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大澤唱二



   一、朝
 ユウイチの一日は、まずまぶたを開けることから始まる。
 健康な人ならば、目覚めてから、眠いなぁ、もうひと眠り、などと思いながらも五分か十分もすれば布団なりベッドなりから起き上がり、一日が始まる。しかし、彼の場合には、ただまぶたを開けることさえ多大な労力を要するのだった。
 彼は今、大学三年である。三年の秋というと、講義にゼミに、一番内容が濃くなる時期であり、しかも、そろそろ就職活動を始める時期で、ストレスが重なっていた。しなければならないことを考えれば考えるほど何もしたくなくなり、体が動かなくなった。
 彼はようやくまぶたを開けたが、ベッドから起き出す気にはまったくなれなかった。それは五分や十分ではなく、今からおよそ四時間はベッドの中で過ごすことになる。しかもそれでいて二度寝をするわけではなく、四時間ずっと覚醒しているのである。
 彼は目が覚めると、まず枕元の置時計を見た。まだ五時だ。昨日はベッドに入ったのが、いつもよりやや早くて十二時ごろだったが、なかなか寝付けず、結局眠ったのは一時ごろだったろうか。だから、せめて七時まで眠っていて、六時間の睡眠は確保したかった。七時に起きれば、大学の授業には十分間に合うのである。
 しかし、もう一度眠ろうとしてすぐに眠れるものなら何の苦労もない。何も考えずにただダラーっとからだを横たえているだけでもだいぶ違うはずだが、彼はあれこれと考え事を始めてしまい、目がさえて眠れなくなるのだった。
 ああ、今日も一日が始まるのか。
 ユウイチはある国立大学の文系学部に所属していて、もちろん望んでこの大学のその学部に入ったわけだが、正直なところ、勉強には付いていけていないと感じていた。予習をやってもやっても追いつかない。実際は他の学生も同じようなものではあったのだが、予習が追いつかない状況がユウイチに次第に劣等感を植え付け、好きだった勉強も、好きでやるというよりは義務のように感じられて、興味を失いつつあった。授業によっては確かにレベルが高く、大学院生が聴講に来ることもあるほどで、まだ大学三年の彼に、教授陣はそれほど完璧な予習を求めてはいなかったのかもしれないが、完璧主義というか、負けず嫌いの彼の性格が完全に裏目に出て、そろそろ限界を迎えて燃え尽きようとしていた。頑張り屋で責任感が強く、などは、普通いわゆる長所という分類になるのだろうが、実際は必ずしもそれが良いというものではなく、人間、多少ちゃらんぽらんな方がいいこともあるようだ。
 それでもユウイチは、残された心の力を振り絞って考えるのだった。
 いや、そんな弱気じゃいけない。もっと気をしっかり持たなくちゃ。まずは七時に起きて、朝食をしっかり食べて、八時四十五分からの教員免許のための授業に出よう。先週の授業では五分くらい遅刻してしまったけれど、今日は、逆に五分早く教室に着いてやる。さらに続けて二講目、お昼を食べてから三講目にも出て、その後は明日の授業の予習だ。夕方の、そうだな、五時くらいまで。で、買い物をして早めに夕飯を食べて、今日は余裕を持って十一時くらいには寝よう。そのためには……。
 こうして一日の予定を微に入り細に渡って考えているうちに七時が刻々と近づいてくる。そして、この気合が空回りして、徐々にその完璧な予定が崩壊していくのだった。
 
 何事も崩壊というのはごく小さなところから始まる。彼の予定も、あれこれと考えを巡らせていたために結局一睡もできなかったという、実に些細なことから崩れ始めた。
 おそらく大概の人は、眠れなかったなら眠れなかったでいいじゃないか、とか、もう起きて大学に行く時間ならしかたない、とか考えるところだろう。けれど、ユウイチは先述の通り完璧主義の面があって、思い通りに行っていないととても心配になる。睡眠に関して言えば、十分眠れていないと一日持たないのではないか、といった不安で頭がいっぱいになり、体を起こすことができないのだ。この普段からの完璧主義に加えて、最近は思い通りに行かないと心配になるその度合いが増大しているようだった。さらに、実際彼はまだなんとなく頭がスッキリしていなかった。頭の中にモヤがかかって灰色になっている感じで、それがさらに不安を煽った。
 結局、彼はあと十分だけ布団の中にいようと決めたが、十分後にも同じことを、もう十分後にもやはり同じことを繰り返し、ついに、始業に間に合わないどころか、三十分は遅刻するであろう時間になっても布団から出られず、少なくとも一講目の授業は休むことに決めたのだった。
 ああ、なんてことだろう、とユウイチは嘆いた。今日こそしっかりとした一日を送る予定だったのに、これでまた一日の始まりでつまずいてしまった。なんで自分はこんなダメな奴なんだろう。僕みたいなダメな奴、これから先の人生、生きて行けないんじゃないだろうか……。
 ユウイチは、朝起きられなかったというだけで、自信をほとんど失っていた。そして、今までにも何度もあったことだが、死神に憑かれた考えが、ふと頭をもたげるのだった。
 どうして僕は生きているのかな。死ねば、何もかも終わって楽になるじゃないか。死にたいな。でも、苦しいのはごめんだ。一番理想的なのは、このまま眠って、で、そのまま死ぬことだ。寝て起きたら死んでた、みたいな感じ。どうせ、僕なんか死んだって誰も困らない。親だって悲しみなんかしないさ。どこかで一人寂しく死んでいくんだ……。
「はぁーっ」
 と、大きな溜息をひとつついた。寝返りを打って顔が斜め下を向く姿勢になった。目頭がほんのりと熱くなるのを感じた。窓からは、ユウイチの暗い心とは対照的に、秋晴れの朝の鮮やかな光が降り注いでいた。
 
