「・・・・・・?」
城壁の上に見えるものに視線を向け、その鮮明な紅に彼は瞳を和ませる。兵士たちが訓練をしているその向こう、木々のざわめきがなければ気づかなかっただろう、その場所。
「殿」
「カミューさん、どうしましたか?」
なにか用かと問うに、カミューは「用というわけでもないのですが」と言った。
「珍しいですね。貴方がそのような鮮やかな色を身に纏うのは」
壁の上に腰をかけて、見上げてくるカミューを見下ろして、は目立ちますか?と苦く笑う。
「その服は目立ちますが、この場所は目立ちませんね」
カミューの笑みが深くなる。
「それにしても、こんなところでかくれんぼとは」
はその言葉に困ったような顔をしてしまう。
「ニナとナナミに追われて・・・」
「あぁ、なるほど」
酒場の前を通りすぎたとき、ニナとナナミがレオナと話しているのを見かけた。その顔が残念そうだったのを思い出す。
普段から身なりを気にしていない風の彼女は、スカートや胸元のあいた服を着るのを極端に嫌がる。
「ビクトールやフリックたちと会う前から、女性ということを隠していらしたのですか?」
カミューは見上げたまま問いかける。
「そう・・・ですね」
カミューを見下ろしていたは城壁の上から外を見やる。
「僕は・・・あなたたちに偽りを見せているのかもしれない」
「偽り――・・・そう言われればそうなのかもしれませんね。けれども、今その姿の貴方が『貴方』ではありませんか?」
「今の、僕・・・?」
「そうです。女性ということを隠している貴方が、今の貴方ではありませんか」
カミューは柔らかな声音で言いながら、右手をへと差し出す。は不思議そうに首を傾げ・・・そのあと、意図に気づいて。
「自分でおり・・・・・・!」
「私が貴方の手を取りたいのです。遠慮なさらなくても良いのですよ?」
有無を言わさぬ声での言葉を遮る。
「でも・・・」
「それとも、私のささやかな望みさえもかなえてはいただけないのでしょうか?」
は本気で困っているよう。
暫くカミューの手を見つめて・・・・・・それから、意を決したように差し出されたままの右手を取った。触れた途端に握られた左手を引かれ、城壁の上に据えていた腰が浮き上がる。そして、重力に逆らえぬまま。
トン・・・と軽く地へ下り立ったの腰に支えるように置かれているカミューの左手。
「鮮やかな紅もお似合いですね」
真紅と言っても差し支えのないその色。いつも黒か黒に近い色しか身につけない、更に装飾品の類をつけない彼女は、気難しい顔をする。
「今が戦争の最中でなければ、私は間違いなく結婚の申し込みをしていますよ」
本当に残念です。
そう言いながら、彼の手がの腰を引き寄せる。
紅に金の刺繍の入ったチャイナドレス。間違いなくレオナが用意したものだろうと思う。けれども足元を見れば裸足で、それがカミューの心を揺らす。
足元を気にする余裕もなかったのですね、貴方は。
余程辟易しているのだろうと可哀想になり、彼は両手でいきなり抱き上げた。
「ちょっ・・・!」
突然のことに暴れたを抱き上げたまま、役得とばかりに彼は満面の笑み。
「私に任せてはいただけませんか?」
抱き上げたまま腕の力を強めると、は慣れないことに顔を真っ赤にしながら、少し膨れっ面をする。そんな表情を見るのははじめてで、それがカミューの心を激しく揺さぶる。
「恥ずかしければ寝ているフリをしていてください。貴方の部屋までお送りしますよ」
こんな役得は滅多なことでは遭遇できない。カミューは楽しむことにする。
「で、でも・・・っ」
「先ほども言いましたが――・・・私は貴方に好意を抱いています。そんな私が貴方の不利になるようなことをするとお思いですか? 大丈夫ですよ、この状況では襲うことすら出来ませんし」
真っ赤になっていたの顔が絶句し、そのあと耳まで真っ赤にするに、カミューは本当に可愛い人だと胸中で呟く。こんな台詞を吐けば本気で暴れてしまうことが予想できるから、口に出すことはしない。
「でも――・・・」
どうしても決心がつかないのか、はそれでも口ごもる。
暫く、カミューの笑みの残る顔を見上げて・・・・・・それから、意を決して小さく頷く。
「それでは、行きましょう」
は彼の歩みにあわせて揺れる身体を持て余し、耐え切れなくて両目を閉じる。
「カミューじゃないか。・・・・・・これはこれは」
訓練場からではなく、宿屋に続く入り口から入ると、早速出会ったレオナ。腕の中にある紅の服が誰なのかがわかって、彼女は暫く眺める。
「似合ってるね。この子はこういう派手なものも似合うと思っていたよ」
けれども、この足じゃあねぇ。
足元が裸足であるのに、レオナも気づいたらしい。
「えぇ。兵士の訓練場の隅で隠れて眠っていらしたので。風邪を引かれてしまいますから」
「ナナミにどうしてもと迫られて、何年か前に買ったまま着なかったものを渡したんだけど・・・・・こうなるのなら渡すんじゃなかったよ」
レオナはの寝顔を見ながら、そう言って苦笑する。
「、悪かったね」
前髪を撫で上げて、小さく笑う。
「狸寝入りは得意だものね」
どうやらレオナにはわかっていたらしい。それでもは目を開けることをしない。
「ふふふ。を眠ったまま無事に届けたいなら、一階の広場は歩かない方が良いよ。特に石版の前はね」
石版の前にいる主を思い、カミューは「そうかもしれませんね」と両肩をすくめて見せた。
