慌ただし気な空気の中。銀色の何かも判らない器材に囲まれ、その男は立っていた。
「教授。用意が出来ました。」
「エリア3まで確認。その後第7エリアまで確認続行」
「スタッフ及び器材確認終了」
今、この瞬間をどれだけ待った事だろう。
暖かな昼下がり。穏やかな日射しは、これから来る春の日々を予感させる。子供らは、はしゃぎ、遊び、それを親達は、嬉しそうに慈愛に満ちた眼差しで見守っている。
そんな素晴らしい休日だっていうのに・・・イタイ。
あいつってば、遠慮もなくひっぱたいてくれちゃって。
触る頬は熱く、間違いなく腫れ上がってるだろう。
『毎日毎日、忙しいって、なんにもしてないじゃない!』
お前にいちいち報告するようなことはないってだけだ。それなりに毎日は忙しい。
『いい加減、自分の人生、ハッキリ考えてよね!!』
・・・って、まだ俺高2だぜ? 進路もなにも決まってないってそんな変なことか?
『いっつも、そう。すぐだんまり。あたしといても楽しくないんでしょう?!』
・・・あそこで頷いたのは、まずかったかなぁ? でも、そうやって俺を支配しようとする奴は苦手なのは確かだから・・・
その答えは、この痛み。
最近、まわりが煩い。
確かに高2の冬休み。ある程度、進路は決まってないとおかしいかも知れない。でも、それって『絶対』じゃないはずだ。
俺だって楽なプーになりたいって訳じゃない。でも、なんか燃えられないんだ。
そんな俺に『自分の好きなことばっかりしてる訳にはいかないだろう?』とか『仕事や勉強っていうのは好きでもなくやらなくてはならないんです』とか言うやつら。
お言葉だが、好きでもないこと、燃えられないようなことに、決して長いとはいえない人生を注ぎ込む程俺は愚かじゃない。
でも、それを周囲に納得させられる程、賢くもないんだよなぁ・・・。
植え込みを背にしたベンチでそんなことをつらつら考えていると、後ろから衝撃が来た。
いや、正確には、『後頭部』にだ。あまりの衝撃に、火花が見えたと言っても過言じゃない。
「くくく・・・」
頬といい、これといい、今日は厄日か?
「ごめんなさいっ! 大丈夫?」
頭を抱え、うずくまる俺に女の声がかかる。
「大丈夫な訳ないだろ!! なんなんだよ、もう」
やっとこさと言う感じで顔をあげると、目の前の人物は申し訳なさそうに頭を下げた。
年の頃は、俺と同じくらい。かなり茶がかった長い髪、青みがかったような大きな瞳のまず美人といってもいいくらいの女だ。
「ほんと、ごめんなさい。ちょっと追われてたもので」
と、いってる矢先に、後ろから
『どっちへ行った?』『まだ遠くへは行ってない筈』などの声が聞こえてきた。
「わ、もう来た」
かなり慌てた様子できびすを返す。
「ほんと、ごめんなさいね。じゃ・・・」
その手首を掴む。
「え?」
「いっとくが、ナンパじゃないぜ。・・・匿ってやるよ」
なんでそんな気がしたのか判らない。
でも、(かかわりたくない)と背を向けるには、彼女は華奢すぎたし、なぜかこの場で別れるには惜しいくらい彼女からは、懐かしい香りがしたような気がしたのだ。
彼女を、今まで座っていたベンチの下に押し込む。その真上に座り、コートをまるでカーテンになるように広げる。たまたま裾の長いコートで助かった。
後ろは植え込みだから、覗かれる心配はない。
そんなこんなして、なんとか格好が付いた頃、それらしき者達が来た。片っ端から、人に聞いてゆく。
もちろんボーッと座っているだけの片ほほを赤くした変な少年にも声をかけた。
「ここいら辺で、女の子を見なかったか?」
