公園の秋


大澤 唱二
協力:美奈さん


 葉が、色づき始めた。秋である。
 公園の中を、ふらふらと歩いてみる。まだ数は少ないけれど、所々に、このあいだ降った雨で濡れた枯れ葉がぐしゃぐしゃになって惨めな姿をさらしている。公園には、まだ、誰もいない。平日の朝、風はまだ寒いのだけれど、太陽の光がわずかに暖かい。
 私、今日、本当なら学校へ行かなくてはいけない。でも、体がどうしても学校へ向かってくれなかった。足が、自然に、この私の家から少し離れた公園に向かってしまったのだ。いいえ、本当のことを言うと、少し、学校なんてさぼってやれ、という気持ちもあった。今までも、何度もあった。
 毎朝、六時半に眠い目をこすって布団をはねのけ、七時半頃までには家を出る。電車に乗って学校へ行く。まわりには、生気を失った、人間の抜け殻みたいな人、いや、物体がたくさん乗っていて、みなうつむき加減である。そんな姿を見て、醜く思うのだけれど、自分もそんな物体のうちの一つなのだと思うと、やりきれなくなる。たまには学校なんてすっぽかして、のんびりしてみたいと思うけれど、両親は共働きなので学校をさぼってもすぐにばれることはないが、しかし、学期が終わって通知表が返ってきたら、親にずる休みしたことがわかってしまう。お母さんにこっぴどく叱られるのが怖くて、毎朝学校へ仕方なく行く。まるで、小学生みたい。私はもう高校一年生だというのに。
 でも、今日は違った。もう、ばれたって、怒られたって、どうにでもなれ、という気持ち。制服を着て、スカートひらひらさせながら、
「いってきまーす」
 といつものように気のない声を中に放り込み、おうちを出た。内心、ドキドキ。そのままおうちの前の道を駅とは反対方向へ向かい、隣の団地の中にある小さな公園へ行った。ここでしばらく時間を潰して、八時くらいになれば両親は働きにでるので、用心して八時半頃に、家に帰るつもり。そうして、また、お布団を敷いてもう一眠りするのだ。
 学校生活が不満なわけではない。学校に行けばお友達はそれなりにいるし、おしゃべりもする。でも、何か虚しい。お友達との間で交わされる会話というのは、だいたい相場が決まっていて、テレビの話か、他の人の悪口である。テレビのこと、要するに芸能関係のことについては、私は全然詳しくないので、みんなが何を話しても、当たり障りなく笑ったり、うなずいたりしているだけ。陰口なんて、私はこの世で一番汚いものだと思っているので、話に加わることもできず、かといってみんなにあわせないと仲間はずれにされそうで、怖くて、ぎこちなく笑って済ます。結局は、これも悪口に加わっていることになるのだろう。自分で汚いと思っていることを、自分でやっているのだから、どうしようもない。私は、本当にどうしようもない、汚い女だと、つくづく自分が嫌になる。
 でも、こんなのはまだいい方で、一番問題なのは、学生の本分たるお勉強。なんのためにこんなお勉強をしているのやら、さっぱりわからないのだ。ゴールがわからないマラソン。頂上の見えない登山。
 もちろん、私自身の問題もある。将来について明確なヴィジョンを持っていないからだ、との批判は免れない。でも、たかだか高校一年生に、そんなものが描けるだろうか。将来のことを考えても、ただ、早く決めなくてはいけない、と気が焦るばかりで、泥をぐちゃぐちゃとかき混ぜているような感じがするだけで、何もはっきりしたものがつかめない。イライラして、お母さんにあたってしまったりする。お母さんはそんな私の気持ち、ご存知なのかご存知でないのか、適当にあしらっておくといった感じで、私はますますイライラして、自分のお部屋に戻って乱暴にお布団を敷き、ばさっと倒れ込み、また、時々手当たり次第ものにあたるのである。こんなに悩まなくてはいけないくらいなら、生まれたときから、おまえは将来こういう人間になるのだ、と決めつけられていた方が、まだ楽なような気がする。所詮高校一年の少女には、自分の将来などという、こんなに大きな問題を解決する力は備わっていないのだ。
