いっそ、噛み痕を残してやる





 
 ――何であんなこと、言っちゃったのかしら。
 医務室のベッドに腰をおろしたは、深い深いため息をついた。
 この船の幹部に位置するであろう2人に、自分の心の内を語ってしまうだなんて。
 その薬学の知識を買われて、奴隷にされそうになったのだ。自分の私利私欲のために、彼らはの知識を利用しようとした。
 剣の先が苦手になったのは、小さな頃に、天竜人に右腕を刺されたことがあるからだ。小さなナイフが自分に振り下ろされる瞬間を、正面からまともに見てしまったは、それからはナイフだけでなく、刃物の先を見ることができなくなった。
「腕の傷を縫ったすぐあとにローと会ったこと、気づいてないよね……」
 はそのことを覚えていない方がいいと思っている。そのことを抜きにしても「死の外科医」トラファルガー・ローの元に居たいと思っていただろうから。けれど、自分の性格が災いして、素直に仲間になりたいと言えないでいる。それに、天竜人の件もある。好きだからこそ、近くにいてはいけないのだと……結論に至る。
 次の島についたら、逃げてしまおうと思う。あと数日もしないうちに着くだろう。
 ――お金も武器も全部置いていくことになるけど……。
 決意を胸に、は少し眠って、現実逃避することにする。





 ローが麻袋を2つ持って医務室へ入ったとき、はベッドの上で丸くなって眠っていた。
 それを見下ろし、ローはしばらく眺める。
 足を戻した後のは、よく体を丸めて眠っていた。たぶん、癖なのだろう。
 ――なんでこんな風に眠るようになったんだ……?
 しばらく眺めていたが起きる気配がない。ローは麻袋を机の上に置くと、ジッパーのついた透明の袋を取り出し、薬草を確認しながら分けていく。珍しいものや、海賊同盟を結んでいた麦わら海賊団の船医から教えてもらってはじめて知った薬草もあった。
 本棚から薬草図鑑を取り出し、わからないものや記憶の曖昧なものはすべて見比べた。
 時折、の方を見るが、彼女は起きた気配がない。

『そんなに欲しいなら奪えばいいでしょう、海賊なんですから。きっと、すんなり攫われてくれますよ』

 ペンギンの声が、脳裏に響く。
 ――奪う……か。
 普段のローならば欲しいと思ったものは奪っていくだろう。だが、相手に海賊らしく奪うことができないでいる。


 思い出すのは、小さな子供の泣き声。しゃくりあげるその声の主は、だ。
 右腕には包帯が巻かれていた。
 ローはまだオペオペの実を使いこなせるだけの医術を持っておらず、彼女の腕を治すのは不可能だった。痛々しい泣き声と腕に、顔をしかめながら、思ったのだ。
 ――この泣き顔を笑顔に、と。
 自分の能力を使いこなすために毎日必死になった。いずれ、この思いを実現するために。


 いまだベッドの上で丸くなっているを見やり、ローは薬草の整理を終えて医務室を出る。もうすぐ島に着くはずだ。
「キャプテン、今回の島は2時間だよ」
 今の島のログのたまる時間だ。
「不足の食材だけにするか」
 食材確保だけなら十分な時間だろう。2時間ぐらいなら、に逃げる時間はないだろうと思う。それに、船内のいたるところに人がいる。
 ――だが、それが間違いだった。
「キャプテン! がいないよ!」
 医務室の扉が少しだけ開いていて、気になったベポがその中を覗き込むと、そこには誰の姿もなかったという。
「あの馬鹿!」
 ペンギンの言ったとおり、攫うしかねぇのか……。
 ローは船を出るため甲板へ行きながら、買い出ししている船員以外は待機を命じた。
「手分けした方が早いんじゃないですか」
 シャチの言葉に少し考えるが、それでもローは待機を命じる。
「キャプテン!」
 ペンギンが珍しく、焦ったようにローを呼ぶ。それにニヤリと笑って。
「うるせぇ。……お前が言ったんだろうが、海賊らしく、な?」
 ペンギンとシャチが目を丸くする。この2人には後々聞きたいことがあるが、とりあえずの奪取が先だ。
「「了解!」」