 しばらく布団の中で「死」について考えを巡らせていたユウイチだが、ついに布団から抜け出した。九時前のことだ。しかしそれはお腹が空いたとか、とにかく起きて朝食を、などといった健康的な考えからではなかった。むしろ、食欲などまるでなく、確かにお腹は空いていたが、食べたいという気持ちではなかった。彼を起き上がらせたのは、皮肉なことに、「死」への想いだった。インターネットで「自殺」と入れて調べてみたら、何かいい自殺方法が見つかるのではないかと考えたのである。これはユウイチにとっては初めての試みだった。
 起き上がって、虚ろに、何かに引き寄せられるようにパソコンを立ち上げる。ネットとは我ながらいいことを思いついた、という軽い喜びと、もうすぐ死ねるかもしれない、という想いが彼を支配していた。
 パソコンが立ち上がった。ブラウザを起動し、表示された大手検索サイトに「自殺」とキーワードを入力して検索をかけた。思った通り、相当数のサイトが引っかかった。登録サイトだけで数百、自動的にキーワードを拾ってくる検索では数万のサイトがヒットした。
 自殺を思い止まらせようとする「お助け系」のサイトが出てくることも、ユウイチは承知済みだった。でも、きっとどこかに自殺のしかたを解説したサイトもあるに違いない、と少し心をときめかせながら、タイトルからして明かな「お助け系」は無視しつつ、しらみ潰しにサイトを探していく。しかし、なかなかお目当てのサイトは見つからない。クリックしても癒し系の色が表示されるとすぐに戻って他のサイトを探した。
 しばらく探して、ついに、黒っぽい背景のそれらしいサイトを見つけた。心の真ん中辺りは暗く憂うつなままながらも、表層では少し心が躍っていた。
 果たして、そのサイトにはいろいろな自殺の方法が載っていた。首つり、投身などお手軽なものから、服毒、焼身、一酸化炭素中毒など、少し手の込んだものまで。しかし、その文字をクリックした途端、ユウイチの踊る気持ちは軽い失望に変わった。
 そこには、各種自殺方法だけでなく、そのリスクが書かれていたのである。
 例えば首つりの場合、全身の筋肉が弛緩して糞尿が垂れ流しになること、ユウイチのような賃貸マンションで実行すると、部屋の清掃代に加え、自殺発生後何年間かは新たな借り主にそこで自殺があったことを伝えなくてはならず、家賃をその分安くしなければ借り主がつかないので、減った家賃分が損害賠償として遺族に請求されるのだそうだ。投身も、下を歩いていた通行人に当たって怪我をさせてしまったら損害賠償、電車への飛び込みは自分の肉片があちこちに飛び散り、運転士や周りの人々に大きなショックを与え、さらに、鉄道が止まった分、また、その肉片処理のためにかかった費用など、損害賠償として膨大な額が請求されると書かれている。飛散した肉片のことを「マグロ」と呼ぶと書かれていたのが、ユウイチにはあまりにグロテスクでショックだった。
 ここまで現実的なことが延々と書かれていると、もはや苦笑いするしかなく、死神に魅入られたようだったユウイチも、死への憧れがいっぺんに覚めたのだった。
 僕は生きることも、死ぬこともできないんだな、とセンチメンタルな気分になりながらも、心はさっきよりも軽かった。
 覚めたところで、検索して出てきた「お助け系」っぽいサイトも、少し覗いてみよう、という気になった。検索結果のページに戻ってじっくり検索結果を見てみると、「うつ」という見慣れない文字、いや、実際は大学の授業などで多少は触れられていたはずだが、もうすっかり忘れていた文字を見つけ、クリックしてみたのだった。
 そこは先程の黒っぽい背景のページとはうって変わって、ピンク系の色のほんわかした感じだった。「うつ病とは?」「うつと薬」などの見出しが踊っている。そんな中ユウイチが選んだのは、「セルフチェック」のページだった。
 「うつ」って何だっけ? 聞いたことある気がするけど……。とにかく、僕は何か病気なのかもしれない。チェックするだけしてみよう。
 画面に現れたのは、「二週間以上続けて憂うつだ」などの項目の右に、「はい」と「いいえ」のチェックボックスがある、ごくシンプルなものだった。そのような項目が、十個ほど並んでいる。ユウイチは、もっと複雑な、心理テストみたいなものを想像していたので、意外に思ったが、とりあえずやってみることにした。
 ひと通り設問を呼んでみて、驚いた。「朝起きるのが辛い」「何もやる気が起きない」「夜寝付きが悪い」といった、まさに今ユウイチが悩んでいることが、問診としてはっきりと文字に表されていたのだ。これにはユウイチは何かスッキリした感じさえ覚えた。
 他に、「食欲がない」「消えてしまいたいと感じる」などの項目があって、ユウイチはほとんどの項目で当てはまると思ったが、ただ、全ての項目で「二週間以上」と付いているのに悩んだ。というのは、彼の場合、憂うつな気分などが断続的だったからである。例えば、午前中ひどく憂うつでも午後から夕方になると回復してきたり、あるいは日によって調子が良かったり憂うつだったり、といった具合。こんなことを、正直なところ二週間どころか五年前、つまり高校生の時にはもう繰り返していて、特にここ一ヶ月、悪い波が大きく長く押し寄せるようになっていたのである。
 結局、断続的とはいえ長いこと繰り返しているのだから、当てはまることにしてチェックしてみよう、と結論した。チェックボックスにチェックを入れ、「結果を表示する」ボタンをクリックした。
 「あなたはうつ病の可能性があります」という文章が表示された。
 「うつ病」。ユウイチはちょっとした安心感を覚えた。最近のこの憂うつは、自分の気が変になったとかじゃなく、僕は病気だったんだ。そう考えることができて、ホッとしたのである。
 自分がうつかもしれないと指摘されて初めて、彼は「うつってどんな病気だろう?」と疑問を持った。漠然と「憂うつになる病気だろう」ということは推測できたが、具体的・医学的にはさっぱりだった。そこで、トップページに戻って「うつ病とは?」を覗いてみることにした。
 そこでは、イラスト付きでうつのメカニズムが説明されていた。神経伝達物質がどうの、セロトニンとその受容体がどうの、と説明されていたが、要するに、過剰なストレスのために脳の機能に一部異常が生じて、それで憂うつな気分が引き起こされる、ということだった。これはまだ仮説の段階だそうだが、ユウイチにしてみれば、自分の今の状況に客観的説明が与えられて、自分が特別気が狂ったりしているわけでなく、あるいは、怠け癖がついたわけでも、頑張りが足りないわけでもなく、胃や腸の調子を崩すのと同じように、ちょっと脳が疲れている状態なのだという説明に、だいぶ救われたのである。
 さらに次のページに進むと、具体的なうつの症状が説明されていた。
 うつは、ユウイチが考えていたような憂うつな気分だけが症状ではなかった。もちろん憂うつな気分にもなるのだが、すぐに疲れてしまったり、といったことも症状のひとつなのだそうだ。そして、不眠もよく現れる症状のひとつだと、彼はこの時初めて知った。どの症状も、彼には思い当たる節があった。さらに驚いたのは、まだ軽い段階のうつには波があり、日によって、時間によっていい時と悪い時があり、典型的なものは、朝から午前中は気分が重く、午後から夕方になると次第に回復してくる、というパターンだという事実。ついさっき、セルフチェックをした時、午後から夕方には回復してくるので「二週間以上」に該当するのか少し悩んだわけだが、彼はまさに典型的なパターンだったのである。
 さて、敵の概要が見えたところで、次はいかにこの敵と戦うか、である。この点もこのサイトは抜かりがなく、治療法についてのページが用意されていた。さっそく彼はそのページを見てみた。
 そのページによると、まずはゆっくり休養すること、そして、抗うつ薬という、落ち込んだ気分を改善する薬を服用すること、この二本柱が大切だということだった。そして最後には、気になることがあったらすぐに精神科や心療内科を受診するように勧めていた。
 精神科か、一体どんなところなんだろう? 上手く言葉にできないけど、陰気で、怖いイメージがあるな…。
 そう思っていたユウイチの目に、ページの下の方にある「精神科ってどんなところ?」という文字が飛び込んできた。渡りに船、とばかりにその文字をクリックする。
 それにしてもよくできたサイトだ。こちらが疑問に思うたびに、ちゃんと答えのページにリンクされているんだから。まるで心を読まれているみたいだ。さすが心を扱うサイトだな。
 ユウイチの心にはそんなことを考えるくらいの余裕が出てきていた。
 リンク先のページでは、いわゆるFlashと呼ばれる簡易の動画で、精神科の診察の様子が説明されていた。
 シンプルな線で丸っこく描かれた主人公の女性が、恐る恐る精神科に入っていく。
「待合室にいる人は意外と普通な感じ。待合室も、むしろ他の病院よりも明るくて落ち着いてるな」
 という主人公の発言。ドキドキしながら順番を待って、ついに名前が呼ばれる! 診察室に入ると、優しそうな先生。
「なんだ、普通じゃん。もっと怖い人が出てくるのかと思った。ホッ」
 とは動画の主人公の言。憂うつで気力が出ない、疲れやすい、夜も眠れないなどの症状(実は全てユウイチ自身の症状でもあって、ユウイチは少し驚いた)を説明。すると先生が、
「これはうつ病かもしれませんね。お薬を出しておきますので、ゆっくり休んで下さい」
「あの……、精神科に通っていること、会社に知られたくないんですけど…」
 と、心配顔の主人公。
「大丈夫、秘密は守ります」
 と先生の太鼓判。診察を終えて主人公は、
「なんだ、精神科って全然怖くないんだな」
 と言ったところで、動画が終わった。
 なるほど、そんなものなのかな。
 完全に不安が払拭された、というわけには、もちろんいかなかったが、それでもユウイチの心はだいぶほぐれてきた。
 さて、次は、どこの病院に行くかが問題である。抜かりなく、病院を検索するサイトにリンクが貼ってあったが、一人暮らしで特にバイトをしているわけでもないユウイチとしては、なるべくお金はかけたくなかった。ただでさえ仕送りをしてもらって、親に迷惑をかけているのに、その上病気で通院なんて!
 それに、ユウイチは親との信頼関係はほとんどなかった。もちろん表面上は仲の良い親子だったが、心の中では時に疎ましくさえ思っていた。それは、彼が幼少の頃の、主に母親の厳しいしつけが影響していた。また、思春期を迎えてからも、母親の彼を理解しようとしない言動が、彼にダメージを与えていた。父親は朝から夜遅くまで仕事で、ほとんど顔を会わさなかった。だから、親に相談しなければならない事態はできれば避けたかった。
 そこでふと思い当たったのが、大学の保健管理センター、通称ホケカンだった。さっそく大学のサイトにアクセスして、リンクを辿ってホケカンのページへと進んだ。
 ホケカンは、学生なら無料で受診できる、いわば大学の保健室といった存在だが、大学の教授などが自分の研究や仕事の合間に診察を行っているため、時間が限られているのが難点だ。ホケカンにも、心を扱う「精神衛生相談科」があったが、診察日時は月・水・金の週三回、午後一時から三時半と、非常に短かった。しかも、今日は水曜日だったが、よくページを見ると、今日は先生の都合により休診という案内があった。
 ユウイチにとっては悩みどころだった。
 こんな時になんてこった! 辛いから、早く診てもらいたいけど……、でも、お金がな……。親に「うつ病かもしれないから病院にかかりたい」なんて言えないし、言っても「怠けてるんだろう」とか言われてしまいそうだ。それを説得する元気も、今の僕にはない…。しかたない、金曜日を待つか……。
 そう思ってパソコンを消した時には、もう昼近くになっていた。
 
