アンジェリークがその腕にエンデリクを抱きとった瞬間、眼を開けていられない程の光が彼女達から放たれました。
彼女を止めようと、動かない身体を無理矢理鞭打ち、走り寄ろうとした者達は皆、それを正視する事も叶わず、腕で顔を覆いそれをやり過ごすしかありませんでした。
しかし、その光はそんなものでは遮れる程のものではなく、覆いを貫き、網膜を貫き、魂の底までもが焼き尽くされるような、そんな衝撃を与えました。
それは、いつまでも続くかのように思われましたが、突然それは止みました。
後には、耳が痛くなる程の静寂‥‥。
強烈な光の洗礼の為、その目は機能をすぐ果たす事も出来ず、ただただ焦る思いだけが、その場にいる人間の心をかき立てました。
目を擦り、なんとか一秒でもはやく少女の姿を見たい、確かめたい。
ようやく霞みながらも見えてきたものは‥‥‥横たわる少女と側に転がる人形。
「アンジェッ!」
「アンジェリーク!」
悲鳴にも似た声があがります。それと共に。
「ヴィクトールさんっ!!」
‥‥‥広間の中央では、必死にヴィクトール様が少女に向かって進んでいました。血の痕を線にひきながら。
よたつきながらも、それに向かって走ろうとしていたセイラン様の肩を誰かが凄い力で引き止めました。
「‥‥エルンスト」
そこには、厳しい瞳をした研究院主任が立ちすくんでいました。その手には、あの機械がありました。
「数値が‥‥‥サクリアが‥‥」
青ざめた顔が、手が指し示すものは。
「アンジェ‥‥‥リークッ‥」
ヴィクトール様は、思うように動かない身体に歯噛みしました。すでに骨折の痛みなどどうでも良くなっていました。それよりも胸が、心が痛みました。
それこそ尖ってもない普通の棒を無理矢理胸に通されたような痛みで、気が変になりそうでした。
自分などどうなっても構わないと思いました。
ただひとつ。
アンジェリークさえ無事ならば‥‥‥。
ようやく、ヴィクトール様の手がアンジェリークに触れました。
「‥‥アンジェリーク?」
なんとか自分の身体を起こし、横たわるアンジェリークを膝に抱き上げます。
「アンジェ?」
しかしアンジェリークは、その言葉に答えようとはしませんでした。
「ヴィクトールさんっ、アンジェは?!」
そこにメルが走り寄ります。
「アンジェッ、大丈夫?!」
その可愛い声にも、アンジェリークは答えません。
「エルンストさんっ、アンジェが」
メルが振り返ったその先には、強ばった顔の二人が立っていました。
「メル‥‥‥」
「セイランさん、アンジェは、アンジェはどうしたのっ?!」
その問いに、エルンストの重い唇が開かれます。
「‥‥‥女王のサクリアが完全に消失してます。」
「‥‥‥幸せになれだって‥‥‥?」
ヴィクトール様は、アンジェリークの髪をそっと撫でます。
そぉっと、そぉっと‥‥‥。
「俺に幸せになれだって? お前がいないのに‥‥。
俺が幸せになるのが、お前の願いだって?
俺の願いは‥‥‥」
アンジェリークが幸せでいる事。
ヴィクトール様は、アンジェリークの頬に触れました。
そこはすでにひんやりとしていました。
そう。
命の灯火がもうそこにはない事を示すように。
「お前がいないこの世界で、生き続けることに何の意味があるって言うんだ」
なにもいらなかった。
アンジェリークが微笑んでいてくれるだけで。
なにもいらなかった。
アンジェリークがたとえ何処にいっても、幸せに笑っていてくれるなら。
例え、それが自分のものにならなくても。
「ヴィクトール‥‥」
セイラン様は、その手をそっと彼の肩にかけました。
その僅かな衝撃にも耐えられないかのように、ヴィクトール様の首ががくっと垂れました。そこからもれる言葉は、今まで聞いた事もないような声で。
「‥‥いつもそうだ。俺が守ろうとするものは、俺自身の手でなくしてしまう。
あの時‥‥‥もう二度と大切なものはつくるまいと思っていたのに‥‥もう二度と大切なものを失いたくないと思ったのに‥‥‥」
「ヴィクトールさん‥‥」
「‥‥いつも、いつもそうだっ! 俺が守りたいものは、皆俺を守っていなくなってしまうっ! そんな事を俺は望んでないのにっ。俺は、自分が死んでも、あいつらを‥‥‥アンジェリークを守りたかったのにっ!
