「次は冬島か」
が船に乗ってから一ヶ月が経った。一ヶ月経ったから何か変わったのかと言われると、答えはNOだ。だが、彼女自身に変化はあった。ロー限定で、だが。
万年睡眠不足を補わせるため、の意識が落ちるまで抱き潰し強引に眠らせるようにしていたローだったが、ここ数日、ローの隣限定で、が途中で起きることなく眠るようになった。抱き潰す理由がなくなって残念に思うが、体調管理のためにする行為としてはあまりいい方法ではない。それがわかっているから、今も隣で眠るを起こさぬように、乱れた髪を少しだけ撫ぜた。
次に寄港する島には、色々な鉱石が集まる。宝石類だけでなく、鉄などの武器の素材もある。
島には沢山の工房があり、それに伴って、武器屋や宝石商の店もある。
ローはその島の、古ぼけた一軒の工房に用があった。自分の耳にあるピアスも、そこで作ってもらった。何の飾りもないものだが、自分が求めて作ってもらったものだ、気に入らないわけがない。今回は同じものと、一つ追加で作成してもらおうと思っているものがある。
の耳にかかる髪を刺青のある指で払うと、露わになった耳朶にそっと触れた。
両耳に一つずつと言ったが……2つ開けるか。
前にに言ったことがある。
『今度お前の耳に穴、開けるぞ』
『穴!?』
『両耳に1つずつな』
『確定かよ!?』
『当然だ』
『イ、ヤ、だ』
本当は、自分のものだと主張するために刺青をしようかと思ったが、やめた。そのかわりのものとして、ピアスの穴を開けようと思ったのだ。
――どちらにしろ、酷い独占欲だな。
自分には無縁だと思っていたそれも、を前にすると必要だと思ってしまう。
「こんなになるのはお前だけだ」
を起こさぬように、甘い声音で、小さく囁いた。
大きな島は賑やかだ。一般人の中に海賊の姿もある。それに驚かないのは、街人が見慣れているからだろう。
街は宝石商が三区画、武器商が二区画あり、船着場は武器商側と宝石商側、共に区画を挟むよう、二つずつある。
ローが求める工房はどちらの区画にもなく、その更に奥にある一軒だ。繊細な技を持つ老人だったが、病を患っていた。ローの医術と能力で治すこともできたが、彼は自分の子供たちが後を継ぐからと、首を縦に振らなかった。
今はもう、代が変わっているだろう。
彼の子供は男と女が一人ずつ、息子は武器作りが得意、娘は緻密な計算を必要とする宝石の加工が得意だ。一度だけ二人の技巧を見たが、父親譲りの素晴らしい出来だった。
ローはその家のある海辺の、反対側に接岸するように指示を出す。他の海賊と鉢合わせしても構わないが、その工房に迷惑かかからないようにするためだ。
工房の反対側の海辺は高い崖になっていて、船を隠すのに都合がいい。横から登れるため、そちらから出入りするように船を着けた。
この島のログは3日、もしくは20日。今回のログは、後者の20日にする予定だ。次の島まで距離があるため、今回は念入りに艦内を確認、買い出しをする。
は食材の買い出しだ。今日の荷物持ちはベポで、力持ちのため、大きな物や水物を買うことにする。留守番はシャチで、ペンギンは街中を探索しつつ、海軍などの情報集めだ。そしてローは、目的の工房を目指していた。
古びた外観は変わっていない。建物を見上げていると、男が扉を開けて出てきた。
「おっと、すまない。当たらなかったか?」
慌てて出てきたのか、男は前を見ていなかったようだ。
「あれ? 確か、親父の客じゃなかったっけ?」
随分前だったのだが、覚えていたようだ。
「ああ、久しぶりに来たんだが……」
「依頼? なら、こっちに来てくれ」
工房の隣に小さな建物があり、それが事務所のような役割をしているらしい。
「親父がいない今だから言うけど、あんたのことは相当気に入ってたんだよ。だから、親父は俺と姉貴の両方に、そのピアスの技巧を継がせた。珍しかったみたいだよ、何の飾りもないそのピアスが」