 起きてから三時間近く、飲まず食わずでインターネットの世界を彷徨っていたため、ユウイチの胃はさっきからギュルギュル音を立てっぱなしだった。けれども相変わらず食欲はない。
 このままずっと何も食べなかったら、楽に死ねるのかな、という考えがふと頭をよぎったが、すぐに、いや、餓死なんて一番苦しそうな死に方だ、と考え直し、とりあえず何か食べたら、こんな陰気な考えから脱せるかもしれないと思い、食事にすることにした。
 いつもなら、まず歯を磨いて顔を洗って、それから朝食にしているのだが、今日のように朝寝坊をした挙句、昼前まで何も口にせずにネットサーフィンをしてしまった日には、そんな日常の習慣になど構っていられなかった。相変わらず食欲はなかったが、とにかく何か食べようと決めてからは、食事を最優先にした。着替えてもいないし、無精ヒゲもそのままで、顔全体も何となくベタベタしたが、まずは食事。
 朝食に関しては、和食派と洋食派に分かれるが、ユウイチは洋食派だった。というのも、ユウイチの実家は両親ともに働いていて、彼の母親に言わせると、特に朝はゆっくり料理をしている時間がないので、お手軽なパンにしていた。その習慣を、ユウイチも引き継いだというわけだ。
 今日の場合、確かにこれから採る食事は一日の最初の食事であって、Break fast(断食を破る)には違いなかったが、時間から考えて「朝食」といっていいのかはわからない。ただ、ユウイチには一日の最初の食事はパン、というのが決まりみたいになっていた。
 その頃には、もう三講目に行こうという気持ちも失せていた。いや、正確には少し、休んでしまっていいのかな、という不安な気持ちもあったが、さっきネットで見た、「うつには休養が必要」という言葉を思い出し、休養が必要なんだ、今日は休もう、と自分に言い聞かせ、休むことに決めたのだ。
 休むことに決めたからには、この朝食とも昼食ともつかない、いわゆるブランチ、少し豪華なものにしようとユウイチは考えた。といっても、いつものトーストに、目玉焼きとミックスベジタブル、それにコーヒーを加えるくらいのものだが。正直なところ、洗い物が増えるのは嫌だな、と思ったが、これが朝食兼昼食ということになるのなら、少し食べる量を増やそう、と心に決めた。
 お湯を沸かしながら卵を焼き、冷凍のミックスベジタブルは卵を焼いたあとのフライパンで炒めた。少しずつ増えていく食器類に、滅入る気持ちを感じずにはいられなかった。
 それでも、このブランチは満足のいくものだった。熱々のトーストにマーガリンやジャムを塗り、塩コショウをしたミックスベジタブルや上手く半熟に焼けた目玉焼きをつつく。コーヒーも美味しく入った。食欲がないといっても、食べればそれなりに楽しめるのかな、とユウイチは思った。
 さて、食べ終わって食器を流しに置いたが、すぐに洗い始めよう、とは思えなかった。 フライパン、コーヒーポット、トーストを載せた皿、目玉焼きとミックスベジタブルの皿。せいぜい洗うものはこの程度で、洗い始めれば十分もあれば終わるのだが、フライパンが大きく幅を利かせているためか、ユウイチには山のような洗い物に見えた。そこで、とりあえず水を入れて油を浮かせておくという名目で、あとで洗うことにした。
 食器洗いを後回しにしたユウイチは、明日の授業の予習に取りかかった。今日休んでしまったのだから、明日は何としても行かなくては、いや、今日の分を取り返すくらい勉強しなくては。そんな義務感に支配されていた。パジャマのままの服装や、朝から洗っていない顔も少し気になったが、そんなことよりもまずは勉強を片付けよう、全てはそれからだ、と考えた。
 勉強を始めてから一時間ほどして、そろそろ集中力が切れてきた。人間のバイオリズムから言ってそれは別に不自然ではなく、そろそろひと休みしたいという体の反応なのだが、先程の義務感と、一度休むともう一度始めることができないのではないか、という不安、また、早く終わらせて早く楽になりたい、という焦りから、無理をして勉強を続けてしまった。
 結局、二時間ほどぶっ続けで勉強して、明日の授業で進むであろう内容の予習は終わり、ユウイチもそれなりの達成感を得たが、払った代償は大きく、もはや疲労困憊で、ブランチの食器もそのままに、再びベッドに倒れ込んでしまった。
「あー、疲れた。でも、終わった!」
 そうひとりごちると、ベッドの中でうーんと唸って伸びをした。
 不思議なことに、どんなに夜眠れなくても、昼間はコテンと眠れるのだ。あっという間にユウイチは寝息を立て始めたのだった。
 
   二、夜
 もう日もだいぶ傾いて、斜陽が部屋に差し込んできた頃、ユウイチは目を覚ました。眠り込む前の憂うつや不安や焦りといった暗く重い気持ちは既になく、心は軽かったが、頭がボーっとしていて、まだ起き上がりたくない気分だった。枕元の置き時計に目をやると、五時過ぎを指していた。二時間近くも眠ってしまったのか、また無駄な時間を過ごしてしまった、と少し嫌な気持ちになったが、布団の中でぬくぬくしながらまどろんでいるのは心地よく、嫌な気持ちはすぐに消えて、もう少しゴロゴロしていようと思った。
 とは言っても、やはり今日一日の過ごし方には多少の後悔を感じており、横になっている最中に頭の中を駆け巡ったのは、いかにしてこの崩壊した生活を立て直すか、ということだった。
 まずは、今夜早く寝ることだ。そして、明日の朝早く起きる。で、明日こそはちゃんと授業に行こう。それに、体も動かそう。ランニングでもするか、プールにでも行くか。そうすれば、明日の夜ぐっすり眠れて、明後日また早く起きられる…。
 三十分ばかりこうして考えていると、まるで今日を境に再び何もかもが上手く回り始めるのではないかと思えて、元気になってきた。目もだんだん冴えてきた。元気になってくると、次第に、朝から洗っていない、脂でベタベタした顔が気になってきた。
 よし、ここはひとつ顔を洗ってヒゲも剃って、すっきりしよう。
 彼はそう決意してガバッと起き上がり、洗面所へ直行して顔を洗い、ヒゲも剃った。今さらながら服も着替えた。こうしてスッキリすると、ついでにもうひと仕事、台所の食器の山を片付けてしまいたくなった。
 台所に立つと、まずはコーヒーポットから洗い始め、次にパンを載せた皿を洗剤で洗った。それらをひと通り水ですすいで脇によけると、今度は油で汚れた目玉焼きとミックスベジタブルを載せた皿。そして、最後の強敵であるフライパンもゴシゴシと洗った。ちぎっては投げちぎっては投げ、といった様子で奮戦し、十五分もすると台所はすっかり片付いていた。
 さて次は何をしよう、と考えられるくらい、ユウイチは元気になっていた。
 彼は少し考えると、夕飯のおかず、特に野菜がもうないことに気付いた。よし、買い物に行こう。そう決めると、冷蔵庫を開けて他に何か切らしているもの、必要なものがないかをチェックして買うものをメモすると、外に出た。今日、初めて家の外に出たのだった。
 夕焼けで、街が薄赤く染まっていた。十月も中旬になると、北国の夕方は肌寒く感じられる。しかし、一日中家の中にいて、しかもついさっきまで布団でぬくぬくとしていたユウイチには、ひんやりした風がむしろ心地よく感じられた。夕焼けの街並みも美しいと感じたし、道を走る車さえ、その夕焼けのせいか家路を急いでいるという雰囲気がありありと感じられて、懐かしいような、人恋しいような気持ちで小さな幸せを感じた。同時に、朝陽の降り注ぐ街並みと、職場や学校に向かう、ちょっと緊張した雰囲気の人々や車を、自分も朝陽をいっぱいに受けながら、そのような人々の中に混じって、見ることができたら良かったのに、との思いを禁じ得なかった。今日一日をずいぶん無駄に過ごしてしまった、と思わずにはいられなかった。近所のスーパーに向かう途中、まるで今日一日を家に閉じこもっていた分を取り返そうとするかのように、何度も深呼吸をして、新鮮な空気を取り込んでいた。
 トマトやらキュウリやら、買い置きの冷凍食品やらを買って帰ってくると、辺りはもうすっかり暗くなっていた。もう六時過ぎである。ユウイチは、夕方以降元気になってきたそのパワーをそのままに、早速夕飯の仕度に取りかかった。とは言っても、トマトやキュウリは切るだけだし(いろいろ手間をかけるのが面倒だったので、もう旬を外れているにもかかわらず、切るだけですむトマトとキュウリを買ってきたのである)、みそ汁もインスタントで、あとは冷凍のコロッケを電子レンジでチン。ご飯は昨日炊いたのをラップにくるんであるので、それを茶碗に移し、これも電子レンジ。あっという間に夕飯ができあがった。いつもこんなものばかりというわけではなく、たまには手をかけて作るのだが、今日は早く寝ることが至上命令なので、なるべく簡単なものにしようという、ユウイチなりの作戦だった。
 夕食を食べ終えたのは、七時頃だった。元気になってきたといっても、やはり食器を洗ったりするのは少し面倒に感じられて、大して油ものがあったわけでもないのに、また、食器を水に浸けておけば後で洗うのが楽だから、と自分に言い訳をして、パソコンを立ち上げた。
 いつもの習慣で、まずはメールをチェック。午前中パソコンを使った時は自殺に関することやメンタルヘルス関連のことを調べただけだったので、一日分のメールがどっさり来ていた。と言っても、一部のメールマガジンを除いて全て迷惑メールだった。それから、インターネットで今日のニュースをさらっと読んだ。ユウイチは新聞は取っておらず、自宅で文字で情報を得る手段はインターネットだけだった。まして今日は、憂うつな気分のために半日以上を無為に過ごし、テレビもろくにつけなかったので、今日の新しい情報は何ひとつ仕入れていなかった。たった一日で浦島太郎だった。
 ひと通り気になった記事に目を通し、世間の流れに追いつくと、さて、もうパソコンは消してもいいな、とちらりと思った。しかし、それではあまりに味気ないというか、寂しいような感じがした。ギャンブル好きの人がゲームを終わりにしようとした時や、酒好きの人が酒を飲み干してしまった時も、こんな気分になるのかもしれない。要するに、ちょっとした依存症のようだったのである。
 ユウイチは、また「自殺」でキーワード検索をしてみようと思った。今日の午前中の復習というわけだ。こんなことを考えたのは、今回は暗い気持ちのためではなく、むしろ心に余裕があるからこそ、もう一度見てみようと思ったのである。
 午前中と同じように、まず自殺のリスクについて書かれたサイトをのぞいてみる。今回は精神的に少し回復してきたためか、各種自殺のリスクについて、午前中ほどショックは受けなかった。むしろその自殺を「お金」という現実的な方面から捉えることに、面白いとさえ感じた。
 他に「自殺」で検索してヒットしたサイトに、警察庁のデータを掲載したサイトがあった。日本の年間自殺者数がここ数年連続で三万人の大台を突破していること、日本の十万人当たりの自殺者数(自殺率)はおよそ二十四人で、旧西側諸国では最多、日本より多いのはロシアなどの旧東側諸国ばかりであること、などが図表と共に説明されていた。原因として、ここ数年の不況や、責任を取るための切腹など、日本特有の「自殺の文化」が指摘されていた。だが、ユウイチにはその説明だけでは納得がいかなかった。ではそれをどう説明したらいいのか、彼はその言葉を持っていなかったが、今の日本の社会は、人間に対する優しさ、自己満足のためでない、本当の意味での相手への思いやり、といったものが欠けているのではないか、ということは、何となくであったが感じていた。
 それから、例のピンク色のサイトでもう一度セルフチェックをしたり、大学の保健管理センターの診療時間を確認したり、とネットサーフィンをしているうちに、やはり午前中と同じように三時間が経過して、ようやくパソコンを消した頃には時計は十時を示していた。
 ああ、もうこんな時間か、とユウイチは少しイラつきながら考えた。今日は早く寝ようと思っていたのに。
 多少の焦りと自己嫌悪を覚えたが、日中に比べれば元気になっていたので、彼は急いで寝る準備に取りかかった。
 まずは風呂を沸かし始めた。お湯を張っている間に、さっきそのままにしておいた夕飯の食器を洗った。昼間と同様、面倒だと思っていたのとは裏腹に、あっさりと片付いてしまった。
 風呂が沸くと、早速入った。
 湯船に浸かっていると、いろいろな想いが去来した。まず、今日の午前中とても辛かったことをしみじみと思い出した。よく自殺しなかったものだ。あの「自殺にリスク」について書かれたサイトに救われたな、と思った。救われたといえば、ピンクのサイトにも救われた。やる気が出ないのは自分が怠けているのではない、病気の可能性があるのだとわかって、心が軽くなった。しかし、「二週間以上」というところがやはり気になる。今、僕はこの通り元気だ。こんなにすぐに元気になるなんてことがあるんだろうか。やっぱり、僕はうつ病というわけではないのだろうか。うん、そうかもしれない、単なる一時的な気分の落ち込みだったのかもしれない。となると、病院へも保健管理センターへも行かなくてすみそうだぞ。それにしても、今日は一日学校をサボってしまった。明日は十時半から、三コマか。明日は絶対行くぞ、元気になったんだからな……。
 そう考えていると、夜、寝る前であるにもかかわらず、心が興奮してくるのが、ユウイチ自身にもわかった。
 風呂から上がると、歯を磨いて早々に布団に入った。十一時過ぎだった。しかし、湯船の中で考えていた、明日こそは、という気持ちの高ぶりのために、なかなか寝付けなかった。そういうことは考えないようにしようと深呼吸をしたり、寝返りを打ったりしたが、やはり眠れず、彼がようやく寝息を立て始めた頃には、午前一時近くになっていた。
 