 手あたり次第に歩くのはやめ、能力で見ることにする。だが、の姿を探すことはできなかった。
 そういえば、前もこんなことがあったと思う。そのときも見つけることができなかった。ならば、彼女は自分の知っている姿ではないのかもしれない。
 ――悪魔の実の能力者、それも、動物(ゾオン)系か……。
 超人(パラミシア)系なら、の体の変化がないから自分の能力で見つけることができる。自然(ロギア)系は、煙などに化けることはできるが、あまりに不自然なため、そのままで居ることは無理だろう。だが、動物(ゾオン)系で、特に、猫や犬のような、ありふれた動物ならば街に潜んでいてもおかしくはない。
 さきほど能力で見たが、犬や猫はいなかった。それに、それほど大きなものに変化して逃げたなら、船員の誰かが見かけてもおかしくはない。
 ――小さな動物、か。
 小さな動物なら、移動範囲も限られる。
 ローは船の周辺だけを探すことに決める。高い場所を歩くことも不可能だろうと推測して、できるだけ低い位置を見やる。
 視界の隅にちらりと動くものがあった。
 口元が緩むのが、自分でもわかる。
 被っている帽子を脱いで手に取ると、その小さな生き物が積みあがった木箱の間に入る前に、帽子で救い上げる。
 帽子の中でもぞもぞと逃げようとするそれを見下ろし。
「残念だったな」
 中の小さな生き物に低い声で言えば、それはビクリと体を震わせたあと「キュッ!」と鳴いて牙をむいた。
 その姿を見た瞬間、ローの緩んでいた口元が意地悪いものに変化した。
「覚悟しろよ? おまえが嫌っていうほど、奪いつくしてやる」





 出航するまで、ローは帽子を片手に医務室にこもっていた。鍵をかけ、ついでに能力も発動していた。
 キュ、と帽子の中から声がする。それを見下ろすと、真っ白なハムスターがいた。
 ――悪魔の実の能力を発動中の、である。
「もうそろそろ戻れ」
 キュ、と鳴いてハムスターは帽子の中で丸くなる。それを見やって、の寝姿と同じだと思う。
「そのままゲージに入れて、弄り倒すのも楽しそうだがな」
 ククク、と喉の奥で笑う。
「好きな方を選べ」
 このままハムスターとして囚われるのか、人に戻るのか。
 キュ……と再度鳴いたハムスターは、帽子の中で暴れる。とりあえずは出せ、ということだろう。
 帽子をベッドの上に置いて傾ければ、トコトコと歩いて帽子から出て、能力を解いた。
 解いた瞬間、はローに腕を引かれて抱きとめられる。
「え? ちょっ……」
「大人しくしろ」
「大人しくって、できるわけな……っ!」
 右手での後頭部を固定し左手で腰を抱き寄せたまま、ローは彼女の首の後ろに唇を寄せた。
「ちょっ、待って! なにやって……ん!」
 ちり、と首の後ろから小さな痛みが走る。
「勝手に何やってるのよ!?」
 いつもの言葉遣いより少し荒いは、驚きに彼の腕の中で暴れた。
「言っただろう?」

『覚悟しろよ? おまえが嫌っていうほど、奪いつくしてやる』

 ローが何を言っているのか理解したが、暴れていた動きを止めて、顔を真っ赤に染めた。
「目の傷なんて後付けの理由だ」
 医務室のベッドへを押し倒し、右腕を取る。あの時の傷はすっかり消え、痕は残っていないようだ。
 ローは傷があったであろう場所に唇を寄せる。
「なっ……何してるの!? 馬鹿、ちょっと! 痕になっちゃうじゃない……っ!」
 唇を寄せた場所には、赤い痕が残っている。
「消える前につけてやる。……忘れられねぇようにな」
 意地悪く口元を緩めたローに、は真っ赤な顔のまま泣きそうになっている。
「忘れるわけないじゃない。何のために私が薬学を学んで――」
 何気に言葉を続けて、は自分の失態に気が付いた。
 やばい、言わなくていいこと言った……! この人、絶対に食いつく!
「へぇ……何のためだ?」
 ローの嬉しそうな声音と表情で、わかっていて聞いているのだとわかる。あまりの恥ずかしさに、は涙の浮かぶ瞳をそっと外す。
「もう、おまえの泣き顔は見たくねぇ」
「もしかして、覚えてるの?」
「俺はあのとき、この腕の傷が治せるほどの医術がなかった。……悔しかった。お前が痛みに泣いているのを、慰めたかった」
 だが、あのときの俺は、それをできるほどの心もなかった。
「シャボンディ諸島で見つけたとき、俺がどれほど嬉しかったか」
 のココロも全部――俺に奪われろ。
 耳元で言われ、は泣きそうになるのを堪えながら、憎まれ口をたたく。
「いっそ、あの姿のまま噛みついてやればよかったわね」
「そんなことすれば、おまえはこの部屋から出られなくなるぞ?」
 言いながら、ローの指はの目元にあふれる涙を拭った。



 俺にの全部を寄越せ。

 あなたは私にくれないの?

 おまえの全部と引き換えだ。

 私の知識も全部……ロー、あなたのものよ。










     
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