6日目の夜。
明日にはログがたまり、出航することになっている。
遅くに来るかもしれないと思っていたが、今夜は来ないようだ。ならば、迎えにいくまで。
ローは腰をあげる。
『を頼みます』
店主はわかっていたのだろう、そう言って頭を下げた。
『聞いたのか?』
『あいつはそんなこと話しませんよ。ただ、いつも気を張っているが、船長であるあなたと一緒にいるときだけ気を緩めている』
そんな言葉を聞いて、悪い気はしない。
『まあ、知ってのとおりガサツですからね、難儀するとは思いますが』
『俺でいいんだな』
『もちろん。ここの店をする前は、これでも赤髪の船に乗ってましたからね、先を見る目はあると思ってるよ』
なるほど、と納得する。赤髪のシャンクスの元船員なら、それ相応の戦闘能力を持っていても不思議ではない。
――さて、船長自ら迎えに行くとするか。
ローは帽子を深めに被りなおすと、店をあとにした。
が迷っているのは把握済みだ。
10年前のことをずっと引きずっていることも、俺の船に乗るための――海に出るための覚悟ができていないこともわかっている。
『どこに行ったんだ、あいつは』
前にを助けた場所へ行ってみた。周辺も歩いてみたが、見つからない。船にも戻ってみたが、そこにもいない。
ゆっくりと、船から島を見る。
の行きそうな場所はどこだ? 人ごみの中にはいないだろう。ならば、逆か。人のいないところや人が来なさそうなところの方が、確率が高いか……。
船から眺める島は、明暗がはっきりしている。明るい場所は酒場や店がある場所、暗い場所は森だ。
『森、か……』
森は島の3分の1ほどある。その中に好んで入る人間はいないだろうが……ならどうだ?
人の気配に敏感なあいつが、目を癒すにもってこいの場所ではないか? その場所で眠ることができないにしても、目を癒すことができれば――……。
『"ROOM"――"スキャン"』
能力を発動し、の居場所を探り出す。
『やはりか』
自分の能力での元へ移動することも可能だが、今頃彼女は自分の心に整理をつけているところだろうと思い、自分の足で迎えに行くことにする。
ガサリと足元の草を踏む音をさせて近づくと、は肩を少し震わせた。だが、振り向くことはしない。
『荷物はそれだけか』
『もともと持ってない。家はマスターのを借りてただけだし、生活必需品は金さえあれば買えるだろ』
その言葉に、は「生」というものに執着していないと気付く。隠し続ける生活に、疲れているのかもしれない。
『あの日――……』
はゆっくりと語り始める。重い息を吐きだし、自分の過去を思い出しながら。
彼女の過去を聞き、あの手配書の目は「怒り」であったのだと思う。失ったものは多く、すべてが自分のせいだと思っている。
赤髪に救ってもらった命だから捨てることはできない。
その思いが大半か――……。
ならば、自分で生きていたいと思うようにしてやればいい。うちのクルーは皆、人がいい。医者である自分の手伝いをするようになって、変わったヤツもいる。
『巻き込んでいいんだよな? 船長?』
ニヤリと笑う姿は、虚勢を張っているのだろう。今はそれでもいい。いつかこの手で、唯一の場所を与えてやればいい。
――に「唯一」を与えると、この場所で誓った。
この灰色の瞳が闇夜のように黒く染まらないように――……。
ローは操舵室から出て食堂へ入る。そこにがいると思ったのだが、違ったらしい。
食堂の隅、窓の見える場所に腰かけ、カーテンを開ける。自室にも同じように窓があるが、ここの方がいい景色が見えるような気がした。
船がゆっくりと浮上する。
操舵室を出る前に、浮上の指示を出していたのだ。しばらくはまた海上を移動する。
食堂にいた船員たちが、浮上し終わった甲板に走り出す。
当番制で、船の掃除等も決まっている。浮上した際には、海の中のいろいろなものを甲板に拾ってしまう。それを、水を流して掃除するのだ。
空は快晴。
「早くしないと白くなるぞー!」
船員の誰かが叫んだ。
海水が太陽の熱で蒸発する前に真水で掃除しておかなくてはならない。
その声に数人がデッキブラシを持って甲板を走り出す。バケツを持った数人が、こすったあとに水を流す。
