特攻


大澤 唱二   


 タタタッ。大勢の飛行機乗り達が、宿舎の廊下を走って行く。時は、一九四五年の春も終わりに近い頃、ここは太平洋上に浮かぶ、とある小さな島の飛行場。総員、中央広場に集合せよ、との命令が下ったのである。村井二飛曹は、一緒に走っている水木一飛曹にたずねた。
「一体何だっていうんだい?」
普通、上官にむかってこんな口を利いたら、百たたきの刑である(少々オーバーかもしれないが)。ただ、この二人は故郷を同じくする大親友である。
「なんでも、大事な作戦命令があるってはなしだぜ。」
水木一飛曹は答える。
 広場にすべての飛行機乗りが集合、整列した。司令官がおもむろに口を開く。
「我々は、数回にわたって敗戦を繰り返し、ついに、我が基地は、陥落寸前に追い込まれた。しかし、天皇陛下は我々に汚名返上の機会をくださった。一機で一艦を沈める。体当たり攻撃の敢行である。」 あたりは、沈黙につつまれた。司令官は続けた。
「これから、神風特攻隊隊員を発表する。呼ばれた者は返事をするように。」
水木一飛曹は、自分は両親、兄弟、恋人もいない。自分は隊員になってもかまわない。ただ、親友は、親友だけは呼ばないでくれ。彼には母と妹、それに恋人だっているんだ!と心の中で叫んだ。しかし、それは空しい願いであった。
「・・・・・村井二飛曹・・・・・以上。」
一瞬、水木は目の前が真っ暗になった。それから部屋に戻るまでの間の記憶は、全く無かった。
 夜、水木は村井に話かけた。彼らは部屋も同じである。
「おい、村井。」
「何だ?」
彼は手を休めて振り向いた。特攻隊員になったことを、肉親などに知らせるために、手紙を書いていたのだ。水木は言った。
「俺が敵さんに体当たりを食らわしてやる。おまえはそれを見てろ。」
「何だって?」
「特攻隊を俺と替われってことだよ。俺が死んだって悲しむ奴なんてほとんどいない。親父は外地で、お袋と兄弟も空襲で。だがお前は、お袋と妹や、他にもお前が生きて返ってくるのを待ってる人がいるんだろ!?」
村井は静かに、首を横に振った。
お国のために死んで、それで日本が勝つなら本望だ。それに、司令の命令は絶対だろ?」
「国が何だ。こんな戦況で日本が勝てる訳が無いだろう。よし、俺がその司令官に直談判してくる。」
水木はそう言って部屋を出て行った。しかし、これもかなわなかった。戦友が戦果を上げるのがそんなに悔しいか、と一蹴された。なおも食い下がろうとしたが、司令の身辺の兵に、司令室からつまみ出されてしまった。

 ここは内地。村井二飛層と、水木一飛層の故郷である。また、村井二の恋人(もちろん本人達は自称してないが)である河野恵の故郷でもあった。
 恵は村井の母から、村井の手紙の内容について聞かされていた。そして、一通り聞き終えた後言った。
「私、村井君のいる島に行って来ます。たしか今度出る輸送船団の船に、知り合いが船長をやっている船があるの。島まで乗せていってもらうわ。」
「やめときぃ。死にに行くようなもんだぁ。」
恵はそれには答えず、荷造りをはじめた。

特攻隊編成から一週間と三日。その間、敵は全く現れない。このまま出撃せずに戦争が終わるのではないかと、皆思い始めていた。しかし、そうはいかなかった。その日の夕方、偵察機から、
「我、敵艦隊ヲ発見ス。編成ハ、戦艦三、巡洋艦五、駆逐艦多数。空母含マズ。」との報告が入っていた。明日早朝、出撃ということになった。内地からの輸送船団は、今日着くはずだったのだが、天候のためやや遅れていた。
 水平線が白みかけていた。特攻隊とその護衛機の出撃準備はできている。そのときである。
「輸送船団、只今到着。」
との報告が入った。輸送船が着岸するや否や、一人の女性が飛び出し、特攻隊が次々と離陸を始めている飛行場へと走っていく。村井の二五〇s爆弾を積んだ飛行機は、既に離陸していたが、護衛の水木の零戦はまだだった。水木は恵を認めると大きく手を振った。恵もそれを見つけると、そちらへ一直線に走って行く。
「村井君の飛行機は?」
「もう行っちまった。乗りな。あいつの顔と死に様くらいは見せてやる。狭いが我慢してくれ。何しろこいつは、単座式なんだ。」
水木の機も急いで離陸する。恵は言った。
「村井君の顔、見なくていい。見ると、涙が溢れてきちゃいそうで・・・。それに、写真ちゃんとあるし・・・。」
恵の目は、少し涙ぐんでいた。

 遂に敵艦隊が見えた。隊長機から命令が下る。
「神風特別攻撃隊、全機、敵艦への体当たりを敢行せよ。」
次々と零戦が敵艦に突っ込んでゆく。その大半が対空砲の餌食となり、志半ばに墜落する。村井の機の右翼に被弾、煙が上がる。機は回転を始める。しかし、まだ墜ちない。敵艦隊に閃光が走る。村井の機が当たったのだ。水木の目にはせめて奴が死ぬまではと、溜めていた涙が、溢れだしていた。恵は顔を両手にうずめていた・・・。

  一九四五年 八月 六日 米軍、広島に原子爆弾投下。
       同年 八月 九日 米軍、長崎に原子爆弾投下。
       同年 八月十五日 大日本帝国、ポツダム宣言受諾。降伏。

あれから約五十年。水木と恵は結婚し、子供ができ、その子供も結婚して、孫が一人できていた。
「おじいちゃーん。」
孫が駆けてくる。「あのお話、お友達が聞きたいって。話してあげて。」
「よしよし。」
水木老人は頷き、村井二等飛行兵曹の話を、ゆっくりと語った。そして、話し終わった後、村井の写真をちらっと見ていたずらっぽく笑い、
「ばあさんは本当は村井と結婚するはずだったんだが、彼が死んだのでわしが横取りしてしまったのさ。」

孫達がまたどこかへ遊びに行ってしまうと、水木は新聞を広げた。そこには過労死事件の記事が載っていた。水木はため息ををついた。日本人はいつになったらこの特攻思想をやめることができるのだろうか、と。

   お国のために命を捧げる・・・
   この日本民族の魂は
   自己犠牲と自己への徹底した厳しさ
   という、驚くべき美学に支えられ
   ている・・・
   そしてその魂は現在も何ら変わっていない。
   しかし、その自己犠牲や自己へ
   の厳しさは、まだ本物の「自己犠
   牲」や「自己への厳しさ」に高めら
   れてはいないのだ。

(『特攻』 終)   




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