次の日、はサンジからデザート作りを教わるべく、麦わら海賊団の船、サウザンド・サニー号へ向かう。ローはがサニー号へ行く前に両目の診察をして、目薬を作る材料を確保するべく街へ下りた。
サンジは材料をテーブルに並べると、説明などをせずにいきなり作り始める。
料理は、人から教わるものではなく、作る人を見て覚えるものだと教わったため、相手に対してもそうするのだろう。も説明をしてもらおうとはせず、キッチンの邪魔にならないところに立って、その一部始終を無言で眺めるだけだ。
ちらりとへ視線を向けても、サンジの目との目が合うことがない。が見ているのは、サンジの手元と時計のみだ。
『一回、最初から最後まで工程をみたら大丈夫だから』
昨夜、はそう言った。記憶力がいいのだろうかと思ったが、集中力もあるようだ。今は周りのことが見えていないのかもしれない。
サンジが生地をオーブンに入れたところで休憩となった。
「コーヒー、入れてやるよ。座ってろ」
サンジに言われて、は大人しく椅子に腰かける。彼がコーヒーを準備している間に、はポケットから取り出した目薬を右目に入れた。
「目、大丈夫か」
サンジが問いかければ、は苦笑をにじませる。
「オレの左目が見えてないのは知ってるんだろ? 右目を酷使するのは仕方ないさ。それに、集中しすぎると痛くなるから1日が精一杯なんだ」
「その目薬は」
「あぁ、これ? キャプテンお手製の右目専用の目薬。今日はオレがここに来て目を酷使するのがわかってたんだろうな、特別に渡されたモノ」
「へぇ~、あいつ優しいんだな!」
キッチンへやってきたチョッパーがそう言って、の隣に腰かける。
「チョッパーも、ありがとな」
目を細めてが礼を言えば、何を言っているのかわからないと、チョッパーはきょとんとする。気付いていないことがわかって、はチョッパーの耳元で小さく言った。
「性別のこと、黙っててくれてありがとう。サンジは気付いてないみたいだから、そのままよろしくな」
チョッパーは驚きにぴん! と背筋を伸ばし、そのあと表情を緩めて笑った。
「お礼なんて言われても嬉しくねぇよ、このやろが~!」
ゆるゆると体を揺らせ踊るチョッパーの姿に目を細めて笑うと、はサンジの姿を視界にいれた。
サンジはチョッパーのジュースを出したあと、オーブンからスポンジを取り出していた。
コーヒーを飲みながら、その動向を見やる。
スポンジまでの工程がわかれば、あとはにもわかる。
今までよりも少しだけ目を休めるべく、はサンジの手元だけではなく、キッチンや装飾に視線を向けた。
「ありがとうな」
サンジに礼を言って、キッチンから出る。何故かチョッパーも一緒にキッチンから出てきて、が船をおりるまでついてきた。
「こっ、これ!」
「ん?」
腰を下ろしてがチョッパーを見れば、その右手にあったものを押し付けられた。
「やっ、やる! トラ男に渡したらわかる!」
小さな白い布袋に入ったものを押し付けられて、はどうしたものかと首を傾げると、チョッパーはそう言って手を離す。
手を渡されたことによって重力に従って落ちた袋をが手に取ると、ピンクの大きな帽子のつばを両手で引き下げ、チョッパーは下を向いた。
ローに渡せばわかるということは、薬の類なのだろうか。
「ありがとう。遠慮なくもらっとく」
返そうかとも思ったが、チョッパーがわざわざついてきたのだ、きっと返すと言っても受け取らないだろうと思い、素直に受け取ることにした。
「ちゃんとトラ男に渡すんだぞ! 絶対だぞ!」
子供に見えるチョッパーに念を押されて、は笑みを浮かべる。
「わかった、ちゃんと渡すよ。――またな」
「お、おうっ!」
は帽子の上からぽん、とチョッパーの頭を柔らかく叩いてから立ち上がった。
が船に戻ると、甲板でベポを枕に仮眠していたローがいた。
眠っているのなら後でいいかと思いながらその姿を見ると、彼は両目を開けてを見据えていた。
「ただいま戻りました」
「何を貰ってきた?」
「さあ? キャプテンに必ず渡せと言われて」
右手にぶら下げていた布袋をローに渡すと、彼は中身を確認する。
「……」
はぁ、と深いため息をついたローは甲板から腰をあげると、についてくるように言った。行先は船長室。
船長室に入った途端に、ローは机に布袋を置いてソファへ腰を下ろす。それも、大きなため息つきだ。
所為なげに佇むに、ローは布袋の中身は薬草だと言った。その薬草はとても珍しいもので、かなり高価なものだ。
「初対面で『ゾロ屋』に手合わせを申し込まれ、『麦わら屋』には仲間に誘われ、『ナミ屋』に着せ替え人形にされ、『ニコ屋』に飲みに誘われ、『黒足屋』に手伝えと言われ、……今度は『トニー屋』か。麦わら海賊団の残りは『鼻屋』と『ロボ屋』と『ホネ屋』の3人」