「一応これでも医者だからな」
「医者には見えねぇよ」
「だろうな」
喉の奥でローが笑う。この喋りは、まさしく親譲りだ。
「で、今日の依頼は?」
「このピアスと同じものを一対。それと、新しいものを一対」
「新しいもの?」
ローがポケットから取り出したのは、ハートの海賊団のマークの入ったピアスのイラスト。ちなみに、破壊的に画力のないローが描くと大変な事態となるため、ペンギンが描いたものだ。
「海賊団のマークか。今着けてるそのピアスは俺でも作れるけど、新しいものは姉貴の方がいいと思う」
んー、と男はカレンダーを見やる。
「昨日、随分遅くまで仕事してたから姉貴は今寝てる。今日一日は仕事しないだろうから、どっちにしろ明日だな」
テーブルに紙とペンを持ってくると、ローを見やる。
「そのピアスの素材は同じでいいのか?」
「ポストの部分だけプラチナにしてほしい。それから、そのマークのも同じように」
「出航は?」
「20日後だ」
「OK、20日後なら大丈夫だと思う。ところで」
男は、ローと二人きりだというのに音量を落とす。
「ピアスの送り主は『女』だろ? それ、絶対に姉貴に言うなよ?」
――あんたに憧れてたから。
告げられた言葉に、ローは無表情を崩さずに。
「俺にはどうでもいい話だ。嘘をつかなければできない仕事なら、他をあたる」
「……悪かったよ。明日の午後に来てくれ。午前中に素材を集めておくから」
「わかった」
部屋から出ていく後姿を見やって、呟く。
「あいつ、俺の名前すら聞かなかったな」
名前、覚えられないほうが都合がいいかもな。
胸中での呟きは、苦く響いた。
島に滞在する時は、コックの仕事は休みだ。ただ、は船に残る船員たちに、簡単な食事を用意することが多い。
ベポと一緒に買い物を済ませたあと、は居残り組の船員のために夕食を作った。
「あれ? 珍しい」
居残り組に、ペンギンとシャチ、2人一緒というのは、ありそうでない組み合わせだ。
「俺が代わったんだよ、他の奴と」
元々、シャチは別の日だったのを、相手に請われて交代したらしい。
「それよりお前、しばらくコックは休業だろ? 何で作ってんだよ」
「居残り組が気になっちゃって。性分だから、船長も諦めてたよ」
「あの人はに甘いからなぁ」
の言葉に、ペンギンが苦笑する。
「いつもより少なめだし、手間もかけてないから」
「そういう問題じゃない。休まないことが問題なんだよ」
珍しく、シャチがに対して怒っている。正論だと理解しているから、も黙って聞くことにする。
「今度、船長のいない時に同じようにしたら、船長にキツイお仕置き、してもらうからな!」
「あーあ、シャチを怒らせて、俺は知らないからな」
ペンギンは船長がいないときには代わりをするほど、冷静だ。それに対して、シャチはフレンドリーで、いつも賑やかで。そんな彼が、自分に対して怒ってくれていることが、嬉しい。
「ありがとう」
「ありがとうじゃない、ごめんなさいだろ?!」
「……ごめんなさい」
あまりの剣幕に、は言われた通りに謝ると、シャチは「よし!」と怒った顔を崩して笑顔を見せた。
「自分を蔑ろにするなよ」
シャチは言って、の頭をぽんと叩く。ペンギンはにだけ聞こえるように、腰を屈めて言った。
「心配性なんだよ、アイツ。ま、暫くは大人しくしておいた方がいい。キャプテンのお仕置き、結構容赦ないから」
「ペンギン! 何やってんだよ!」
甲板に出る直前に振り返ったシャチが、ペンギンを大声で呼ぶ。それに彼は苦笑して、シャチと同じようにぽんと頭を叩いて彼を追いかけた。
は必要以上に街へ行くつもりはなく、ましてや夜に戦闘訓練ができるわけもなく、することがない彼女は自室のソファベッドでごろごろしていた。
「そういえば、ペンギンが街に出てたっけ」
体を起こして、ペンギンがいるであろう甲板へ行ってみる。
甲板へ出てからぐるりと見渡すと、隅で街を見ているペンギンがいた。
