「やった!」
シャチが渡されたベリーを見て、嬉しそうに言った。跳ねるような口調に、も笑う。
「この島は特別だ。島の奴らに迷惑かけたら……わかってるな?」
「らじゃーっす!」
船長から渡された特別支給のベリーは、この島だからこそ渡されたものだ。はじめて見たその光景に、はつられて浮かべた笑いをそのままに、疑問符を浮かべたまま眺めている。
「あ、そっか。ははじめてか」
気づいたシャチが、説明してくれるようだ。
「この島は酒が有名でさ、特にアルコール度が高いやつが美味しいんだよ。キャプテンもこの島の酒は好きだから、ここの島に着いたときだけ、特別支給で酒代を上乗せしてくれるんだ」
「ふーん、そうなんだ」
「ん? あんまり嬉しそうじゃねーな」
「酒は好きだけど強くないからさ」
は肩をすくめる。豪酒が多いこの海賊団についていくのは大変だ、と苦笑いするしかない。
ベリーを配り終えたローがペンギンと今後の打ち合わせをしているのを眺めながら、はしばらくして訪れるであろうものが、喧騒なのか、もしくは静寂なのかと考えていた。
は倉庫を眺めて考えていた。食料庫はまだ埋まっていて、酒樽を置くスペースはあるにしても、豪酒の人数と置ける個数が比例しない。自分の部屋となっている場所は元は倉庫で、眠れないのために改装された場所だ。
酒樽はなくても航海に支障はでないだろうが、できれば購入したいと思う。
自分の部屋になったあの場所の、半分だけでも倉庫にしようかと考えていたとき、脳裏によぎるローとの会話。
『おまえの部屋を倉庫に戻すか』
『え!? 折角の部屋を? ってか、オレの居場所は?』
『ここでいいだろう?』
『オレ、邪魔にならない?』
『ほとんどここにいるだろう。邪魔だったらとっくに放り出してる』
言いなりになるのはなんだか癪だ。けれど、一理あるのも事実。の部屋にが帰るのは稀だ。いつもローに阻まれ、阻止される。
「この島のログは一ヶ月あるらしいし……その間に考えるか」
両腕を組んでため息を吐き出したところに、シャチが現れた。
「いたいた、探したんだぞ」
「探したって、オレの居る場所なんて限られてるだろ」
がいるのは、キッチンか食料庫か船長室。自室はこの中に含まれない――不本意なことに。
「で?」
「今夜、さっそく宴をするってさ。今日のは全員参加な」
「全員参加? 船の見張りはどうするんだよ」
この島の宴なら、強い酒がわんさか出るだろう。そんな宴には出たくないと胸中で呟きながら聞くと、シャチは大丈夫だと言う。
「船を隠せる場所があるからな。それに、この島の人たちとは仲がいいから、なんかあったら知らせてくれる」
この海賊団と仲がいいとは、余程の豪酒が揃っているのか。
先行きが不安なりつつ了解と返事をすると、シャチは他の船員を探しに消えていく。
「オレはコックに専念かな」
そうしないと、潰されそうな予感がする。
は食料庫を眺めながらため息を吐き出した。
宴の時間まで、は珍しくのんびりと自室で過ごした。外に出る気にはならず、食料を購入するにも、出航まで日数がありすぎる。
随分前に立ち寄った島で購入した、航海術の本を取り出し広げた。
今まで触ったことがないため、子供用を購入した。文字ばかりでは理解が追いつかないのはわかっていたから、イラストや砕いた表現で記載されたものを購入したのだ。
どういったものなのかペンギンに聞けば教えてくれるだろうが、を離したがらないローが、ペンギンとのワンツーマンを許可するかは微妙だ。
島におりているローは船内にいないからちょうどいいと、は艦内の静けさに安心しつつ、ページをめくった。
テーブルに置いた時計の音だけが部屋に響く中、時折、ページをめくる音がする。まずは一度、最初から最後まで読んでみようと時間を忘れて読みふける。
どれくらいの時間が経ったのか、部屋の中には窓がないため、外の様子がわからない。宴の時間が近くなれば、誰かが呼びにくるだろう。
時計を見れば3時間ほど経過していたようだ。
しばらく秒針が動くのを眺めながら、いつの間にか凝り固まっていた肩を動かす。
――もう少しで最後まで読み切れるし……、気付いて誰か来るまで読んでようかな。
は再度、本へと視線を落とした。
「あれ? は?」
