獣甲戦士ヴィクター・レオ

<<第一話『獅子の目覚め』>>








海が聞こえる‥‥小さい頃から良く聞いた海鳴りが。

‥‥いや、これは風の音‥‥?

いつまでもいつまでも、それは消えない‥‥‥。

冷たい風が‥‥。







必要部分しか灯りが点っていない無機質で、しかし何処か胎内に似たような雰囲気がある部屋。そこかしこに一見して精密機器と分かるものがひしめき合っている。

そしてその中央には、それ自体薄蒼く発光しているポットがあった。



シュイー‥‥‥ン‥。



静かな音を立てて、その部屋に一瞬光が差し込む。それと同時に一つの人影が入ってきた。それを認めて、機器の周りにいた人々が慌てて直立し、敬礼を送る。

「‥‥状態は」

その人物はそれらに軽く頷くと、ポットの一番間近の人物に声をかける。

「あまり良くはありません。身体の約55%に重大な損傷を負っています。‥‥実際、維持装置に入っていても心臓が動いているのが不思議なくらいで」

白衣に乗った頭が振られる。

「‥‥持たないのなら、それも運命か‥‥」

「は?」

ボソリと呟かれた言葉に研究者が聞き直しを求めるが、上官らしきその人物はそれに答えない。ただ、そのポットに近寄る。その視線は、中に注がれる。

「生きているのが不思議‥‥か」







「俺、今度結婚するんだ」

幼馴染みが笑って言う。その結婚相手も自分の幼馴染み。

幸せだった。

「ローズは、俺が幸せにするんだ」

「俺は、お前が義弟になってくれると嬉しい」

相手の言葉。

とても幸せだった。

けれど。

その笑顔が、あっという間に鮮紅に染まる。

『ランドルフッ‥‥!』

声にならない言葉が、辺りを震わせる。







ポットの中央には、人が浮かんでいた。‥‥いや、ヒトであった『モノ』と言うべきか。

それは、常人では正視にすら耐えられない姿をしていた。かろうじて、肩より上が原形をほぼ留めている為、20代の青年であることが分かる位だ。それでもその顔には、細かい傷があり、中でも額から左頬にかけてざっくりと刻まれた傷が殊更痛々しい。その眉は苦しげに潜められており、それだけが、それは『モノ』ではないことを示している。

その時、それの唇が小さく動いた。漏れる僅かな泡が、蒼い液体を歪ませる。

「‥意識を取り戻させることは?」

それを見ていた男が、傍らの研究員に聞く。

その発言に、一瞬どよめきのようなものが部屋を満たす。

「‥‥意識を‥ですか?」

尋ねられた研究員が、信じられないかのように答えを返す。

「このまま死にたいかどうか、本人に聞きたいんだ」







一陣の強い風が吹き抜けた。

冷たく強い風が。

次の瞬間。



声もたてずに、部隊全てが崩れ落ちた。

吹き出す血潮をまき散らして。

自分も免れず、地に倒れ臥した。

只、その眼だけが生きていた。

そして、そこに映ったものは。







ガボッッッッッ!





一際大きな泡が水面を揺らす。

水中の男の顔が苦悶に歪む。

「これ以上、薬剤を投与出来ませんっ! 死んでしまいます」

悲鳴のような声が辺りから上がる。しかし。

「構わん」

それに答えたのは、氷よりも冷たい声。

「こいつが死ぬのなら、それも幸せだろう。‥‥だがこのまま永遠に夢を見させておくことだけは、出来ない」

声よりも冷たい蒼氷色の瞳が煌めく。

「選ばなければならない、俺も‥お前も」

傍らの研究員に更なる投与を命じる。

「しかし‥‥っ」

「お前はさっき、『生きているのが不思議』と言った。と言う事は、このままにしておいてもこの者が生き延びるとは思っていなかったのだろう? ならば構わないじゃないか」

上官は、ひたりと液体の中に視線を止めた。

「‥‥起きろ」







男が嘲っている。まるで春の霞のような淡い水色の美しい髪をした男が。

水色の麗人。

微笑みを鮮やかにその場に立つ姿は一枚の絵のようだったが‥‥その顔には血飛沫が点々と散っていた。



ぺろり。



桃色の舌が動き、それが舐め取られる。

にっ。

片側の唇の端が僅かに上がる。



---血に染まってその男は、嗤う。



風に聞こえてくるのは、嘲笑ばかり。



「‥‥弱いですね、あらゆる事が。ああ、あなた方の力は、余さず吸収して差し上げますよ。

全ては、我が主様の為にっっっ!!」



高らかな嗤いは、辺りを征服した‥‥‥。







何度も何度も繰り返される映像。

まるで永遠の劫火に灼かれるようなその苦しみ。堪え難い憎しみ。

それらが、体中を駆け巡り、全身の血を沸騰させるような痛みが沸き起こる。

”‥‥ゆるさない。俺は、絶対あいつらをゆるさない‥‥っ!”

