見せるものと、魅せるもの 2





 
 中央の噴水公園、8時より少し前。
 は船長に伝言してから出ようと思ったが見つからず、船をおりてこの公園へ来るまでに会ったペンギンに、外に出ている伝言を残す。
 服装は昼と同じだが、眼鏡はかけていない。帽子を深くかぶっているだけだ。
「こんばんわ、トラ猫くん」
「――……コンバンワ」
 トラ猫とはなんだ? と思いはしたが、少し記憶を(さかのぼ)れば理由がわかったため、とりあえず返事はしておく。

『僕は大きな虎の子を飼っています。その虎を飼いならすことができるのは、やはり虎でなければ駄目なんですよ』

 過去に麦わら海賊団に向けて言った言葉だ。これを元にして『トラ猫』となったのだろう。
「名前を呼ばれるのとどちらがいいかしら?」
「どうせバレるんだから、どっちでも。貴女もそうだろ? オレより額が上だしな」
「今日は隠さないのね」
「知っている人間に隠しても意味がないだろう?」
 ふふ、そうね。
 何が嬉しいのか、ロビンは声に出して笑うと酒場へ歩き出す。
 酒場のある方面へは行っていないので地理がわからない。ロビンについて歩くと、船着き場の少し外れに着いた。
 キィ、と木の扉を開いて入ると、席はほぼ満席だった。
「貴女はオレのいた店に何度か来たな」
 カウンターに座り酒を注文したあと、ロビンに言った。自分がいたあの酒場で、隣に座る女性を見たことがある。
「えぇ」
「毎回、違うから覚えてた」
「あの頃は、自分を偽って殻を被って……必死だった。あの酒場でいた、貴方と同じ」
 生きるためには、それしか方法がなかった。
「……貴女がどういった経緯(いきさつ)で今のところに落ち着いたのか、深く詮索するつもりはないけど気になるな」
「それは私も同じよ。――自分を隠して偽って、奥から出てこなかったあなたが、どうしてここにいるのか気になるわ」
 手にあるジョッキの中身を煽って、はふ、と自嘲する。
「故郷のほとんどを失った、――海賊と、海軍と……オレのせいで」
 自嘲したまま、低い声音では続ける。
「目の前で赤く染まる大人、聞こえる声、音。あの頃のオレは、眠ることができなかった。眠ることが、怖かった」
 目を閉じれば、あの頃が鮮明に思い出せる。
 ジョッキを再度、煽る。
「オレなら、貴方が探しているあの石碑がどこにあるのか、正確に見ることができる。――そう言ったらどうする?」
 ロビンは目を見張る。自分の今、一番欲しい情報がから手に入れることができる。けれどそれは、一歩間違えば彼女を危険に晒すことになる。
「遠慮しておくわ。あなたのそれが本当のことであっても……自分で見つけたいの」
 半分は本当で半分は嘘。それにも気付いていて、気付かない振りをする。
「そうか、残念だな。恩を売るチャンスだったのに」
 口元だけで笑ったは、ジョッキの中のビールを煽った。
「そんなに飲んでも大丈夫?」
「酔ったことがあるのは、一回だけだ。それに」
 はロビンを見、それから視線を扉へと向けた。
「もうすぐ迎えもくるみたいだから」
 は気配を感じ取り、更に残っていたビールを飲み干す。
「……そのようね」
 ロビンも気配でわかったのだろう、椅子から腰をあげた。それにも立ち上がり、店主へと飲食代を支払う。
「自分で払うわ」
 彼女の言葉には肩を竦めて首を振る。
「今は貴女以外の人とは会いたくないんだ。――先に出てくれ」
 酒場の近くを歩く麦わら海賊団のクルーが誰かわかって、は外に出たくないと言う。
「コックさんが嫌い?」
「――苦手だ。……できれば、オレと居たことは伏せておいてくれ」
「わかったわ」
 遠慮なくおごってもらうわね、口止め料として。
 ロビンは小さく言って、扉から出て行った。そのあと、麦わら海賊団のコックの声がする。
 気配が遠ざかったのを確認して、は扉を出る。船着き場までの道をゆっくり歩きながら、酒臭い息を吐き出した。
 ローやハートの海賊団以外の人間に、自分の胸の内を吐露してしまったことに、自分で驚いている。昔のロビンを知っていたから、口が滑ってしまったのだ。
 麦わら海賊団の船が視界に入り、は歩を止めてしばらく見やる。せっかくモヤモヤした気持ちが癒されていたのに、また逆戻りだ。
 じくりと左目が痛む。過去を鮮明に思い出したことに反応しているのか。
 ――強く、強くならなくては。ローの、ハートの海賊団の足手まといにならないように。自分の過去が、彼らの邪魔をしないように。
 左手で左目をおさえ、はため息と共に背中を壁にもたせかけた。
 ――今夜は船に帰っても眠れそうにない。鈍い痛みを訴える左目が、今夜は過去を見せ続けるだろう。
 コツリと静かな足音が、俯くの前で止まった。彼女は俯き左手で左目をおさえたまま、壁から背を離して。
「来い」
 短く言われた言葉に一歩近づけば、長い指に頭を抱えられ、一瞬で船へと移動させられる。
 船長室に連れられたはそのままベッドへ転がされ、ローの鋭い視線に縫い留められた。
「眠らせてやる。――明日の朝まで、ぐっすりな」
「……お手柔らかにお願いします」
「出来ねぇ相談だ」
 手加減して、コイツが眠れるとは思えねェ。
「俺以外考えられねぇようにしてやるよ」
 にやり、と意地悪い笑みを浮かべて、彼はの顎に指をかけた。