宴がもうすぐはじまるという時間だが、見渡しても彼女の姿が見当たらない。
今回の宴の主催は街の人たちで、ハートの海賊団はあくまでも客人としてもてなされる側だ。だからこその全員参加なのだが。
「俺が伝えたときには食糧庫にいたけど……そのあとは知らないからなー」
シャチは言って、腕を組んで首を傾げる。
「が遅刻って、珍しいね。おれ、呼んでこようか?」
ベポが言うのにローは自分が行った方が早いと、その場をペンギンやシャチに任せて船に戻る。
「」
気配はの部屋にあり、扉の前で名前を呼んでも返答がない。不機嫌に眉を寄せたまま、ローは扉を開く。その目に映った姿に、彼は息をついた。
――調子が悪いわけではなさそうだな。
机に突っ伏して眠っているは、珍しく熟睡モードだ。起こすのは忍びないと思うが、今回は起こさないわけにはいかない。へ近づくと片膝をついて、肩に手を置き体を揺する。
「起きろ」
振動では薄く瞼を開いたが、視界が定まらずにいるようだ。
「あー、きゃぷてんだ」
思考も視界と同じで定まらず、子供のような言葉遣いになっている。
「時間だ、」
「じかん? あー、そっか」
のそり、と体を起こしたは、ふぁあ、と大きな欠伸をしてから立ち上がる。その瞬間、ふらりと体が傾いで、慌ててローが支える。
「あー……すみません」
ふぁあ、と再度欠伸をしたは、ローの腕をそっと外して「行きましょう」と扉へ向けて歩き出す。
その後ろ姿を眺めながら続いて部屋を出ると、ローは再度、その腕をとった。
「キャプテン?」
の呼びかけには答えず、能力を発動して移動する。
ざわめきがすぐに聞こえてきて、今夜の宴の場所だとすぐに分かった。
「ありがとうございました」
軽く頭を下げたは、ぐるりと周辺を見渡す。すでに宴ははじまっているようで、踊り子らしき女性たちや島の酒豪たち、コックたちがあちらこちらで笑いあっていた。
和気あいあいの雰囲気に、彼女は苦く笑う。
――駄目だ、今日はこの雰囲気に馴染めそうにない。
他のクルーたちは慣れているのか、馴染んで一緒に笑いあっているが、自分ははじめてだ。それに、たくさんの人たちの中にいるのが得意ではないから、余計だ。
――これは、ある程度離れた場所で気配を殺さず避難、がいいかな。
気配を消せば、きっとクルーたちが気にしてしまう。居場所が把握できる場所にいれば、クルーたちは気にせず羽目をはずせるだろう。
「逃げるなよ」
「――逃げませんよ」
ローはの胸中を気付いているようで、苦く笑ったままの彼女の頭を軽く叩いた。
「避難は許す」
「そう言って貰えると助かります」
アルコールで自分の能力の枷が外れれば、はきっと病んでしまう。これだけの人数の思考が読み取れてしまったらと思うと、彼女へ強く言うことができない。
「シャチ、俺が戻るまでこいつと一緒に居てやれ」
「リョーカイっす」
「楽しんでるのに、悪いな」
はシャチの隣に座ると、そう謝った。
「いいって。ここの酒はにはキツイはずだから、キャプテンが見繕ってくるんだと思う。飲まないわけにはいかないだろうからさ」
「そうだろうなぁ。キャプテンが戻ってきたら、オレは避難する予定だから」
「避難?」
「そう。この宴の場所の一番隅で、薄ーい気配でちびちび飲むよ」
「……自己防衛?」
「アタリ。クルーはさ、慣れてるから大丈夫なんだ。だけど、ここはまだちょっと……な。あまりに人数が多すぎるから、万が一の保険に」
シャチは彼女の能力を思い出す。
「一か月もあったら、慣れるんじゃないか?」
「そうだな」
「ヤバくなったらいつでも言えよ? 能力のことはわからねぇけど、一緒に戦うことも、おまえを守ることもできるからな」
もそうとう強くなったが、戦闘員としての年季にはかなわない。戦い慣れた彼らの方が、彼女の何倍も強いし、判断力がある。
「そうさせてもらうよ。ありがとう」
シャチはそれに満足げに笑って、杯を傾けた。ローが村長のところにいるため、そちらに島の住人が集中していて、シャチとのところに島の住人はいない。手酌で酒をつぎ足し、彼は更に酒を飲む。
「気持ちいいぐらい飲むね」
「ここのはどれも美味いからな。一口だけ、飲んでみるか?」
「好奇心で身を滅ぼしそうだから、今日はやめとく。もうちょっと慣れたらにするよ」