石版の前にいつもいるルックは、とよく口喧嘩をしている。一方的に言いくるめられている、と言ってもいいくらい、ルックに冷たくあしらわれているけれど、彼がここまで口を出すのはとここの城主であるだけだ。
「・・・殿?」
そこまで考えて――両腕に抱く主を見下ろせば、すぅ・・・と小さな寝息。
「本当に寝てしまわれたのですね」
寝心地が良かったのか、疲れていたのか。どちらにしても眠るを部屋まで送り届けるということにはかわりはない。このまま自室へ持ち帰っても、彼女に不信感が募るだけだ。それは、得策ではない。
「安心していただけるのは、とても光栄ですけれど、ね」
やはり、少しだけ期待していたのだと自分の気持ちに苦笑する。
レオナとわかれて、石版のある広場へと歩みを進める。やはり石版の前には、ルックがいた。彼はカミューの腕の中のに気づいたが、何も言ってはこなかった。ただ、視線だけが二人に注がれている。
エレベーターで3階まであがる。すると、おりた目の前にナナミとニナの姿。
「あーっ! ちゃんっ」
ニナの叫びにナナミが振り返る。
「ちゃんっ! ・・・と、カミューさん」
ナナミはと一緒に視界に入った彼を交互に見比べる。
パタパタと歩み寄ってくる二人を視界に入れながら、カミューはそれから避けるべく体をの部屋へと向け歩き出す。
「カミューさーん、待ってーっ」
その声にはじめて彼女たちの存在に気付いたように立ち止まる。
「何用でしょう? 急ぎでなければ後ほどにしていただきたいのですが」
カミューにしては珍しく、丁寧な口調の中に確かな刺があった。
「ちゃん、どこにいたんですか?」
「探していたんだけど見つからなかったから」
二人が問う質問に答えることは出来ない。また同じことが起これば隠れる場所がなくなってしまう。
「城内にいらっしゃいましたよ。・・・それよりも、彼女の着ている服はあなたたちが?」
問われた話題が嬉しかったのか、二人は満面の笑みで頷く。
「コーディネートは良いのですが、惜しかったですね」
カミューは眠るを見下ろして。
「とても疲れた顔をしていましたよ。彼女はれっきとした傭兵で、戦場で生きてきた戦士です」
「だからっ・・・!」
たまには女性らしく着飾って。そんな思惑が二人の中にあったのだろう。けれども、それは彼女の望むものではなかった。
「人はそれぞれ得手不得手があります。殿には、それが不得手だったのでしょう」
カミューの視線がの足元にいくのに、二人の視線がつられたようにそちらへ向けられ。
「気持ちは嬉しかったはずですが、彼女の意には応えられなかったみたいですね」
裸足の裏には土が。
「土がこんなに・・・・・・」
二人の視線が足元から顔へと。
「謝らなきゃ・・・」
「大丈夫ですよ。いつも通り、貴方たちは笑顔で彼女の傍にいてあげてください」
それじゃ、私はこれで。
カミューは微笑みを彼女たちに向け小さく頭をさげ、そこをあとにする。
一番奥にあるの部屋へ入ると、ベッドへおろす。
「本当に眠ってしまわれるとは・・・」
戦場で培った感覚は眠っているときにでも発揮する。物音や気配に敏感で、もしかすると、カミューやマイクロトフのような騎士よりも勝るかもしれない。
小さな寝息が途切れ、瞼が痙攣する。
もうすぐ目が覚めるだろうと、見える位置にあったタオルを手に取った。
「・・・カミューさん、ありがとうございました」
自室ということに気付いた彼女は、躊躇いがちに礼を述べる。
「こちらこそ、珍しい貴方の寝顔も拝見出来ましたから・・・居合わせて本当に良かったですよ」
「あっ、あのっ・・・」
「殿、これを貸していただいてもよろしいですか?」
突然の話題変換に驚きながらも、彼女は小さく頷き上体を起こした。
「その足はさすがにいただけませんからね」
カミューは言うが早いか、テープルにあった水差しからタオルに注ぎ、それを右手に持って膝を折った。
「こちらを向いていただけますか?」
「自分でできますっ!」
「素直に向いてはいただけませんか・・・。では、仕方ありませんね」
彼の口調が本当に言葉通りだったため、は気を抜いていたらしく。
「カミューさんっ!」
の足首を持ってベッド前に膝を折っている自らの前に、彼女の下肢を向ける。勢いにつられて上体のバランスを崩した彼女は、それを慌てて起こしながらは叫ぶ。
「なにか不都合でも?」
不都合もなにも・・・っ!
の叫びは声にならず。
「なら、良いですね?」
「イイわけないでしょ!?」
「何故?」
「・・・・・・っ」
鮮やかな笑みに二の句が告げない。
「もう、好きにしちゃってください」
諦めたらしいは恨めしそうな表情をして明後日の方へ向く。
カミューは土で汚れたの足元を濡らしたタオルで拭うと、綺麗になったその肌に唇が触れそうなほど近づけて。
「貴方の『女性としての時間』を私にいただけますか?」
「・・・・・・!!」
驚きに顔をカミューへと向け・・・・・・それから。
「さっき言ったこと・・・っ」
「さっき・・・? あぁ、『戦争中でなければ』ですね。ですから、これはプロポーズではなく、デートのお誘いですよ」
「あぁぁぁっ! もう! わかりました!」
何をどんなに言っても、カミューに口で勝てるわけはないのだ。それも、彼に誘われることが嫌ではない自分をわかっているから。
「それはよかった」
カミューは口元の笑みを深くして、いまだ捕らえたままのの足に口付けた。
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