二十歳


大澤 唱二   


 私は、二十歳になった。
 今年の六月のことである。例年ならば私は、この、年齢にひとつ数を加える日を、じめじめとした雨の日、または良くても曇の日に迎えるのだが、今年は違った。私は今、東京ではなく、北海道札幌市に住んでいるからである。北海道に梅雨はない。私の二十歳の誕生日は好天に恵まれた。からりと晴れた、清々しい日であった。もっとも、東京をはじめ本州の梅雨が嫌いな訳ではない。しとしとと降る雨に紫陽花が濡れて紫色に咲いているのは、風情がある。そんな誕生日の迎え方も好きだった。いくつの誕生日だったか、友達が、雨の中を大勢で私の家を訪ねて、おめでとうを言ってくれたのは、嬉しかった。
 二十歳という年齢には、思い入れがある。
 私は小さい頃から、二十歳という年齢をひとつの節目と思ってきた。
 ちょうど十歳の誕生日。私はケーキの上に立った十本のロウソク(数えてみたら、本当に十本あったことを覚えている)を、ふうっと吹き消して、幼心にも、自分は十歳になったんだ、もう年齢が二桁になったんだと感じた。そして、次に浮かんだのは、二十歳まで、大人まで、もう十年。大人になるまでの半分を来てしまったのだという思いだった。大人になったら、あとは、三十、四十、五十……。そして、ああ、その先には死という恐ろしいものが待ち受けている。死とはどんなものだろう。永遠に、見ることも聞くことも、体を動かすこともできなくなる。いや、体そのものさえ、焼かれるか腐るかして、跡形もなくなってしまう。全くの無の世界。考えただけでも恐ろしい。子供ながら、このように死の恐怖におびえていた。そして、こう考えた。自分はいずれ死ぬ。自分の子供もいずれ死ぬ。孫も、その子供もいずれは死に、そして最終的には、人類も滅びるだろう。自分が作ったものも、何もかも、最後にはなくなってしまうのだ。そうなれば、自分の行ったことの全てはいつか意味がなくなる。では一体、自分は何の為に生きているのか。布団に入って考えたが、十歳の子供に答えを得ることができるはずもなかった。二十歳になった今でさえ、その答えはわからないのだ。
 二十歳という年齢から、ものすごい方向へ考えが向かってしまったが、当時の私にとって、二十歳とは、要するに人生の終わりみたいなものであった。子供のうちこそが人生であった。大人になんてなりたくない、子供のままでいたい、永遠に子供のままで……。そう思った。  それから、これは幾つの頃だっただろうか、祖父との関わりで二十歳を意識したこともあった。
 毎年、ゴールデンウィークとお盆、正月に春休みと、長い休みがあると必ず新潟の父方の実家へ帰った。これが、結構大変なこともあって、母が完全に機嫌を損ねてしまうことがあるのだ。だが、それも納得できる話で、父方の実家へは先述の通りよく行くが、母方の実家へはほとんど行かないのである。父方の実家に特殊な事情がある訳でもない。父方、母方共に祖父・祖母二人ずつ、計四人健在である。母方の実家が沖縄にでもあれば話は分かるが、残念ながらそれも違う。母方は埼玉で、父方の実家よりも、東京の我が家から近いところにあるのだ。これでは、母が怒るのも無理はない。
 もっとも、子供の頃の私には、そんな配慮ができるはずもない。なぜそんなに怒っているのかわからず、私が父方の実家へ行くのを妨げているようにしか思えなかった。
 私は、おじいちゃんっ子だった。ずっと小さい頃から、父方の実家では祖父のひざの上が私の指定席だった。おじいちゃん大好きの子供としては、おじいちゃんがいつまで自分のそばにいてくれるのかは、かなり大きな関心事だった。そんなときにひとつの指標となったのが「二十歳」だった。