   三、大学
 それほど深くない眠りから覚めた。
 いつ目が覚めたのか、ユウイチ自身にとっても曖昧だった。つい今しがたまで眠っていたようにも思えるし、そのずいぶん前から目が覚めていたようにも思えた。覚醒と睡眠との境界線に対して、ユウイチの睡眠の深さのラインは非常に小さい角度で接近し、交わっていた。そもそも眠りが浅かったので、角度のつけようがなかったのだ。だから、いつまで眠っていていつから覚めていたのか、曖昧に感じるのだ。今でも、一応目は覚めていたが、まだ少しそんな夢現の気分が残っていた。
 枕元の置き時計を見た。まだ五時半だった。
 もう少し寝ていようと思ってもう一度布団をかぶったが、やはり寝付けなかった。いや、実際は多少眠っていたのかもしれないが、やはり夢現の境を彷徨っていたという感じで、十分に眠った感じはしなかった。
 寝付けないなら仕方ない、そろそろ起きよう、と思って布団を抜け出した頃には八時を回っていた。
 昨夜の寝る前の、生活を立て直すんだ、という意気込みと興奮は、消え去っていた。逆に、今日もスッキリ起きられなかった、という罪悪感と、こんなに睡眠不足で今日一日やっていけるのかという不安、そして、また一日が始まってしまう、という毎朝の憂うつ感。それは、昨夜の意気込みとは裏腹に、ここ最近のいつもと同じ朝だった。
 ただ、今日は幸いにも授業は二講目、十時半からだった。八時過ぎに起き、やる気が出ない中でも少しずつ準備をすれば、十分に間に合う時間である。昨日は、一講目から授業に出なくては、という焦りがさらなる焦りを呼び、ついには全ての授業を休むハメになったのだが、今日は少し余裕があった。
 とは言え、やる気が出ないことに変わりはない。顔を洗って、朝食を採るところまでは何とかなったが、今日は目玉焼きは作らなかったのでフライパンはなかったが、それでも洗い物が面倒でほったらかしにして、といってすぐに大学に行こうという気持ちになるでもなく、パソコンを始めてしまった。
 まずメールチェックをした。すると、今日は大量の迷惑メールに混じって、登録した就活サイトからのメールがあった。ドキッとした。こんなやる気のない状態ではいけない、早くちゃんと就活をしなくては。しかし、そうやって心が焦れば焦るほどさらに気分が滅入った。ユウイチにとって就活サイトからのメールは、迷惑メール以上に迷惑だった。迷惑メールと一緒に就活サイトからのメールも削除して、メーラーを閉じた。そして、いつも閲覧しているサイトをひと通り見て回った。これで終わりにして、パソコンを消そうと思ったが、例によってパソコン依存症のような症状が出て、やめられなくなってしまった。いい加減パソコンをやめて食器を洗って大学に行かなくては、と思いながらもやめられず、ようやくパソコンの電源を切った時には、今すぐに家を出なければ、という時間になっていた。食器を洗ってから出かけたいと思ったが、もうそんな時間はなかった。後片付けもろくにできないなんて、と、自己嫌悪を感じながら、慌てて家を飛び出した。
 
 教室に着くと、もう教授が来ていて、今日の授業のためのプリントを配っているところだった。
 ユウイチは一瞬教室に入るのをためらった。昨日休んでしまった授業を一緒に取っていて、しかも所属する研究室も同じ、タケシとヒロコがいたからだ。もちろん、木曜日の今日、彼らと同じ授業を取っていることは前からわかっていたし、今日大学に来ればこうなることはわかっていたのだが、いざこうした状況になると、彼らに何と言われるか、いや、言われないまでも、どう思われるか、そう考えただけで不安だった。彼ら二人とは、同学年の同じ研究室ということでそこそこ付き合いはあったが、特別親しいというわけでもない。その微妙な距離感が、さらにユウイチを不安にさせた。
 とは言え、いつまでもためらっているわけにもいかない。それに、もう教授が来ているのだから、少なくとも授業前に話しかけられることはないだろう。そう考えて、思い切って教室の扉を開けた。
 この授業は取る人が少なく、十人程度の少人数だが、途中から入ってきたユウイチがそれほど注目を集めることはなかった。教授も来たばかりだったし、それに、大学では一部の厳しい教授の授業を除いて五分や十分の遅刻は遅刻ではないのである。
 例の二人も、ちらっとユウイチの方を見ただけで、彼に声をかけたりはしなかった。
 ひとまずはこれで安心だ。問題は授業が終わってからだ。二講目のあとは昼休み。時間はたっぷりある。何を言われるか……。
 
