秋雨前線


大澤 唱二   


 文化祭は嫌いだった。いや、文化祭そのものは嫌いではないのだけれど、クラスで何か一つ出し物をしなければならない、というのが、嫌だった。
 わたしはクラスで孤立していた。孤立といっても、喧嘩をしていたわけではないけれど、男の子は勿論、女の子とも、あまりしゃべらなかった。わたしの方から話しかけることは、ほとんどなかった。だから、文化祭に限らず、およそみんなで力を合わせて何かをするというという類のものは、苦手だった。中学の頃の、わずかなお友達も、はじめはお友達の方から話しかけてくれた人ばかりだった。
 近頃、天気図を見ると、日本列島の近くに秋雨前線がのびてくるようになっていて、おそらくそのせいなのであろう、空には雲がたれ込めていて、辺りは薄暗かった。
 もう四時も近い。しかし、つい先ほど、今日は四時半まで帰らないようにと言われたばかりで、帰るわけにも行かず、かといって、する事も特になく、普通、こういうときは、わたしは本を読むのだけれど、その本もお家に忘れてきてしまったので、さっきから、自分の席で、指を動かしてみたり、髪の毛をいじってみたり、しているのだった。
 私のクラスは、どうやら劇をやるらしく、教室の前の方では、舞台に上がる事になっているらしい人たちが、劇の練習をしていた。また、ここからは見えないけれど、廊下では劇で使う道具を作っているらしかった。
 だめね。早く直さなくちゃ、この性格。去年の今頃、高校へ向けて受験生してた時も、全然積極的じゃなかったし。こんな事で生きていけるのかしら。
 そう思う一方、仕様がないじゃない、生まれつきなのだから。それに、積極的なのは絶対によくて、消極的なのは絶対に悪いなんて決めつけるのはおかしいわよ。そんな気持ちも強かった。

四時半。やっと帰って良しという事になって、わたしはまとめてあった荷物を背負って学校を後にした。

 なぜ、なぜやりたくない人間まで巻き込むのだろう。文化祭なんて、やりたい人間だけでやっていればいいじゃない。好きな、気の合う人たちと一緒にやるならともかく、先生方が、勝手に編成したクラスで、さあ仲良くやりなさい、なんて、無理よ。喧嘩をしないことイコール仲がよいということなら何とかなるかもしれないけれど、人の馬が合う合わぬは、仕方のない事じゃない。
ゴーッ。
 電車がトンネルに入った。窓ガラスに、私の姿が映る。
 わたしって、周りの人に、どう見られているのだろう。中学の頃は、
「聡子って、おとなしくて、上品で綺麗で、いいなぁ、私惚れちゃう。」
などと、わずかなお友達の一人に言われて、
「そんなこと、無いよ。」
と顔を赤らめたこともあったけれど・・・。そう言えば最近、そう言ってくれたあの娘とも顔を合わせていないなあ・・・。
 家に帰り着いたときは、もう大分暗くなっていた。

 翌日。文化祭まであと二日。明日は、一日中文化祭の準備で、授業はないのだけれど、今日までは、六時限までしっかりとあった。さらにそのあと、文化祭の準備で二時間くらい残されるのだけれど、普段は五十分授業なのが、ここ一週間、四十分授業に短縮されているのが、救いといえば救いだった。
 やっとの事で六時限まで終わった。あと二時間憂鬱な時間が続く・・・。ただ今日は、本を持ってきた。自分の席で、それを読んでいればいい。
劇をやるクラス、模擬店をやるクラス・・・。どのクラスも、どのクラスの人も、学校中が、文化祭へ向けて盛り上がっていた。そんな中、わたしは一人、静かに読みふけっていた・・・。