 一方で、先生方も、今のお勉強がどこでどのように役立つのか、全く教えてくださらない。ただ、古文の一節や、数学の公式や、化学記号や、英語の構文を覚えるようにおっしゃるだけ。このお勉強をすると、あとでどんなふうにいいことがあるのか、さっぱりわからない。将棋の解説で、よく、この一手は、後でああで、こうで、こうなったときのことを考えて打った一手だ、と話してくれるけど、もしあの解説がなければ、私たち素人にはなんのための一手やらさっぱりわからない。ちょうど私たちは、解説なしにプロの将棋対局を見ているような、訳が分からない状況にいるのだ。
 だから、思う。お勉強よりは、今の私の悩みを解決する方法を教えてください。
 きっと、大抵の先生は、今のお勉強がいつかその悩みを解決してくれる、とおっしゃるのだけれど、それこそ、プロの将棋指しの一言。どうしてこのお勉強が悩みを解決してくれるのか、順を追って話してくれなくては、素人の私にはとんと分からぬ。
 ああ、いやだいやだ。せっかく学校を休んだのだ、今日くらい学校のことを考えるのはやめよう。そう思って、公園のベンチに腰掛ける。ベンチが朝霧で湿っていて、お尻のあたりがちょっと冷たい。ベンチの脇に、一匹の白地に茶色の縞の猫がのそのそとやってきて、ペチャンと座った。
 そうだ、このあいだ学校で借りてきた本、せっかく時間があるから、読んでいましょう。そう思って、鞄から本を取りだして、ページをめくる。本の世界に没頭しているときは、とっても幸せ。主人公と一緒に、ハラハラして、ワクワクして、悲しんで、喜んで……。さっきの、将来とかなんとか、嫌なことをすっぱり忘れられる。自分も、この登場人物のような立派な人間になりたいと思って、生きる方向性、といったものが見つかったような気がしてくる。しかし、本を閉じてしまうと、ふくらました風船から空気がしゅっと抜けるように気持ちがしぼんでしまって、私がこんなふうになれるはずがない、と落ち込んでしまう。ああ、私はこのまま、夢を失った大人になるのかしら。
 本をキリのいいところまで読んで、ふと顔を上げて向こうの時計を見ると、時計は八時二十五分を指していた。もうそろそろ、帰っても平気だ。もう一眠り、しよう。本を鞄にしまって、立ち上がる。ベンチの脇に座っていた猫は、いなくなっていた。私が本を読んでいる間に、どこかへ行ってしまったのだろう。スカートの後ろ側を払ってみると、やっぱり、ちょっと湿っている。いやだわ。

 目が覚めると、日の光が変わっていた。濃くなった、というのかしら、朝の光はもっと薄くて、ちょっと涼しい感じがするのだけれど、だいぶ暖かみのある昼の光になりつつあるのだ。まだ、もう少し布団にくるまっていたい。それほど寒いわけではないけれど、眠たいのだ。お昼寝にしろ、なんにしろ、起きたばかりの時は、眠いものだ。私、寝起きが悪いのかしら。
 お布団の中で、恋について、考えてみる。私には今、特に好きな人はいない。今まで、誰かを好きになったこともない。誰かを好きになりたい、誰かに好かれたい、大切にされたいとは思うのだけれど、お相手が見つからない。私が高望みなのかしら。いえ、でも、時々は、ある人に好感を持っても、私のことを好いてくれるはずがない、いや、私が近づいたら私のことを嫌って軽蔑するに違いない、磁石の同じ極どうしが反発しあうように、私が近くに行くとあの人はぴょんと遠くへ行ってしまうに違いない、と勝手に思い込んで、その人の前から逃げるように立ち去ってしまうことがある。要するに、私は、自分に自信が持てないのだ。それとも、これは本当の恋ではなかったのかしら。ああ、でも、こうしてお布団で一人で寝ているというのは、寂しい。誰か、私のそばで寝て下さる男性が……、いや、でも、それは、やはりちょっと怖い……。男の人のごつごつした手を見ると、頼もしいと思う反面、やはり怖い。あの手が、私を……。やだ、私ったら何考えているのかしら。
 目が覚めてしまって、もう眠れそうもないと思ったので、お布団を出た。寝る前に着替えたので、今はズボンにポロシャツ、といった格好である。外がとてもいいお天気なので、ベランダから外を眺めてみる。暖かい日差しが、芝生や葉が黄色くなりかけた木々を照らしていた。芸術の秋、スポーツの秋、食欲の秋。みな、よくわかる。確かにこの高い空を見ていると、素敵な景色を見ていると、何か、したくなる。