「女の子ならそこら辺に一杯いるじゃん」
「ではなく、そうだな・・・ジーンズにチェックのシャツ、紅いジャンパーを着た髪の長いちょっと外人みたいな彫の深い女子高生だ」
「・・・おっさん、女の尻、おっかけんならならもっと目立たないようにやれよ。結構いい年なんだろう?」
半目で決めつけられ、男は憤慨して去っていった。
それでも安心できず、その後10分程たった。
「もう大丈夫かな?」
立ち上がり、ベンチの下を覗いてみて驚いた。少女は地面に突っ伏し、かなり苦しそうな様子になっていた。
「ごめん! ちょっと狭かったか」
慌てて引きずり出し、腰掛けさせる。ハンカチを濡らしてきて、汚れた顔を拭ってやった。
「ほんと、ごめん」
「いいの・・・助けてくれたし、さっき蹴っ飛ばしちゃったからおあいこよ」
そう微笑む少女の顔はやっぱり何処か懐かしさを感じる。
「・・・ここまで関わっておいて、自己紹介まだだったな。俺は・・・」
「マサキちゃんでしょ?」
「え?」
懐かしい呼び方に、あっけにとられる。こんな呼び方をするヤツは・・・。
にっこり笑って、少女は続ける。
「私よ、ユリア。」
やっぱり。懐かしい香りがした訳だ。
「誰かに似てるなぁ、って思ったんだけど、まさかあのマサキちゃんだったとはねぇ。こんな大きくなっちゃって、私よりチビだったくせに生意気」
「”マサキちゃん”って呼ぶな! 俺の名前は、正木流矢(まさき・りゅうや)だ。
どこのバカだって名字に”ちゃん”付けなんかしねぇぞ!」
「じゃあ、流矢ちゃん」
「それもやめろ!!」
ユリア・・・高村有理亜(たかむら・ゆりあ)は昔隣に住んでいた。
母親同士が仲良くて、俺等は双児のように育てられた。学者の親父さんとアメリカ人のお袋さん。
ハーフらしい可愛らしい容姿とは逆に、活発で、女の子と遊んでいるより俺等なんかと野球をするのを好むような男女。
小四のときに、親父さんの仕事の関係でアメリカに引っ越して行ってしまった。
「ほんと偶然よね。マ・・と、流矢に会えるなんて」
「おめー、全然変わってないな」
とりあえずあの場で騒ぎまくった結果、周りの視線が痛く、二人は近くのオープンカフェに場を移した。
「え〜、変わったよぉ。こ〜んなにスタイル良くって気立てが良くって美人な高嶺の花に育ったじゃない」
「・・・そういうとこが、ぜっんぜん変わってねぇ」
「そーお?」
ケラケラ笑いながらお茶を飲む姿は確かに大人びているけれど,本質的に全然変わってないのを見るのは、何かほっとしたような変な気分だった。
「おじさんやおばさんは? 一緒に来てるのか?」
「う・・・ううん」
氷をひとつ、口に放り込みガリリッと噛み砕く。
「まだ向こう。ちょっと、私だけ遊びに来ただけ」
「ふ〜ん・・・」
急に沈黙が二人を包んだ。
「そうだ! 流矢、今日、暇?」
「何だよ急に」
「デートしようよ」
「はぁ?」
まるでとってもいいことでも思い付いたかのように、両手を打ち鳴らす。
「ほら、流矢ってば昔、”ユリアをお嫁さんに貰うんだぁ!”って言ってたじゃない。デートくらいしようよ。折角7年振りに会ったんだし」
「・・っ莫迦、あれはおめーは『マサキちゃんのお嫁さんになるのぉ』って駄々コネたんじゃねーか」
「どっちでもいーじゃん♪ ・・・それともこれからデート?」
「----わかってていってんだろ? やっぱ、変わってねぇ、いい性格」
ユリアは、この7年の距離をまったく感じさせなかった。すぐに幼馴染みのあの慣れ親しんだ過去に戻ったみたいだった。