‥‥幸せになれだとっっ!! 俺をたった一人、この世に残して‥‥お前がいなくなったのが俺のせいだとわかっていながらっっっ!!」
ギリッ。
噛み締めた唇から血が流れます。
セイラン様や他の二人は、何を言ったらいいのか判らず、ただただ二人を見詰めていました。
ヴィクトール様の瞳から絶えず雫が零れ落ちます。
それこそ止めどなく。
触れる髪はこんなに滑らかなのに。
頬はこんなに柔らかなのに。
目も耳もなにもかも
こんなに確かなのに。
アンジェリーク。
お前だけがここにいない。
ピチャンッ。
雫が空気を揺らします。
ピチャンッ。
「‥‥ッ!」
それを始めに感じたのは、メルでした。
エルンストの袖を強く掴む事でそれを知らせます。
「? ‥‥っな!」
エルンストの薄水色の瞳も大きく見開かれます。
「これは‥‥?」
アンジェリークの胸にヴィクトール様の涙の染みが出来てました。そこに何かキラリとしたものが見えたかと思うと、それは見る見る内にふわぁ〜と薄桃色の光の固まりへと膨らみました。
「あ‥‥あぁ‥‥」
驚きのあまり、目を見開くヴィクトール様の前にそれは姿を現しました。
それは。
「アルフォンシア‥‥‥か‥‥?」
薄桃色の小さな動物がヴィクトール様の顔を見上げました。 その真紅の瞳は、悲しそうに濡れています。
「きゅうん‥‥‥」
その姿は、アンジェリークが昔話してくれていた通りでした。
意志を通わせられる者しか見る事の出来ない聖獣・アルフォンシアが、今目の前にいました。
聖獣は一声鳴くと、アンジェリークの方を向きました。
そして、そのまま近付くと、
「きゅん‥‥」
一声鳴いてそっとアンジェリークの口元を舐めました。
その唇もいつも薔薇色に輝いていた頬も今は只、青白く。
「アルフォンシア‥‥‥すまない。俺は、アンジェリークを守り切れなかった」
悲しそうなその様子に、ヴィクトール様はますます胸を痛めました。
「アンジェリークがいなければ、お前は成長出来ないんだろう?‥‥‥すまない‥‥」
その声は、掠れていました。
「きゅきゅん‥‥」
その言葉がわかったのでしょうか?
アルフォンシアは、ヴィクトール様の顔を見上げました。
と。
とん。
何を思ったか、片方の前足をヴィクトール様の胸につきました。
「きゅう?」
そのまま、ヴィクトール様の瞳を覗き込みました。
ひとしきりじぃーっと見詰めてましたが、突然、
「きゅんっ!」
まるで叱りつけるかのように一声鳴くと、次の瞬間ふわっと消えてしまいました。
「?」
あまりの唐突さに唖然としたヴィクトール様の耳に信じられないものが聞こえました。
「‥‥うっ‥‥」
腕の中の身体が小さく動きました。
そして大きく息が吸われます。
「あ‥‥」
その場にいた人、全ての目がそこに注がれました。
その視線の先には‥‥‥アンジェリーク。
今の今までぴくりとも動かなかった身体が微かに身じろぎします。
「アンジェリーク‥‥‥?」
それは、かすかなかすかな息の音。まるで衝撃を受ければ止まってしまうのではないのだろうかと思うような呼吸です。
でも。
確かに息をしていました。
ほんの少し前まで、まったく動こうとしなかった瞼がうっすらと開かれました。
「アンジェリーク‥‥?」
ヴィクトール様はそっと呼び掛けました。大声で呼ぶとまるで壊れてしまうような気がしたからです。
「‥‥‥‥で」
「え?」
アンジェリークの唇が動きます。
でも、小さすぎて聞こえません。
「なんだ? アンジェリーク、何が言いたいんだ?」
アンジェリークは、唇を湿らせるともう一度呟きました。
「‥‥泣かないで」
「え?」
何をいってるのか判らず、ヴィクトール様はアンジェリークの顔を見詰めました。