その時。

何処からか声がした。

『お前は、死ぬのか?』

目の前が真っ赤になる。俺は死ぬのか?

‥‥否。

”俺は‥‥‥死なない”

これもまた何処から聞こえるか判らない、だが、確かに自分の声。

更に、声が続く。

『‥‥人でなくなっても、か?』

その答えは、既に心にある。

”構わないッ!!”

この屈辱が晴らせるならば。

『なら、お前に力をやろう』

‥‥それは、悪魔の囁きだったのか?





「‥‥全ては今、選び取られた」

炎より紅い髪が、蒼い光に反射する。

「今からこのフロアは”B-プロジェクト”に移行し、私の指揮下に入る。プロジェクト参加員のみ立ち入り許可となる為、関係ない者は直ちに自分の所轄に申請を出し、移動するように‥‥以上だ」











小雨降りしきる中、その部隊は移動していた。

視界は暗く、風も冷たい。だが、彼等の顔に暗さは微塵もなかった。

やっと帰れる。

その喜びだけが、彼等を満たしていた。



中でも、若い者達程その喜びは大きいようだった。何故ならばこの中には、これが初めての実務であるものもいたからだ。そして、それに某かのものを賭けているものもいた。

彼等も、その一組だった。



「何、にやにやしているんだ?」

赤褐色の髪の青年が傍らの茶色の髪の青年に話し掛ける。

「そう言うお前こそ」

「とりあえず、これが終われば一時は家に帰れるからな」

「なんだよ? お前、その年になって母親が恋しいか?」

「あのなぁ‥‥」

「冗談だよ、冗談」

呆れた感じの友人に対して、笑顔でなだめる。

「‥にしても、お前本当に機嫌いいな」

「そりゃ、な」

「ん? ‥おい。俺に隠し事か? 子供の時からずっと一緒のこの俺に?」

何やら顔の締まりのない友人にその理由に心当たりのあるらしい男が周りにばれないようにそっと絡む。

「いや‥大した事じゃないよ」

「それはそんな顔じゃないぜ?」

「だから‥大した事ないって‥‥」

「ふ〜ん‥‥ローズか‥‥‥」

途端に”バッ”とまるで音を立てたように青年の顔が色付く。

「なっ‥なんでっ‥‥!!」

「‥‥‥お前、判り易過ぎ」

あまりにも顕著なそのかわり様に少々呆れながらツッコミをいれる。

「わ‥悪かったなっ」

「で?」

「え?」

「だからさ、我らが麗しの幼馴染みの君・ローズに君は何をしようとしてるんだ?」

「え‥えーと」

何処かあらぬ方向を見ながら、話を何とか逸らそうとする茶色の髪の青年に赤褐色の青年が周りを伺いながらそっと肘で突いた。

「言っちゃえよ」

「えと‥その‥プッ‥プッ‥ロポーズを‥‥」

真っ赤になりながら、けれどその視線はとても友達を見ることが出来ない。

しかし。

思ったような笑いは来なかった。怪訝に思った青年は、友人を見た。

その顔には、暖かな笑顔があった。

「‥‥そうか、やっと決心したのか。ローズはずっと待ってたよ、きっと」

「ヴィクター‥‥」

「俺達二人とも軍人になっちまったから、ローズは留守番だったもんな。ずっと子供の頃から一緒だったのに。でも、これできっと寂しくなくなる」

「‥‥お前は?」

そのあまりにも暖かい口調に何故か寂しさを感じた青年が、ふと尋ねる。

「俺は‥‥」

その瞳は、蒼い空を見ている。

「‥‥実は、ローズの他にもう一つ俺には望みがあるんだ」

答えようとしない友人に、茶色の髪の青年がぽつりと呟いた。

「‥‥俺は‥‥ヴィクター、お前に”兄さん”と呼んで貰いたい」

「!」

その意味を、瞬時に察知したヴィクターの頬が急に赤く染まる。

そして、風が吹いた。







その瞬間。

ヴィクターは急激に覚醒する自分を感じていた。

『駄目だっ! これ以上は見てはいけないっっ!』

そんな思いが胸を突く。

見開かれた眼には、白く無機質な天井が映る。見慣れなくても見慣れている‥‥それは、病院か若しくは研究所といったそう言う場所に相応しい色だった。

「ここは‥‥」

身体を動かそうとしても、まるで自分の身体ではないかのように自由には動かない。代わりに身体のあちこちに張り付けられていたらしい計器類が一斉にピープ音を鳴らしている。