「それじゃ、今日はここまでにします」
 教授の一言で授業が終わった。ユウイチの大学ではチャイムは鳴らない。一応一コマ九十分ということになっていたが、授業の開始も終了も、担当の教員の裁量だ。大抵の教授は少し遅く初めて少し早く終えるが、中には時間通り始めて、一時間も時間をオーバーしてようやく終わりにする、鬼のような教員もいた。けれど、この授業の教授はどちらかといえば、いわゆる「仏」に属する教授で、今日も五分ほど早く終わってくれた。もっともユウイチにとっては、授業を受ける体力的負担が減るのは確かだが、これから訪れるであろう友人との会話を考えると気が重かった。時間稼ぎにしかならないことはわかっていたが、もう少し授業をしていてほしかった。
 案の定、授業が終わると、タケシとヒロコが近づいてきて、ユウイチに声をかけた。
「よっ、ユウイチ。昨日一日見かけなかったけど、どうしたんだよ?」
 とタケシが切り出し
「そういえば授業にも出てなかったよね。風邪でもひいた?」
 とヒロコが続けた。
 当然だが、二人とも別に悪気があってこう声をかけたわけではない。友人が前の日に学校に来ていなかったとなれば、この会話はむしろ自然な流れである。しかし、ユウイチにしてみれば、特に理由もなく休んでしまったことを聞かれるのは心苦しかった。もちろん、「うつ病」という立派な理由に該当するかもしれないことは、昨日調べて自覚していたが、それを理由として述べたところで、「怠けているだけ」「頑張りが足りない」と思われるのではないかと不安だったし、また、ユウイチ自身も、昨日ひと通りうつのメカニズムを学んだとはいえ、やはりまだ、自分を責める気持ちを拭いきれずにいた。おそらく、病んでいるのが自分以外の人であれば、ああ、病気なんだ、と思いやりを持てただろうが、彼は自分には厳しくしてしまう性格で、なかなか他人に対してのように自分に思いやりを持てず、つい、やはり自分は怠けているのでは、頑張りが足りないのではないか、と考えてしまうのである。
 ユウイチは、タケシとヒロコの言葉にどう答えていいかわからなかった。二人の顔は笑っていたので、とりあえずユウイチも笑顔を作ったが、まさに作り物の、安っぽい笑顔になってしまった、と感じた。笑顔を作ったはずみで、次のような言葉が出てきた。
「いやぁ、風邪ってわけじゃないんだけど、ちょっと体がだるくて、引きこもってた」
 言葉の最後の「引きこもってた」の部分は特に明るく、少しおどけた雰囲気さえ混じっていた。
「うわぁ、引きこもりかよ!」
 とタケシが、やはりおどけて、少し大袈裟に驚いてみせた。
「出たよ、ヒッキーだよ」
 ヒロコも続いた。
 これも、二人とも悪気は全くない。ユウイチがおどけて言ったので、それを受けて、場を盛り上げようとしたに過ぎない。けれど、ユウイチにとっては、自分の苦しい気持ちがやはりわかってもらえなかった、と感じて、気分が滅入るのである。もっとも、そうなるきっかけを作ったのは、ユウイチ自身の、無意識に苦しい気持ちを隠そうとして言った、その変に明るく、おどけた言葉だったのだけれども。
 そして、二人の言葉によって滅入ったその気持ちも、さらに押し隠そうとして二人にあわせて笑い声を上げたのだった。
「いやぁ、引きこもっちゃったよ。あはは……」
 
 午後の授業一コマにも出席して自宅に帰り着くと、もう疲労困憊だった。
 一時間半もの間、ただ黙って座って人の話を聞いているのは結構苦痛だ。何も考えず、ボーっとしたり居眠りしたりしていればそうでもないかもしれないが、真面目な性格のユウイチは、授業に来ている以上しっかり聞かなくては、と、講義を聴くことに集中しようと努めてしまった。休み時間は休み時間で、昨日授業を休んだ後ろめたさを引きずりながら友人と話をしなければならず、これは授業よりも苦痛だった。
 玄関に入るなり、疲れがどっと出て、体が重くなるのがわかった。荷物を置くと、そのままベッドに倒れ込んだ。
 自分は独りぼっちだ、と思った。
 タケシやヒロコは、表面上の付き合いだけ。同期だというだけで、お互いに支え合い、励まし合い、いたわり合うような、本当の意味での友達とは呼べない。
 親には弱音は吐けない。弱音を吐いたところで、親は何も理解してくれないだろう。いたわるどころか、叱って、怒鳴って、「もっと頑張れ」と言うかもしれない。……いや、そうだ、きっと僕は頑張りが足りないんだ、怠け者なんだ……。僕のような奴は、早く死んでしまった方が、世の中のためなんだ……。
 熱いものがこみ上げてきて、目頭を濡らした。
 と同時に、怒(いか)りが湧き上がってきた。何ひとつ思い通りに行かない自分への腹立ち、自分が辛いことを理解しようともしてくれない(と彼には思える)周囲の人間への苛立ち。そうしたものが、わっと彼に押し寄せ、たちまち彼を支配した。
「うわあああああああ!」
 彼は腹の底から大声で叫んだ。それでもまだ飽き足りず、机の上の本や履いていたスリッパなどを、手当たり次第壁に向かって投げてつけた。そして、また叫んだ。なぜ自分ばかりこんな辛い目に……、という心のそこからの叫びだった。目からは、涙がどんどんあふれ出てきていた。
 一方、そんな自分を冷静に見つめている自分もいた。この状態は何と形容すればいいんだろう。「気の狂ったような」というよりは、もう実際に気が狂ってるな、これは。こんな気の狂い方、前にもどこかで見たような……。どこで見たんだっけ? あ、そうだ、母親だ。うちの母親が毎晩こんな感じでキレていたっけ。カエルの子はカエル、だな。
 行動として現れている気の狂ったユウイチと、心の中の一角にいる冷静なユウイチと、しばらくの間、ユウイチは二人に分かれていた。次第に、気の狂った方が力を出し尽くして疲れ果て、冷静な方も、もう一方の熱い気持ちが伝染して、またひとつに戻った。
 叫び疲れ、暴れ疲れて、怒りの気持ちはおさまってきたが、自分は死んだ方がいい、という考えは消えなかった。悲しくて、布団にもぐり込んで、泣いた。
 布団ですすり泣いているうちに、ユウイチは寝入ってしまった。朝食の食器は、まだそのままだった。
 
