加護を!」

 その周囲がブン・・・と震えたのは葵の防御術が発動したからだ。続いて雨紋の体も圧縮空気の防壁に包まれる。

「雨紋クン!指示をお願いっ!」

「指揮系統は、はっきりしていなくてはならん。龍麻が指名したのならば俺達はおまえの指示に従う」

 背後から声をかけてくる小蒔と醍醐。今の、雨紋の、仲間達。

「・・・OK!醍醐サンはオレの後ろで討ち漏らしを掃除してくれ!桜井サンは京一の方に援護射撃!対象はそのときの状況を見て指示出すから頼むぜ!」

 叫びざま雨紋は空中を大きく薙ぎ払った。雷撃を伴った一撃が押し寄せてきたカラスの群れを丸ごと地面へと墜落させる。

「掌底ぃっ、発剄!」

 それを横目で確認して龍麻は空中から発剄を放った。広域に拡散させた氣の奔流がカラスをまとめて叩き落す。

「もう一発・・・発剄っ!」

鉄骨に片足で着地し、グルリとその場で回転してもう一度発剄を放つ。また10羽以上のカラスが白光の中に消えた。

一方。

「飛んでる奴らには・・・氣があたらねぇんだよなぁ!」

 京一は地道にカラスを斬り落として回っていた。平地を駆けるがごとく危なげない動きで足場を飛び回り、一跳びに数匹へと斬撃をくわえる。

 本来広範囲に拡散する京一の剣掌発剄は高速移動する飛行体への攻撃に適している。だがその特性ゆえに飛距離が短いのが今回は仇になった。上空で待機する鴉には届かないのだ。大振りになるので隙を突かれてしまう可能性もある。

「だぁああああっ!らちがあかねぇ!数が多過ぎんだよ!」

 戦闘開始から3分。既に100を越えるカラスが命を落としているが、依然として周囲には黒い風が渦巻いている。その密度は戦闘開始時と変わらない。

 依然として、大群に包囲され、押されている。

 いるのだが。

(・・・おかしい)

 その動きに雨紋は疑問を感じていた。襲い掛かってくるカラスを槍の柄で払いのけ、戦場を見渡す。

 200メートル四方ほどのそこに溢れるカラスの数は圧倒的だ。いかに雨紋達が常人離れした魔人とはいえ、正面からぶつかり合って適うはずも無い。100匹潰す間に900匹に押しつぶされるだけだ。

 だが。

「戦えてるじゃねぇか・・・」

「え!?何?雨紋クン!」

 指示だと思ったのか聞き返してくる小蒔に次の援護ポイントを告げて雨紋は再び考え始める。

(龍麻サンたちの戦い方は上手い・・・間違いなく集団で戦闘する訓練をしてやがる。だが、それだけじゃこの状況はありえねぇ。なんで俺達はまだ負けてねぇんだ?)

 迷う間にもカラスは襲ってくる。倒しても倒しても上空から補充されるその数は常に百匹を下らず・・・

「!?」

 雨紋は唐突に気付いた。大きく槍を振り回して視界を確保し、戦場をもう一度見渡す。

(・・・違う!全体の数は関係ねぇ!塊で見なくちゃならねぇんだ!)

 落ち着いて見ればカラスが10程の集団に分かれて行動しているのがわかる。そして群れの数は13しかない。その場に居るカラスは1000を越えているが、実際に戦っているのは100を多少超える程度でしかないのだ。

(唐栖のヤツ・・・一匹一匹を操れるわけじゃねぇ。あいつに操れる数に限界があるなら・・・やりようは有る!)

