灰のなか夜のいろ  1





 
「おはようございます、マスター」
 木の扉を開け、そう挨拶する。
「あぁ、おはよう」
 時計を見れば、夕刻の四時過ぎ。時刻と挨拶がかみ合っていないが、いつものことだ。
「今日は誰です?」
 マスターと呼ばれた男は、カウンター内から手配書を取り出し、その上に置いた。
「主役級のお客人ですか」
「そうだ。……今日は気を抜くなよ?」
「了解です、マスター」
 じゃ、着替えてきますね。
 言いながらカウンター奥にある扉へと消えていく後姿を眺め、男は息を吐いた。
 手配書には、隈のある、帽子をかぶった男の姿。億越えのルーキーが写っている。
「ルーキーには小競り合いがつきもの、か」
 小さな海賊団は名をあげるため、自分より大きな海賊団に手を出す傾向がある。それを彼は危惧している。
「仕方ないですよ、そればかりは」
 諦めるしかありませんよ。
 奥から出てきた人物は、黒髪を手櫛で整えながら、マスターへ視線を向けた。
 少し長い前髪は、目の表情を隠している。
、今日はできるだけ喋るなよ?」
「リョーカイです。オレだって嫌ですからね、ちゃんと心得てます」
 彼は胸ポケットから眼鏡を取り出しかける。
「開店準備は?」
「あらかた済んでる。結構飲むようだからな、酒もそこそこ揃えた。――あとな、これだけは覚えとけ」
 …………梅干しとパンを極度に嫌っているからな、絶対出すな。
「お米は?」
「米は好物だな。――コックに言って、二升炊いてもらうよう頼んでいる。握らなきゃならないだろうからな、手伝ってやってくれ」
「はーい」










「キャプテーン!」
 キャスケット帽をかぶった船員が、村から戻ってきた。
「言われたとおりに行ってきました」
「そうか、時間は?」
「五時から開店だそうで、都合のいい時間で、と。こっちにあわせてくれるっての、珍しいですね」
 大抵、時間を尋ねると遅めの時間を指定される。ついでに、あまりいい顔もされない。
「しかし、いいんっすか、言っちゃあ悪いかもしれないっすけど、他のところの方がいいモノ出そうですよ? 店も大きいし」
「店が大きいからイイってわけじゃねぇ」
「そうっすね」
 船長とキャスケット帽の船員が話しているところに、深めに帽子を被った船員がやってくる。
「シャチ、お前はどうする?」
 キャスケット帽の船員は、問われて彼を見る。
「もちろん行くよ、ペンギンも行くだろ?」
「当たり前だ。――キャプテン、時間は?」
「六時」
 キャプテンと呼ばれた彼は、時間だけを言うと、船内へ入っていった。