騒がしい声を聞きながら、ローはがここに来るのを待つことにした。
バタバタと走る音に、何事かと部屋から顔を出したは、仲間がデッキブラシを持っていることに気付いた。
「、部屋にいたのか。しばらくまた海上だからな!」
「もし暇だったら甲板来いよー!」
船員が廊下へ顔を出したへ言って、嬉しそうに笑う。それにつられて、も少し笑みを浮かべた。
「来いよ、待ってるからな!」
シャチが一番後ろからやってきて、そう声をかけながらの髪をぐりぐりかき回す。
「何すんだよ!」
思わず叫んだに、シャチは嬉しそうに笑う。それから、ぽんと頭に手を置いた。
「何? ここの人たち、みんなコレするの?」
「これ?」
「コレ」
は自分の頭にある手を指さす。
「さあ、どうだろーなー? 何かさ、お前見るとやりたくなるんだよなー」
「なにそれ、意味わかんねぇ」
「俺はさ、お前も含めてみんなが笑って、自分の思う通りに生きていければいいと思ってんだよ。そのほうが楽しいだろ?」
「楽しいことばっかじゃないだろ」
「当たり前じゃん? それも含めて楽しまなきゃ損じゃねーか」
シャチは再度、の髪をぐりぐりかき回して。
「『あの』船長だって、面白けりゃ笑うし、悲しかったら泣くし。元々突っ込み体質だから、慣れると面白い人なんだよ、あの人も。怒らせると怖いけどさ、それも楽しまなきゃな?」
「船長と一緒に?」
「そうそう。――おっと、早く甲板行かなきゃ」
「そーいや、何で甲板?」
「あぁ、はじめてだから知らねぇか」
シャチは掻い摘んで説明して、今から甲板に掃除しに行くという。
「あ、そうだ。飲み物準備しといてくれねーかな。たぶん奴ら、相当張り切ってたから途中でくたばると思うんだよ。太陽照ってるみたいだし、頼むな!」
「わかった」
「よろしく!」
シャチは笑って言って、廊下を甲板へ向かって走り出した。
それを見送ってから、船員たちに冷たい飲み物を用意すべく食堂へ移動することにする。
食堂に入ると、窓際で外を眺めるローがいた。
「珍しいですね。キャプテン」
いつも自室に籠っているローが、誰もいないにしても、この食堂にいることは珍しい。
「お前が来ると思っていたからな」
ローはを振り返る。
「え?」
「待っていた」
「まっ……」
「待つも何も、探せばよかったんだが」
そうバツの悪そうな表情をするロー。から目をそらし、窓の外を見やる。すぐに彼女へ視線を戻すと、椅子から腰を上げた。
「、来い」
意志の強い瞳。それに惹かれたんだ――……。
は再度、自分の心を認識する。
言われたとおりそばに行くと、腕をひかれてその胸に抱きこまれる。額を胸にあてると、彼の鼓動が聞こえた。
「あ、あの……」
「何だ」
「えーっと……あの……は、恥ずかしいんです、けど……」
前に2度、こんなことがあったが、その時は自分に精一杯だった。だが今は。
ローは小さく笑って、彼女の耳に顔を寄せる。
「耳まで真っ赤だな」
耳元で言われて、びくりと体を震わせるに、ローは愛おしそうに目を細める。
額と一緒に胸にあてられていたの手が、その体を押し戻そうとするが、ローは抱き寄せる力を強めた。
「あの……っ」
「ん?」
「えっと」
「首まで真っ赤にして……喰っちまいたい」
耳元で言われて、はどうしていいかわからない。
時計を自分に渡した真意を聞きたいが、それ以上に、この豹変した船長の態度をどうにかしたい。
困惑しているのがわかって、ローは小さく声をたてて笑うとを解放する。
「逃げられてもかなわねぇからな、これぐらいにしておいてやるよ」
は解放された瞬間にローから離れて、キッチンへと走っていく。それをゆったりとした足取りで追いかけたローは、ぎりぎり手の届かない場所までやってきて、彼女に言った。
「今夜、俺の部屋に来い。――渡したいモンがある」
「渡したいもの?」
「それから、今夜は酒を飲むなよ」
「飲みませんよ」
「ならいい」
ローはへと一歩近づくと、その髪を撫でてから食堂を出て行った。
は言われたとおりにローの自室へと来ていた。もちろん、酒は一滴も飲んでいない。
「これ……」
ローは1本の瓶をに手渡す。
「預かった。誰からかはわかるだろ」
「マスターですね」
青色の細身の瓶は、手に入ると少しずつ飲んでいた、の好きな酒だ。
