育児書には載ってない事 8ページ目


お受験て、悪い?

今日はまじめに。
TVで、「お受験って、悪い事?」という議論がされていました。そのTVを見て思った事。

まずお受験に対して、今まで私は否定的な感情を持っていました。子供に勉強を押しつけているイメージが強かったのです。学歴社会のレールに乗った方が、人生楽になれるだろうという、親の価値観を押しつけているだけなんじゃないかと。それに、自分自身もパパも、高校と大学受験の経験しかありませんし、それで特に問題を感じた事がないからです。

しかし、TVで、お受験で入る事ができる私立小学校の、教育レベルの高さを見ました。子供の可能性を引き出す、様々な工夫、研究されたカリキュラム、意欲のある教師達。そこには、詰め込み学習のかけらも見られませんでした。それになんといっても、子供の可能性を引き出す教育を熱心に研究して実践している、っていうのが魅力的ではありませんか。

でも待ってください。お受験で入る事ができる、私立小学校の教育方針は魅力的ですが、お受験制度に賛成しているわけでは、まだ、ありません。

お受験を肯定する人は、お受験も一つの経験ではないかと言っていました。たしかに一つの経験ではあります。でも、お受験が良い経験かというと、良い面・悪い面、両方あると思います。

まず、受験に受かったとします。その受験へ向かって努力したという経験や、受験に受かった事で自信がつくという良い面はあるかもしれませんが、落ちた人や、公立小学校の人に対する優越感を持ってしまうかもしれませんし、差別意識というのが産まれるかもしれません。逆に、受験に落ちたとします。落ちても、ハングリー精神で、その後の努力が増すという良い面もあるかもしれませんし、落ちたという事で、自信を喪失したり、精神的に傷つくという悪い面もあるかもしれません。

また、お受験も一つの経験ですが、お受験をしない事で得られる別の経験もあるでしょう。まあ、これは五分五分ですね。

さらに、お受験をして選抜された人は、問題を起こすような人が少ないでしょう。そのような、ある意味で平坦化された人たちとの私立の小学校生活は、はたして豊かな経験と言えるのでしょうか?まあ、逆を言ってしまえば、公立の小学校に、悪い子がいるという可能性がある事になります。しかし、そういう子供と接する事で、物事の善し悪しの、判断力が養われるかもしれませんよ。もちろん、子供は判断力に乏しいところがあるので、悪い影響を受ける子供もいますけど。私立学校の教育方針は別として、受験で人選をするという事に対してなら、要は、人選してリスクが無い事をとるか、人選をしないでリスクととなりあわせのリスクがないところよりもハイレベルの何か(善し悪しの判断とか)を得るか、です。

お受験を肯定する人は、小さいうちから勉強しておく事が、大きくなってから、苦労しない、という事も言っていました。これが、小さいうちから脳のトレーニングをしておくと、脳が鍛えられて、大きくなってからも知識を吸収しやすい、という意味の言葉なら、私は賛成します。つまり、つめこみでない早期教育の成果については、肯定的です。

しかし、小さいうちから勉強して、学歴が高いとされる小学校や中学校に入り、学歴が高いとされる高校や大学にエスカレーター式に入れて、それが苦労しない、という意味でいっているなら、人生って、そんなに楽かい?って感じです。学歴が高ければ高いで、それ以上のレベルを目指すだろうし、上には上がいるし。確かに、学歴が高いと、学歴社会の波だけはかぶらなくても済むかもしれません。でも、その波は、人生の波の、ほんのちょっとにすぎませんからねー。他の波をどうやって乗り越えていくかは、やはり他の経験や、その人自身の考え方でしょう?

ただ、もし、お受験の理由が、子供が勉強が好きで、その延長線上に受験があったっていうのなら、いいかなあー。あとは、なぜか、子供の好奇心が、受験というものに向いた、という理由とか。競争原理そのものが、悪い点もあれば、良い点もあるからなあー。

あと、一番には、子供が小さくて子供自身では判断がつかず、それがお受験なのか公立の学校なのか、親がある程度の方向を示した時、その結果を子供が大きくなった時に後悔するような事だけは避けたいんです。親だったら誰でも思う事ですよね。子供が大きくなった時、パパとママはこういう風に考えて、この方向を示したのよー、そしたらあなたも、その方向に賛成だったのよー、って言って。子供が納得できる、そんな理由、ポリシーを持って、お受験をするかしないか、決めたいです。決して、押しつけではなく。

うーん、いろいろ書きましたが、一般的な理由でのお受験には否定的ですが、納得できる理由があるお受験なら許容でき(ただし、人選する点には疑問)、また、お受験で入る事ができる学校の教育方針は魅力的です

解その1:娘がしかるべき年になったら、魅力的な教育を実施している学校を探してみたいと思います。そして、納得できる理由を見つけたら、受験という手段をとってもいいかなー。そして、学校に入学した後には、学校以外の友達や経験を沢山持たせたい。

解その2:やはり受験制度に、子供も私も賛成できなくて、公立の学校に入ったら、その学校の教育方針を魅力的な物に変えるとか。変えられなかったら、学校以外で、子供の可能性をのばす教育を工夫するとかね。

つまり、私立学校も、公立学校も、受験制度も、良い面と悪い面があって、まだ私には結論が出せない、または、私立学校/公立学校、受験させる/させない、どちらに転んでも、その後よい方向に持っていく、ってことよ。

いやー、なんか超理想論になってきた...まだ、現実味がないからねー。これから社会が変わっていくにつれて、また私が変わって行くに連れて、考え方も変わる可能性は、まだまだあります。

10.30.2000

その後、いろいろな受験に関する考えを聞いて、私の考えも上記と若干変わってきましたが、娘がもう少し大きくなってから、考えをまとめたいと思います。

2.2003

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主体性のある子供

TVでね、主体性の無い3歳ぐらいの女の子の悩み相談をしてました。
その女の子、塗り絵をする時も、
「ねぇママ、何色がいい?」「○○ちゃんは何色がいいの?」「うーん、わかんない。ママが決めて。」

でね、何が子供の主体性を伸ばすことを阻んでいるかというと、実は親の理論的な考えの押し付けなんですって。
もちろん、親は押し付けだとは思ってなく、子供が納得できるように説明しているつもりなんです。 だけど子供は、10歳までは、理論を理解できるような脳ではなく、どちらかというと本能が脳を支配しているんですって。 だから、親の説明が本能で理解できないと受け入れられない。だけど、親は、理論的な側面から理解させようとがんばるから、 本能では理解できてないけど、無理に理解しようとして、自分の主体性が押さえられてしまうんだって。

いやー、危ないところでしたよ。私は、子供に考えるということを教えようと思って、なんかいろーいろと理論的な側面から納得させようと考えてた。
だけど考えさせちゃいけないのね。本能にうったえ、心に感じさせなきゃダメなのね。
つまり、のびのびってことですか!

12.10.2000

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子どもへのまなざしという本

「子どもへのまなざし」という本からの引用(若干修正が入ってると思います) 

育児への不安は両親の自分自身の存在に対する不安から来ている 

誰かといっしょにいる状況でくつろげるという努力もすべきなんじゃないかな 

悲しみと喜びは表裏一体だけれど、怒りは別。最近は怒りの感情が大きくなっている人がおおいんじゃないかな。 

競争原理から、優れた人を尊敬できなくなっている、羨望するようになっている  自分の存在価値が狭まるから。

3.27.2004

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