「キャプテン?」
意味が分からないと首を傾げれば、ローは「お前に落とされた奴らだ」と苦々しく言う。
「落とす?」
「無意識か……。ますますタチが悪い」
「言ってる意味がわからないんです……け、ど」
殺気だったローの気配に、の語尾が途切れた。すぐに平穏に戻ったが、ローの機嫌の悪さはなおっていない。
「どうもおまえは麦わら海賊団に影響を与えやすい。麦わら屋はともかく、ゾロ屋、ナミ屋、ニコ屋は用心深い。その3人をすでに掌握済みで、おまえはそれを自覚していない」
「そんなの知らねぇしっ!」
思わずツッコミに似た発言をしたに、またもや大きなため息。
「しばらく一人で行動するのは禁止だ」
「えーっ! 横暴!」
「一緒に行動するのが俺では不満か?」
「え、いや……不満じゃ、ない、デス」
面倒だからって一緒に行動しないのはキャプテンの方だし。
は喉まで出かかった言葉を何とか飲み込むと「キャプテンと買い出しに行くとまた目立つなぁ」と胸中で呟いた。
ログがたまるまで、あと2日。の呟きは的中することになる。
彼女はローと一緒に、サンジに勧められた八百屋へ足を運ぶ。
ハートの海賊団の船長であるトラファルガー・ローは、自分がすでに海賊だとバレているとわかっているため平常運航だ。としては、バレているとはわかっているができるだけ目立ちたくないのだが、船長がコレでは猫を被っても仕方がないだろう。
海賊とわかっていてもいい男だ、女性の視線がローに集中する。本人は不機嫌な表情を取り繕うこともせず、完全な無視を決め込んでいる。
は小さくため息をつき、ローへ熱い視線を向ける女性たちを出来るだけ気にしないようにして八百屋の男と話をする。
見たこともない野菜もあって、調理法や保存方法を聞いたりしながら購入する品目を決めていく。
真剣な表情で八百屋の男と話をするへ向けられる女性の視線もあるが、彼女は気が付いていない。
「キャプテン、お願いします」
「支払いは?」
「済んでます」
ローは店の横に積まれた野菜たちを見やり、の腕をとる。
「え?」
なぜ腕を掴まれたのかわからなかった彼女だったが、次に見た光景で出来事を察する。つまり、ローは荷物と一緒に自分たちも移動させたのだ。
ローにどういう意図があって自分たちを含めての移動だったのかはわからないが、とりあえず、積まれた野菜たちをきちんとした場所へ保管しなくてはならない。
ありがとうございました、とだけ言い、は荷物を整理するべく、ローから離れたのだった。
その姿を、少し緩んだ目元で、ローが眺めていると気付かずに。
あと1時間もすればログがたまる。その前に、は自分の持つお金で材料を買い、甘味をおさえたケーキと普通のケーキを2個ずつ作り、各1個ずつを冷蔵庫へ管すると、残りの各1個ずつを持って船をおりた。ローには前もって船をおり、お礼がわりに麦わら海賊団へケーキの差し入れをする了承を得ている。船には誰か残っているだろうということもローから聞いている。
「こんにちわー。誰かいませんかー」
言いながら甲板に足を下ろせば、キッチンの扉が開いた。
「おう、どうした?」
今日の船番はサンジのようだ。
「この間のお礼に、作ってみたんだ」
言いながら招かれるままキッチンへ入ると、は両手にあった箱を置いた。
「感想は今度会ったときに聞かせてくれ」
「一緒に食っていけよ」
「いや、オレはすぐ船に戻んなきゃいけないから。もうすぐ出航だしな」
は言ってキッチンを出る。そこへ、外から帰ってきたロビンと鉢合わせした。
「あら、来ていたのね」
「もう帰るけどな」
「ゆっくりしていけばいいのに」
「もう出航時間だからそういうワケにはいかないよ」
は穏やかな声音で言った。
「あの船がの居場所になったのね」
「ロビンも、ここが居場所だろ?」
「そうね」
ふふ、とロビンが笑うと、は薄く笑いながら更に言った。
「オレにとっては唯一無二の存在だよ、あの人も、あの海賊団も。――ロビンはそこらへんの詳しい事情も知ってるんじゃないのか?」
「どうかしらね?」
はロビンの耳元へ、笑みを浮かべたままの唇で告げる。
告げた瞬間のロビンの表情を横目で見ると、彼女は満足そうに笑みを深くする。
「お土産残してるから、今度会ったときに感想を聞かせてくれ」
は軽いフットワークで甲板から飛び降りると、そのまま去っていく。
――あの人の傍でありのままの自分で居たい。オレの全部をあの人に渡したし、あの人の全部を貰ったからな。
それはまるで、全身全霊を込めた愛の告白のようだとロビンは思う。
「私も、のようになれるかしら」