   四、ホケカンへ
 翌日、ユウイチはやはり保健管理センター、通称ホケカンに行く決心をした。一昨日の夜は、風呂に浸りながら、ホケカンに行く必要はないかもしれない、と思ったが、昨日は、例のピンクのサイトに書いてあった、午前中は気分が落ち込むが夕方になると調子が良くなる、といううつのパターンを身を以て思い知らされた。昨日も寝入ってしまったあと、小一時間もして目を覚ましたら、気分が軽くなっていた。ところが今日、朝を迎えると、やはり目覚めが悪く、昨日や一昨日ほどではないものの、少し憂うつだった。
 これ以上、同じようなことを繰り返していてもしかたない。ここはひとつ、しっかり診てもらおう、と思った。
 今日も本当は授業があったが、休むことにした。ピンクのサイトに、ゆっくり休養することが大切、と書いてあったのを思い出し、無理をして授業に行って悪くするよりは、と考えた。ただ、休んだ分、追い付くのに一層無理をしなくてはならないのでは、と一抹の不安もあったが……。
 午後、家で昼食をすませてから自転車でホケカンへ向かった。
 今日も秋晴れだった。イチョウやシラカバが色づきはじめていて、紅葉が日によく映えていた。秋の青空と木々の紅葉のコントラストが美しく、風もさわやかで心地よかったが、ユウイチはこの中を自転車で駆け抜けていると、なぜか哀愁を感じて、大声を上げて、涙を流して大泣きしたい衝動に駆られた。
 ホケカンの建物はだいぶ古いようだった。もちろん不潔な感じはしないのだが、コンクリートの壁が少し変色していたり、床のタイルがところどころはげたままになっていたりした。
 受付の窓口に立つと、緊張の一瞬。ホケカンには、精神衛生相談科の他、内科や整形外科、歯科といった診療かがあり、窓口でまずどの科を受診するのか言わなくてはいけない。「精神衛生相談科」などと言ったら、怠け者だとか、気違いだとか思われないか、不安あった。ユウイチ自身も、やはり自分は怠け者で気違いなのではないかといまだに思っているからこその不安だった。
 しかし、声を震わせながらも、
「精神衛生相談科をお願いします」
 と言ってしまうと、窓口氏は他の心療科を受診する時とまったく同じように手続を進めた。ユウイチは、なんだか肩透かしを食ったような、変な気持ちがした。そして、「6」と書かれた番号札と書類を渡されると、二階の奥の扉に書類を入れて、番号が呼ばれるまで待つように指示された。
 二階もやはり古い感じで、ピンクのサイトで見たような「他の病院よりも明るくて落ち着いた」感じとは程遠かった。精神衛生相談科は廊下を少し奥に入ったところにあったので、逆に薄暗い印象だった。でも、どういうわけか、ユウイチにはこの方が安心できた。自分は日陰者なのかな、と心の中で自分を嘲笑した。
 廊下の長椅子には、すでに三人待っている人がいた。心を病んでいるのは自分だけじゃないんだ、と思ってホッとしたのと同時に、この人たちはどんな悩みを抱えているんだろう、僕と同じように苦しんでいるのかな、と同情する気持ちさえ湧いてきた。
 廊下の突き当たりの扉のポストに渡された書類を入れると、すぐに扉の向こうでガサゴソと音がして、白衣を着た四十代くらいの女性が出てきた。
「六番さん」
 と、ユウイチの番号を呼んだ。なるほど、この番号は他の患者に自分の名前がわからないように、プライバシーに配慮してつけられているのだ。
「はい」
 とユウイチは立ち上がって、その女性のところへ寄っていった。その女性は、何やら緑色の紙をユウイチに渡して、柔らかい物腰で、
「初めてでらっしゃいますよね? この紙に症状などを、わかる範囲でで結構ですので、できるだけ詳しく書いて下さい。書いたら、またポストに入れて下さい」
 そう言うと、再び扉の向こうに消えた。
 その紙には、あのピンクのサイトのセルフチェックと同じような質問が並んでいた。当てはまる症状を○で囲むように指示があって、「一日中気分が沈んでいる」とか、「食欲がない」「自殺を考える」などの項目があった。ただ、それに加えて、その症状がいつからあったかなど、より細かな点まで質問が及んでいた。
 ユウイチは、いつから、と聞かれて困ってしまった。死にたい、と初めて考えたのはここ最近ではない。中学生くらいの頃から考えていたことだ。憂うつでやる気が出ないのも、今に始まったことではない。ただ、ずっとそうだったわけではなく、断続的にそうした気分に襲われるのだ。それが、ここ最近は今までより強く、長く現れるようになったようなのだ。
 ユウイチは紙の空欄いっぱいに、そのことを詳しく書き込んだ。
 睡眠についても詳しく聞かれた。床に就く時刻、寝入る時刻、目が覚める時刻、起床する時刻。一昨日と昨日は意識的に早く床に就いたので、ユウイチはそれ以前の典型的なパターンを記した。午前一時に床に就き、三十分くらいで寝入ることができるが、朝は五時から六時に目が覚め、その後寝付けず八時から九時になってやっと床を離れる、という具合。
 酒やタバコについても聞かれたが、ユウイチは酒はたしなむ程度、タバコは吸わなかった。また、精神科の受診履歴なども聞かれた。当然ユウイチは今回が初めてだった。
 最後に、ユウイチ自身の性格を聞かれた。当てはまるものに○をつける方式で、「頼まれると嫌と言えない」とか、「真面目」とか、「頑張り屋」とか、ユウイチに当てはまるものがいくつもあった。自分で自分を「真面目」とか「頑張り屋」とか評するのは照れくさかったが、ユウイチには自分が「不真面目」とは思えなかったし、つい頑張りすぎて辛い思いをすることがあり、もう少し上手に手を抜ければいいのに、と思うことがあるのは事実なので、両方とも○をつけた。
 全部書き終えるのに、優に三十分はかかったが、その間に診察が進んだのは一人だけだった。今、ユウイチの前の順番で待っているのは二人。一人二十分の診察として、四十分待ちか、こんなだったら本でも持ってくれば良かったな、と思いながら、質問票を扉のポストに入れた。
 ずいぶん長いこと待った。他の診療科でこんなに待たされたらかなりイライラしてしまうだろうけれど、ここでは不思議とそんな感情は湧いてこなかった。長い待ち時間を、ユウイチはホケカンの建物をの中をふらふらしたり、窓から外を眺めたりして過ごした。
 静かな時間だった。
 ユウイチは、こんなに心穏やかに時間を過ごしたことがなかった。少なくとも、そう感じていた。
 小さい頃から常に何かに追われていた。学校の勉強はもちろん、家に帰っても、家事を少しでもサボれば、母親が帰ってきてから叱られる。何かやり残したことはないかと、常に母親の影に怯えながら暮らしていた。母親が帰ってきたら帰ってきたで、仕事のストレスでイライラしているのがはっきりわかり、ユウイチの心は落ち着かなかった。父親が帰ってくれば、今度は両親の仲が良くない、という雰囲気が漂った。中学に入ってからは、定期テストに向けての勉強というプレッシャーが加わった。高校に入ればこのような重苦しい雰囲気から抜け出せると思って必死に勉強し、そこそこレベルの高い高校に入ったが、解放されるどころか、家庭内の雰囲気は相変わらずだし、勉強はさらに難しく、大変になるし、といった具合だった。大学に入れば、とまた勉強し、今の大学に入り、一人暮らしを始め、家庭内での重苦しい雰囲気からは抜け出せたが、体に染みついてしまっているのだろうか、真面目に勉強しなければやはり親に叱られる、そんな強迫観念が続き、追い立てられるように勉強していた。何もしていない時でも、何かしなければ、という焦りが常にあった。
 それが今は、ただ順番が来るのを待っていればいい。何もしなくていいのである。ユウイチにとっては、小さな幸せの発見だった。もちろん休んでしまった授業のことは気になったが、授業に出ていない以上どんな内容だったかわからないので、気の揉みようがなかった。
 ユウイチの前に受診を受けた患者の一人が、診察室から出てくる時、目頭を押さえていた。ユウイチは、その人に同情を感じるのと同時に、話ながら泣いてしまうほど、自分は本気で何かを語れるだろうか、と思った。
 
 ユウイチの番が来た。
「六番さん」
 と呼ばれて、中に入った。衝立があり、医師はその奥にいた。
 医師は丸い童顔といった感じの女性だった。
 彼女はにこにこと屈託のない笑みを浮かべて彼を出迎えた。
 ユウイチは何だか拍子抜けしてしまった。精神科医というと、もっと神経質そうで、深刻な面持ちで待ち構えていると思ったからだ。しかし、そういえばピンクのサイトの動画でも医師はにこにこしていたのを思い出して、こんなものなのかもしれない、とすぐに思い直した。
「こんにちは」
 と彼女はその屈託のない笑顔を崩さずに言った。
「こんにちは」
 と彼も返した。すると、彼女は、笑顔のままだけれどちょっと真剣な顔になり、先程ユウイチが記入した質問票に目を落とした。ユウイチは、これから診察が始まるのだな、と察知した。
「えっと、だいぶ以前から、断続的に憂うつになったり、死んでしまいたいと思ったりしていたのが、ここ最近強く長く現れるようになった、と」
「はい」
「最近、何かその、気分を落ち込ませるきっかけみたいなものって、思い当たるものはありますか?」
 医師が、やはり笑顔のまま、優しい声でたずねた。聞いているだけで心が癒されてしまうような声だった。どのような声、イントネーションで話したら相手が落ち着くことができるか、彼女はよく知っていた。長年の勉強と経験の賜物である。
「うーん、そうですね……、僕、今三年なんですけど、そろそろ本格的に就職活動を始めなくちゃいけない、というのはあるかもしれません」
 ユウイチは、一語一語考えながら、ゆっくりと話した。
「ああ、なるほど、就職活動ね、確かに、まだまだ厳しいもんね」
 と、彼女は真剣な表情でユウイチを見つめてうなずいた。ユウイチは、自分の話をしっかり聞いてもらえそうだ、という雰囲気を感じ取って、さらに続けた。
「就活のサイトにも登録したんですけど、そうすると週に二、三回は、『企業からメッセージが届いています』みたいなメールが来るんですよ。そのメールを見る度に胃が痛む思いっていうか、企業をチェックしたり、自己分析とかしたりしなくちゃ、と焦ってしまうんですよね。でも、気ばかり焦って何もできなくて……。それもまたストレスですね。授業も普通にありますし、ゼミもありますし、教員免許を取ろうと思っているので、朝から教職科目の授業もありますし……」
 思いがけず、すらすらと自分の今の状況が口をついて出た。それだけで、心のわだかまりがひとつ流れ出た気がした。
「なるほど、大変ですね」
 医師はそう言うとまた質問票に目を落として、
「朝は起きるのが少し遅いみたいですが、一時間目の授業には……?」
「あ、実は、大抵少し遅刻していて、一昨日なんかは丸一日休んじゃいました。一時間目、三十分以上遅刻する時間になってしまったので、休むことに決めたんですが、そうしたら気持ちが切れてしまった感じで、ドミノ式に二時間目、三時間目と行けなくなってしまって……」
 この告白は勇気が必要だった。何しろ、見方によっては、単にユウイチがサボっただけにも見えるのだ。が、医師の先生の優しい、しかし真剣な表情を見て、正直に告白しようと思った。でも、やっぱり少し怖くなって、最後のちょっと付け加えた。
「これって、単なるサボリですかね……?」
 医師は笑顔で答えた。
「いや、そんなことはないと思うよ。診断するのはもう少しお話を聞いて、様子を見てからだけれど、精神的に辛い時は、頑張ろうとしても頑張れなくなってしまうから、サボリだとか、そんなふうに考える必要はないと思う」
 それを聞くと、ユウイチはホッとして、顔の筋肉が少し緩んだ感じがした。彼女はさらに続けた。
「その、一日休んでしまった日は、家ではやっぱりずっと就職活動のこととか考えていたの?」
「いえ、あの日は就活サイトからのメールも来なくて、就職活動のことは特に……。ただ、何もしたくなくて、でも、こんなじゃいけない、もっと頑張らなきゃ、でも何もできない、そんな感じで……。こんなことじゃ、仮に就職できたとしても、この先生きていけないんじゃないか、いっそ今にでも自分で自分の人生を終わらせてしまった方がいいんじゃないかって、そんなことを悶々と考えていました」
 医師はやはりユウイチを見つめて、真剣に彼の話を受け止めていた。少し間をおいてから、
「なるほど、それは辛かったね。でも、大丈夫だよ、大学三年生くらいになると、あなたみたいに就職活動とかのストレスから気分が落ち込んでしまう人が多いんだけれど、みんなちゃんと乗り越えていきますから。私も保健管理センターの医師として協力しますから、安心して下さいね」
 ろくに話を聞きもせずにいわれると、能天気なだけで何の慰めにもならない「大丈夫」という言葉も、話をしっかり聞いてもらってからだと、また違って聞こえた。もちろん、完全に不安が払拭されたわけではないが、少しホッとしたのをユウイチは感じた。
「ところで、中学生の頃から良く気分が落ち込んだり、死んでしまいたいと思ったりしていたってことだけど……、もし良かったら、その時のことも聞かせてもらえますか?」
 と、医師が続けていった。ユウイチは、正直、今回のこととは関係ないかもしれない、と思った。というのも、大抵その原因は母親が彼をこっぴどく叱りつけたせいだったり、母親が不機嫌なために家庭内の雰囲気が険悪だったせいだったりしたからだ。だが、思い出すと苦しい記憶であることは間違いない。せっかくだから、今、全てを話してしまおう、そうすれば少しは心が軽くなるかもしれない、とユウイチは決心した。
「実は、うちの母が……、これは中学生の時どころか、保育園にいた頃からそうだったんですが、母が毎晩キレてたんです。母も働いていたので……、ストレスがたまっていたんでしょうね。うん、そう、いわゆる『精神的虐待』……だったのかもしれません」
 