 祖父の年齢を聞いて、自分の年齢と比べてみる。私が二十歳になった時、祖父は何歳か計算してみた。結果は、八十云歳。子供心に「おじいさんの時計」という歌が心に浮かんだ。時計はおじいさんの生まれた朝に買ってきたもので、百年間動いていたという。「百年休まずにチクタクチクタク、おじいさんと一緒にチクタクチクタク……」というこの歌詞から、おじいさんも百年間生きていたのだろうという推論が成り立つ。人は百歳くらいまで生きるものなんだ、と子供の私は思ったものである。
「じゃあ、ボクが二十歳になって大人になるまで、おじいちゃんは十分に生きていられるな。」  そう、勝手に安心していた。
 そのころの念願かなってか、私が二十歳になった今でも、父方の祖父だけでなく、父・母方の祖父母計四人、健在である。
 十五歳になって、今度は、「あと十年だ」と思ってから五年、二十歳まであと五年だ、と思った。ちょうど中学三年、受験生、中学最後の年だったので、余計に強く、大人とか、将来とか、考えた。
 私は将来、大人になったら、豊かに暮らしたいと考えた。物質面だけでなく、精神面においても、である。ちょうどその頃、学校の国語の授業で、心の豊かさ云々、という話を読んでいたせいもあった。また、当時の私は、受験生ということもあって、勉強がどうとか、高校がどうとか、色々プレッシャーを与えられて、精神面で決して充実しているとはいえない状況にあったせいもあった。なにか、こう、いつでも平穏で、おおらかな気持ちで生きてゆけたら、という思いが強かった。しかし、そういう精神状態が、一体どうしたら得られるのかが、わからない。これを宗教に求めて、一時、ひろさちやという人の監修で描かれた仏教関連の漫画を、熱心に読んだ。読み終えた後は、何かを得たような清々しさを覚えるのだが、現実のしがらみ、即ち、親、学校、進路、といったものと直面すると、すぐにまた煩悩が復活してしまうのだった。
 今、こうして大人になって、人間社会の一端を覗いてみると、今の人間社会は、煩悩を抱き、精神を不健康にしていないと、生きてゆけないような気がする。根拠はないが、何となく、直感的にそう思う。そんなくだらない生き方しかできないのなら、死んでしまいたいと思ったことも、しばしばである。
 十七歳のとき、部活の後輩に次のように言われた。
「先輩みたいな、周りに合わせるのがうまい、世渡り上手な人は、大人になってから、きっと出世しますよ。」
 こう言った彼は、決して悪気があったのではなく、むしろほめて、こう言ったのだろう。 しかし、私にとって「世渡り上手」はほめ言葉ではなかったので、複雑な心境だった。そもそも、私は自分が世渡り上手だなどとはこれっぽっちも思っていなかった。むしろ、言いたいことは比較的よく言い、しょっちゅうまわりの人間と衝突している孤高の人、といったイメージがあったし、私もそのほうがいいとさえ思っていた。そんなところへの「世渡り上手」発言は、結構ショックだった。
 しかし、よく考えてみると、思い当たる節がないでもない。普段、話しかけられた時、特に反発する理由がなければお愛想笑いをするし、内心反感を感じていても、相手が自分より強そうだったり、反感がそんなに大きくなかったりすると、お愛想笑いで誤魔化すこともたまにあった。私には、このお愛想笑いが非常に薄汚い習性に思えて、そういうことがある度に、これを改めようとしたものである。この、私にとっては薄汚い、卑劣な習性が、人間社会で出世してゆくための必要条件らしい。
 ためしに、その後輩に聞いてみた。 「周りに上手くあわせて世の中を渡っていくの、って、下手すると八方美人になっちゃわない? 世渡り上手、っていいことなのかな?」
 答えは、
「八方美人と思われないようにやればいいんじゃないですか? 効率よく出世していけるんだから、いいことでしょう。」
 と大して気にも留めない様子であった。私は、やっぱりそんなものなのか、と溜息をつく他なかった。