そんなヴィクトール様の頬に少女の手が伸ばされました。
「泣かないで‥‥ヴィクトール様‥‥」
伸ばされた手を自分の手で取り、頬に押し付けます。
「何を言ってる? お前はアンジェリークなんだろう?」
そう。
ヴィクトール様は、アンジェリークが息を吹き返した途端、それが本当のアンジェリークかどうか心配になったのです。
それに言ってる事の意味も良くわかりません。
ヴィクトール様の呼び掛けに少女は頷きました。
「エンデリクはどうした? 人形に戻ったのか?」
「あの子は‥‥ここ‥‥」
少女の片方の手が胸を押さえました。
「‥‥何よりもあなたを‥‥一番大事に‥‥してくれる人がいるなら‥‥その人と一緒に生きていってって‥‥私は、あなたの心の中の‥‥一番奥でそれをみてるからって‥‥‥一番暖かいところに‥‥いさせてって‥‥」
そう言うともう一度胸を強く押さえました。
「合わさる瞬間、そう言って私に身体を譲ったんです‥‥」
更にアンジェリークの言葉は続きます。
「ずっと‥‥ずっと誰かが泣いていたんです。最初、それはアルフォンシアだと思った。私がアルフォンシアより大事に思う人を見つけてしまったから。
でも、違ったんです。
次は、エンデリクだと思った。エンデリクの心が‥‥淋しい事にも気付いていない心が泣いていると思った。
‥‥‥でも、エンデリクが泣き止んだ後も、泣き声は聞こえるんです。
とても悲しい声がするんです‥‥」
そう言うと、少女はヴィクトール様の瞳を見詰めました。
アンジェリークの蒼碧色の瞳に琥珀の瞳が潤んで写ってます。
「あなただったんですね、 ヴィクトール様」
そっとヴィクトール様に添えられた手が頬を撫でるように動きます。
「泣かないで‥‥‥ヴィクトール様‥‥‥泣かないで」
その手を握りしめ、その胸に顔を埋め、ヴィクトール様はアンジェリークを抱き締めました。
たった一言。
「‥‥許さないぞ、絶対。
お前は、俺を殺すところだったんだ‥‥‥」
くぐもる声で発せられたその言葉は、背中に回された手で宥められてました。
その二つの影は、いつまでも離れる事はありませんでした。
〜エピローグ〜
それから周りの出来事は、どんどん進んでいきました。
守護聖様方は、玉座の間の隣にある控えの間で倒れてました。そして、目覚めた時にはエンデリクに操られていた記憶はすっかり抜け落ちていました。
全ての成りゆきを見たアンジェリーク女王陛下は、その事実を知り、炎、夢、鋼の守護聖に口止めをし、全てをなかったことにしました。
(ある守護聖様は、これまたある守護聖様のあまりの口煩さにばらしそうになったりしましたが、別な守護聖様に寸前のところで止められると言う事もありましたが‥‥それはまた別のお話です)
全てはあの日以前に戻りました。
只、一つを除いて。
結局アンジェリークの女王のサクリアは戻りませんでした。
それにこんな事件を起こしてしまった以上、アンジェリークも聖地にいられるとは思ってはいませんでした。
でも、試験辞退を陛下に告げに行った時、
『あの事件は起こるべくして起こったもの。同じ状態になれば私もきっと取り込まれていたわ。‥‥それに全てを解決したのは、やはりあなたの力なのだから気にしなくていいの』
そう言ってにっこり微笑まれてしまいました。
『あなたが自分の人生をどう生きるか、どういう風に切り開いていくのか。そういう明日を見る力が女王のサクリアの源なのよ。
あなたが、納得して歩んでいく人生なら、私達は何も言わないわ。
‥‥‥幸せにおなりなさい、アンジェリーク。----私達が歩めなかった道の分も----』
アンジェリークが聖地を離れる前日。
聖地を見渡せる丘の上の大きな樹の下にアンジェリークは立っていました。
