幸い俺の執務室は一階で、うさぎの身体は身が軽いし、窓の外も草が深くて、俺は傷一つなく地面につく事が出来た。
そんな捨て身の努力も認められて、二人の会話は格段にクリアに聞こえるようになった。
「どうして逃がしてあげないんですか? 可哀想じゃないですかっ!」
「あのな、ボウヤ。人は、他の命を食べなきゃ生きていけないものなんだぜ。可愛い、可愛くないで差別する方が酷くないか?」
どうやら、オスカーがジュリアスと一緒に狩りにいって何か捕まえてきたらしい。それをマルセルが非難してるってとこだな。
俺としては、オスカーの意見に賛成だ。相手が子供だろーが、大人だろーが殺して喰う事にはかわりがねー。それを『うさぎさんは可愛いから可哀想』とか『まだ子牛だから可哀想』とかいってんのって偽善以外の何者でもねーと思う。
そんな事を思ってると、突然ざわめきが大きくなった。
「そんなっ! でも‥でも‥やっぱり、可哀想だよっっっっ!!」
「おわっ! マルセル、なにをするっ!」
馬のいななき、暴れる様子。
どうやらマルセルは、オスカーの乗る馬に飛びついたらしい。それに驚いた馬が暴れだしたんだ。
けっこーやるな、あいつも。
ひとり笑ってると、更に大きな声が上がった。
「ああっ!」
「逃げて、早くっ!」
‥‥‥どうやらマルセルの奇襲攻撃がきいたらしい。オスカーの獲物は無事逃げられたようだ。
のほほんと蹲って様子を伺っていた俺のすぐ側で、突然ガサガサっと言う音がした。
きっと、オスカーの獲物だろ? なんだ、狐か、子鹿か?
ひょいっと振り向いた鼻先に見えたのは、まんまるい目をした一匹の‥‥‥野うさぎだった。
やつは、吃驚したように俺を見るとひょこんと跳んで、90度回転したかと思うとそのまま文字どおり『脱兎』の勢いで逃げ出した。
向うからは、犬の鳴き声。
‥‥‥嫌な予感がする‥‥‥
犬は、野うさぎが逃げてった方向には行かずに、まっすぐこちらを目指しているような気がする。
益々、嫌な予感だ‥‥‥。
ワンワンワンワンッッ!!
だーーーーーっ!! やっぱりぃぃぃ!
元はどうであれ、うさぎの体臭っていうのは変りがないらしい。優秀な猟犬であるオスカーの犬共はまっすぐ俺めがけて走りはじめていた。
冗談じゃねーっ! うさぎに変えられた挙げ句、犬に狩られて、最後はジュリアスやオスカーの腹の足しってかよ。
そんな人生、悲しすぎるぜーーーー!
俺は、目一杯の速さで逃げはじめた。
こんなところで人生終わらせてたまるかっ! まだ心残りが一杯あり過ぎて成仏できねーじゃねーか!
慣れない手足を操り、一歩でもあいつらから離れようとするが、いかんせん、なったばかりの身体だ。思うように動かねー。
ああ、もう頼む! 神様、仏様、女王陛下!
この際、悪魔だってかまいやしねー。誰か‥誰か、このハイエナどもから俺を助けてくれっっ!
必死に草むらを走り抜ける俺の後ろからは、これまた正確に追い掛けてくる犬の鳴き声。
まだ、これが草むらだからいい。平野だったら確実に‥‥あ。
急に視界が開けた。
俺は草むらを通り抜け、道に出ちまったんだ。
やべー、これで捕まる確率が増えちまった。だけど、今更引き返すわけにもいかねー。
でも、でも‥‥ひとりくらい『助けてやろう』って思うやつはいねーのか!!
その時、前方に何やら淡い桃色のものが見えた。何故かそれはとても柔らかそうで‥‥とっても優しそうに見えた。
あれでいい、あれでっ!
取りあえず、あれに潜り込もう。それで見つかったら見つかっただ。
そのまま走り込み、俺はぽーんっとそれに飛び込んだ。それは、思った通り俺をしっかり抱きとめてくれた。
ふっと目をあげるとエメラルドグリーンの瞳と目があう。
それだけでそいつは何も言わず、俺を持っていた籐籠へと入れると上からふわっと布をかけた。
数秒遅れて、犬共が目の前に来る。が、籐籠の持ち主を見ると、吠え声は尻窄みに消えた。
それから少しして、今度はオスカーの声がした。
「これは、補佐官殿‥‥」
「オスカー様、これはどうしたんです?」
「いや‥‥捕まえたうさぎが逃げ出しまして、それを捕まえようと犬達が走り出したんです」
「はぁはぁはぁ・・・アンジェリーク‥‥うさぎさん見なかった?」
すっかり息の上がってるマルセルの声。
二人の守護聖を前に、アンジェリークはまったく動じなかった。嘘をついてるのにだぜ?
