灰のなか夜のいろ  2





 
 うっわー、最悪。
 はため息をつく。店から家までは比較的大きな道で明るいのだが、自宅近くに一か所だけ、暗くて狭い道がある。そこに、海賊や山賊がたまに出没するのだ。
 身ぐるみはがすぞー、ってタイプの連中だな。
 呑気に胸中で呟きながら、は両手をパーカーのポケットに突っこんだまま歩く。
「おい、無視するとか、いい度胸だな?」
「お金なら持ってませんよ?」
「あぁ?!」
 ほら、と言いながら、はポケットから小銭を取り出す。
「使っちゃって、今はこれだけしかないんで、見逃してもらえません?」
「馬鹿にしてんのか!?」
 を取り囲むのは5人。武器はナックル、サーベル、ナイフ。ナックルの男は大きく、背は先ほどまで店にいた、ハートの海賊団の船長と同じぐらいだろうか。
 筋肉が酷い……。
 無駄な筋肉、いっぱいついてるっぽくてカッコ悪っ!
 さすがに口には出さないが、男たちは馬鹿にされたと理解したのだろう、目の色が変わった。
「あーあ、オレ、一般人なのに。不名誉な結果になってもしりませんよ?」
 男たちは聞き取れない言葉を吐き捨てながら、へとサーベルを振り下ろす。だが、はひょい、と軽いフットワークで避ける。両手はポケットのままだ。
 さすがにこのままだと面倒なことになりそうだと思って、気が滅入る。
「面白そうなことしてんじゃねぇか」
 そこに気配なく現れたのは、トラファルガー・ロー。身の丈程の刀を手に、ニヤリと笑みを浮かべている。
 やっちまえ! の声に、男たちはローへと向かって走り出す。
「山賊か。おまえらにはコレで十分だな」
 ローは刀の鞘を抜かぬまま、瞬きする間もなく倒してしまった。
 オレはこの隙に逃げよう。
 はローの視界から外れて逃げようとするが、彼の長身にかかれば数歩で捕まってしまう。
 ローはパーカーのフードを掴んでグイグイと自分の元へ引きずってしまう。
「助けてやったのに、礼もなしか」
「助けるもなにも、勝手にやっつけたんだろ。オレは頼んでねぇし」
 ――これがこいつの『素』か。喋りが得意じゃねぇってのも、嘘だな。
 ククク、と喉を鳴らして笑うと、ローはフードを掴んだまま引きずって歩き出す。
「ちょっ、ちょっと! オレの家はそっちじゃねぇ! フード、引っ張んな!」
「おまえに用がある」
「オレはねぇよ。それに、オレは明日早いんだ」
「そうか、なら船で寝かせてやる」
「言ってる意味がわかんねぇ! 店の仕込みがあるんだよ、昼飯、食いにくるんだろーが」
 細い癖に力あるな、こいつ!
「あー! もう! わかった、わかったから引っ張るな。行けばいいんだろ、行けば」
 投げやりに言えば、ローはようやくパーカーを引っ張る手をはなした。