そこに下の方から少女目掛けて、人影が走ってきます。
「アンジェ〜!」
紅い髪をなびかせ、駆け寄るのはメルです。
「ほんとに帰っちゃうの?」
息をきらせながら、聞きます。メルは、その決定を聞いてから聞きたい事があったのです。
「ええ」
「帰ってどうするの? アルフォンシアは? どうするの?」
微笑みながらアンジェリークは答えます。
「メルさん、知らなかったんですか? あの子は、私がサクリアを失ったと同時に実体化したんです」
「ええええっっっっ!!」
大きな瞳が更に大きく見開かれます。
「‥‥‥じゃあ、もしかして‥‥‥?」
「一緒には連れていけませんけど、マルセル様たちが面倒見てくれますって。そうやって大きくなる気なんです、あの子は。‥‥私が育ててあげられなくなっちゃったから‥‥」
「‥‥アンジェリーク」
どうしたらいいのかわからないメルは、泣きそうになってしまいました。
「あぁ、泣かないで下さい。大丈夫! 私、後悔はしてませんから。
あの子が好きな道を選んで、私も自分の選んだ道を歩いていくだけなんですから。それに‥‥アルフォンシアがそれを私に教えてくれたんだから‥‥」
にっこり笑ったその笑顔は光り輝いていました。
気持ちのいい風が、丘を吹き抜けていきます。
「‥‥‥何かかわったね、アンジェリーク。‥‥‥なんか‥とっても強くなった気がする」
「そう‥‥なのかな? きっとそれは、エンデリクがいるお陰かもしれないですね」
見上げる空は、端の方まで真っ青でした。
「じゃあ、ヴィクトールさんとアンジェリークは結婚するんだ?」
とうとう一番聞きたい事を聞く事が出来ました。
あの出来事以来、それはメルの心にずっとひっかかっていた事でした。あんなにお互いがお互いを、死んでもいいくらいに守りたいと想っている。
そんな二人が離れて暮らす筈がないと思いました。
でも。
「‥‥いいえ」
返ってきた答えは、思ってもみなかった答えで。
「どうしてっ! だってアンジェリークはヴィクトールさんが好きなんでしょ?! ヴィクトールさんもアンジェリークの事が好きだよっ! 『宇宙よりも何よりも愛してる』んでしょ?!」
必死な眼で問いかけるメルをアンジェリークは、柔らかな瞳で見詰めました。
「愛してるから、今一緒に行かないんです」
「‥‥え?」
「ヴィクトール様の事は大好きです。誰よりも何よりも幸せになって欲しい。
‥‥でも、このままヴィクトール様と一緒に帰ったら‥‥一緒になったら、私、ずっとヴィクトール様頼ってしまう。
それだけは、嫌なんです」
きっぱりと言い切るその姿は、本当に強くて。
「今回の事は、全部私の心の弱さから起きた事なんです。それなのに、このままヴィクトール様と一緒になったら、何にも解決しないと思うんです。
だから、ヴィクトール様の隣に座る自分が‥‥自分の心が恥ずかしくならないように、もっといろんな事を学ぼうと思って。
だから家に帰って、学校を卒業して、自分に自信をつけたら‥‥」
「それで、いいの? ヴィクトールさんもアンジェも?」
「ヴィクトール様も納得してくれました」
澄み渡る空。吹き抜ける風。
聖地は、とても穏やかでした。
何時の日か、本当に二人が一緒になる日。
それは、今は何時になるかわかりません。
でも。
あの時の想いがあれば。
あの時の悲しみを忘れずにいれば。
きっときっと二人は幸せになれる筈です。
お互いがお互いの為に存在する幸せ。
それを知っている人は、この世の中で一番強いのですから。
そして、何時の日か。
二人が一緒に暮らすその時。
その家の暖炉の上には、きっとあの人形がいることでしょう。
優しい微笑みを浮かべ、全てを見守る
すべての始まりである人形が。