   五、生い立ち
 ユウイチの一番古い記憶は、母親に怒鳴られた時のものだった。おそらく、三歳くらいの頃だろうか。
 両親が共働きなので保育園に預けられており、毎日夕方六時頃に母親が迎えに来た。その日も、やはり六時頃に母親が迎えに来てくれた。
 しかし、その日は何だかちょっと空気が違った。ユウイチは幼いながら、いつもよりピリピリした空気を感じていた。母親が苛立っている様子なのを敏感に感じ取っていた。保育園を出てからしばらくの間、母親はユウイチに一言も声をかけなかった。ユウイチはその気まずい雰囲気を打開しようと、自分から言葉を発した。
「おなか空いたね」
 すると、今までの気まずい雰囲気が嘘のように溶けてなくなった。
「そうだね、早くおうちに帰ってごはんにしようね」
 と、母親が笑顔で口を開いた。
 大丈夫、いつもと変わらない優しいお母さんだ。
 その時は、ユウイチ少年も安心した。実際、それから家に着くまでは、いつもと変わらない和やかな空気が親子を包んでいた。
 しかし、それも家に帰り着くと一変した。母親は如実に苛立ちを表し始めた。ユウイチには、また一言も口をきかなくなった。ユウイチは、再びやってきた重苦しい雰囲気に戸惑った。
 今日は一体どうしたんだろう、僕、何か悪いことしたのかな?
 どうしていいのかわからず、またさっきと同じ言葉を発してみた。
「おなか空いたね」
「そうだね、早くごはんにしようね」
 母親はそう返事をし、ほんの一瞬空気が和んだが、今度はすぐにまた、苛立ったような重苦しい雰囲気が戻ってきてしまった。
 ユウイチはどうしていいのかまったくわからなかった。ただ怯えて母の様子を眺めていることしかできなかった。しかし、このままではいけない。何とかしなければ。もう一度言った。
「おなか、空いたね」
「うん、そうだね、早くごはんにしようね」
 今度も一瞬空気が和んだが、すぐにまた緊張感が戻った。
 こんなことを何度繰り返しただろう。そしてついに、何回目かで全てが崩れ去った。
「そんなに腹が減ってるなら、ちっとは手伝え!」
 ユウイチが今までに聞いたことがないような絶叫が、部屋に響き渡った。驚いたのと、恐ろしいのとで、ユウイチも大声で泣き始めた。しかし、それは火に油を注いだだけだったようだ。
「泣くなっ! 泣けば何でもそれですむと思ってる!」
 母親が、さっきよりもさらに大きな声で怒鳴った。ユウイチは、そう言われて何とか泣き止もうとしたが、ダメだった。一度泣き止んだかに思えたが、すぐにまた嗚咽が漏れ、そこから弾けたように、再び大声で泣いた。
「うるさいっ! 泣くなっ!」
 母親の怒り狂った声が響いた。しかし、当然ながら、母親が大声で叫べば叫ぶほど、その恐怖心からユウイチはさらに大声を上げて泣いたのだった。
 しまいには、母親は恐ろしい力でユウイチの腕をつかむと、彼を引きずって玄関の外に放り出し、鍵をかけてしまった。
「そこでずっと泣いてろ!」
 ドア越しに、ヒステリックにそう言い放つと、どうやら台所へと戻っていったようだった。
 ユウイチは狂ったように玄関のドアを叩き続けたが、ドアは開かなかった。
 どれくらい時間がたっただろうか、ようやくユウイチが泣き疲れて泣き止んだ頃、ドアが開いた。母親は、謝れ、と言った。ユウイチには、一体自分がなぜ謝らなくてはいけないのか、自分がどんな悪いことをしたのか、さっぱり理解できなかったが、とりあえず謝った。ただ、再び家の中に入りたい一心で謝った。
「ごめんなさい……。ごめんなさい……」
 再び涙が流れた。それは、目の前にいる恐ろしい形相の母親への恐怖と、自分は何も悪いことをしていないのに、なぜ謝らなくてはいけないのか、という悔しさとが入り混じった涙だった。
 そして、ようやく中に入れてもらえた。
 この日以降、母親はほとんど毎晩のように、ヒステリックにぶちキレるようになった。
 
 母親には徹底した負のイメージを持った一方で、父親はヒーロー、というイメージが、幼いユウイチの中にはあった。というのも、父親が帰宅した時に母が荒れ狂っていると、父親が母親をなだめてくれて、家庭に平和が戻るからだった。時には母親と父親とで、ユウイチの目の前で激しい口喧嘩をすることもあったが、喧嘩の後、母親はただふてくされるだけの一方、父親はユウイチに、
「ごめんな」
 と醜態を見せたことを謝ってくれた。
 ユウイチにとって父親はまさにヒーローだった。だから、夕方、母親がいつものようにヒステリックになっていると、必ず、お父さん、早く帰ってこないかな、と思っていたものだった。
 しかし、そのヒーロー像も、まもなくあっけなく崩れ去った。
 その記憶は、父親にぶん殴られたところから始まっていた。なぜ殴られたのかは覚えていない。とにかく、ものすごい力で吹っ飛ばされた記憶だけが鮮明に残っていた。
 恐怖のあまり涙がこぼれ、泣き声を上げた。すると、父親が叫んだ。
「ギャーギャー泣くなっ! 男だろっ!」
 そんな大声で「泣くな」と怒鳴られたら、よけい泣いちゃうに決まってるじゃんか、と内心で思いながら、さらに泣いた。父親はさらに怒(いか)った。
 この繰り返し、以前にも……。そうだ、お母さんだ。お父さんも、結局お母さんと同じだったんだ……。
 その後も、父親も時々ユウイチに牙をむいた。母親ほどの頻度ではなかったが、男親だけあって、怒(いか)った時は有無を言わさぬ威圧感があった。毎日仕事で帰宅が夜遅かったのは、不幸中の幸いだったかもしれない。
 父親についての思いは、高校生になってからさらに変化した。母親が毎日ストレスをためて怒り狂っていたのは、父が、母が仕事をすることに理解を示さず、時には「辞めろ」と言っていたためだとわかったからだ。母親が、昔こういうことがあった、とユウイチに愚痴っていたのである。高校生になって、毎晩のようにヒステリーを起こす母を憎むようになっていたが、実は父親の無理解が母のヒステリーの原因で、父親も憎むべき存在なのだ、と意識した。しかし、それはあくまで表面的な認識で、仕事で不在がちの父親よりも、やはり直接ユウイチにダメージを与えることの多かった母親の方を強く憎んでいた。
 