 二十歳といえば、飲酒・喫煙だ。合法的に飲酒・喫煙ができるようになる年齢。もっとも、十代のうちに飲酒・喫煙している輩も多いが。かく言う私も、二十歳前にアルコール類を飲んだことがある。といっても、三歳の頃、ビールをジュースと間違えて飲んでしまっただけで、確信犯ではなかったのだが。私はこの時のことは、さっぱり記憶にない。酔っぱらって忘れたわけではなく、幼い頃のことなので覚えていないだけだと思うが。母によると、この時、私は虎のように眼がつり上がって、大声でわめいていたという。私が今、阪神タイガースのファンになっているのは、この三歳の頃の経験に、無意識に影響を受けているせいかもしれない。
 ところで、こんな幼い頃から酒を口にした経験を持つ私だが、今の所、酒は嫌いである。十代の頃からずっと、成人しても酒は飲むまいと思っていた。あるいは三歳の頃の経験から、酒はもうこりごりだと、やはり無意識のうちに酒を敬遠しているのかもしれない。だが、他に、はっきりと意識できる理由もある。テレビドラマなどでよく、グデングデンに酔っ払って家に帰り、わめいて、家庭の平和を乱すような父親がいる。ああいう大人にはなりたくない、と思ったのである。いや、というよりは、あの酔っ払った状態こそが人間の本性なのかもしれない。普段は理性によって自己制御しているが、アルコールによって制御がはずれ、本性を現す。あんな本性が自分にも潜んでいるのかと思うと、自分の本性が露出するのが恐ろしく、酒が好きになれないのかもしれない。とにかく、酒は嫌いだ。十代の頃思っていたように、全く飲まない、という訳にはいかないが、自分から酒を所望したことは、今の所一度もない。


 以下、誕生日当日の日記より。

 二十歳の誕生日は、ちょうど日曜日にあたっていた。部屋の掃除は前日に済ませたので、今はだいぶきれいである。
 今朝、つまり誕生日の朝は、いつもの日曜の朝と大して変わらなかった。平日よりも寝坊して、九時半頃になってようやく、いも虫のようにして布団から這い出る。
 とても天気が良かったので、特にしなければならないこともなかったし、散歩に行くことにした。起きたのが九時半だったので、家を出るのは結局十一時頃になった。のんびりと朝食を食べ、遅いモーニングコーヒーをすすったりしていたのである。今日はこのまま一日中ぷらぷらしていよう、昼飯も外で食おう、と思った。
 札幌駅から大通、すすきのを通り抜けてさらに南へ行くと、中島公園という、比較的大きな公園がある。草や木がたくさん植えられていて、ボートに乗れるような広い池もある。ありきたりな言葉で形容してしまえば、市民の憩いの場、というやつだ。また、公園の中に、文学館やらコンサートホールやらがあって、結構本格的な公園でもある。東京の都心に行けば、上野公園など、このような、広くて緑が多く、文化施設も整っている公園もあるが、私の住んでいた東京の西のはずれには、こんな立派な公園はなかった。
 中島公園へ行くのに、私の家から歩いて四十分くらいかかり、地下鉄を使うと二百円もかかるので、私は今までに二回しか行ったことがない。だからこそ、時間がある今日、歩いて行ってみよう、と思ったのだが。
 のんびりと歩いたので、一時間近くかかってやっと着いた。道中、何をしていたかというと、街の見物である。札幌に住みついてからまだ二ヶ月弱、街のことはよく知らないのである。
 さて、公園に着くと、歩き疲れたのでとりあえず適当なベンチに座る。さっきコンビニで買ったペットボトルの緑茶を飲んだ。
 東京にいた頃も、晴れていて、暇を持て余していると、こうして近くの公園に足を運んだものだ。今も昔も、自分自身は変わっていない、と思った。
 少し休んでから、またぶらりと歩き始めた。お茶と一緒におにぎりも買っておいたのだが、朝食が遅かったので、まだ腹が空いていなかった。