「おまえが俺の船に乗るのを悟っていたんだろう」
お前のいない日に、店で渡されたとローは語る。
「このお酒……オレの父が母の墓標にいつも置いていて――それで、手に入ったら1本、譲ってもらってたんです」
ソファベッドに座っているはベッドに腰かけたままのローを見る。だが、すぐに手にある瓶へと視線を落として。
視線を落としたままのへローは近づくと、その隣に腰を下ろして彼女へ手を伸ばす。そして、そのまま頭を抱き寄せた。
「我慢しなくていい」
「イヤだ」
クク、と喉の奥で笑うと、ローは「NOの返事は早いな、相変わらず」と言いながら、頭をぽんぽん叩く。
「この人たち、みんなやるんですか? これ」
「さぁな。お前を見てるとやりたくなるんだよ」
頭から背中へと移動した刺青のある指が、彼女の背を緩やかに叩かれる。まるで父親に慰められているようだと思った瞬間、はぐ、と腕に力を入れてローから離れようとする。
「俺の前では自分に嘘をつくな」
「イヤだ」
「泣くのが嫌なら、無理矢理やってもいいんだぞ」
言いながら、ローはをソファベッドに押し倒す。両肩を押さえつけて、起き上がれないようにする。
突然のことに呆然と見上げる彼女の目は、目の前にいるローを越えて、遠くを見つめている。
「、俺を見ろ」
強い口調で言われてそろりと視線を動かしたは、彼と視線を合わせた途端に眉を寄せた。
「俺のそばにいろ。偽る必要なんかねぇ。――お前は、どうしたい?」
「オレ……?」
「お前の全部、受け止めてやる」
「……っ!」
驚きに目をまん丸にしたは、その目尻から落ちる滴に気付いて自らの指で拭って、困ったような顔をした。
「どうした?」
「え、と……とりあえず、退いてくれるとありがたい、かな」
「仕方ねぇな」
ローはの体を起こしてやると、また腕の中に閉じ込める。
「退いてはくれないんだ……」
彼女の呟きが、ローの胸元に落ちる。どうやら諦めたようだ。
「汚れても、知らない……から、な……っ」
「構わねぇよ。それでお前が俺の胸にいるんなら、安いもんだ」
ローの抱きしめる腕の強さに、とうとうが根負けする。
ひっく、としゃくりあげるは、瞬きをするたびに目尻から涙をこぼす。
「それでいい。――泣きたいときにはいつでも来い。俺の前では強がるな」
「泣きやんで、やる……っ」
「俺がお前を泣かしたいんだ、好きにさせろ」
「横暴……っ」
「何とでも言え。お前の言葉なんか、痛くも痒くもねぇよ」
抱き込んだの耳元で小さく笑うと、彼女の顎を指で持ち上げ、その目尻の涙を指で拭う。それでも零れる涙を再度拭って。
「お前はお前の思う通りに、俺のそばでいればいい」
「命令?」
「船長命令は絶対だ」
「じゃあ、守らなきゃ……だね」
「あぁ、当然だ」
真剣さを帯びた声音に、本気を感じる。自分を必要としてくれている。それだけで胸が震える。
――離れるな。
耳元に響いた低い声に、はローを見上げてふわりと笑った。
食堂で、起きてきた船員に朝食を給仕していたに、ペンギンが声をかける。どうやら、先ほどまで船番をしていたようだ。
「おはよう」
「あ、おはよう」
ふあぁ、と欠伸をするペンギンの姿が珍しく、は小さく笑う。
「コーヒーはパスで。喰ったら寝るから」
「わかった」
船員の嗜好にもよるが、船長がコーヒーをよく飲むからか、食後のコーヒーを飲む率が高い。それに漏れずペンギンもそうなのだが、寝ずの番をしていたため、さすがに必要ないのだろう。コーヒーはうたた寝前に飲むのはいいが、しっかりと寝たいときは飲まないほうがいい。
「そんなに眠いなら座ってていいよ。準備できたら持っていく」
「悪いな」
うつらうつらとしているペンギンは近くの椅子に座って、頬杖をついている。そのまま眠ってしまいそうだ。
「ペンギン、これ見ろよ」
シャチが甲板から帰ってきて、ペンギンに何やら差し出した。
「新しい手配書か」
新聞と一緒に手配書があって、数枚あるそれをぺらりとめくっていく。そして、一枚に目を止めた。
「やっぱりな」
先日、海軍大佐を海に沈めた。沈めただけで殺していないので、その男はきっと本部へ報告したのだろう。
【・ 『ONLY ALIVE』 5000万ベリー】