「で? オレに用ってなんだよ」
「まずはコーヒー入れてくれ」
「はあ?!」
 ハートの海賊団の船である潜水艦に入ったは、食堂に案内され、ローにそう言われて目をみはる。
「オレの分は?」
 無言の視線がに刺さる。
 はいはい、勝手に自分の分も作りますよ。なんなんだ、いったい。オレを家に帰らせろ、そんでもって、明日の昼におまえは来るな。
 胸中で文句を言いながら、キッチンへと入る。コーヒーの豆は挽いたものがあったから、それを勝手に取り出し、ペーパードリップなのだろうセットを見つけて、それも取り出す。
「で? あんた専用のカップがあるんじゃねぇの? それと、オレが使っていいカップも教えろ」
「コーヒーのあった棚はどれでも使っていい」
「あ、そ」
 なんでオレがコーヒーなんぞを、この誘拐犯に作ってんだ。それでも、コーヒーを美味しく飲みたいからちゃんとした淹れ方してるオレって……。
 カップを二つ手にして、椅子に足を組んで腰かけこちらを見ている誘拐犯の前に置いた。
 無言でテーブルに置いたカップを、ローも無言で手に持つ。ゆっくり一口飲むと、を見やった。
「で?」
「あぁ?」
「あんたが用があるって言ったんだろう? まさか、コーヒー作らせるだけとか?」
「随分と気が短いんだな」
「あんたが短くさせてるんだよ」
「それが素か。なぜ自分を偽る?」
「そんなこと聞いてどうする? 関係ないだろ、あんたには」
 立ったままのに、ローは視線だけで自分の目の前に座れと言っている。
 ちっ、と小さく舌打ちして、は椅子を引いた。
「左目、ほどんど見えていないな?」
 唐突にローが問いかける。それに少しだけ驚いた顔をしたが、それはほんの一瞬。だが、それを見逃すわけがない。
 の鋭くなった視線を気にすることなく、ローは真正面からみやる。
「いつ気付いた?」
「店ん中で、おまえはいつも左を気にしていた。ほかの奴らは気付いてねぇだろうがな。それに、あの人数がいるのに、注文を間違えることがなかった」
「注文ミスなんてできないだろ、海賊相手に」
「なら、店内にいなかったおまえが、ビールと言ったクルーに間違えることなく手渡せた理由はなんだ? 覇気を使えるんだろ? それも、緻密(ちみつ)に計算された、な」
「仮に覇気とかいうのを使えたとして、オレをどうしたいんだよ」
「この船に乗れ」
「―――……」
 この男は、自分が船に乗った先のことは考えているのだろうか。
 ローはジーンズのポケットから一枚の手配書を出した。折りたたまれたそれを開いてテーブルに置く。
「おまえだろう? 
 そこには小さな、女の子の姿。
「これがオレだって? 笑わせるなよ。どう見たって、オレとコレが一緒なわけねぇ」
「手配書は10年前のものだ。それから一度も更新されていない。――これがおまえであろうとなかろうと、俺はおまえを船に乗せる」
「なんでオレに拘る? コックが必要ならこの村以外にもたくさんいるだろ? 戦力が必要なら、それこそ、オレよりも戦える奴はたくさんいるはずだ」
「俺がおまえを気に入った。――それ以外の理由が必要か?」
 静かに、ローはから視線を外すことなく言う。しばらくそのままだったが、先に視線を外したのはの方だった。
「考える時間をくれ」
「ログがたまったら出航する。――先に言っておくが、考える時間をやっても乗らないという選択肢は与えない。たとえ嫌だと言っても乗せるぞ」
 カタリと椅子がひかれて、が腰をあげる。
「家に帰って寝る」
「この船で寝ていけ」
「遠慮するよ。――人がそばにいると眠れないんだ」
 弱い声で言ったその言葉は、どうやら本当のようだ。苦笑いしたは両肩を軽くすくめてみせて、さっきまでの荒々しさが嘘のよう。
「オレの手配書は『ONLY ALIVE』だ。海軍はどうしても、この左目が欲しい。この左目があれば、どんな海も思いのままに航海することができる。――ログポースがなくても、この左目がその役割を果たす。トラファルガー・ロー、あんたはこれを知ってどうする?」
 ローは立ち上がり、の胸倉を掴んで食堂の壁に押し付ける。ガン!と派手な音をたてるほどの力だ。
「悲劇のヒロイン気取ってんじゃねぇぞ。逃げてても仕方ねぇだろうが。海軍だって馬鹿じゃねぇ、今は騙せていてもそのうち見つかる。だったら、覚悟を決めろ」
「オレが女だってわかってて、普通はこんなことやらねぇだろ?」
 痛ったぁ……。
 後頭部を打った痛みで、は涙目だ。
「これぐらいやったほうが目が覚めるだろ。――今日は船で寝ろ」
「拒否権は?」
「あるわけねぇだろ。さっきみたいなのにまたひっかかるぞ?」
「あー……あれは面倒だから嫌だ」
「こっちに来い。医務室のベッドを貸してやる」
「ついでに10時にはここを出たいんだけど。そうしないと、昼の定食作れなくなるからさ。風呂も入りたいし」
「わかった」
 ローは無言で食堂を出ると、後ろからが来ているのを確認せずに歩き出した。