「ま、それもそうだな。――、キャプテンが帰ってきたぞ」
シャチの視線の向こうに、少しだけ疲れた顔をしたローが居た。その右手には、小さな瓶を持って。
「一番弱いやつを持ってきたが、それでも結構キツイからな、少しずつにしろよ」
「リョーカイです」
ローから瓶を受け取ると、料理のあるテーブルへと向かう。ベポやペンギンが居て、島の住人もたくさんいる。
「ペンギン、おススメある?」
「ここのはどれも美味しいぞ」
の手にある瓶に視線を向けると、やはりそれか、とに言って苦笑する。
「キャプテンがこれにしろって。――ここのは全部、強いんだろ?」
「俺が知ってる限りでは他の島より強いな」
「じゃあ、酒のつまみじゃなくて、ちゃんとした御飯を食べるかな」
は言って、テーブルにある料理のいくつかを皿に乗せた。
「じゃ、オレのことは気にせず楽しんで」
ペンギンに言いおいて、はローがいる方とは真逆へと歩いていく。
――キャプテンと一緒に居るつもりじゃなかったのか……。
ペンギンは彼女の背中を眺めつつ、酒を煽る。
――あぁ、そうか。そういうことか。
はローの真逆の、宴の会場の隅へ腰を下ろす。そこは、気配を薄くすれば島の人間から感知されない場所。けれど、アルコールの入ったクルーたちの視線に入る、その場所。
――アルコールに弱いだから、万が一、枷が外れてここにいる大勢の人の思考が流れ込んできたときに対処できるように、キャプテンの視界に入る場所で避難ってコトか。
小さな瓶の蓋を開けて、はそのまま口をつけて一口飲んだ。
「うわ……きっつ!」
小さく呟いて、瓶を自分の体の横に置くと、手に持っていた皿からチーズをつまんで口に入れる。
林檎やナッツ、パイナップルが入っているものもある。
ちびちびと飲みながら、宴を眺める。クルーたちは島の住人と談笑しつつ、踊り子に拍手を送っている。
ローの前まで踊り子は歩み寄り、何かを話している。はそれを眺めつつ、自分の胸中が穏やかではないことに気が付いた。
「こんなの気付かれたら、キャプテンに何を言われるか」
今の自分は、ハートの海賊団のコック兼戦闘員で、男だ。そう自分に言い聞かせる。
何度か深呼吸を繰り返し、は半眼を閉じ、気配を薄くする。そうすることで、ここにいる住人に気配を感じさせず、自分へ意識を向けさせないようにする。
「それにしても……何でこんなにキツイ酒ばっかり飲めるかな」
ちびちびと酒を舐めつつ、おにぎりに手を伸ばす。
食べながら、ローの動きを意識せずに眺めていると、彼と視線が合った。何となく視線を合わせていられなくて、自然な風を装い視線をそらす。そのままシャチやベポ、ペンギンたちを眺めていく。
がはじめてローと会った日と同じ表情をしていることに、自身は気付いていない。感情の乏しい顔で、彼女はクルーたちを眺めている。
視線を手元に移したは、瓶の口にそっと唇をあてた。瓶からほのかに香るのは、林檎。喉に通るアルコールと一緒に甘酸っぱい味が流れていく。
「アルコールはキツイけど、確かに美味い」
少し目元を和ませて、彼女はもう一口飲むと、ゆっくりと喉に通す。そこでようやく表情がいつものに戻る。ローはそれを、が向かい側に座ったときから視界の端に入れている。
が居なかったときは、誘われるまま夜を明かしたこともあった。一夜だけの相手、それを生業にする人間もいる。だが、を手元に置いてから、ローは一度もそういう行動をしていない。
露出度の高い衣装で踊り、自分へ誘いの言葉をかけてくる女もいたが、すべて断った。
踊り子の数人がローの前を占拠しているのに、村長がゆったりとした足取りで彼女たちの横へ歩み寄り、他の場所へ行くように指示を出した。彼女たちの雇い主である村長からの指示に、渋々ながらその場を去っていく。
「すみません」
村長の言葉に、ローは首を横に振る。がいなかったころの、いつもの光景だ。
「こちらこそ、すまないな。気を遣わせた」
「いえ。今夜はこちらがもてなしたのですから、当然です」
村長はローの好きな酒瓶を持って、彼の隣に座った。これで、彼女たちは来なくなるだろう。
「以前に来られたときより、随分と角が取れましたね」
「そうか?」
「えぇ。……最近、噂になっていますよ、新入りの『彼』が」