 意識を失ったを見やり、その髪を撫でる。
 麦わら海賊団の船を見たときから様子がおかしかった。はじめて会わせたときもそうだったが、苦手意識が働いているようだ。
 
『コックと言っても、そちらの方に比べるとヒヨコにも見えないぐらいの腕前ですが』

 自分をコックと言ったとき、は麦わら海賊団のクルーに向けてこう言った。自分を卑下するようにも聞こえる言い方だ。
 麦わら海賊団のコックであるサンジは、とあるレシピを習得していると聞いた。料理で個々の強化をすることができるのだそうだ。これは特別な人間でないとできないし、コックとしての力量も必要だろう。修行をつんでいないに、サンジと同じことをするのは不可能。
 そして今夜は、自分を見失うほど飲んだりしないが、自分の限界ギリギリまで飲んだ。いつもはのらりくらりとクルーの勧める酒を回避するのだが。
 左目をおさえていたの気配は、あの酒場にいたときとよく似ていて――まずいと思った。これ以上一人にしておくのは危険だと、ローは判断したのだ。
 良くも悪くも、麦わら海賊団はを刺激する。最近ようやく落ち着いた彼女が、過去に振り回される様を見るのは久々だ。
 は生きている限り――左目の力がある限り、過去が蘇るだろう。
 オハラの生き残りであるニコ・ロビンが、同じような過去を持つと重なったことは間違いない。
 ローはが眠っていることを確認して、外へ出る。には前もって睡眠薬を飲ませた。本人には知らせずに。
 気配に敏感なロビンが、ローに近づいてくる。
「彼は無事、眠れたのかしら」
 ロビンの問いに、ローは無言を通す。
「私に言ったわ、自分には私の知りたいものの場所を教えることができると。断ったけれども、それが彼の能力で、あの金額の理由ね」
 がそこまで言ったのならば、隠す必要はないだろう。
「あれは生まれ持った力だ。海軍はあの力を狙っている。ログを見る力、見聞色の覇気。その両方があれば可能だが、それを実行すれば体にかかる負荷も大きい」
「昔、彼の居た酒場に行ったことがあるの。――自分の殻に閉じこもって、奥から出てこなかった彼が出てくるきっかけを、トラ男くんが与えたのでしょう?」
「まァな。強引に引きずり出したって言われても仕方ない方法だったが」
「それでも彼が出てきたということは、それだけで凄いことだと思うわ」
 ロビンは、船着き場にある黄色い船を見やる。
「うちのコックさんが苦手のようね。……彼はカマバッカ王国に伝わる「攻めの料理」、99のバイタルレシピを会得したの。地獄のような日々だったと聞いたわ。――きっと、彼は気付いているのね、手の届く存在ではないことに」
 麦わら海賊団のコック・サンジの能力は、ローも自らで体験済みだ。確かに、攻めの料理でクルーのメンテナンスができるだろう。
 ハートの海賊団が求めているものは違う。サンジの料理は凄いかもしれない。だが、そんなものは二の次でいいのだ。が自由を感じて、強いられることなく自らで動いてこそだ。
 ――あいつは自分の出す料理が、俺たちにとってどういう意味を持ち、どれほど魅力的であるかを理解していない。上等な腕前なんて必要ない。美味しく食べてもらいたいと思って作っていることがわかるあいつの料理だからこそ、俺たちには価値がある。
「明日のお昼、中央の噴水広場に行くといいわ。色んな店からコックが出て、料理を作るそうよ」
「黒足屋もいるのか?」
「誘われていたから、行くんじゃないかしら。見る方じゃなく、出るほうだと思うけれど」
「そうか」
 ――が自分の意思で起きることができたら、行ってみるか。