 お散歩に、行く気が起きた。秋の空に誘われたのである。戸締まりをしてから、家を出る。このあいだ読んだ本に、いつも通る道を、ここを初めて訪れた人の気分で歩いてみる、というシーンがあった。それ、私もやってみよう。私は田舎から出てきた娘。初めて、東京の、この街へやってきた。
 うわぁ、なんて背の高いビルなんだろう、と思って、団地の自分の住んでいる棟を見上げてみる。あの一番てっぺんに住んでいる人は、怖くないのかしら。でも、眺めはよさそうね。団地を出ると、道はヨーロッパ風にレンガが敷き詰められていた。こんなにレンガを敷き詰めるの、大変でしょうね。でも、素敵。階段から、駅の方を見下ろしてみる。駅前にはきれいな外装のお店が建ち並んでいて、街灯は今は点いていないけど、これもヨーロッパを感じさせる造りで、いい雰囲気。そして、その上に広がる空は真っ青。夢の街にいるみたい。なんて素敵なのかしら、とつぶやいて、階段を一段一段踏みしめるように降りていく。
 駅の前に着いたとき、気がついた。この街に初めてやってきたのなら、駅から始まらなくては変だわ。そういえば、本の中でもバスから降りたところが始めだった。家から駅に行くなんて、反対だ。おかしくって、一人でくすくす笑っちゃった。道を通っていた人は、さぞかし不思議に思ったでしょうね。恥ずかしい。
 お散歩でおなかをすかしてから、おうちに帰ってお昼を食べる。お母さんが作っておいてくれたお弁当。学校に行くふりをするために、朝、鞄に入れておいたので、取り出す。お弁当を見るとお母さんのことが思い出されて、後ろめたい気分になる。電子レンジで温めて、ばくばくとかっこんでしまった。お弁当箱は、また、鞄にしまっておいた。私、お弁当箱をお流しに出すのはいつも夜。しかもお母さんが「お弁当箱出しなさい」とおっしゃるまで出さないので、お母さんがお帰りになったときにお流しに置いてあったら、すぐに怪しまれてしまうと思ったのだ。
 午後は、またちょっとお昼寝をした後(食べた後すぐに寝るなんて、牛になっちゃうわ)、読書の続き。時々窓の外に目をやって、昼下がりの白い光から、夕方の赤い日差しに変わっていく様子を楽しむ。
 でも、夕方も四時を過ぎると、もう楽しむどころの話ではなくなってきた。そろそろお母さんが帰ってくる時間なのである。普通に学校に行っていても、私はもう帰宅している時間ではあるから、怪しまれることはないけれど、やはり不安だ。例の、小学生のような臆病な心がよみがえる。
 ふと、朝行った、あの公園はどうなっているだろう、と思った。様子が違っているかしら。よし、行ってみよう。ほとんど逃げるようにして家を出た。

 公園は、朝の様子とは全く変わっていた。小学生くらいの子が遊び回っていたり、お母さん方が買い物袋を腕から下げて立ち話をしていたり。
 朝腰掛けていたベンチの方へ行ってみた。先客が一人、いや、一匹、あった。朝はベンチの脇にいた、白地に茶色の縞の猫が、ベンチの上に座っているのである。朝は眠かったので早くおうちに帰ることで頭がいっぱいだったけれど、こうして見てみると、この猫、とてもかわいい。もう大人の、大きい猫だけど、目がまん丸で、きょとんとしたような顔をしている。ベンチの上に、ちょこんと座って、時々のんびり大あくび。ふふ、かわいい。近寄って、しゃがんで目線をベンチの上の猫の高さに合わせ、頭をなでてやりながら、小声で言った。
「朝は、おまえの席を取っちゃってたみたいね。ごめんなさい。」
 そうすると、猫は、むくっと立ち上がってベンチを降り、私の腿の上に座り込んだ。腿に、猫ちゃんの暖かさが伝わってくる。この猫ちゃんも生きてるんだ、と思うと、腿の上の猫ちゃんの、大げさな言い方だけど、生命エネルギーみたいなものが、ビビビッと伝わってくるような感じがして、元気が出た。もう、学校をさぼったことがお母さんにばれたって、どうだっていいわ、という、大胆な気持ちが戻ってきた。
