「――……」
キッチンから見えた海賊船を眺めて、は少し表情を険しくする。
あの船の船長は嫌いじゃない。時々殴りたくなる気持ちにもなるが。
航海士は、正直怖い。戦闘能力ではなく、自分の満足のために以前、酷い目にあったからだ。
船医は可愛いと思うし優しすぎると思うが、初対面では完全に偽っていたので、そういう心のうちは出していない。
剣士とは、手合わせをさせられ、自分がいかに弱いかを知った。武装色の覇気を使われていたなら、五体満足でいられなかっただろう。
他の船員とはほとんど喋っていないからわからないが、見た目に似合った個性的すぎる面子だろうと想像は容易い。
そして。
一番、が会いたくない人間――それが、コックだ。彼と会うのが嫌なわけではなく『苦手』なのだ。女性に対しての態度と喋りが、どうしても受け付けることができない。万が一、自分が女であることに気付いて同じように振る舞うなら、彼の前から逃げるだろう。
「どうしたの?」
キッチンへやってきたベポが心配そうに聞いてくるぐらい表情に出ていたのか、白熊は可愛らしく小首を傾げた。
「ちょっとね。ベポ、少しだけ甲板でゴロゴロしていいか?」
よく船長はベポを枕にしている。それと同じことをして、少しでもこの何とも言えない気持ちを落ち着けたいと思う。
「いいよ~」
「15分でいいから、よろしく」
お礼がわりの焼き菓子を先に彼へ渡すと、嬉しそうに甲板へ走っていった。きっと甲板で食べるのだろう。
ベポのために飲み物と、自分にもアイスコーヒーを準備して甲板へ行くと、彼は壁に寄りかかって先ほどの焼き菓子を食べていた。
「はい、ジュース持ってきた」
「ありがとー!」
ずずず、と一気に半分ほど飲んだベポは、自分の前をぽんぽんと叩く。
「ん」
「だったらキャプテンでも大丈夫じゃないの?」
ベポの前に座って、そのふかふかの体に背中を預ける。
「キャプテンは柔らかくないから今は嫌だ。それに、落ち着くけど……すぐ落ち着かなくなるから」
「なんで? 落ち着くんでしょ?」
「落ち着くし安心もするけど、きっとキャプテンは俺の状況を正確に見抜いちゃうから」
「ムズカシイね」
付き合わせてごめんな?
はベポに言って、近くにあった白熊の手を取る。
「あったかいね」
「毛皮だからねー」
言ってから、ベポはごろりと上向きに寝転がって、ついでとばかりにを片腕で抱えて、自分の体を背もたれにする体勢にする。
いつもローがしている格好だ。
ベポは、あっという間に眠ってしまった。その手を取って撫でる。綺麗な毛並みに目を細めて。
一人でいたらマイナスへ入り込む思考が、誰かといることで落ち着くことがある。シャチやペンギンと一緒に騒ぐのも好きだが、ベポとのんびりするのがもっと好きだ。
ベポに背中を預け、上を向く。空には雲が一つもなくて、自分のモヤモヤとした心中とは雲泥の差だ。
ぽかぽか陽気に誘われて、いつしかは眠りに落ちていった。
いつものようにベポを探していたが見つからない。仮眠でもとろうかと思って甲板に出れば、一人と一頭が眠っていた。ベポの手を握って眠るの横には、半分ほど飲まれたジュースと氷が完全に溶けたコーヒー。
自分の中でモヤモヤした気持ちになると、はベポと一緒にまったりする。ゆったりとすることで浄化するらしい。
今日は何を考えていたのかと、ローは思いを馳せる。
遠くに見えた海賊旗――麦わら帽のイラストは、麦わら海賊団の旗だ。
前回、ははじめてその船員と対面した。眼鏡をかけるように言ったが、猫を被ることは強要しなかった。とはじめて会ったあの酒場にいたころよりも、もっと静かに偽る彼女に少し違和感を覚えた。結局、ロロノア・ゾロと手合わせをしたことにより無になったが。
きっと彼女の中で何かあるのだろう。――自分を見せたくない、何かが。
次の島で麦わら海賊団と会うことになるだろうと予想がついた。向こうもこちらに気付いていたら、気安く声をかけてくるはずだ。
とベポを見下ろし、しばらくそのままにしておくかと思う。
甲板にあったコーヒーを手に取ると、眠る一人と一頭の前に腰をおろす。
気持ちよさそうに眠る姿を眺めながら、の好きなミルク入りのコーヒーを勝手に飲み干す。
「んん」
気配に敏感なが瞼を揺らす。
「起きたか。風邪ひくぞ」
「ん……大丈夫だと思う」
間延びした返事に、まだ覚醒していないの左手を取って、指先をぺろりと舐めてやる。
「なっ……キャプテン!?」
左手をローの手から逃れるように力一杯自分の方へと引きながら、目を丸くしてが固まる。悪戯を成功させたローは、楽しそうに笑いながら「ごちそうさま」と右手に持っていたアイスコーヒーのカップを見せた。
「あ! オレのコーヒー……」
「甲板に置いておくからだ」
「起きたら飲むつもりで、ちゃんと作ったのに……」
氷が溶けても薄くならないように、濃い目に作っていたのだろう。
「次の島でおごってやる」
「何でも?」
「あァ」
「破産させるかも?」
「そりゃあ無理だろ。がそこまでのモノを要求するとは思えない」
次の島は何が有名なのだろう?