 中央の噴水広場に、サンジは居た。銜え煙草のまま、主催者の言われたとおりにエプロンをかけた。
 今日は街の食材を使い、色んな店からコックが出て、その広場に来た人たちに食事を提供する日――この食材の集まる島でのお祭りだ。サンジはこの街の住人ではないが、八百屋の店主と仲良くなって、このお祭りに参加させてもらうことになった。
 魚を捌きながらふと視線を感じてそちらへ意識を向けると、トラファルガー・ローの姿があった。その隣には――。
「オレ、船に戻ってます」
 ローにおごってもらう約束をしていたは、彼に連れられて船をおりていた。騒めく声にローと二人で足向ければ、そこには広場一杯のキッチンと幾人かのコック。その中に、一際目立つ人物がいた。
 それが目に入った瞬間、はそう言って踵を返す。一歩を踏み出したところで、ローに腕を掴まれた。そして、それと同時にかかる声。
「おい、ちょっと手伝ってくれ」
 発した声は、サンジのものだ。
「借りてもいいよな?」
 サンジの言葉に、ローは一瞬思案顔をするが「いいだろう」とOKを出した。

「……ッ!」
「お前はあの場に行きたくはないだろうが、この島に来てからお前は笑っていないだろう? お前は自分をもっと認めるべきだ。――お前は、ハートの海賊団の『コック』だ。黒足屋は確かに誰から見ても『凄い』コックかもしれないが、俺たちが望んでいるのは『それ』じゃない。お前が、お前らしく……偽りない姿で居てこそだ。うちの海賊団でのコックの位置を忘れたか?」