 小さな島だが、一通りの店は揃っている。酒場は三軒あるが、一軒は他の二軒に比べると半分以下の広さだ。だが、船長はその店を指定した。
 船員は総勢20人。全員が入れば、店内はいっぱいになるだろう。
 カウンターには椅子が5つ。あとは、店内に4人がけのテーブルとイスが所せましと並べられている。
 身の丈程ある太刀を手に船長室を出た彼は、ゆったりとした足取りで船をおりて歩き出す。船には数人が、今夜の船番として残っている。
 港から歩いて数分、目的地である酒場に着く。
 中からはすでに、仲間たちの声がかすかに聞こえてくる。
 キィ、と木の扉を開くと目の前にカウンターがあり、そこに店主であろう人物がいた。
「いらっしゃいませ」
 自分を海賊と知っているはずなのに、店主は怖がっている素振りを見せない。
「あぁ」
 小さく返事をし、店主の目の前に腰を下ろす。
「あ、キャプテン! ここの酒、美味いっすよ!」
 シャチがキャプテンを見て、手にあるグラスを掲げる。かなりの上機嫌だ。
「へぇ」
 口元に薄く笑みを浮かべた彼は、椅子から腰をあげてシャチへ近づき、そのグラスの中身の香りを嗅いだ。
「確かに上物だな。これと同じものをくれ」
 不機嫌そうな表情が常である彼が目元までも緩めることは珍しい。それほど気に入ったのだろう。
「どちらに?」
「そこでいい」
 店主の目の前を指さし、そう言う。
「さっきの酒、出してくれ」
 カウンターの奥に店主が声をかけると、中から眼鏡をかけた男がグラスを持って出てきた。
「どうぞ」
 男はカウンターに置くと、すぐに奥へと消えていく。
「今のは?」
「バイトですよ。さすがにわたしとコックだけでは、この人数を賄えませんから」
「おーい、ビールくれー!」
 店内の奥から、クルーの声。それに返事することなく、カウンター奥から現れた彼は、右手にビールを持ってやってくる。
 クルーでごった返している中を、人に当たることなくするりと抜けると、ビールを発した男に手渡し、空になったジョッキを引き上げる。
 目元の隈が自分の人相を悪くしていることを承知で、キャプテンと呼ばれている彼は、酒を舐めながら一部始終を眺めやる。
 見られているのがわかると人は居心地が悪くなるものだが、バイトの男はそういったことには無頓着なのか、平気な顔をして奥へ入っていく。
「ところで、俺たちのことは聞かないのか?」
「手配書で知ってますから」
「へぇ……知っているのに、この対応か」
 ――死の外科医、トラファルガー・ロー。億越えのルーキー。
 普通ならば、萎縮するはずだ。
「あなたが何か問題を起こすのならば別でしょうけど、クルーの方々も悪さする感じもないですし。いっそ、小さな海賊団の方が面倒ですよ」
 店主は言って、苦笑いする。
「そりゃそうかもな。俺たちは別に、争いに来てるわけでも、奪いにきたわけでもねぇし」
 飯と酒にありつけりゃ、文句ない。
「わ! ベポ!」
 ドスン、と音がしたかと思ったら、白クマが寝転がってしまっている。
 音に気付いたのか、奥からまたバイトの男がやってくる。手には毛布を持って。
「ん?」
「どうしました?」
「いや、何でもない」
 ローは毛布を持った男の、ズボンの後ろポケットに入っているものに気付く。
 ――折りたたみナイフだな。
 白クマに大きな毛布をかけると、また奥へ消えていく。
「あの男、よく気が利くな」
「彼はね、しゃべるのが得意じゃないんですが、よく気が利くし、よく働いてくれますよ」
 店主の視線が、店に戻ってきた姿を見るのに、つられてローもそちらへ向ける。
 背はローの肩よりも下だ。男にしては背が低いほうだろう。少し長い前髪で瞳は見えない。細い黒縁の眼鏡をかけている。
 アルコール度数の高い酒をゆっくりと飲んでいるローに、ペンギンが「どうします?」と問いかける。どうする、とはベポのことだ。
「彼がそのままで大丈夫なら、うちはかまいませんよ」
 今日は、ハートの海賊団さんの貸し切りにしていますから。
「悪りぃな、しばらく寝かせてやってくれ」
 ローの言葉に店主は頷く。
「キャプテン、ログがたまるまでココにしません?」
 シャチの言葉にローは店主を見る。さすがに毎日この店に居座ってもいいものだろうか、と視線で問う。
「多少、酒の仕入れが変わるだろうが、それでもよければ」
 毎日、同じ酒は手に入らないと言いたいのだろう。
「俺たちはこの店の方が都合いいが、そっちはいいのか?」
 空になったグラスをカウンターに置くと、ローは問う。
「未払いにされなければ、大丈夫ですよ」
「じゃ、契約成立だな。ログがたまるまで、頼む」
 船員が騒ぐ中、店員の男が奥からひょっこり顔をだす。店主を呼び寄せ、何かを言っている。
「米が炊けたんだが、食べるかい?」
「「「米!?」」」
「「「おおーー! 米だーーー!」」」
 店主はその声に圧倒されたように驚き固まる。
「酒場なのに米があるのか?」
 ペンギンの言葉に店主は少し笑う。
「焼き魚定食なんかもできるぞ?」
「朝食いてぇぇ」
 シャチが言うのに、他の船員も腹を抑えて笑っている。
「確かになァ、聞いたら腹、減ってきた」
「今までさんざん、食ってただろうが」
「朝はさすがに仕入れに行かなきゃならんから無理だが、昼すぎに来るなら作ってやるぞ?」
「本当か?!」
 ローは船員の嬉しそうな言葉にしかめっ面をしている。
「迷惑だろうが」
 その話を聞いていた男が、ふぅとため息を吐くのを視界の隅にとらえて、ローはそちらに視線を向ける。
「マスターの悪い癖だ。気に入ると世話をしたくなるんだよ」
 男にしては少し高い声だが、落ち着いた声色だ。
「ところで、米はどうするんです? 握ってもいいし、茶漬けでもいいし、何ならリゾットとかもできるけど?」
「俺、お茶漬け食いたいー!」
「おれ、リゾット!」
「ベポが食い物につられて起きた!」
「――と、いうことらしい」
「リョーカイです」
 男は右手をひらりと振り、奥に消えた。
「あの男も料理を?」
「コックの修行はしたことないが、結構うまいぞ、アイツの料理は」
 店主は自慢げに胸を張る。
 男は簡易コンロを右手に、火を通すだけになったリゾットを左手に、店内の奥の机へと向かう。白熊のいるところだ。
 テーブルの上を軽く片付け、簡易コンロに火をつける。上に蓋をした鍋をのせると、「熱くなるから気を付けて」と言って、隣のテーブルを片付け始める。
 空になった皿やジョッキを片付けて奥へ入ると、すぐ、右手に茶碗をのせたトレイ、左手に急須を持ってきた。
 テーブルにその茶碗を置くと、上には焼いた塩鮭のほぐした身がのせてあった。
「おおおおおお!」
 男らの感嘆などお構いなしに、彼は急須から液体を茶碗へと注いだ。
「出汁茶漬け。食べる人は熱いうちにどうぞ。あ、リゾットはそのまま食べると火傷するから、取り皿とスプーン持ってくるよ」
 他のテーブルにあった空の皿とジョッキを引き上げながら、また奥へと行き、今度は言ったとおりに取り皿とスプーンを用意して、リゾットのあるテーブルに置いた。
 カチリと火を消すと、お玉で取り皿によそって、どうぞ、と声をかけた。
「悪いけど、あとは自分で好きなだけ取って食べて」
 そう言って、また奥へと戻っていく。
「確かに、よく働くな」
「でしょう?」
 くるくるとよく動く姿は、見ていて飽きない。
 次に、大きな皿を両手に持ってやってきた。一番手前のテーブルにそれをのせると、ふぅ、と息を吐いて腰に両手をあてた。
「おにぎりの中身はおかか。もう片方は、醤油塗って焼いたのと、味噌塗って焼いてる」
 そう言いおいてまた消えていく。
 まだあるのか、とローが思いながら姿を追っていると、今度は自分の目の前に置かれた、長く四角い皿。その上にはおにぎりが3つ乗っている。
「とりあえず、さっきの一つずつ乗せてる。気に入ったのをあちらからどうぞ。リゾットはもうできないけど、出汁茶漬けはできるから、必要なら言って」
「――あぁ……」
 焼きおにぎりとは珍しいと、ローは左手に持って噛みつく。
 男はカウンターの隅で、ローが食べるのを見ている。
 隈の濃い目元が、少し和らいている。酒の香りを嗅いだときと同じ、上機嫌の表情だ。
「ねぇ! このおにぎり、船に持って帰ってもいい?」
 つなぎをきた白熊が、店主に向かって声をかける。
「それ、全部食べられるなら、持って帰る用を別に包むけど、どうします?」
「まだ米があるのか?」
「まぁ、男が大半の20名なら、結構必要かと思ったので」
「じゃあ、お願いしまーす!」
 白熊のお願いに、ウエイターの彼は口元に笑みを吐いて、奥へと身を翻した。