 この日は、昨日より、三十分ほど早く帰してくれた。しかし、もう木曜日。今週は祝日もなかったし、疲れが出始めていたのだろう、わたしは帰ってすぐに、ベッドに倒れ込んだ。白い天井を見つめながら、ふと考えた。
わたしは、なぜ生きているのだろう。これからは、なぜ生きていくのだろう。
 この疑問が、頭に引っかかることは、よくあった。しかし、時が経つにつれて次第にどうでも良くなり、この疑問を問いかけても、引っかかることなく素通りするようになる。でも、実際に解決したわけではないので、気持ちが下向きになってくると、また、頭に引っかかり出す。
 生きる、というのは、罪だ、醜いことだ。
お金を稼ぐ、ということは、こんなことを言えば大人の人に叱られるかもしれないが、罪だ。例え本当に人の役に立つことをしたとしても、その裏側で、犠牲になる人が、必ずいるものだ。ノーベルのダイナマイトは、採掘のために発明されたけれど、一方で、人殺しの道具になってしまった。フォン・ブラウンのロケットも、宇宙の分野に大きく貢献したけれど、一方では、V二号ロケットが、たくさんの人の命を奪った。アインシュタインだって、原子爆弾を作るために研究をしていたわけじゃない。
 こういう、天才の方たちでさえ、こんなことになってしまったのだから、わたしたちのような凡人では、それは絶対に避けられないことなのだ。
食べる、ということもそうだ。この間、ある食べ物が、一年間だけ大ブームになったことがあったけれど、そのせいで、東南アジアの農家の方は、その食べ物の原料をたくさん作り始めたのに、次の年には全く売れなくなっていて、大変なことになってしまった。それなのに、特にわたしくらいの若い世代の人は、そんなことは気にもかけないで、中には、全く知らないで、また新しい食ブームに乗っている人がいる。
 そして今は、自分だってだまさなければ、生きて行けない。自分が正しいと思っていることも、間違っていると言わなければ、だめなときがある。体は支配されても、心は絶対に支配されたりしないぞ、と思っているのならば、いいのだけれど、わたしの世代の人たちの中には、自分の考えなんて持っていなくて、ただ、周りにあわせていればいいや、と思っている人さえいる。
 そういえば、最近若い世代で流行っている歌の歌詞の中に、『プライド捨てたら、明日は輝く』というのがある。確かにそうかもしれない。プライドは、時として邪魔になることもある。でも、自分の信念を貫こう、というときの、最後の砦にもなる。それをあっさり捨ててしまうなんて、なんと醜いことだろう。
 ああ、そうだ。公害だって、人が多すぎるから起きるんだ。人が少なくなれば公害が・・・、いや、それだけじゃない、食料を自給自足ができるようにもなる。
 人の役にも立たず、大罪を犯してまで生きている理由もないわたしなんか、さっさと死んでしまえばいいのよ。その方が、よっぽどみんなの役に立つわ。
 だんだんと、目が燃えるように熱くなるのを感じた。
 こんな考えがあったからこそ、わたしはあの本の作者の考えを、すんなりと受け入れることができたのだろう。
 しかし、わたしは何度死のうと思っただろう。そう強く思う度に、死に親しみを覚えて、死ぬというのが当たり前のことのように思えてきて、そして、死のうという気が失せてしまう。それは、単にわたしが死を恐れているからかもしれないし、他に何か理由があるのかもしれない。わたしにはわからない。とにかく、そうして、わたしは生きながらえている。今回も、これからも・・・。
 いつの間にか、寝入っていた。気がつくと、右の頬と布団が濡れていた・・・。

 一日がかりの文化祭準備の総仕上げ、そして二日間の文化祭。わたしにとっては静かに、そして何事もなく、過ぎた。第二土曜日、日曜日の分の二日間の代休は、疲れを癒すには丁度良かった。

 また、普通の学校生活が始まった。二日間のお休みのおかげか、あの疑問は、もう引っかからなくなっていた。今日一日も、普通に流れた。
 そういえば、あの本の中に、『恋のために生まれてきた、と信じたい。』とあったな。でもわたしには無理ね。恋そのものができないから・・・。わたしみたいな人間は、恋愛の時も待つことしかできない。今までのお友達だって、みんな相手の方から話しかけてきてくれた人ばかり。恋でも同じ。ストーブに例えれば、あのストーブさんに温めてもらいたいと思ってもわたしの気持ちに気づいてくれるまで、じっと待つことしかできないの。でも、わたしくらいの世代で、待っているのに気づいてくれるストーブさんなんて、いやしないわ。わたしは、待って、待って、待ち続けて、寒い寒い冬の中、一人雪の中に埋もれて消えてゆく・・・。
 駅をでると、雨が降っていた。
 家に帰り着くまで持つと思ったのに、降り出しちゃったか・・・。そういえば、昨日の天気予報の天気図では、もう秋雨前線が日本列島にかかっていたわね・・・。もうこれからは、冬に向かって、まっしぐらに進むだけなのね・・・。
 わたしは傘を持っていなかったので、濡れて帰るより他なかった。冷たい雨だった。
 冬に向かう、だけなのね・・・。 
 空を見上げると、水滴がぽつぽつと顔に当たった。水滴の一粒が、頬を伝って口に入った。その水滴は、わずかにしょっぱかった。

(『秋雨前線』 終)   




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