「いいえ、見ませんでした。本当にこっちに来たんですか? 可愛いうさぎなら私も見たかったです」
‥‥きっとここであの名高い『天使の笑み』を見せてるんだろう。
男どもはそれに騙され、あっさり引き下がった。
オスカー達が犬を引き連れて、行ってしまうとアンジェリークは俺を籠にいれたまま、歩き始めた。
”おい、何処行こうってんだ?”
聞こえないのは分かっているが、聞くのは自由だろ?
そのまま歩き続けると何処かの建物に入ったらしい。それでもその歩みは止まらない。
やっと、止まったかと思ったらアンジェリークは、俺を籠から抱き上げた。
見渡すとそこは‥‥‥俺の執務室っ?
なんで、どうしてだ?!
パニくる俺をよそ目にアンジェは、俺を執務机の椅子に乗せた。
そして。
「ゼフェル様」
と、呼び掛けた。
え? 今、なんて?
きょとんとした俺に再度優しく響く声。
「‥‥ゼフェル様?」
‥‥‥光だ。眩しくて見つめる事も出来ない光。
それは、俺を包み込み・・・・弾けた。
・
・
・
・
・
気がつくと俺は元の姿で椅子に座っていた。
今までのが夢じゃない証拠に、目の前には微笑むアンジェリークがいた。
「あ‥‥」
「喉乾いたんじゃありません? 今、水持ってきますね」
アンジェは、そう言うと執務室についてる簡易キッチンの方へと消えた。
それを慌てて追う。どうしても今聞いておきたかった。
「アンジェ」
「はい?」
アンジェは冷蔵庫からミネラルウォーターの瓶を取り出しながら振り向いた。
「‥‥おめー、なんで俺が分かった?」
例え実の親だって、まさか自分の息子がうさぎになったら見分けがつくまい。なのに、こいつはあっさりと見破りやがった。
「ああ、そんなことですか?」
ぱたん、と扉を閉めるとこちらに向き直る。
「私がゼフェル様を見間違えるはずがないじゃないですか」
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥んだぁ?
あまりに簡単な答えに耳を疑う。それだけか?
そんな俺に、こいつは更にとどめを刺す。
「ゼフェル様が犬だろうが、ネコだろうが、例え他の人の姿になったって私にはわかります」
だから、聖地を抜け出して遊びに行こうなんて考えても無駄ですよ?
そう悪戯っぽく続けると、俺の脇をするりと抜け、執務室へと歩いていった。
俺はそれをポカーンとただ見送っていた。
『お前に気品・教養・徳があれば簡単に元に戻れるぜ』
カエルの言葉が耳に蘇る。
でも、俺にそんなものがねーことは、既に証明済みだ。
ただ、もしあるとすれば、それは全てをひっくるめても尚余りある”アンジェリーク”という存在。
それだけが俺の拠り所だったってー事か。
わかったよ、認めるよ。
おめーは、すげーよ、アンジェリーク。
もう、離したくないくらい‥‥な。
追い掛けていって、それをそのまま言おう。その後の事はどうなるか、わからねーが。
一歩、部屋に踏み出す。
俺の王女の元に。
アンジェリーク。
が。
後ろからあいつを抱き締めようとした時、いきなり扉が物凄い勢いで開いた。
「ああああ、ゼフェル〜、大変です〜! あなたのうさぎがぁ〜!!」
「ねぇ、ゼフェル! オスカー様に言ってやってよっ! 絶対うさぎさんなんか狩っちゃダメだって!!」
「おい、ゼフェル。お前のうさぎってっ?!」
‥‥‥‥けたたましい事このうえないぜ。折角の場面だっていうのによー。
きしょー、やっぱり今日は、厄日だぁぁぁぁ!!!
あとがき、かな?
如何だったでしょうか? 初めてのゼフェル様主役の話は。
またもや結構尻切れとんぼ(^^;)
りゅながゼフェル様が一番好きなのは前にも言いましたが、その理由は、『アンジェリーク』の中で自分に一番近いやつだからかも知れません。
もちろん、金アンも栗アンもヴィク様もオスカー様も大好きですよ? でも、それを排してもなお余りある愛情を注いでしまうところがあるって言うのが、ゼフェル様の魅力♪なのですかね?
久しぶりのコメディ(だよね?)は、書くのも楽しかったです。
よし、今度はこの調子でヴィクアンで甘甘をめざすぞー!(って無理?(^^;))