「どうした?」
彼が気付いてこちらに問いかけてくる。
「この街って、何があるの?」
性別を偽っていた名残で男言葉が基本のだが、最近、少し女らしい言葉が出るようになった。喋っている間に混ざったりするため、時折おかしい口調になっていたりもするが、それも愛嬌だと、クルーたちが突っ込むことはない。
「宝石と武器。防具もあるけど少ないかな」
「じゃあ、オレは食材確保ぐらいかなー」
ログがたまるまで20日もある。にとっては興味のひかれない街。
「今回はキャプテンの用事で寄った街だからな。工房で作ってもらうにしても、3日じゃ無理だろ?」
「そうだね」
コックの仕事ができない、街に魅力を感じない。食材確保をするにも、早くに準備できないから、は手持無沙汰になる。
「暇なら明日、俺の用事に付き合うか?」
「大丈夫? 今夜は当番だろ」
「シャチと交代しながらだし、大丈夫だ。慣れてるしな」
「わかった。じゃ、ついてく」
から見ればどうでもいい街でも、ペンギンは違うのだろう。万が一、何かあってもペンギンが一緒なら安心だ。
「は明日までちゃんと寝ろよ?」
「わかってるよ」
ローが隣にいないと深い眠りに入ることはないが、それでも、クルーの気配は慣れもあって少しずつ眠れるようになっている。
「おやすみ、ペンギン」
は言うと、自室へと帰っていった。
ローが街から帰ってきたのは夜遅く。あまりに遅い時間だったため、街で寝床を確保しているのかと思ったがそうではなかったようだ。
ペンギンは船へ戻ってきたローを視界に入れる。
こんな遅くに、それも香水の匂いを漂わせて帰ってくるとは、とペンギンは呆れる。これでもし、が起きていたら大変な騒動になっていたかもしれない。
彼はすぐに風呂へ入るようだ。医師であるためか、匂いに敏感な船長が離れた場所からわかるほど匂いを纏って帰ってくるのは久々だ。
――かなり不機嫌な顔をしてるから、自らその匂いの主に会ったわけではなさそうだけど。
ペンギンはシャチがいなくてよかったと胸中で呟き、明日は船長が起きてくる前に街へ出ようと思う。
そして、翌日。
ペンギンと共には船を下りて街へ向かう。彼と横に並んで歩きながら、今日の目的は武器屋だと聞いた。
この街の武器屋にはSランクとAランクとあり、今回は質は良くないが安価で手に入るAランクでいいようだ。
「、一応言葉には注意な」
「了解デス」
賞金首となってしまっただが、昔の手配書を持っている者はほどんどいないだろう。昔の手配書を持っていればが『女』であることがわかるが、最近の手配書は今の容姿なので完全に男に見える。それに、トラファルガー・ローの『女』であるとバレれば都合が悪い。
「オレも帽子買おうかなァ……ペンギンみたいな、深めのヤツ」
「服買ったときに買えばよかったのに」
「帽子は買ったけどさ、オレの好みで買ったのじゃないから。ツナギ着てても被れるヤツ、買お」
ローと一緒に買い物に出たあの日の帰船時の恰好を思い出し、確かにツナギじゃ似合わないなと思う。後日、あのとき着ていた服は、上から下までローがコーディネートしたと聞いた。本当はスカートかワンピースか着せたかったのかもしれないが、それはそれでヤキモキするだろうから、あれでよかったのだろう。
は念のため、黒縁の眼鏡をかけてきていた。前髪は長いままだったから、ツナギ以外はあの店でいた状態と同じだ。
武器屋のある区画にやっとたどり着く。一歩踏み入れると、見たことのある海賊団のマークがちらほらと見えた。
「随分、遠回りした気がするんですけど」
は丁寧な口調に変え、音量と音程を少し落とす。
「まァな。キャプテンの行く工房はあまり海賊の行かない場所だから」
「あァ……それで」
「知られないように、他の海賊が船を泊めてる港から来ているように見せる必要があるんだよ」
小声での問いかけに、ペンギンも同じように答える。
「あぁ、あった。ここだ」