「次の島は、お前には魅力的な島だろう」
「魅力的?」
「食材の集まる島だからな」
『食材』と聞いた瞬間は目を輝かせたが、すぐに表情が戻ってしまう。
きっと、その島に麦わら海賊団がいるだろう。
――麦わら海賊団のコックと言えば……。会いたくないな、今は特に。
麦わら海賊団のコックの実力を垣間見て、羨ましいと思ってしまったのだ。願い、努力すれば、あの実力に手が届くまで行けるだろうか。
少しコーヒーを飲んだだけでわかる、その実力。まさに自分は彼にとって『ヒヨコ同然』だ。
船長は何も言わないしクルーも気に入ってくれているが、それでも。
「次の島のログ、見てもいいですか?」
「気になるか?」
「はい」
「駄目だ。それで調子が悪くなったら本末転倒だろう」
「――わかりました」
不機嫌になるかと思ったが、は静かに言うと視線を島へと向ける。
「少し島の周りをまわって調べるぞ。来い」
「はい」
腰をあげると、ローは艦内へ入っていく。はベポを起こしてから、ローの後を追って艦内へ入っていった。
倉庫や食糧庫、冷蔵庫などの確認をしていく。ペンギンの調査によると、この島のログは5日で溜まるらしい。
はいつも、食糧調達の際はツナギを着用していない。海賊とわかれば自由に購入ができなくなるからだ。
今日もいつも通りツナギを着用せず、ジーンズにTシャツ、そのうえに薄い生地のパーカーを羽織った、できるだけ体の線がわからない恰好で街にでる。深めにキャップを被り、ついでに眼鏡もかける。
街の中心に噴水公園があり、そこから四方に道がのびている。今日はとりあえず一人で出てきたので、食材の調達の予備調査だ。
まずはまっすぐ、北の道へと進む。スパイシーな香りには目を眇めた。鼻を掠める香りの行方を目線で追う。両手をポケットに突っ込んだまま、左右の店を視界に入れて歩く。
――ここか。
異常なほどに香る、香辛料。
――この店の香りでほかの店の香りが消えているな……。ここで買うのはやめておこう。
一番奥まで行くと、西へと方向を変える。西の道へ行くまでの間に、塩や砂糖などの調味料を売る店があった。
北の道よりも、この北から西に行く通りの方が人通りが多い。人の隙間を通りつつ、左右の店を見る。味噌や醤油も揃っていて、値段も手ごろだ。
次に、西の道へ入る。ここは肉が揃っていて、豚や牛、鶏だけではなく、水水肉などもあった。鮮度もあり、購入しても大丈夫だろうと判断する。
中央の噴水公園まで戻ると、今度は南へ入る。こちらは野菜らしい。干した野菜などもあって、見ていて楽しい。南から東に向けての道も色とりどりの野菜が並んでいる。
「お兄ちゃん、味見していかないか?」
今まで誰にも呼び止められなかったが、珍しく声をかけられた。
「オレ?」
――おかしいな……今日は呼び止められないように、随分と気配を薄くしているんだけど。
「そうそう、あんただ」
「オレはいいよ。ごめん、今日はあまりゆっくりできないんだ。また後日、来るよ」
日付はわざと指定しない。
「そうか。今度は荷物持ちを連れてきな」
笑顔で店主の男は言ったが、その目の強さに要注意と心に刻む。
「あァ……そうすることにするよ」
左手をひらひらさせて、は歩を進める。
次は東の道。こちらには魚があった。魚は特によく見ることにする。新鮮なうちでなければ作れない料理は、島を出てすぐでなければ食べられない貴重品。冷凍すれば料理の幅は広がるが、新鮮なうちでなければ食べることができない生食を、クルーに食べさせたいと思う。
冷凍された魚の中には、この付近では見られないものもたくさんあった。
中央まで戻ってきたは、もう一度、東の道を奥まで行き、北へ向かう。ここにはスイーツが並んでいた。
若い女の子の姿があちこちに見られ、その中に見たことのある姿が目に入る。
――会いたくないと思うほど会うもんだな。
目に入ってきたのは、麦わら海賊団のニコ・ロビンだ。
今まで以上に気配を薄くして、その通りを歩く。彼女は気配に敏感なため、気付くだろうが。
「あなた……」
――やはり見つかるか。
「ちょうどいいわ。少し付き合ってもらえないかしら」
「悪いけど、急いでいるんだ。ナンパは他の人に頼むよ」
今は彼女と一緒にいたくない。せっかくモヤモヤを払拭し、食材を見て楽しんでいるのにそれを邪魔されたくない。
「今夜はどうかしら。私のおススメの酒場があるの」
――逃げるのは無理そうだ……。
「昼のうちに用事は終わらせておく」
「ありがとう。――中央の噴水公園で8時に」
「わかったよ」
彼女は柔らかく微笑むと、噴水公園へ向けて歩いて行った。
は深いため息をついて、その後ろ姿を見送った。
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