「これ、船長にも見せてきてくれ」
「わかった」
シャチは頷くと、その手配書を持って食堂をあとにする。
「この間さ、街でちょっと小耳に挟んだんだよ」
出された朝食を食べながら、ペンギンは急に話を始める。キッチンで作業しながら耳を傾けていると、彼は言った。
「時計を女性に贈る人は、嫉妬深い人が多いって」
「えっ……?」
「自分と同じ時間を刻んでほしいっていう、欲望の現れなのかもしれないけど」
食事をしながら、ペンギンはを見やる。
――なるほど、ね。明確な言葉にはされてないけど、の中では重要な言葉をかけられたわけだ。船長も『好きだ』って真正面から言えばいいのに。
の恥ずかしそうに目線を反らした態度でそう判断したペンギンは、ふぁぁとまた大あくびをして、椅子から腰をあげた。
「ご馳走様。昼まで寝るから、シャチに言っといて」
「わ、わかった。おやすみ」
耳まで真っ赤にしたに気付かないふりして言って、ペンギンは食堂から消えていく。
入れ違いに入ってきた船長が視界に入ると、何もやましいことはないのに、その姿から視線をはずしてしまう。
ローはキッチンの中にまで入ると、の手を取り、その上に冷たい何かを乗せた。
「忘れものだ」
手に乗せられたのは、懐中時計。昨夜、ローの部屋で寝てしまって、そのまま落としてきてしまっていたのだろう。
「ありがとう」
小さく呟くに、ローは目を細める。少し目を伏せたままで自分へと言うの耳が赤いことに気付いたが、そこは見て見ぬふりをするために話題をかえた。
「手配書が書き換わっていた。――見るか?」
「さっきシャチがペンギンに見せてたのをチラッと見ました」
「そうか。……これで赤髪にも海に出たのがわかるし、店主にも無事がわかるな」
「そうですね」
船長へ食事を提供するべく、は時計をポケットに突っこむ。
「先、コーヒーにしますか?」
起きたすぐはコーヒーを飲むことが多い船長には聞くが、「あとでいい」との返事。
邪魔をしないようにローはキッチンから出ると、近くの椅子に腰かけて彼女の後姿を眺めやる。
「今度お前の耳に穴、開けるぞ」
「穴!?」
勢いよく振り向いたが、目を見張っている。当たり前だろう、突然すぎる言葉は彼女にしては意味不明すぎる。
――独占欲なんてモンは自分には必要ないと思っていたが……悪くねぇな。
「両耳に1つずつな」
「確定かよ!?」
「当然だ」
「イ、ヤ、だ」
一言ずつ区切るように力いっぱい否定するに、ローは面白くて仕方ない。
「嫌だと言えねぇようにするだけだ」
ニヤリと笑ったローは本当に楽しそうで。
「はぁ……」
彼の表情を見たは逃れようがないと悟って、呆れたような表情で溜息をつく。
「せめて痛くないようにしてくださいよ……」
くくく、とご機嫌に笑うローに、は「勘弁してよ」と呟き。
「絶対オレで遊んでる!」
「俺はいたって本気だ」
「余計にタチ悪ィ……」
船長に向けてこんな風に言えるようになっただけ、自分の中では進歩かもしれないと思う。
ずっと、自分を隠して生きてきた。自分には、それしか方法がないと思っていたから。――けれど。
「いつかオレが『オレ』でなくなっても、必要としてくれますか?」
「ようやく『そこ』に立ったのか」
が言っているのは、自分が『男と偽っている自分』ではなく、『偽らざる自分』になっても必要としてくれるか、ということだ。
それを正確に理解しているローは、そう言って呆れる。
「ここの連中も含めて、お前が男だろうが女だろうが関係ねぇんだよ。お前が『』であることが重要なんだ」
だから、自分を認めてやれ。お前が、お前自身を認めて大事にしてやらないとな。
「オレ……」
眉を寄せたを見やった後、ローは彼女を手招きする。近寄って来た彼女の顔を引き寄せ、その目尻を指で拭う。
「泣き虫」
「誰のっ……せい、で……っ」
「今まで溜め込んできた証拠だ」
滅茶苦茶、泣かせたい。
小さく呟けば、が驚き体を離す。驚きに涙も止まったようだ。
「ま、そのうちな」
涙の止まったにニヤリと笑うと、ローは目の前の食事に視線を向けた。
【灰のなか夜のいろ 完】
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