「桜井サン・・・10メートルほど龍麻サンの方に移動できるかい?醍醐サンと二人で」

「?大丈夫だけど・・・指示、聞こえにくくなるよ?」

「美里の護衛、おまえだけで大丈夫なのか?」

 口々に聞いてくる二人にニヤリと笑い雨紋は親指を立てた。

「まかせときな!これで・・・終わらせる!」

 

 

(・・・うん、これで終わる)

 それを遠く見守り龍麻は頷いていた。やや精度の落ちてきた発剄を放ちながらタイミングを待つ。

(いやはや、これはもう逃がせないなぁ。彼にはなんとしても仲間になってもらわなきゃね。結構いい男だし)

「何だとぉっ!?ここに!まさに今ここに真神一のナイスガイが戦っているぞぉっ!」

 視線の動きだけで内心を読み取ったらしい京一の咆哮にウィンクひとつ。龍麻は静かに力を溜めて待つ。

 

 

(雷人・・・何を企んでいるんだい?)

 唐栖は休み無く笛の音を放ちカラス達に指示を出す。雨紋の・・・そして龍麻の読みどおり群れ単位での指示だ。

 1匹ずつ指示を出すことも可能だが、彼が同時に認識できる数は10に届かない。大軍を操ろうとすればどうしてもこういうスタイルをとらざるを得ない。

(弓使いを拳士の背後の死角に移動かい?その程度、奇襲にもならないよ)

 操っているカラスは、つまり彼の一部だ。その視覚も聴覚も唐栖本人と共有されている。当然雨紋が小蒔に移動を指示しているのもわかっている。

(その動き、利用させてもらうよ)

 

 

「オラオラァッ!」

 戦場の中心に立ち雨紋は半分近くのカラスを一度に相手にして奮戦していた。

「ッ・・・」

 防ぎきれず食いちぎられた肩口の傷は血が噴き出す暇も無く塞がる。背後に控えている葵は自分から攻撃をしない分、味方の状況を完璧に把握しているようだ。

(・・・醍醐サンと桜井サンは・・・配置についたな)

 醍醐はよく戦っていると言えるだろう。ときおり未熟ながら発剄を放ち、本来苦手な対集団戦でもとりあえず遅れは取っていない。

一方、小蒔はその背後で弓の弦を張替え中だ。弓道場の師範が見たらその場で職を譲りかねない達人そのもののスピードで普段は使わない高威力の強弦を張っていく。

(タイミングを測れ雨紋ッ!焦るなよ・・・!)

 自分を鼓舞し、雨紋は戦場を見渡した。

 自分がひきつけている部隊が5つ。京一の方に3つ。龍麻が3つ。醍醐達の方に2つ。戦闘に参加していない補充要員のカラス達が上空を旋回しているがとりあえずこれは無視。

(いつものライブと同じだ・・・あいつらの個性を消さないように、俺の音をかき鳴らす・・・!)

 そして、硬直した戦線の片端で。

「よっ・・・と!」

 龍麻は不意に鉄骨の上へとその身を投げた。仰向けに寝転がり上空のカラスへと両手を向ける。

「掌底・・・発剄!連ッ!」

 掲げた二つの手のひらから迸った発剄が彼女と交戦していたカラス達のうち2部隊の中心を共に撃ち抜く。

 上空から死んだのと同数のカラスが舞い降りる、瞬間。その一瞬にだけ、その空間には何もない。

「桜井サンっ!」

「うんっ!行っくよぉっ」

 雨紋が叫んだ瞬間、小蒔は醍醐の背中から飛び出した。限界まで引き絞った弓の先に目標を見据える。

 狙うは唐栖亮一、その腕に握られた古めかしい笛一つ。

魔人として身につけた身体能力の全てを注ぎこんだ手加減無しの一撃は笛そのものに当たらずとも唐栖の手首から先を抵抗も無く吹き飛ばせる威力が込められている。無論、頭や胸に当たれば命に関わる。