 を医務室へ案内したあと、ローは食堂へと戻る。冷めてしまった残りのコーヒーを飲み干すと、テーブルの上に置いてあった手配書を見やる。
 確かに、そこには『ONLY ALIVE』の文字。
「キャプテン」
 先ほどを壁に押し付けた際、かなりの音がしたからか、ペンギンがクルーの代表で様子伺いにきたのだろう。
「医務室に誰か入れたんですか?」
「あぁ、10時にはここを出たいと言っている。俺たちの定食を作りにな」
「定食? まさか、あの店のコックを?」
「コックじゃねぇよ、店内ウロチョロしてたやつの方だ」
 そう言ってローは長い指先で手配書を掴んでペンギンへ渡す。
「これ、随分古い手配書ですね」
「貴重なモンだから破るなよ? ま、そのうち新しいのに書き換わるだろうが」
「書き換わる?」
「こいつを船に乗せる。同一人物とわかるのに時間がかかるだろうがな」
 ククク、と喉を震わせ笑ったローはどこか楽しそうだ。
「まさか、同一人物ですか? この女の子と?」
「さっき言っただろう、同一人物とわかるのに時間がかかるだろうと。見聞色の覇気が使える。他のクルーにはしばらく黙ってろ。あいつが自分で喋るまでは、好きにさせてやれ」
 ローは酒場を出てからの経緯を短く語る。
「随分甘いんですね」
 それは、思わず出たペンギンの本音だろう。それを咎めることなく、ローは珍しく笑みを深めた。










 翌日――。
 10時少し前、医務室の扉が叩かれた。
「入るぞ」
 言葉をかけて、ローは扉を開けた。
「あぁ……もうそんな時間か」
 ほとんど眠れていないのか、はベッドに腰かけていた。
「今夜は何時にくる?」
「昨日と同じだな」
「なら、たぶんオレはいねぇ。今夜はダメだ、たぶん起きてられない」
 ふらり、と腰をあげ、はローがいる扉へと向かう。
「昼、あんたも来いよ」
 ――美味い飯、食わせてやるから。
 すれ違いざまに言って、はそのまま船を下りた。









 昼過ぎ、ローはペンギンだけをつれて酒場へと向かった。ほかのクルーたちからブーイングがあったが、そこはローだ、完全無視して船を下りた。
「いらっしゃい。そこ座って」
 二人はカウンター席に座る。キッチンへと消えたは、すぐに戻ってきて、緑茶の入った湯呑を置いた。
「それ飲んで待ってて」
 昨夜、ローに向けた言葉が嘘のような、とげのない声音。
 しばらくして戻ってきたその手には。
「はい、こっちは煮魚」
 ペンギンの目前にそれが置かれ、ローの前には。
「こっちは焼き魚。熱いうちにどうぞ」
 どちらにも小鉢やみそ汁もついている。
「美味そうだ。――いただきます」
 ペンギンの率直な感想に、は灰色の瞳を細めた。










 2日目、3日目と、は昼にクルーへ食事を提供し、夜は休むという生活だった。がいない事に気付いたローは、仕方ないと思いつつも落ち着かないでいた。
 4日目、5日目は、昼と夜、どちらも店に出ていたが、夜はさすがに眠たそうだ。左目のせいで、見える右目を酷使するからか、眠くなるらしい。
 そして6日目の夜。
 明日にはログがたまる。そして、ハートの海賊団は出航することになっていて、この酒場で食事をするのも最後になる。
 昼にいたは、今夜はいなかった。いないことに気付くと、ローは腰をあげた。
を頼みます」
 店主はわかっていたのだろう、そう言って頭を下げた。
「聞いたのか?」
「あいつはそんなこと話しませんよ。ただ、いつも気を張っているが、船長であるあなたと一緒にいるときだけ気を緩めている」
 ローはふわふわの白い帽子を深めに被りなおし、口元を緩める。
「まあ、知ってのとおりガサツですからね、難儀するとは思いますが」
「俺でいいんだな」
「もちろん。ここの店をする前は、これでも赤髪の船に乗ってましたからね、先を見る目はあると思ってるよ」
 赤髪のシャンクス……か。自分がこの酒場に足を踏み入れても、店主が萎縮しない理由がわかって納得する。
「おまえら、買い出しは終わってるんだろうな?」
「「当たり前っすー! キャプテン!」」
「おまえらは先に帰ってろ」
 ペンギンは腰をあげ、ローの元へ駆け寄ってくる。
「行くんですね」
「あぁ……逃げねぇとは思うがな」
「わかりました」
 ローはペンギンにだけ聞こえる声で言って、店をあとにした。