暫くすると、白衣を着た若い女性と看護士らしき女性が入ってきた。

「ようやく気がついたようね」

女性はテキパキと看護士を助手に血圧を計り、瞳孔を調べ、喉の奥を見、採血をしていった。多分女医なのだろう。その間、ヴィクターは殆ど身動き一つ出来なかった。

「うん。取りあえず、身体反射は異常なしだわ。‥‥名前は? 言える?」

「‥ヴィ‥‥ヴィク‥ター‥‥ラク‥ロア」

声も上手く出せない。

「ここが何処だか判る?」

「病院‥」

「なんでここにいるかは?」

そこまで聞くと女医の眼はふっと眇められた。

「ああ、これから先は、私の領分じゃないわね。取りあえず、明日からでもリハビリを開始します。覚悟しておいてね」

そう言うと、二人は部屋を出ていった。





なんでここにいるか?





最後の女医の言葉が気にかかる。

病院にいるなら怪我や病気をしている筈だ。確かに身体が動かないが、その前の記憶が定かではない。何かとても重苦しいものであったような気はするのだが。

懸命に思い出そうとするのだが、その努力は空回りするばかり。それどころか、思い出してはいけないような気さえする。

だが、その葛藤も短時間で終わった。

何故なら、また扉があき、誰かが入室して来たからだ。



しっかりとした体格。かといって筋肉ダルマと言った感じではなく、徹底的に使える筋肉のみ鍛え抜いた結果出来る肉体に男らしい端正な顔だち。その顔の中で目立つのが氷の反射光に近い薄蒼い瞳。

そして何よりもまっ先に眼に入るのは、その燃え立つような焔色の髪。

女性にとっては眼福ともいえる容姿の男だったが、しかしヴィクターには見覚えのない姿だった。しかし明らかに自分より上官である事は判る。

「‥どなた‥ですか?」

出ぬ声を絞り出す。

「誰‥と聞くか」

その声は。

「俺は、お前の意志を確かめる者だ。お前の生への執着を知る者だ。そして、心の望みを聞いた者だ」

その声は、聞いた事がある。

その一瞬、あらゆる事が脳裏に映し出されていく。



血煙を纏って倒れふした同僚達。



高らかな嘲笑。



燃えるような激痛とそれ以上に堪え難い憤怒。



何処までも蒼い視界。



そして聞こえてきた声。





「あ‥あれは‥‥」

「夢に思いたいのは判るが現実だ。証拠に身体の自由が殆ど聞かない筈だ」

冷静な声色は、激情をも簡単には解放してくれない。

「お前は生きる道を選んだ。しかし、その為に出来る亊は少なかった。再度、俺は尋ねた。”人でなくなっても構わないか?”と」

「私は‥頷いた‥」

そう、頷いた。どんな事があっても生き延びたいと。

「お前の身体の大部分か今後の使用には耐えられなくなった。しかし幸いな事に脳だけは殆ど無傷だった。‥‥率直に言おう。お前の身体は大幅な改造が施された。今まで医療用に普及された人工臓器等ではなく、軍で独自に開発された生体鋼(バイオメタル)及び機械鎧(オートメイル)が使用されている。動かないのは神経接続後の認識障害が主な原因だ。リハビリ等でそれは改善する‥‥質問は?」

「つまり‥私は人ではないと‥?」

「形式から言えば、機械の方が近いかもな。しかしお前には心があるだろう?」

「心も消してくれれば良かったのに‥‥」

そうしたら、もっと楽になれた。

しかし、その答えに男は軽く眼を見開いた。

「心のない、言い付け通りに動くモノか? それじゃロボットとどう違う。この計画にはどんな事をしても生き延びたいと言う心が必要不可欠なのだ。‥‥相手が相手だからな」

そこまで言うと男は、腕時計に軽く眼をやった。

「時間だ。明日からきっと地獄だ。今は休め」

「‥‥地獄は疾うに見て来ました」

「そうか。なら再見物になるさ」

そう言って男は、出ていこうとした。

「待って‥下さい」

その声に足が止まる。

「貴方の‥名は?」

「俺の名前? ‥そうだな。上官の名も知らなければ困るだろう。俺はフォスター。フォスター・フォン・シュタイン。階級は大佐だ」

「フォスター‥大佐」

薄い唇の端が僅かに上がる。

「ついでに教えてやろう。お前の名は、もうヴィクター・ラクロワではない。そいつは既に死んだ」

「死んだ‥‥?」

「ああ。お前の名前は今日からヴィクタ−‥‥ヴィクター・レオだ」





その言葉は、全ての終わりであり、また始まりでもあった。











『次回予告』

定められた運命にヴィクターの苦悩は続く。しかし、これまでの事はあくまで序章に過ぎなかった。

更なる苦しみが、彼を襲う。

次回、『悲しみの咆哮』 ‥‥‥主星の平和は、俺が守るっ! !






おまけ





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