「ありがとー! 明日もよろしくねーーー!!」
 ベポは上機嫌で、お土産用に包まれた袋を大事そうに抱えている。
「しっかし、酒場でこんな美味い米が食えるとはなー」
「確かに」
 シャチやペンギン、他のクルーたちも上機嫌だ。
「おまえら、明日は少し控えろよ?」
「えーーー!」
 ブーイングにローは目元を緩めたまま、刀でコツリとシャチの頭を小突く。
「あそこはな、店主と店員とコックの3人しかいねぇんだ。おまえらがやりすぎると、そのうちぶっ倒れるかもな?」
「それは困る!」
 船へと戻る船員たちを見やりながら、立ち止まる。微かな音が風にのってローの耳に届いた。クルーたちは気付かないようだ。
「おまえら、先に戻ってろ」
「キャプテン?」
「野暮用だ。すぐ戻る」
 右手に刀を持ったまま、ローは来た道を戻っていった。










「昼の定食は任せていいか?」
 店主の言葉に、彼は「もとからそのつもりだったんだろ?」と苦笑い。
はそっちの方が得意だろう?」
「そうだけどさ、だからってなー」
「美味い飯を食わせてやれよ?」
「やけに気に入ったんだな、あの海賊団」
 と呼ばれた男は、眼鏡をはずしながら、店主に呆れ口調で言う。
「まあな」
「気に入るのは勝手だけど、オレまで巻き込まないでくれよ」
 は言いながら奥へと向かい、しばらくして戻ってきた。
 ブカブカのパーカーにジーンズ。それに履き潰したスニーカーという恰好になった彼は、帰る準備万端だ。
「あとの片づけはやっておく」
「あたり前でしょうよ。マスターよりも先にオレ、出勤なんっすからね」
「頼むよ」
「仕方ないから頼まれました」
 言っては店の扉を開けた。
 マスターは消えていく後姿を見ながら、トラファルガー・ローを思い出す。
 あの鋭い瞳で、終始の動きを見ていたのをマスターは知っている。関心があるのだろう、に。
 閉店するまでの間、マスターはの名前を一言も言っていないし、本人も必要以上には喋らなかった。に至っては、見られているのを知っていて完全放置だ。
「赤髪がを見つけるのが先か、トラファルガー・ローがを仲間にするのが先か」
 ――悪いな、。俺はおまえをこの島で燻ぶらせるのは惜しいんだ。
 赤髪はきっと、を見つけても仲間にすることはしないだろう。の両親が元船員だったとしても――そういう男だ。
 も赤髪に会いたいとは言っているが、クルーになろうとは思っていないだろうと思う。
「どちらにしても、アイツが自分を偽る必要がないのが一番イイんだが……」
 が出ていった扉をしばらく眺めた後、よいしょ、の声と一緒に椅子から腰をあげた。





     



 
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