ロビンはの後姿を眺めながら、そっと呟いた。
「早かったな」
船のキッチンへ戻ると、ローが気配を察して船長室から出てきた。
「ケーキ渡すだけだし」
何かと引き留められやすいだったが、彼女の中での最優先はこの海賊団だ。出航時間に遅れるようなことはしない。
そっけない言葉に彼女の胸中を理解したのか、ローはの短い髪を一撫でして目元を緩めると、すぐにいつもの無表情に戻した。
「ペンギンが操舵室で出航準備をしている。手伝ってこい」
「了解、船長(キャプテン)」
麦わら海賊団よりも先に出航する。あちらのログはまだ溜まっていないのだろう。
ふんわりと香ってくるのは香辛料で、宴の際に「カレーが食べたい」とペンギンが言ったのを覚えていて作っているのだろう。
操舵室で操縦中のベポの後姿を眺めながら、珍しく両足を投げだし座っている。
上機嫌なを思い出し、ペンギンは脳裏にここ数日の彼女を思い出す。
ペンギンから見ても、が麦わら海賊団のコックを苦手としていることがわかった。当然、本人にも伝わっているだろう。それが数日で改善したのはキャプテンのおかげだ。
昼間から強めのアルコールを飲んだは、キャプテンに連れられて船に戻ってきたらしい。キャプテンが傍にいることがわかっていたから、安心したのかもしれない。
俺が呼ばれて船長室に入ったときには、すでには夢の中で、ソファベッドに体を預けたその上にある彼女は、まるで子供のようだと思った。キャプテンに抱き着いたまま眠ったを起こさないように、キャプテンは静かな口調で語る。
まだ、は悪夢に囚われている、と。
過去の出来事は、彼女の中で浄化されることなく残っている。キャプテンが傍にいることで平静を保ってはいるが、引き金があるだけですぐに逆戻りするほどに、彼女の中で根深い闇となっている。それを取り払うことができるのはキャプテンだけで、俺たちはそれを手助けするだけ。
にとってキャプテンの存在は絶対だ。キャプテンがいなければ、今でも深い眠りには入れない。
「どうしたの? ペンギン、元気ないね」
島から随分離れて落ち着いたのか、ベポが問いかけてきた。
「……ちょっと考え事をしてた」
「のこと?」
ベポは雰囲気や行動を直感で感じ取り、大抵は当たっている。
「まぁな」
「はちゃんと、俺たちのこと見てると思う」
ベポは言って、笑う。
「食べ物の好き嫌いだけじゃなくて、きっと色々と見てくれてるよ」
「……そうだな」
ペンギンは腰をあげると、ベポと操縦を交代する。
コックという職業柄か、細かいところを見る癖がにはあった。少しの表情も見逃さないのは他人にだけで、自分に関しては完全スルーが適用される。それに苦笑いするのが、ハートの海賊団の船員(クルー)たちだ。
「それに、キャプテンもも好きだよ!」
胸中の不安を払拭するような明るい口調で言い切ったベポの声に、ペンギンはようやく笑みを見せた。
「キャプテン?」
夕食も終わり、珍しくゆったりと過ごす中、ローに引きずられるようにして連れられた船長室で、は彼の腕の中にいた。
「次の島で、大量に酒を買い込むからな」
は背中にローの体温を感じながら、次の島はお酒の種類が多いのかなと思う。
「冬島だからな、強い酒が多い。アイツらも相当強いからな」
「知ってます」
あの酒場での注文されるアルコール度数の高さに驚いたものだ。
「酒樽置ける場所、あったかなぁ……」
今回の島で、随分と食料を買い込んでしまったため、倉庫を圧迫している気がする。次の島までどれぐらいかかるかわからないが、近ければ酒樽を置ける場所がないだろう。
「おまえの部屋を倉庫に戻すか」
「え!? 折角の部屋を? ってか、オレの居場所は?」
「ここでいいだろう?」
「オレ、邪魔にならない?」
「ほとんどここにいるだろう。邪魔だったらとっくに放り出してる」
自室で眠るのは1週間に1回ぐらいだ。ほとんど毎日ローに捕まって、そのまま拉致されて船長室で眠る羽目になっている。
まさかこのためにソファベッドをそのまま置いてるわけじゃ……ないよな?
「不満か?」
「不満というか……ペンギンとかシャチとか相談に来るとき、聞かれたくないんじゃないかなぁと」
船長室で打ち合わせというのが一番多い。そのたびに自分が部屋から出ていくのは、彼らに気を遣わせることになるだろうと思う。
「しばらくは海の上だ。その間に部屋を片付けておけよ」
――1人になれる場所、あったかなぁ……。
ローの肩にこつりと頭を預けると、艦内の見取り図を思い浮かべながら、は目を閉じた。
【見せるものと、魅せるもの 完】
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