「あれ、今日は先客がいるのか。」
 横から声がして、はっとして振り向くと……、その拍子に両腿のバランスが崩れたらしく、猫は慌てて地面に降り、一つ大きな伸びをしてから、のそのそと声の主の方へとすり寄っていった。その声の主を視認した私は、ビクッとした。私の高校の制服を着た男子が立っていたのである。さっきの大胆な気持ちはどこへやら。同じ高校だというだけで、学年もクラスも知らないのに、私が学校をさぼったこと、ばれたかしら、などと不安に思っている。私がどぎまぎしていると、彼もしゃがんで猫の頭をなでる。
「この猫は、この公園に住みついてるみたいでさ、俺、学校へ行くのにこの公園を通るんだけど、朝と夕方には必ずいるんだ。朝は時間ないからかまわずに行っちゃうけど、夕方は少しかまってやってるんだ。」
 そう言いながら猫の頭をなでる手は、すらっとしていて、とてもきれいな手。もしかしたら、私の手よりもきれいかもしれない。思わず、自然に手が出て、猫の頭の上にある手を握る。自分でも思いがけない動作だった。握った手は、外見以上にがっしりしていて、暖かかった。
「なに?」
 とその人は当惑気味に聞く。当たり前だ。私ははっとして、手を引っ込めて、
「あ、あの、手がとてもきれいだったから、つい……。」
 顔を上げて、初めてしっかりと、その人を真正面から見据えた。ちょっとニキビがあるけれど、顔もきれいに整っている。優しそうな人。ドキッとして、頬が紅潮していくのが、自分でわかる。気付かれないか、心配だ。
 その人は、少し微笑んで、言った。
「へぇ、面白い人だね。」
 その後、私たちは色々話した。同じ学校であること、今日は学校をさぼったことも、みんな話してしまった。彼は、私と同じ一年生なのだそうだ。
 猫は、また、いつの間にかいなくなっていた。
 三十分ほど話して、さよならをして、おうちに帰る。
 明日から、また、しっかり学校に行こう。学校へ行くのが、楽しみだ。実は、明日、彼と同じ電車に乗ろうと約束してきたのである。ちょっと頬が熱い。今朝とは違った、ドキドキ感。
 頂上が見えなくても誰かと一緒なら登山も楽しい。ゴールが見えなくても好きな人と一緒なら頑張れる。好きな人。そう、恋。

 おうちに帰ると、お母さんが、もう帰っていらっしゃる。ただいま、と言ってから、
「ちょっとお散歩してきたの。」
 と聞かれもしないのに答える。まだ、さぼったのがばれるのを心配してるのかしら。いえ、それもあるかもしれないけれど、むしろ、恋を見つけてきたこと、それがばれるのを心配しているんじゃないかしら。上手く言えないけれど、何となく、そう思う。
 結局その日は、学校をさぼったことも、恋を見つけてきたことも、ばれずにすんだ。お母さんに「お弁当箱を出しなさい」と言われてから、何食わぬ顔をしてお弁当箱を鞄から出してお台所に持って行った。でも、いつかきっとばれるんだろうな。おさぼりも、恋も。どっちが先にばれるかしら、などと意味のないことを考えながら、寝る準備をした。
 私は、寝付きが悪い。眠るときの感覚を、釣り針で頭を何度か引かれるうちに、最後はググッと大きく引かれて眠りに落ちる、と表現した人があるけれど、私の場合、その釣り針を引いている釣り人が全く真剣でなく、時々、からかうように私を引っ張り、すぐに力を緩め、また、しばらくは全然引っ張らないのである。困った釣り人である。今日は、ことさら眠れないに違いない。
 外からは、虫の鳴き声が聞こえてくる。虫に混じって、カエルも鳴いていたりする。窓は閉めているけれど、風が吹くと木の葉がすれる音、ちゃんと聞こえる。私の家の周りには、自然がいっぱいである。寝る前は、それぞれの季節の音を存分に楽しめるひととき。東京にも、こんな所があるのですよ。ここがどこだか、おわかりになるかしら。
 お布団にもぐる前に、誰にともなくつぶやいてみた。
 お休みなさい、また明日。
(『公園の秋』 終)
 

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