『ひさしぶりだから』といって彼女が選んだのは、横浜。うちの親や向こうの親などと動物園とかよく行ったものだ。
小学生の時は、駅まで来るのも大冒険だったのを思い出す。
横浜駅ビルや地下街のウィンドーショッピング。高島屋、東急ハンズ、横浜そごう。ちょっと足を伸ばして、桜木町、ランドマークタワーにクィーンズ・スクェア、伊勢佐木町、中華街にマリンタワー。
殆ど、ユリアに引き摺られるように、連れまわされた。
「はーい、休憩」
やっとこさ休むことが許されたのは、山下公園。ほっとしてベンチに座り込む。
「いや〜、楽しいわ。こんなに横浜が変わっちゃうなんて思わなかった」
先ほど俺に買わせたぶたまんを齧りつつ、ユリアは御満悦状態だった。
「・・・これはデートと言わん、単なる奴隷だ・・・」
「え〜? なんかゆった?」
「いいえ、別に・・・」
と、視線をむけたユリアの顔が、あんまり白くてドキッとした。
「お前、具合悪いんじゃねーの?」
つい、聞いてしまう程異様な白さだ。
「え!? だ、大丈夫だよ。光の加減じゃない?」
「そうかぁ? ・・・そうだよな、具合の悪いヤツはそんなに喰わねーもんな」
「ひっどーい」
笑い合う、お互いに。こんな時間、久し振りだ。
「んで、どうする、これから? まだ横浜にいるか?」
「え〜と・・・」
しばし考え込むと、『麗(うらら)ちゃんにあいたいな』と洩らした。
「お袋に?」
「うん。第2のママ同然だもん」
「良く一緒に怒られたもんナ。で、ユリアのお袋さんが慰めてくれる。いつものパターンだったな」
「ママもね、『麗に会いたいわ』って、向こうに行ったばかりの時、よく泣いてたわ」
「二人ともほんと姉妹みたいに仲良かったからな」
と言う訳で、一旦、横浜駅に戻ることになった。中華街を石川町の駅に向かって歩いていた時、『見つけたぞ!! 』と言う声を聞いた。
「やば」
「え?」
振り向くと今朝方会った男達がこちらを目ざして走ってくるのが見える。幸い、と言ってはなんだが、今日は休日。中華街は人込みで溢れかえってるので、容易には近付けない。
「今朝聞くの忘れたが、知り合いか?」
「ちょっと訳あり。たいしたことないんだけどね」
「逃げた方がいいか?」
「もちろんっ!」
中華街は、一本道を変えるとその様子は違ってくる。狭い道にたくさんの店。慣れない者は、かなりまごつく。
小さい頃から中華街に来慣れてる俺だって、時々迷うくらいだ。その条件をいかして、追っ手を振り切る。もちろん、地の利だけではない。全力疾走も忘れなかった。
落ち着けたのは、電車に乗ってから。閉まったドアを背に乱れた息を整える。
「うひゃー、しつこいのなんのって・・・誰だよ、あれ?」
と、問い掛けた瞬間、本当に慌てた。ユリアは真っ青な顔でへたりこんでいたからだ。
「おい、ユリア!」
「大・・・丈・・夫、ちょ・・息・・くる・・だけ・・」
「降りるか?」
「よ・・・浜駅・・まで・・・いっちゃお・・・」
とりあえず、三つめなので我慢すると言っている。
横浜についた瞬間、ぶち破るようにドアを出ると、とにかくベンチに座らせた。ハンカチを水で濡らし、ジュースを買って飲ませた。
「どーしたんだよ」
ようよう話せるようになったのを見て、訪ねる。どうみても『ただの乗り物酔い』には見えない。
「ん・・・」
「『なんでもない』ってのは聞かないぜ」
「え・・・っと、・・・向こう行ってから喘息みたくなっちゃって、それで走ると発作が出たりするのよ」
なんか、やけに慌てて理由を言う。まるで『それは嘘です』っていってるように。
「---お願い。追求しないで」