 それでも、その動きには一分の乱れも無い。信仰にも似た龍麻への想いが、彼女に施された数々の訓練が怯えを打ち消す。

「弓返り・・・えいッッ・・・!」

 気合と共に小蒔は矢を放った。目視出来ぬ速度で空を切るライフル弾のごとき一撃は黒衣の鳥使いを襲い・・・

「ありがとう。予想通りで嬉しいよ」

 唐栖はそう言って微笑んだ。笛に唇を当て、甲高い叫びのような音色を放つ。

「カァアアアアアアアアアアアアアアアッ!」

 瞬間。

 龍麻達を襲っていたカラス達の動きが止まった。そのままバサバサと上空へと飛び去る。

「入れ替わりやがるのか・・・!」

 雨紋は叫んだ。彼の視線の先、唐栖の目の前にはカラスによる壁が構築されている。それは、たった今飛び去った群れと入れ替わりに舞い降りてきたものだ。

「僕の操れる数には限界があるけどね、雷人。同じ群れで操らなくてはいけないわけじゃないよ。僕個人から引き離した程度では隙にもならない」

 渾身の一矢は2〜30羽ほどのカラスを道連れにその動きを止めた。そのまま、虚しく地上へと堕ちていく。

「くっ・・・」

 雨紋は俯いた。肩が震える。

「悔しいかい?雷人。でも仕方の無いことなんだよ。君は僕に負けたわけじゃない。僕の可愛い鴉たちに敗れたんだ」

唐栖は優しい声色でそう言って上空で舞う黒死鳥の群れを見上げる。

「ずいぶんと、彼らを失ってしまった・・・いつか僕もかの堕天使達を死なせた罪を償わねばならないけど・・・まずは君達に、それを償ってもらおう」

「・・・・・・」

 視線を落としたまま雷人はその長台詞を聞いていた。押さえきれない声が喉から漏れる。

「う、雨紋君・・・!」

 震える背中に小蒔が悲鳴を上げた。答える余裕もなく、雨紋はゆっくりと顔を上げる。

「まずは厄介な代行者!君から死んでもらおう!」

 唐栖はそう叫び笛を唇に当てた。澄んだ響きと共にカラスの群れは一つの塊となって龍麻の倒れていたスペースを襲い・・・

「く・・くくく・・・・あははははははははは!」

 雨紋の爆笑と共に唐栖は目を見開いた。

 その視線の先に・・・緋勇龍麻の姿は無い。

「おいおいおい唐栖!何を勝ち誇ってンだよ!おまえ風に言えば、俺の・・・っつうか龍麻サンの予想通りに動いてくれてありがとよってとこか!?」

「馬鹿な!?200を数える僕の目を逃れることなぞ・・・!」

 叫んで、気付く。全てのカラスを盾にしたあの瞬間・・・視線は全て飛来する矢に注がれていた。あの一瞬なら・・・

「ま、そんなとこね」

 声は、背後・・・それも下から聞こえてきた。彼や雨紋達が居る屋上ではない。一階分下のフロアからだ。

「飛び降りたのかい!?階下の鉄骨へと!」

BINGO!

 叫びざま、視覚に頼らず龍麻は跳んだ。空中で頭上の鉄骨へと手をかけ、そこを支点にして振り子のように勢い良く自らの体を屋上へと投げ上げる。

「とりあえず・・・その笛、叩き壊す!」

 龍麻は短い浮遊感と共に着地。叫びざま義眼の伝える情報を頼りに唐栖の背へと飛び掛る!

