あるところにルヴァと言う学者がおりました。彼は娘三人と、田舎ではありますが、静かな美しい村に住んでいました。
妻は娘達が幼い頃に亡くなり、そして彼は昔、王都の高名な学者としてそれは裕福な暮らしをしていましたが、時の王の執政ぶりを非難し、ここまで追放されたと言う過去を持っていました。
ルヴァは三人の娘すべてを可愛がってはおりましたが、生まれて直ぐ母親をなくした末娘・アンジェリークをことのほか可愛がっておりました。だからといってアンジェリークは可愛がられるもの特有の我が侭もなく、優しい心を失わず、すくすくと育ち、秋色の素直な髪で森の奥の湖のような穏やかな蒼碧色の瞳の素敵な娘へ育ってゆきました。
ある冬、ルヴァは王都に呼ばれました。『今一度、王立学院の職につくように』との命で。
ルヴァは悩みましたが、こんな田舎では娘達になにもしてやれることがないと王都に行く決心をしました。
でも、取りあえずは今の王都の様子を見るためだけと娘達をおいて出かけることにしました。
「あ〜、みんなは何をお土産にほしいですか〜」
出かける前に、みんなの欲しいものを聞きます。こんな機会でもないと娘たちの喜びそうなものは手に入らないからです。
「わたしはきれいなドレスが欲しいな」
長女のオリヴィエが答えます。
「わいはおっきな宝石がええなぁ」
次女のチャーリーが答えます。
「あなたは? アンジェリーク。あなたは何が欲しいんですか〜?」
ルヴァは一番かわいい末娘に訪ねます。
「わたしはなにもいらないわ。お父様が無事に帰ってきて下さるだけでいいの」
にっこり微笑む娘に再度尋ねます。
「あ〜、遠慮しなくてもいいんですよ〜。あなたの好きなものをいってくださるほうが嬉しんですから〜」
「では・・・薔薇の花を一本買ってきて下さい。お母さまの好きだった紅い薔薇の花を。ここでは、薔薇は育ちませんもの」
「あ〜、わかりました。みんな、楽しみにしてて下さいね〜」
それから、数日後。
ルヴァは、暗い山道を一生懸命走ってました。
後ろからは”ハッハッハッ”と荒い息が追ってきます。走りながら振り向くと見えるのは、白々とした雪明かりに反射する妖しい緑の光。
それは‥‥‥。
王立学院の件は、行って直ぐ破談となりました。久しぶりの王都は、ルヴァが昔諌めたのにも関わらず、相変わらず貴族連中の腐敗が進み、またしてもそれを批判した彼は、その場で追放となったのです。
それも仕方がないと思った彼は、そのまま王都を出てきたのです。
もちろん娘達への土産を買うことだけは忘れませんでした。
綺麗なドレスと宝石と紅い薔薇の花を買った後、馬車を操り、愛しい娘達が待つ村へと帰途についたのですが・・・。
途中から天候が荒れだし、あっという間に吹雪となってしまいました。辺りは、白い闇に覆われ、どちらに進んでいいのかもわかりません。
『こういう場合、人間が一番役に立たない』そう知ってるルヴァは、そこに馬を止めました。
そして、吹きだまりを見つけ、そこに潜り込んだのです。
『吹雪に巻き込まれたら、下手に動いてはいけない』
それは鉄則でした。
幸い、それから暫くして、動けない程の吹雪は去りました。
ほっとして、吹きだまりから出て来ると、これまた穴に入る前に馬車から放して貰っていた馬が戻ってきており、その鼻面をすり寄せて来ました。
吹雪はやんだとはいっても、まだ雪自体はちらついています。何時また嵐になるか判りません。
「早いところ、村に戻らなければいけませんね〜」
馬の頬を軽く叩きます。
その時。
飼い主に撫でられ、眼を細めていた馬の身体がぴくりと動きました。そしてそのまま硬直します。
「? どうました〜‥‥?!」
何かを恐れる馬の様子に、訝しげに周りをみるルヴァでしたが、彼も次の瞬間、固まりました。
一つ、二つ、三つ‥‥‥。
青白く、燐光のように揺れるそれは。
瞳。
気づけば、一人と一頭は山犬にすっかり囲まれていたのです。
ぐるるぅぅぅぅる‥‥‥。
山犬達は身を低く、喉の奥で唸りながら少しづつ近付いて来ます。
「こ‥‥これはっ‥‥困りましたね〜‥‥‥ゴクリッ」
じりっ‥‥じりっ‥‥‥。
相手を刺激しないように、後ずさります。
しかし、それくらいの事で彼等が諦めるはずもありません。
じりっ‥‥じりっ‥‥‥。
同じ速度でにじり寄ります。
同じ力同士の均衡。
‥‥そしてそれは、あっけなく崩れるのです。
そう。
ばさっ。
梢に積もった雪が落ちました。
ガルルッッッッッ!!