 ユウイチが初めて、自分なんていなくなってしまえばいい、という感覚を持ったのは、中学生の頃だった。
 例によって、その日も母親がヒステリーを起こしていた。
 ヒステリーを起こす理由はいつも様々だ。例えば、母親が帰ってくるまでにベランダに干してある洗濯物を取り込んでいなかった、と言ってキレる。翌日、ユウイチが洗濯物を取り込んでおくと、今度は、ちゃんとたたんでおけ、とキレる。夕食の準備を手伝わせ、少しでももたつけばキレる。部屋が汚いと言ってキレる。少しでも反抗的な態度を取ればキレる。母親からの要求は際限がなく、理不尽で、全ての要求にこたえ、キレないようにするのは不可能だった。
 この日は、中学生にもなったら言われたことを言われた通りにするのではなく、一を言われたら十を理解して手伝いをしろ、と言ってキレていた。
 ユウイチは、もう疲れ果てていた。
 母親におつかいを言いつけられて外に出た。外は雨が降っていた。涙模様の空に誘われてか、ユウイチの目にもじわっと涙が浮かんだ。
 このまま、家に帰らなければいい。どこか、親の手の届かないずっと遠くに行ってしまいたい。でなければ、このまま雨に打たれて野垂れ死ぬのもいいか……。
 そんなことを考えながら、なるべく家に遅く帰り着くように、ゆっくり歩を進めていた。 歩道橋にさしかかった。下をすごい勢いで車が走り抜けていく。ユウイチは思わず下を覗き込んだ。
 ここから飛び降りたら死ねるかな。死んだら楽になるのかな……。
 しばらく涙目で下を見つめていたが、やおら欄干から大きく身を乗り出した。……しかし、結局そこから飛び出すことなく、おつかいのルートに戻った。
 おつかいから帰ると、帰りが遅い、とまた怒鳴られた。
 その後も、高いところへ行くたびに下を覗き込むようになった。こうした衝動が「自殺」というはっきりとした言葉に変わるのに、そう時間はかからなかった。
 
   六、出口への道しるべ
 ひと通り自分の過去を話し終えた時、ユウイチは泣いていた。熱い涙が瞳からあふれ出て、はらはらと流れて頬を濡らしていた。最後の方は、泣きじゃくりながら話していた。
 女性医師は、机の上のティッシュを二枚抜き取り、黙ってユウイチに手渡した。そして、ユウイチを見守るように微笑んでいた。
 しばらくして、ユウイチの涙がおさまってきた頃に、彼女は言った。
「そっか、小さい頃から大変な思いをしてきたんだね。辛かったね」
 この言葉に、ユウイチはまた泣き出しそうになったが何とか堪えて、言った。
「話していて思ったんですけど、今の憂うつな状態って、昔のこういう体験が影響してるんじゃないでしょうか。最初は関係ないかもって思ったけど……、話せば話すほど、やっぱり関係があるように思えてきて……。あんなふうに育てられたせいで、虐待されたせいで、今、こんなに苦しまなくちゃいけないと思うと、悔しくて、悲しくて……」
 堪えていたものが吹き出しそうになって、ひと呼吸置いた。そして、強い口調で再び口を開いた。
「両親のことが憎いです。僕に直接恐ろしい言葉をぶつけた母親も、母親を追い詰めた父親も」
「うん、そっか……」
 彼女もそれしか言えなかった。両親に憎悪の念を抱くのは良いことではないが、彼の話を聞いて、涙している彼を見ると、とてもそれを否定しようという気にはなれなかった。
 しばらく沈黙が続いた。ユウイチは何かを考えているようだった。そして、ゆっくりと話し始めた。
「でも……、実は僕も母親と同じなんです。昨日もそうだったんですけど、思い通りにならないとすぐにイライラして、キレてしまうんです。昨日は、前の日に授業をサボってしまったと思うと大学に行くのはすごく辛かったんですけど、親も友達も、僕の辛い気持ちなんて理解してくれないだろうと思うと、悲しいのと同時に、怒りの感情が湧いてきて……、部屋の中のものを手当たり次第壁に向かって投げつけたりしてしまったんです。母親よりたちが悪いかもしれませんね」
 そう言って苦笑して、さらに続けた。
「このままじゃ僕も自分の子どもに対して虐待をしてしまいそうです。どうしたら心を安定させることができるでしょうか?」
 言い終わると、ユウイチはすがるように医師の顔を見つめた。
「そうですね」
 と彼女は机の上に手を伸ばして、一冊の本を取った。
「この『認知療法』っていうのがいいと思いますよ。この本に、認知療法の考え方ややり方が書いてあるので、多分大学の図書館に入っているので、借りてみて下さい」
 彼女はメモ用紙に本の名前や著者名などを書き留めると、ユウイチに渡した。
「この『認知療法』っていうのは、うつ病のための精神療法のひとつで、言ってみれば、感情をコントロールするためのメンタルトレーニングかな。憂うつだとか、怒りだとか、感情には必ず思考が伴っているって考えるのね。でも、その思考は必ずしも現実を正確に捉えているわけじゃなくて、必要以上にネガティブに考えていることがあるの。そのために、憂うつとか、怒りとかの感情が湧いてくる。だから、その必要以上にネガティブなところを現実に即した考えに修正してやれば、マイナスの感情も消せるってわけ」
 ユウイチは、医師の話を食い入るようにして聞いていた。なるほど、とも思ったが、ちょっと狐につままれたような感じもした。彼女はさらに続けた。
「例えば、さっき、ご両親もお友達もあなたのことを理解してくれないっておっしゃったけど、これが『必要以上』のネガティブなのかもしれないな、と私には思えたのね。もちろん実際はどうかわからないわよ。私はあなたの置かれた状況を全て正確に理解しているわけではないから。ただ、私には、きちんと自分の気持ちを伝えたら、わかってくれる可能性もあるんじゃないかな、と思えたの。だから、その辺りのことを冷静に考えられるようになれば、憂うつや怒(いか)りの感情も少し弱まるんじゃないかな、と思う。もちろん、そこを冷静に考えるのはとても難しいことで、そのためにはトレーニングが必要なんだけどね。だから、『メンタルトレーニング』って言ったわけ。まあ、詳しいことは、この本を読んで勉強してみて下さい」
 この「認知療法」なるものに、ユウイチはまだ半信半疑だったが、それでも一筋の光明に思えた。気持ちを伝えたらわかってくれる可能性もある、という考え方もある、というのは、言われてみれば確かにそうかもしれないと思った。そう考えれば、前向きになれそうな気もした。とにかく、専門家に勧められたことだし、実際にやって、試してみるしかない、と思った。ワラにもすがる思いだった。
「はい、ありがとうございます」
 そうユウイチが言うと、彼女は、
「いいえ、どういたしまして最初はなかなか上手くいかないかもしれないけど、繰り返しやって練習してみてね」
 そう言って、本を机に戻した。そして、またユウイチの方を振り向いた。
「あと、虐待の件ね。小さい頃の虐待が大人になってからの気分に影響するっていう考え方は確かにあります。『アダルトチルドレン』っていうんですが、居心地の悪い家庭に育つと、大人になってからある種の生きにくさを感じる傾向があるそうです。これは病気としてあるわけではなくて、概念みたいなものかしらね。ただ、私はアダルトチルドレンについては専門家じゃないから、詳しくはわかりません。でも、今日みたいに、昔あった辛いことをカミングアウトすることは大切みたいよ」
 ユウイチは、なるほど、とうなずきながら聞いていた。話の流れでつい、昔のことが今の憂うつな気分と関係があるのではないか、などと話してしまったが、いい年をして親のせいにするなんて、という考えもあって、少し恥ずかしく思っていた。けれど、心理学的にもそういう考え方があると知って少し安心した。親を責めるかどうかはともかく、客観的事実として、過去のことと今の自分は関係がある、と思っておいていいのではないかと、ユウイチは思った。
 また、「カミングアウトすることが大切」という言葉にも心を打たれた。自分が一生懸命、涙ながらに告白したことが受け入れられたと思った。ただ、心配なのは、カミングアウトしてもいいような相手がいないことだった。タケシやヒロコに話しても、また何を言われるかわからないと思った。今の辛い気持ちは話せばわかってくれる可能性があるにしても、昔の心の傷までカミングアウトしてもいいだけの信頼関係を築くには、まだまだ時間がかかりそうだ。
「でも、僕、カミングアウトする相手がいないんですけど、どうしたらいいでしょうか?」
 と、ユウイチは不安げにたずねた。医師は、またにっこり笑って、言った。
「私で良かったら、話を聞くわよ。そのためのホケカンなんだから」
 言葉が胸に染み入った。再び瞳に熱いものが湧き上がってくるのを感じた。でも、それはさっき過去の苦しみを告白して湧いてきたものと違うものだった。
「ありがとうございます」
 ユウイチは深々と頭を下げた。頭を下げたまま、ちょっと目をこすった。
 
 薬を処方してもらって、診察は終わった。処方された薬は、ドグマチールという、元々は胃腸薬だが憂うつな気分を持ち上げる効果も持っているという薬だった。また、授業もなるべく無理をしないように、頑張りすぎは禁物、とのことだった。
 建物の外に出ると、もうだいぶ日が傾いて、空がきれいな夕焼けになっていた。真っ青な空が、西の地平に近づくにつれてオレンジ色へと変わるグラデーション。
 戦いはまだ始まったばかりだ。けれど、ユウイチには、根拠はないが、この戦いにはきっと勝てる、という直感にも似た自信があった。まだ暗闇から完全に抜け出したとは思わないし、些細なことでまた気分が落ち込むこともあるだろう。でも、どの方向に進んだらこの闇から抜け出せるか、それがぼんやりとわかってきただけでも、ユウイチは心強かった。
 もうすぐ日が沈んで夜が来る。でも、明日の朝になれば、日はまた昇る。「明けない夜はない」という言葉を、ふと思い出した。


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