「そうだろうな。額ももうすぐ上がるだろう」
喉の奥で笑い、ローは村長に注がれた酒に口をつける。
「アイツのことはしばらく放置してやってくれ。必要なら、アイツから近寄ってくるはずだ」
「まるで猫のようですね」
「確かにな」
空になった杯に注がれた酒を一口飲むと、ローは口元を緩ませた。
「一か月、よろしく頼む」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
村長はローに酒を注ぎつつ、小さく頭を下げた。
小さな酒瓶の中身を舐めながら、はローへ視線を向けられなくて困っていた。
村長が先ほどまでローの隣にいたのだが、何か用事で呼ばれてしまい彼がひとりになってしまった。そのせいで、彼の周りには女性が集まっていた。
いつもならば無表情に眉間の皺を増やして無視するのに、ここではそういった行動をしない。今まで何度も世話になってきたため、強く出れないのだろう。
はそれを見ていられなくて、視線を彷徨わせる。
いつもはしない深酒、いつもはしないローの行動――それがすべて裏目に出ていると瞬時に理解できるぐらいに、の表情が無に近い。
耳鳴りが酷い、とは無表情で思う。これはよくない前兆だ。
少しふらつく体をしっかりと意識を保って落ち着かせると、視界の端にあったシャチの方へと歩いていく。
「大丈夫か?」
シャチがを見上げた瞬間に言われた言葉がこれだ。彼にもわかるほど、は追い込まれていた。
「あぁ……今はまだ」
「俺で大丈夫か? キャプテンじゃなくて」
「キャプテンは駄目。シャチかペンギンか……ベポがいいな、今は」
が言って、苦く笑う。本当に困ったような表情で、彼女はシャチの隣に座った。
「ごめん、今はちょっと……正直、ヤバイ」
――あぁ……堪えてるのは、アレか。
ローの周りに集まる女の群れ。その意識にあてられてしまったのだろう。
「ペンギンとベポも呼んでおくか?」
「ありがとう、そうしてくれると助かる」
「ペンギン!」
シャチの声が聞こえたペンギンがこちらに視線を向ける。すぐに状況を理解したのか、ベポの傍に近づき何かを言った後、彼はこの場へやってきた。
をシャチと二人で挟むような形で座ったペンギンは、持ってきたビールを煽った。
「お前は気にしすぎなんだよ」
「俺たちが守ってやるから、大丈夫だ」
とん、と背中をペンギンに軽く叩かれ、シャチには髪が乱れるほど撫でられる。そうやって軽口を言ってくれる二人に、感謝しかない。
「、大丈夫?」
ベポがウーロン茶を持ってやってきて、の手から酒瓶をとりあげ、その手にグラスを持たせる。
いつもは逆だよな、と彼女はベポの行動を見て思う。
こくり、とグラスの中身を飲んだは、目の前にある白い毛皮へぼふりと体を預け、抱き着いた。
「オレ、意識落としても大丈夫?」
毛皮へ埋もれたまま、が聞いてくる。
「あぁ、いいぜ」
「あとのことは心配するな」
「ちゃんと守るよ!」
毛皮に包まれたまま、小さく「ありがと」と彼女は言うと、そのまま体の力を抜いた。
「……?」
彼女の体を受け止めたまま、ベポが名前を呼ぶが返答はない。
「マジで落ちたか」
「結構、ギリギリだったのかもな」
ペンギンとシャチは、ベポに受け止められたまま意識をなくしたを見やり、目を細める。
彼女は知らない人間の気配に鋭く、自分が認めた者以外の場所で意識を手放すことをしない。それなのに、知らない人間が大勢いるこの場で、傍にいる仲間が彼女を守ってくれると信じていても、自ら意識を手放す判断を下した。それはつまり、彼女の体が今の現状を受け入れることができていないという証拠だろう。
「このお姫様をどうするか、だな」
シャチが少し溜息交じりに言って、の髪を撫でる。
「キャプテンにはしばらく近づかないように言っておく。……不機嫌になるだろうから、覚悟しておけよ」
言付ける自分が一番の被害者だけどな、と苦笑交じりにペンギンは呟く。
「じゃあ、おれ、キャプテンと交代できるまで傍にいる」
「頼むよ。俺やペンギンよりもベポが一番適任だからな」
今は誰よりも頼りになる白熊に、二人は託すことにするのだった。
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