『コックっつーのは、キャプテンの次に偉いんだぜ?』

『コックがいなきゃ、俺ら美味い飯、食えねーじゃん? もう、自分らが作った飯なんて食えねーよ』


「うちの海賊団じゃ、コックはお前と決まってンだ」
 ローはそこまで言ってから、困惑顔のの耳へと、小さな囁きを落とす。
「ちゃんとハートの海賊団の『コック』になって、俺の元に戻ってこい」
 は言われて、こくりと頷く。まだ少し気持ちの切り替えができていないようだが、サンジの手伝いをすれば、気持ちの変化もあるはずだ。
 ローに送り出されては困惑しつつもサンジの元へ行くと、エプロンをつけるように言われた。
「そのエプロンはここの支給品だ。ここで料理する間はそれを着けておくようになってる」
 エプロンをつけながらサンジの手元を見る。どうやら鯖のようだ。
「煮つけ?」
 キッチン台にある調味料を見てそう聞くと、サンジから「そうだ」との声。鯖の量を確認して、キッチン台を再度見る。
 醤油、砂糖、酒、みりん、しょうが。
 はサンジのキッチン台の後ろにある台が空いているのを見て、そこへ移動する。サンジのところからしょうがを取ってきて、皮をむいて薄切りにし始める。
 サンジはちらりとを見ると、満足そうに口元に笑みを浮かべる。
 ――次に何が必要か、ちゃんと把握している。それに、量も的確だ。
 薄切りにした次は、千切りをする。千切りにしたしょうがは水にさらしておく。
「味については一切、触らないよ。俺はあくまでも『手伝い』だから」
「わかった。次は、ロールキャベツだ」
「あのキャベツ、全部使う?」
「そうだ」
「リョーカイ」
 は大量のキャベツの元へいくと、いくつかを手に戻ってくる。大きな鍋に水を入れ沸かしつつ、キャベツをはがしていく。
 鯖の方は煮つけて、頃合いを見て取り出し盛り付けるだけだ。煮つけている間に、サンジは玉ねぎを取り出し、みじん切りにする。
 の行動を視界に入れて、少し考える。キャベツや玉ねぎといった野菜類は、あとでスープの材料にでもしようと思っていた。  
 ――使えない部分を捨てずに、きちんとざるに入れて残している。あとで何かに使うかもしれないと思っているのか、それとも偶然か……。
 とりあえず、目の前の玉ねぎのみじん切りを終わらせることにする。
 キャベツを茹でて、芯の部分をそぎ落としていく。それを幾度となく繰り返しながら、そぎ落とした芯は捨てずに残している。
 ちらりとサンジを見ると、次の玉ねぎを炒めるところだった。
「オレがやる。あっち、そろそろじゃねーの?」
 煮つけた鯖がいい具合に香ってきていたのに気づいて、は聞いてきたようだった。
「あァ、助かる」
 サンジの手からへ渡され、フライパンに乗せられたみじん切りの玉ねぎが、バターで炒められていく。
 ローはその様子を見ながら、彼女がいつも船のキッチンでいるときのように、穏やかな表情になりつつあるのを認めて胸を撫でおろす。
 荒治療過ぎるかと思ったが、どうやら功を奏したようだ。
 は透明になっていく玉ねぎを見ながら、忘れていた『感情』を思い出す。
 あの酒場ではじめてコックの仕事を見たとき、は感動を覚えた。両の手だけで作り出す『料理』は、人を優しくする能力を秘めている。どんなに苛々していても、食事をして満腹になれば薄れゆくもの。
 ――あぁ、何で忘れていたんだろう。
 ちらりとサンジを見やれば、彼は銜え煙草のまま笑みを浮かべている。それは、彼が女性に対する反応とは違い、純粋な楽しさからくる笑みだ。心底好きなのだろう、コックという職業が。


『お前が、お前らしく……偽りない姿で居てこそだ』


 ――キャプテンが居場所をくれた。眠れないオレに、眠りと安らぎを与えてくれた。ハートの海賊団のクルーはみんなオレを特別扱いせずにいてくれる。だからこそオレは、彼らに美味しく食べてもらいたいと思った。……オレは『立派な』コックになりたいわけじゃない、みんなに食べてもらいたいだけだ。今も、過去もまるごと認めてくれるみんなに。
 は一度、ぎゅっと目を瞑った。すぐに開いた瞼の奥にあるのは、強い光を宿した灰色の瞳。
「立ち直ったか」
 ローは彼女の表情が変わったことに気付くが、同時に、終わった後のフォローをしてやるべきだと感じながら、その場から少し離れた場所に腰を下ろした。










「助かったぜ」
 サンジに言われ、は少しだけ表情を崩す。
「邪魔にならなくてよかったよ」
 それは本心だ。
 できるだけ、サンジの調理を邪魔しないようにしたつもりだった。どうやら無事、自分は完遂できたようでほっとする。
「兄ちゃんも参加してたのか」
 突然声をかけられそちらへ向くと、昨日、に声をかけてきた店の人だった。
「オレの意思で参加したわけじゃないけどな」
「あぁ、こいつは俺が引っ張り出したんだ、手伝えって」
 サンジは男に言って、「いい腕だぜ」と笑った。
「え?」
「お前、いいコックになるぜ。俺の動きを先読みしてやってただろ? それに量も的確だった。コックの修行なんかしなくても、好きでやってるヤツは必然的にできるようになる」
「へぇ……コイツぁ、贔屓にしてもらわねぇとな」
「店の場所は知ってるか? ログがたまる前に行っとけよ。いいモノ売ってる。俺が保証する」
「わかった。ちゃんと荷物持ちを連れていくよ」
 サンジの言葉にはそう返答すると、エプロンを外す。
「ゆっくりしてけよ」
 男が言うのに首を緩く横へ振ると、は視線を太陽へ流す。
「約束の途中だったんだ。反故にされたくないから行くよ」
 ローは広場から少し離れた場所で腰を下ろしている。片腕には長い刀。帽子を深く被ったまま、近づくを真っすぐ見ていた。
 彼女がローの前で足を止めると、彼は腰をあげた。