馬を馬止めに繋ぐと、ルヴァはゆっくりと玄関へと近付きました。 入り口の扉は頑丈な樫で出来ており、一見無骨そうに見えましたが、その実、それはそれは細やかな彫刻が施してあり、この館がお金をかけたものであろう事がよく判りました。
「‥‥しかし、こんな山奥にこんな立派なお屋敷があるとはね」
感心しきりに暫く屋敷を眺めていましたが、風は冷たくなってきたのでしょう。
ルヴァはぶるっと震え、くしゃみを一つしました。
「このままじゃ風邪をひいてしまいますね。‥‥すみません、お邪魔致しますね〜」
軋むドアをあけます。
あけたところは広い広場となっておりました。ほわっと暖かい空気がルヴァを包みます。
間違いありません。ここに人は住んでいました。
「すみませ〜ん。誰かいらっしゃいますか?」
ルヴァの声が広い屋敷の中に響いていきます。
その時、なにやらざわざわとした雰囲気が奥の方でしました。
「?」
その人の気配らしきものにルヴァは気づき、遠慮がちに歩を進めます。
しかし、奥に進んでも人の影すら見当たりません。
「あ〜、これはどういう事でしょうか?」
首を傾げつつ、客間らしきところに入ると、その中央のテーブルにやっと動くものを眼にする事が出来ました。
けれどそれは生き物ではありませんでした。
テーブルの上においてあるもの。それは暖かそうな湯気を立てているコップ。
中身は卵を混ぜた熱いお酒が入っていました。
側に何やら紙がおいてあります。
『”どうぞお飲み下さい”』
ただそれだけが書いてありました。
他に人の影のない今、これはきっとルヴァにあてたものに違いありません。
普通の人でしたら疑うところですが、ルヴァはにっこり笑ってそれを手に取りました。
「お心使いありがとうございます。頂きます」
ゆっくりとそれを飲み始めました。
お酒は熱く甘く、身体をゆっくりと暖めていきます。
「あ〜、暖まりますね〜」
ほっとした声を出しつつ飲み終わると、ルヴァは軽く手を合わせました。
「御馳走様です」
その時、また奥の方でざわめきが聞こえました。
『‥うする?』
『ほっと‥‥けない‥‥』
『めん‥‥は、ごめ‥だぜ』
今度は微かに声までするようです。
「あぁ、そちらにいらしたんですね」
ルヴァはどうしても御礼が言いたくなり、奥の台所へと足を踏み入れました。
突然のその行動に、台所は急にばたばたと騒がしくなりました。
なにやら視界を動き回り、しかし人影は見えません。
「?? ‥‥これはどう言う事なんでしょう〜‥‥あ」
その時、踏み出したルヴァの足に何かが引っ掛かりました。
次いで”ズデンッ”と言う音が部屋に響きます。
「‥‥ってぇ〜‥‥」
痛そうな声も上がりました。
「ああ、すみません」
子供でも足を引っ掛けたかと、ルヴァは慌てて手を差し伸べました。
その手が途中で止まります。
何故かと言えば。
「こんなとこに足を突き出しとくなよ、おっさん!」
こちらに向かって威勢よく啖呵をきるのは、子供ではなく‥‥灰色の仔猫だったのです。
「ったくよ〜」
身を起こし、舐めて毛繕いする姿は間違いなく可愛らしい猫なのですが、
「じろじろ見てんじゃねーよ!」
‥‥間違いなく人の言葉を話しています。
呆然とするルヴァの耳に更に色々な言葉が入ってきます。
「あ〜あ、何をしているんだい?」
「”面倒はごめん”って言ったのはゼフェルなのに、そのゼフェルが面倒起こしてどうすんのさ」
「大丈夫ですか、ゼフェル」
口々に喋りつつ、現したその姿にルヴァは今度こそ言葉を失いました。
猫が動くのは、まだ納得できます。と、いうより当たり前です。
百歩‥‥いえ、数千歩譲って言葉を話すのも、何とか許容しましょう。
ですが‥‥。
ルヴァが見たのは‥‥家具。
もちろん置き時計や蝋燭立て、ポットなど小さな物ですが。
それが動いてる。
喋っている。
次の瞬間、ルヴァの意識は見事に現実逃避をしてしまいました。
『気絶』という逃避を‥‥。
気づくとルヴァの雪に濡れた身体は完全に乾いており、おまけにすぐ近くに炎の気配も感じました。
「‥‥あ、気づいたみたいだぜ」
頭の上で声がしたかと思うと、頬にぷよぷよしたものが触れました。
「おい、大丈夫か?」
ぶっきらぼうで、それでいて心配げな声に眼を開けました。
‥‥やっぱり猫です。頬のは肉球。
「突然、おどかして悪かったな」
神妙にしているその姿に、ルヴァは少し微笑みを浮かべてしまいました。
例え、相手がどんな存在であろうとも、お酒を御馳走してもらい、気絶した自分を暖炉の前まで引っ張ってってくれる。
それだけで、ルヴァの心から恐れと言うものが消えていきました。
「はい、大丈夫ですよ〜」
ゆっくり身を起こすと、その周りに子猫だけでなく、蝋燭立て、絵筆、青い小鳥などが心配げにこちらをみていました。