それを合図に先頭の山犬が飛びかかります。
咄嗟にルヴァは馬の背に積んであった荷物を掴み、投げ付けました。
キャウンッ!!
それは、ぱぁっと広がり、飛びかかった獣の視界を塞ぎます。
その機会を逃さず、ルヴァは馬に飛び乗りました。
日頃のルヴァの動作からは考えられない動きです。馬の方も、待っていたかのように、その背に重みが加わると一目散に駆け出しました。
「あ〜、オリヴィエへのお土産を投げてしまいましたね〜」
という情けなさそうな声を残して。
しかし山犬達が怯んだのも束の間。
次の瞬間、群れは迷わず彼等を追い始めました。
ハッハッハッ………。
死物狂いで馬は走ります。
眼に雪がはいり、そして冷たい風がはいり、ルヴァはただ馬の背中にしがみついているだけでした。
荷物もすべてどこへか振り落としてしまいました。 すでに何処を走っているのかも判らなくなっています。
馬は、泡を噴き、それでも走るのをやめません。
しかし、獣達も諦める事を知りません。
どこまででも追い掛けてきます。
(‥‥もう、これまででしょうかね〜‥‥)
あまりの状況の悪さにルヴァが諦めそうになった、その時です。
風雪舞う林が、一瞬の後、”ほかり”と明けました。
そして、その向うに‥‥なんと言う事でしょう。立派な塀があるではありませんか。 そしてそれが途切れた所には、背の高い頑丈そうな金属の門が見えたのです。
馬は迷う事なく、開かれた門へと向かいました。そして、その中に入った途端、ルヴァは我が身を吹きだまりに投げ出して止め、迷う暇なくその門を閉じにかかりました。
門はしっかりとした金属の造りで、かなり重いのでしたが、ルヴァにはそれに関わっている暇はありませんでした。いつもの彼なら途中で疲れ果て、門を閉じる事は出来なかったでしょう。
しかし、ルヴァはまだ自分の命を獣にあげる訳にはいきませんでした。可愛い娘達が自分の帰りを待っているのです。
「うっ‥‥うううううっっっ!」
門は少しづつ、でも確実に閉まってゆきます。
‥‥‥‥ガチャンッ!!
重々しい音を立てて、門がしまったその時。
ガルルルッッッ!!
鮮やかに白い牙が、その鉄格子に食い込みました。
「うわぁぁぁ〜〜!」
直前まで押していた手が、それによって少し切り裂かれます。
しかし、それまででした。堅固な門は、それ以上獣達の侵入を許しません。ガウガウと吠え、掻きむしりましたがそれまででした。
ルヴァは、ようやっと一息つきました。そして、ようよう周りを見回す余裕が持てます。
少し滲んだ血を舐めながら、辺りを見回します。
その眼が、不思議そうに細められました。
「‥‥ここは?」
視線の向うには、大きなお屋敷がありました。いいえ、お屋敷と言うよりは小さな城と言った感じの威厳のある建物でした。
灰白色の石造りの壁、蒼灰色にくすんだ屋根はかなり高く、低く垂れ込めた雲に突き刺さるかのようです。
こんな山の中、もしかしたら無人かもしれない、と、ルヴァは少し思いましたが、玄関口である付近を見て思い直します。こんなに雪深い中、綺麗にそれは掻いてありました。
「ああ〜、もう暗くなって来ましたし、ここを出ていってまた山犬に襲われたら今度こそ駄目でしょうから、今日は、ここで宿を借りましょうかね〜」
まだ全身に汗をかいてもうもうと湯気を出している馬に塩の粒をやり、労いながらルヴァは手綱を取り、玄関口へと歩き始めました。
<つづく‥‥>
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