左足首の捻挫がようやく落ち着き、ローから外へ出る許可が下りた。ただし、外へ出るときはローが一緒だ。
目を離せば逃げると思っているのだろう。
は少し外の空気が吸いたいと、甲板に出ていた。
「いい風ね」
これで自分に自由があるなら、もっと楽しいだろう。
――まぁ、今更この船をおりるっていうのもね。
仲間にはならないと前に言ってあるので仲間になれという勧誘はされていないが、それなのに船に乗っているのもおかしな話だ。
「、そろそろ中に入れ」
「もう少し」
「これから冬島に入る。――外にいたいならこれを着ていろ」
能力で持ってきたのだろうか、彼の手にはハートの海賊団のマークの入ったローのコートがあった。
「大丈夫よ」
「着ていろ」
強く言い切られ、肩にかけられる。
「ありがとう、少し借りるわ」
ローはの横に立って、彼女と同じ方向を見やる。だが、見えるのは海ばかりだ。
「そういえば、足の痛みはないんだけど走ったりするのはまだダメなの?」
「もう大丈夫だろうが、急に負荷をかけるのはよくない。少しずつだ」
「そうやって言ってるときは医者に見えるわね」
は小さく笑うと、空を見上げた。
「私、ずっと逃げていたの」
「知ってる」
「あなたが私を追うよりずっとずっと前から、逃げていたのよ」
「……そうか」
ローの相槌は知っていたのか知らなかったのか判断できなかったが、彼女は空を見上げたまま言葉を続けた。
「シャボンディ諸島であなたたちが海軍相手に暴れていたとき、私はあの場にいたわ。――会場の裏から逃げたところだったの」
は空からローへ視線を向けて。
「あなたたちが暴れてくれたおかげで、私は楽に逃げることができた。その場にいれば危ないこともわかっていたけど、見てみたかったのよ――どんな人たちがいるのかを。……あなたのテリトリーに居たのも私の好奇心のせいで、あなたのせいじゃないのよ」
「おまえがいたのを承知で、俺は力を使った。あの会場から逃げてきたのも知っていた。――が刀にトラウマを持っていることも知っていて、あのとき俺は刀を振るった」
「知って……いたの?」
「あァ。知ったのは偶然だったが……俺が追えばは逃げるだろうと予想がついた。だから、しばらくは追いつかないように追っていた」
驚きに目を見開くの表情に、してやったりとローは笑う。
「シャボンディ諸島から随分と離れたからな、もういいだろうと今度は手元に置く算段をつけはじめた途端、お前はうまく逃げるようになった」
「もしかして、私がどうやって逃げていたのかも知っているの?」
「……いや」
「そう。……私を手元に置かないほうがいいわ。天竜人が私を探していなければいいけれど、そうでなければ」
「天竜人……そうか、だからあの会場にいたのか」
――奴隷にされるところだった、ということか。
「天竜人がおまえを探していようがいまいが、俺には関係ねェ。――前にも言ったはずだ」
『おまえを俺に、縛り付けたいだけだ』
「……そうだったわ、あなたはそういう人だった。――だから気に入らないのよ。先読みするのが得意なあなたが」
――だけど、それも含めて……トラファルガー・ローなのよね。
胸中で呟くが、声には出さない。この男を喜ばせてはいけない。
「わかったなら、船の中に戻れ」
「そうするわ」
は借りていたコートをローへと返そうと肩からはずそうとしたが、それを彼に止められる。
「そのまま着ていろ」
ローはを振り向くことなく、先に艦内へ入って行ってしまった。
体の芯まで冷たくなっていることに気付いているのだ、きっと。
「だから気に入らないのよ、馬鹿」
「キャプテン、海賊旗が見えますが……どうしますか?」
まだ遠目に見えるだけだ。戦闘を避けるならば潜水、万が一にも戦闘をするならばこのまま海上を航海することになる。
操舵室から海賊旗のマークを確認する。
「大したことねぇな。このまま様子をみて、念のため戦闘準備。向こうが手ェ出してきたら対応しろ」
「了解」
シャチは操舵室を出て、船員に伝えるべく艦内を走る。その声がにも聞こえてきた。
「私も戦闘に参加しても大丈夫かしら」
がこの船に乗ってから、戦闘が一度もなかった。海賊船を潜水して回避していたようだ。
――だから、気に入らないのよね。
彼女は誰もいないのをいいことに、むぅ、と頬を膨らませて拗ねた表情をする。
彼が戦闘体制に持ち込まなかったのは、の捻挫のせいだろうと予想がついたからだ。
「もうそろそろ動かないといけないとは思うんだけど、許可がおりるかしらね……」
ふくれっ面を戻すと、溜息交じりに呟く。
過保護すぎる彼から戦闘許可をもぎ取るのは難しいかもしれないが、一応戦闘準備だけはしておくことにする。
の得物は銃とスタンガンだ。スタンガンは護身用だから戦闘には使うことは少ないが、隠しておくにはもってこいだ。刀にトラウマがあるというよりは、刀の切っ先にトラウマがあるのだ。だから、刀の間合いに突っこむことができない。
「なるようになるでしょ」
はため息をつきそうになるのを堪えて、医務室の扉をあけた。
「さん!? 船長の許可は取ったんですか?」
「取ってないわよ。だって、聞くにもいないんだから仕方ないでしょ」
医務室から出た瞬間、シャチと鉢合わせする。聞かれて答えると、彼は深い深いため息をついた。