「あ〜、どうもこんにちは。私はルヴァと申すものです。お邪魔させて頂いてます。‥‥先程は気絶してしまうなんて申し訳ありませんでした」
起きると同時にルヴァはそう言って、深々と頭を下げました。
驚いたのは、猫達の方です。
最悪もう一度気絶するか、それとも大声をあげて外に飛び出すか、どちらかだと思っていたからです。
それなのに起きた当の本人ときたら、にこにこ微笑って、自己紹介し、あまつさえ自分らに謝る始末。
(……ただ者じゃない‥‥)
それが猫等共通の思いでした。
暫くあっけに取られ黙りこくってた猫達ですが、それでも甲斐甲斐しく手拭いをもってきたり、軽めのパンを持ってきてくれたりと、精一杯のもてなしをしてくれました。
ルヴァはそれを有り難く受けました。
そしてようやく落ち着いた頃。
辺りを見回す余裕がでました。
そこは、かなり立派な応接間でした。壁紙も落ち着いた趣味の良いもので、大きな家具も重厚な重みのある年代物ばかりです。
掃除も行き届いており、どうみてもこんな山奥にあるお屋敷だとは思えません。
「‥‥いや〜、立派なお屋敷ですね」
思わず言ってしまったくらいです。
「いいえいいえ、古いばっかりで‥‥」
と、ニコニコ遠慮がちに言うのはリュミエールと言う蝋燭立てでした。どうやら彼はこの屋敷の執事らしいのです。
「ほんと、完全なボロだぜ」
唇を尖らしながら言う猫の名前は、ゼフェル。
「物はいいんだけどね。‥‥なんせみんな僕が吟味したものだから」
そう冷たい口調で言ったのは、絵筆のセイラン。
「僕達、ちゃんと毎日お掃除しているんだよ」
楽しそうにさえずるのは、小鳥のマルセル。
どうやらこの家には、人間の姿はないようです。
「この家に住んでいるのは、あなた方だけなのですか?」
色々話し、お茶を飲み、座は盛り上がりました。
ルヴァは王都へ行った事、その帰りに吹雪に巻き込まれ、それをやり過ごしたら今度は山犬に襲われた事、娘達への土産も全部落としてしまった事などを話し、四人(?)は自分の事を話したりしました。
そんな中のふとした質問でした。
「いいえ、まだいますよ。とても四人だけでは家中賄えませんから。ただ、何分皆人見知りが激しくて」
苦笑しつつ、リュミエールが教えてくれました。
「‥‥あと、御主人様が」
「御主人?」
それは、初耳です。
ですがこれ程大きな家。おまけに『執事』という役職。
主人がいないと考える方がおかしいのです。
「でしたら、是非御主人様に会わせて頂けませんでしょうか? ここまでのもてなしに御礼を申し上げたいのですが」
ルヴァのその申し出に、彼等の顔ははっきりと曇ってしまいました。
「‥‥あの?」
「その必要はございません。主人の方も、堅苦しい挨拶はお嫌いな質なのです。
わたくしの方から、申し伝えますのでお気づかいなさらないでください。
‥‥夜は、隣に客用寝室がございますので、そちらをお使い下さい。では、おやすみなさいませ」
唐突に話を変えると、リュミエールは今までの和気藹々とした雰囲気を一気に冷まし、セイランは自力で、残りの二人を襟元を捕まえると部屋を出ていってしまいました。
そのいきなりの行動に首をかしげるルヴァでしたが、結局自分はお客。それも招かれざる客なのだと言う事を思い出し、しゅんとした気持ちでベットへと潜り込みました。
次の朝。
ルヴァが目覚めると枕元に二つの箱が置いてありました。
一つは抱える程の大きさですが厚さはないもの。一つはそれこそ掌に隠れる程の小さな箱。
怪訝に思い、ルヴァはその箱を開けてみました。
すると。
中身は、それは豪華な金刺繍入りのドレスと煌めく宝石だったのです。
見ると便せんが一枚置いてありました。
『主人からです。無くなったものとくらぶべくもありませんが、お納め下さい。
もう使い道のないものですので‥‥』
ルヴァは慌てて、昨日倒れた台所へと走りこみました。
そこにはすでに朝食が用意してあり、リュミエールがそれを運ぶところでした。
「リュミエールさんっ!」
ルヴァは、彼を抱き締めました。
「はははいっ?!」
丁度熱い紅茶の入ったポットをもっていた蝋燭立ては、それを零さまいと慌てました。
そんな様子もお構いなく、ルヴァは御礼を何度も何度も述べました。
その様子に苦笑を浮かべながら、リュミエールはルヴァをダイニングルームの椅子へと座らせました。
「今日は、貴方を麓まで送って行けると思いますよ。御主人様が彼に頼みましたから」
「ありがとうございます〜。本当に何もかもお手数をおかけ致しまして」
「いいえ。困った時はお互い様ですから。
‥‥‥けれど、村に戻っても決してここの事は話さないでくださいね」
「はい、お約束致します」
そしてルヴァは、美味しい朝食を食べる事が出来ました。
<つづく‥‥>
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