「っ!僕の《力》をカラスだけだと思わないで貰おう!」

 振り向きざま唐栖は笛を唇に当て、異界の旋律を響かせた。刹那、氣が凝り固まったカラスの姿が具現化される。

「さあ、お行き!あいつの目をくり抜いておいで!!」

「疾ィィィィィィッ!」

 叫びと共に唐栖の術が、龍麻の拳が交差する。

 着弾は・・・

「ッ・・・!」

 唐栖の術の方が早かった。カラスを象った氣の塊が龍麻の顔面を直撃する。

 だが。

「悪いわね・・・!鳥系っていう時点で目を狙ってくるのはわかってんのよ!」

 氣が、虚しく拡散する。龍麻の目を覆っていた黄色の布が千切れて背後へと吹き飛んでいく。それは金箆・・・己の目を自ら塞ぐ事で心の闇への耐性をつける呪具。

「はっ・・・!」

 繰り出された横薙ぎの手刀は狙い違わず唐栖の腕にヒットした。笛が、クルクルと宙を舞い地上へと落ちていく。

「これで《力》は使えないでしょ!?」

 媒介を失った唐栖は信じられないという表情で激しく首を振った。

「馬鹿な!僕が負ける筈がない!僕は神の《力》を手に入れたというのに・・・!僕は自然と共にある世界を取り戻す・・・」

「ただ憂いて人を殺すだけのあんたが・・・世界を語るな・・・!」

 そして、龍麻の強烈なショートアッパーが唐栖の鳩尾を突き上げた。体の中心を突き上げられた細身の体が僅かに浮き、数メートルを吹き飛んで鉄骨に落下する。

「・・・だいたいね、あんたが正しいなら・・・なんであんたはカラスしか従えてないのよ・・・」

 呟くような声に唐栖は声にならない笑い声をあげた。こみ上げる胃液を飲み下しゆっくりと立ち上がる。吐き出すなど、美しくない。

「決まっているじゃないか・・・代行者。君と美里葵が居るからだよ・・・」

 ふらふらと後図さって空を見上げる。かすれる声は、駆け寄ってくる雨紋達には届かない。

「堕天使は合わせ鏡・・・僕達が居る事で君の側が成立する・・・それもまた、道理だよ・・・」

 彼の使徒たちは支配が解けても尚、そこに留まり見守ってくれていた。

「クックックックッ・・・人間には先が無い・・・それは事実。世界がいつまでも人間ごときを守護するとは・・・思わない方がいい・・・」

 かすれる声と共にその体がふらりと傾いた。足場の外へ、重力のままその身をゆだねる。

「ああ・・・カラスたちよ・・・僕も・・・僕も・・・あの空・・・へ・・・」

「っ!この、馬鹿っ!」

 舌打ちして唐栖の居た場所に走りよって地上を覗き込もうとした龍麻の視界が黒く染まった。

「カァアアアアアアアアアアアアッ!」

 それは、黒い奔流。頭上を舞っていた数え切れないカラス達の発狂したかのような疾空。

「あんた達・・・」

 カラス達は落下する唐栖に纏わり着き、共に落下して行く。

「・・・みんな!行くわよ!あれなら助かってるかもしれない!」

 

 

−代々木公園 鉄塔直下−

 

 

「どうだ!?」

「こっちにも居ねぇ!」

 一番遠くまで探しに行っていた醍醐と京一の声を聞いて龍麻は息をついた。

「・・・これは、諦めた方がよさそうね」

「ちょっと待てよ!ここで逃がしちまったらまた被害が出ンだろうが!それじゃあ・・・!」

「ああ、それなら多分、大丈夫」

 食ってかかる雨紋に龍麻は懐から取り出した笛を見せた。落下した唐栖を探している途中に見つけたものだ。

「お?それってあれだよな?あのヤローが使ってた呪具だろ?龍麻」

「そう。葵ちゃんの指輪と同じで彼の能力を増幅し、調節する為の道具・・・あたしの見立てでは彼単体ではせいぜい数匹を操るのが限界ね。このレベルの呪具を手に入れようとすればあたしの情報網に入ってこない筈はないし。一応彼は無力化されたと見ていいんじゃないかしらね」