「そんなに溜息つかなくてもいいじゃない。あなたたち、あの男に感化されすぎてない? 過保護が過ぎるわよ」
は両肩を竦める。本当に、ここの船員は自分に過保護すぎるのだ。正式に仲間になっていないのに、心を許しすぎる。
「お人よしばっかりね、本当に。これで海賊だなんて」
「そう言われても、さんは船長の客人ですから」
「その口調もよね、本当はそんな丁寧に喋らないでしょ?」
「だ、か、ら! 船長の客人という扱いなんです!」
「はいはい、わかりました。もう言いません」
言っても無駄だとわかり、は言いつのろうとしたシャチの言葉を無理矢理遮った。
「とりあえず、医務室に戻ってください」
「戻るわ、……あとでね」
「あとでって! ちょっと、さん!?」
シャチの言葉を無視して、食堂へ早足で歩いていく。
「うん、大丈夫そう」
痛みもないし不安定でもない。これなら万が一、戦闘に参加しても怪我を負うことはないだろう。
「最悪、逃げればいいわけだしね」
「」
「ようやく出てきたのね」
「医務室にいろとシャチに言われなかったか」
「言われたわよ」
はローの言葉を肯定する。あとでシャチが何か言われては申し訳ないからだ。
「シャチにも言ったけど、過保護すぎるのよ、みんなして」
「キャプテン! 相手が戦闘態勢に入ったよ!」
突然、白クマ――ベポの声がする。
「応戦だ。盗れるものは全て盗っておけ」
白クマが言うのにローはそう返し、ニヤリと笑った。
「アイアイ~~!」
「、今回は相手が雑魚だから許可してやる。そのかわり、俺のそばから離れるな」
「それって意味ないじゃない」
「念のためだ」
――おまえは、俺がどれほどおまえに執着しているのか気付いていないだろう。今はそれでいい……いずれわかることだ。
ローの言う通り、相手は『雑魚』というのが的確で。人数は多かったが、一人ひとりの戦闘スキルがあまりにも低すぎた。
オペオペの実の能力は、使えば使うほど体力を消耗する。面倒だからと自分の移動や物の移動に使ったりするが、戦闘でも結構な頻度で多様する。だが、今回はそれすらも面倒だというように、船員にほぼ任せっきりであった。
ローは船の甲板で、相手の海賊船に乗り込んだ船員たちの動きを腕を組んで眺めている。その数歩前にがいて、銃を構えて、船員の死角にいる敵たちの足止めをしていた。
――まだ一度も狙いをはずしていねぇな。
彼はの動向も見ていたようだ。
「おっと」
相手の船から飛び降りてきた敵船の船長が、ローの元まで来ていた。振りかざした男の剣を軽くかわして、ローが足をかける。大きな音をたててひっくり返った男の腰に、駆け寄ってきたのスタンガンが押しあてられた。
男が動かなくなると、ローはその男を敵船に能力で送り返し、ついでに撤退の指示を出す。
「シャチかペンギンか、あっちの船にいる?」
「こっちにはいねぇから、あっちだろうな」
「ちょっと行ってくる」
「おい! !」
ひょい、と甲板から相手の船へと移ると、は走っていく。
チッ、とローは舌打ちして、「離れるなって言っただろうが」と苦々しく吐き出す。
すぐにペンギンとシャチを連れて戻ってきたは「お土産」と笑った。
「さん、よく気付きましたね」
「前に海軍大佐から聞いたことがあったんだよね。……この船には必要でしょ?」
彼女は笑って、先に戻ってるわね、と艦内へ消えていく。
ローは二人の持っている麻袋の中身を確認する。
「薬草か」
「えぇ。珍しい薬草を、裏で高額転売していたようですね」
「俺には何がどんな薬草かさっぱりわからないけど、さんはちゃんとわかっていたみたいですよ」
――なぜ、俺に言わない? なぜ、こいつらを選んだ?
そんな思いが表情に出ていたのか、ペンギンが呆れたように笑った。
「そんなに欲しいなら奪えばいいでしょう、海賊なんですから。きっと、すんなり攫われてくれますよ」
ペンギンの言葉にシャチが頷く。この短時間で、この二人は何を見てきたのだろうか。
『私、薬学を学んでいたの。……海に出たのは、あの人の役にたちたかったから』
『あの人?』
シャチの問いに、は苦く笑うだけで答えない。手には麻袋を持ち、薬草を見て、選びながら袋へ入れていく。
『――でも可愛い性格はしていないから、素直には言えなくて』
一つの麻袋をシャチへ渡し、もう一つの麻袋を持って、また薬草を選別しながら呟く。
『いっそ、有無を言わさず攫ってくれればいいのに』
麻袋をペンギンへ渡すと、は苦い笑いをそのままに『今の話は誰にも言わないでね?』と言った。
ペンギンとシャチは顔を見合わせ納得し、そして、頷いた。
「キャプテン、わかるかなぁ……」
シャチの呟きが落ちる。それにペンギンは肩を竦めて。
「さぁな。キャプテンのこと『気に食わない』って言ってるけど、本心は違うよな」
「だろうなー。さっきの『あの人』って、絶対、キャプテンだろー?」
「何であんなにこじれるのか……」
「気に食わないって言いつつ、さっきの戦闘でもほら」
ローの足払いの後にスタンガンを押し付けるの姿を思い出す。
「戦闘スキルは違っても、息が合ってるよな」
「……キャプテンが、欲に負けて攫ってくれると万事解決なんだけど」
はぁ、と二人の溜息が落ちた。
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