「さすがに夜は冷えるなー」
 けれど、この景色を見るのは今日で最後だ。しばらくは戻れないだろう。――たとえ自分の能力があったとしても彼が頷かなければダメだ。
「ってか、乗るの前提かよ」
 自分の、胸中での呟きに声を出して突っ込む。
 ――やばい、地が出すぎてる気がする。このまま船に乗ったら、今までの猫かぶりの意味がなくなってしまう。
 ローには気付かれているからすでに意味がない、ということには気付いているのかどうか。
 黒いパーカーにジーンズ、スニーカー。いつもどおりの服装で、パーカーのフードを被れば、光のないこの場所では、闇に紛れてしまう。
 海の見えるこの場所は、森の奥にあるため人が来ない。人の気配に敏感な自分が、唯一、気を緩める場所だ。
 視線を左に向ければ、ハートの海賊団の船が遠くに見える。
 他の海賊団も島に上陸していたが、そちらはハートの海賊団の船よりもっともっと奥にあるはずだ。そちらのほうが大きな酒場に近く、買い出しもしやすい。
「随分探したぞ」
 がさり、と草を踏む音が聞こえる。声の主が誰かわかったが、振り向くことはしなかった。
 暗闇に紛れたを見やって、ローはため息をついた。
「もっとわかりやすい恰好をしろ」
「わかりやすい恰好をしたら、ここにいる意味がない」
 逃げるつもりだったのかと思ったが、それをすぐに否定する。ここは人の気配がしないから、落ち着くにはいい場所、ということか。
「荷物はそれだけか」
「もともと持ってない。家はマスターのを借りてただけだし、生活必需品は金さえあれば買えるだろ」
 は静かに語る。
「あの日――……」
 そっと思い出すように目を細める。
「オレが生まれた島に海賊が来た。小さな小さな島だ。……女、子供は捕まって、男は殺された。そのあと海軍が来て、オレたちは無傷じゃないけど助かって」
 ――海軍は、その海賊団を取り締まりたいがために、オレたちの島を囮にしたんだ。
 重い息を吐き、それでも言葉を続ける。
「海軍は、なぜかオレだけを別室に入れた。このとき、オレは左目以外に違うものが自分にあると気付いたんだ。耳を澄ませば聞こえてくる声。それが幾重にも重なって聞こえた」
「見聞色の覇気だな」
「そうだ。そういうものだってことはあとから聞いて知ったんだけど、10歳のオレには怖かったんだ。発音されていない声が聞こえる。――その声は、どれも皆、黒く染まっているから」
 だから、怖くなって海軍の基地から逃げたんだ。
「オレが海軍の基地にいるのを知って、助けてくれたのが赤髪のシャンクスだった。――たまたま近くにいて島に様子を見に行ったらしかったんだけど、惨状を見て、居ても立っても居られないって駆け付けてくれたんだ」
「あの店主も、赤髪の船員だったらしいな?」
「両親もそうだったらしい。だから、助けてくれたんだと思う。――シャンクスに見聞色の覇気っていうことを教えてもらって、そこで使い方を教わった。最低限の身の守り方も一緒に教えてもらって、それからこの島に来た。シャンクスのお墨付きだからって、マスターの世話になることになった」
「その恰好をしろと言ったのもヤツか?」
「いや、それは自分で。シャンクスの船にいたとき、オレの手配書が回ってきた。『ONLY ALIVE』の手配書が……。子供のオレには逃げる力がない。だから、まるっきり性別を逆にしたなら、自分で自分の力をコントロールできるまで時間が稼げるかもしれないと」
 オレは悪いことはしてないはずなんだけどね。
「自分が海賊になるのは怖くないのか?」
「怖くないって言ったら嘘になるけど……あんたが言ったんだろ、覚悟を決めろって。言うからには、巻き込んでいいんだよな? 船長(キャプテン)?」
 ローはぽん、とフードを被った頭を叩く。
「とりあえずおまえは、コックが主な仕事だ。戦闘に出るのは、おまえ専用の武器を見つけてからだ」
「あー……ちょうどいい得物が見つからなくて。軽い刀か銃があるといいんだけど」
「次の島に寄ったときにでも、見に行くか」
「船長自ら?」
「金を出すのは俺だ」
 確かに、とは薄く笑う。
「しばらくは使い物にならないと思ってくれていいよ。大人数の中で眠れるとは思えないから」
「そのうち慣れるだろ。何かあったら、俺かペンギンに言え」
「ペンギンさん?」
「手配書のことは言ってある。それに、俺がいないときの指揮は、基本ペンギンがしているからな。ほかのやつらには何も言っていない。――おまえが言いたくなったら言えばいい」
 それまで俺は何も言わねぇよ。
「行くぞ、
 言ってローは踵を返す。その背中に追いつくべく、は一歩を踏み出した―――。





          



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