 道の両脇の、動物の毛皮か何かのようなもさもさした芝生を見ながら歩いているうちに、芝生の上に座りたくなった。池が見える辺りがいい、と思ったが、池やその周りにはカップルが何組もいて(日曜の昼なら当然だが)、誕生日に一人でふらふらしているのだから、当然彼女などいるはずもない私には、その風景がしゃくに障ったので、池から少し離れた木陰に腰を下ろした。カップルがいない訳ではなかったが、池の周辺に比べればまだマシである。
 そろそろ腹が空いてきたので、おにぎりをかじりはじめる。
 木陰でおにぎりをかじりながら、考えた。 大人と子供の違いって何だろう? 自分はもう二十歳で、法律上大人になったが、子供の頃と大して変わっていないような気がする。
 懸命に、中学や高校の頃の自分と今の自分を比較してみるが、これといった違いが見つからない。何も変わっていない、自分はまだ子供のままなのではないか、と思った。
 ちょっと見方を変えて、では、大人である、とはどんな状態だろうかと考えた。
 大人とかけて、自分で自分の責任をとれる人、とでも解けば、実に健康的だが、私が「大人」と聞いてイメージすることは違った。そんな解釈をする人は、私に言わせれば偽善者か楽天家である。
 私が「大人」と聞いてイメージするのは、「生ける屍」であった。夢もなく、生気もなく、疲れきっていて、毎日をただ仕方なく生きているように、私には映った。思い返してみれば、小さい子供の頃、私にとって、大人=死であった。意外と、この、大人=生ける屍、というのは当たっているのかもしれない。しかし、だとすると、私は随分前から「大人」になっていたことになる。夢はないでもなかったが、毎日をただ仕方なく生きているのは、高校生の頃からそうだった。それとも、世間を上手く渡っていけることだろうか。周囲にあわせて、現実に大いに妥協して、世間という波に、サーフボードを操るようにして、上手く乗る。それができるようになると、「大人」? ということは、私は今まで、周りにあわせすぎないようにと努めてきたが、それは「大人」になるのと逆行することだったのだろうか。どうも釈然としない。精神を不健康にしている、または、不健康な精神状態を不健康とも思わなくなることなのか……。あれこれ考えたが、考えるほどに頭の中がゴチャゴチャになり、そのうち集中力が尽き、次第にここの所負けが込んでいる阪神タイガースについて考えはじめてしまった。タイガースの選手は、悪いチーム状態を悪いとも思わなくなってしまったのではないか、などと思考が逸脱してしまったのである。
 喫茶店でコーヒーを飲んだり、相変わらずぶらぶらして午後を過ごし、夕方、街も空も朱色に染まる頃になって家に帰る。途中、家の近くのケーキ屋さんから、甘くてふんわりとしたいいにおいが漂ってきた。信号待ちをしていたのだが、せっかくの誕生日だし、何かケーキを買ってこようと思って足をにおいの漂ってくる方向へ向けた。イチゴのショートケーキ、二つ。テーブルの向かい側にもう一つケーキを置き、誰か一人、私の誕生日を祝福してくれているかのような状況を作りたかったのだ。
 夕飯を食べ終えてから、ケーキを冷蔵庫から出して、紅茶を淹れる。甘くて乾いた、土を思わせる香りのする、セイロンティー。セイロン、即ちスリランカの土の香りも、こんな香りなのだろうか、と思いながら、赤土のような色をした液体をカップに注ぐ。
 二つのケーキ―一つはテーブルの向かい側に置かれている―を前にして、昼間の疑問を再び考えてみる。大人になった自分と子供の頃の自分の違い、大人の定義……。向かい側の白い壁に貼ってあるカレンダーの、「20」の文字が目についた。
 しかし、結局、その思考はすぐに中断された。何気なく口に放り込んだケーキが、美味しかったのだ。ケーキ二つとセイロンティー、ペロリと平らげてしまった。

 それ以降、時々は考えを巡らせているが、未だに結論は、出ていない。
(『二十歳』 終)
 

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