ペンギンは言いながら店に入っていく。それに続いても入る。
前にローと専用の武器を購入した店とは、まったく違う。あちらこちらに無造作に置かれた商品。所狭しと並べられた武器の中から、彼は目的のものをすぐに見つけ、手に取った。
は彼に近づき、その手にあるものを見下ろす。
「投てき武器は基本使い捨てだからな」
質のいいものを使い捨てにはできない、だからAランク品でいいのだ。
その場にあるのは10本程度で、それ以上必要なら店主に言えば出してもらえるらしい。
「店主、このナイフ何本ある?」
ペンギンが問うと、店主は投げやりな口調で「50」と短く答える。
「じゃあ、このナイフ50本くれ」
「ちょっと待ってな」
店主がそう言って店の奥へ消える。不機嫌そうな表情と声音だが、どうやらもともと、そういう男らしい。
「ほらよ」
50本を2つにわけて麻袋に入れた店主は、とはじめて目を合わせた。
「アンタんトコの新入りか?」
「まァな。まだ一か月だから、よろしく頼むよ」
店主の視線を受けながら、は表情を消した顔で「よろしくお願いします」と頭を下げた。
「確か5000万ベリーだったか」
「これぐらいの金額、その辺に行けばいくらでもいるだろ」
「そうだな。だが、トラファルガーはそう思ってないだろう?」
トラファルガーと呼び捨てにした店主が、はじめて口元を緩めた。とまっすぐ視線を合わせること数秒、にやりと笑いながら男は目を細めた。
「俺と目を合わせて逸らさねぇとはな」
店主は威圧感を漂わせていたが、はどこ吹く風だ。
「手配書を知っているようだったので、隠す必要はないと思っただけです。あと、ペンギンさんも何も言わなかったですし」
「こういう奴だから、今後ともよろしくな」
飄々とした態度で言えば、ペンギンは苦笑を交えて店主へ言った。
「オレもナイフの練習、しようかなぁ……」
「キャプテンの許可を取ってからな」
「許可必要なんですか? えー……めんどくさい」
最後の呟きに、店主が大きく笑った。
「いい度胸してるな。気に入ったよ、ちょっと待ってろ」
気に入る? 今のどこにそんな要素があったんだ?
は脳裏にハテナマークを浮かべる。
「キャプテンに向かって『めんどくさい』って言ったのが気に入ったんだよ、あの人」
「直接本人に言ったのなら気に入られても不思議じゃないですけど、今のはただの愚痴……」
「なら本人目の前にしても言いそうだけどな?」
「言いませんよ、よけい面倒ですから」
ペンギンとの掛け合いに店主はさらに笑った。その手にあったのは、30センチほどの麻袋。
「Aランクとしても売り出せねぇモンだが、練習には使える。持っていけ。そのかわり、今度この島ァ寄るときは、ナイフの腕前、見せてもらうぜ」
「練習できるかどうか、キャプテン次第ですけどね」
はそれを遠慮なく「ありがとう」と受け取る。
「あっはっはっ。遠慮もしねぇとは。そうでなきゃあ、トラファルガーにはついていけねぇだろうが」
店主はを手招きすると、近づいてきたに向けて爆弾を投下した。
「その袋はアンタのモンだが、船に帰るまでは貰ったとは言うなよ? お嬢さん」
表情が変わることはなかったが、それでもは言葉尻に反応して目を細める。
「貫くようなその目と、一瞬にして空気を変える威圧。なかなかなモンだ」
「もうそろそろ解放してやってくれるか? 大丈夫だ、その人は」
言葉の最初は店主に、後半はにペンギンは言った。少々、呆れた口調になっていたが。
「すまないな。新入りで遊ばせてもらったから、1つ情報を渡しておく。大した情報じゃねぇが、トラファルガーには必要だろう」
「ありがとう」
ペンギンは情報の書かれた紙を受け取り、に「帰るぞ」と声をかける。
は店主に向けて頭を下げたあと、店の扉を開けたペンギンを追いかけた。
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