 肩をすくめ、メンバーを見渡す。

「今後も身一つで事件を起こそうっていうなら・・・そのときこそ、徹底的に潰す。あたしはこの方針でいいと思うけど、みんなは?」

 京一たちは一度だけ視線を交わしてから一斉に頷いた。

「俺達はおまえの判断に従うぜ」

「そうね・・・私達はあの人を倒す事が目的じゃないものね」

「・・・・・・」

 京一と葵の言葉に複雑な表情を見せる雨紋の肩を龍麻はぽんっと叩く。

「そういうわけでさ、あたし達はとりあえず彼の事件は終了ってことにするけど・・・雨紋君、これからどうする?」

「・・・オレは・・・アイツをほっとけねぇよ」

 雨紋は槍を納めた袋を担ぎなおし首を振った。

「アイツは許されねぇことをしちまったンだし・・・誰かがキッチリ始末をつけなくちゃな。一人くらい、最後までアイツの戦いに付き合ってやるヤツが居てもいいだろ?」

 瞳には断罪の鋭い視線を・・・そして、口元には友情の小さな笑みをのせて雨紋は龍麻達から一歩離れた。

「アンタらには随分と世話になっちまった。ありがとう・・・」

 すっと頭を下げ、そのまま真っ直ぐ歩き出す。

「雨紋君、行っちゃうの?せっかく仲良くなれたと思ったのに・・・もうお別れなんて寂しいよ・・・」

 その背中にかけられた小蒔の声は葵や醍醐の思いでもある。異形として目覚めてから初めて出会う同胞。それも分かり合えるであろう者を求めるのは当然の事か。

「・・・すまねぇ」

 雨紋とてそれは同じだ。孤独に戦い続けた一週間がある。そして、仲間と共に勝利した今がある。一度知ってしまえば、もとの孤独に帰ることなど考えられない。

 それでも。

「オレ様は・・・アイツの友達だからよ!」

 わざと元気良く言って走り出した姿に龍麻はクスリと笑い、パンッと手を打ち鳴らした。

「じゃあね!雷人くん!後で電話するよ〜!」

「っンだとぉ!?」

 軽い調子で言われて雨紋は思わずつんのめる。

「あ、だいじょぶ。携帯の番号はさっきこっそり調べといたから」

「な!?いつの間にってそうじゃなくて・・・あンたら!もう唐栖の件は・・・」

「とりあえず実戦部隊の出番はここまで。あとは情報収集フェイズだけど?餅は餅屋、そういうのは専門職に任せた方が効率いいし」

 あっさりと言われた雨紋は額をおさえて唸る。

「そりゃあ何かい?オレ様の力を借りたいから情報を提供するってことか?今の仲間だけじゃあ物足りないって?」

 挑発的な台詞に龍麻はあっさり頷いた。

「戦力は、どれだけあっても足りないよ。あたしには君の力が必要だし君にはあたしの組織力が必要なんじゃない?」

「・・・利害が一致してるってことかい?」

 そして、雨紋の探るような視線に、警戒心ゼロの微笑みでもって答える。

「利害なんて関係ないじゃん。あたしたち、友達でしょ?」

「・・・・・・」

 雨紋はその笑顔に沈黙し、京一たちの顔を順繰りに見渡した。

「そうだよ!ボク達、もう友達だよねっ!」

「・・・まぁ、生意気でも腕はまぁまぁだからな。俺ほどじゃねぇけど」

「そうだな。一度手合わせ願いたいところだ」

「ふふ、よろしくね」

 一人になど、なれる筈が無い。

 雨紋の仲間達は、既にそこに居る。例えここで別れても、戦い続ける限りいつか再会することを確信できる人たちが。

 結局、雨紋もまたこの5人がたまらなく気に入ってしまったのだから。

「俺は、行くぜ」

 短く言って背を向ける。

「あ・・・雨紋クン!」

 小蒔の声に顔だけ振り返る。視線の先には、微笑んで小さく手を振っている龍麻の姿。声に出さず動いた唇が紡ぐ文字は『またね』の3文字。

「・・・オレ様の力が必要になったらいつでも連絡してくれ。またな!センパイ!」

 自分でも意識せずに出てきた呼称に雨紋は苦笑しながら今度こそ走り出す。

 その姿が見えなくなるまで見送ってから葵はぼそっと呟いた。

「・・・結局、これってナンパなのかしら・・・?」

「葵?」

 

 

          第三話  本幕  「黒の禽」       閉幕

               追の幕 「蒼の空」       開幕