村長の娘たちと友人になる約束をした宴の5日後、は昼の見張り当番になっていた。
ナミに本の手配を頼んでから7日。そろそろ届くだろうと思う。
2人1組で、1人は甲板から島方面を、もう1人は見張り台から海側を監視することになっている。夜の見張りはシャチとだったが、今回はペンギンとだ。他のクルーと一緒になるはずだったが、ペンギンが交代を申し出たらしい。
夜は見張り台での監視が目に負担がかかるので、昼は見張り台にあがることにしている。ペンギンにもそう言って、は見張り台へあがっていく。
ツナギのポケットには単眼望遠鏡、念のため、閃雷も持ってきている。数日前にローから渡されたニット帽をかぶり、太陽があがっても冬島ということもあって寒いため、マフラーもしている。それに比べてペンギンは、いつものペンギン帽とツナギ、手袋をしているだけだ。
見張り台にのぼる前、ペンギンにその姿を見られて笑われた。
「春島育ちにはキツイか?」
「普段はここまでしないよ。体動かしてていいなら、ここまで重装備はしないんだけど」
「まぁ、見張り台では無理だな」
「だろ。……笑うな!」
珍しくペンギンは声を出して笑い、ニット帽の上からぽんぽんとあやすように叩いて。
「笑ったお詫びに、イイこと教えてやる。のその帽子な、キャプテンが島におりてのために買ってきたらしいぞ。冬島の寒さに耐えられる帽子、持ってなかったろ?」
「キャプテンが一人で?」
「あぁ、そうだ。お前に接近できなかった10日間、そうとうキツかったみたいだな。それに、俺ら3人の誰かが必ず居たし」
ペンギンはその時のことを思い出して、更に笑う。
「夜に必ず船に戻ってたのは、おまえに自分を認識させるためだ。ま、自分がの存在を認識したいのもあるだろうけど。接近禁止はが自分でキャプテンに近づくまで、って言ってあったから」
「結構、酷くない?」
「それほどおまえの方が酷かったんだよ。自分でどう思ってるか知らないが、シャチに呼ばれて振り向いて、一番はじめに見たおまえの表情が相当ヤバかった。船に乗る前に会ったそのものだった」
無表情だし、目は死んでるし、唇も青かった。
ペンギンはそう言いながらその時を思い出す。
シャチに名前を呼ばれた時、その声音に焦りがあったのがわかった。振り向けばシャチの隣にがいて、シャチの視線が一瞬、彼女へ向けられた。その視線を追うと、無理して表情を出そうとしている。自分の意思でどうにか立ち直ろうとしている姿を見て、手に持っていた酒瓶をそのままにベポを呼んだ。時々、はベポと一緒にまったりしているのを見ているから、シャチや自分よりベポの方が適任だろうと判断したからだ。とりあえずの意識を自分たちへ繋ごうと、ベポにの調子が悪いからウーロン茶を持ってくるように言って、慌てて2人の元へ。それからのことは言わずもがなだ。
「……辛いときに頼ってもらったって、ベポも喜んでたぞ」
もちろん、俺やシャチもな。
ペンギンの言葉に鼻の奥がツンとしてきてしまう。
「ありがと」
の言葉に、彼は帽子の奥に隠した目を細めて笑みを浮かべた。
お昼を過ぎたころ、ペンギンが先に食事をするために艦内へ入っていった。出てくるまでは、一人で留守番だ。
ばさり、と大きな羽ばたきが聞こえてそちらへ向くと、大きな白い鳥が、首に小さな箱をぶら下げてこちらへ向かってきていた。箱はちょうど文庫サイズで、ナミからの贈り物だとすぐにわかった。
「ありがとな、それと……あとで食えよ」
ツナギのポケットからくるみの入ったクッキーを数枚入れた袋を鳥に持たせる。の体にくちばしを数度擦りつけたあと、その鳥は大きく羽ばたいて去っていった。
ポケットに入れておくには少し重いが、ペンギンと入れ替わりに食事へ行くので、そのときにでも部屋へ置いてこようと思う。
「、交代だ」
ペンギンがを見上げて言った。それにハシゴをするするとおり、艦内へ入っていく。途中で自室へ寄ってポケットの中にある本を置き、食堂へ行く。
今日は船長が不在のため、珍しくサンドイッチだ。パン嫌いの船長がいないときだけの特別メニュー。自分でコーヒーを淹れて、いつもはミルクを入れるだけだが少量のハチミツを入れた。ほんのり甘い香りが、食堂を覆う。
「ん~、幸せ」
サンドイッチを頬張り、咀嚼する。
「お手軽な幸せだな」
食堂の入り口に、声の主が立っていた。
「キャプテン、おりてたんじゃないんですか?」
「あぁ。さっき戻ってきた」
空になった皿とマグカップを流しに持っていくと、は足を組んで座ったローを振り返る。
「コーヒー、淹れましょうか?」
「頼む」
食堂のテーブルに置いてあった新聞を広げて読み始める彼の前に、出来上がったコーヒーを置く。
「置いておきますね」
「あぁ」
ローの視線は新聞の活字へ向けられたままだ。はそれを見やってから、食堂をあとにした。
それから数日、何事もなく過ぎていき、出航できる時間となった。
結局、酒を大量に買い込むためにの部屋は倉庫に戻った。だが、の荷物はそのまま残っている。下着や服やなどを船長室に置くわけにいかず、クローゼットに鍵をつけた。その中に、ナミから貰った本も入っている。読みたいのだが、毎日ローと顔を付き合わせているので、読みづらい。
は甲板から島を見下ろす。そこに女性の姿を見つけて駆け下りた。
「さん!」
姉妹はそう叫んで、おりてきたに巾着袋を差し出す。
「これ、使ってください。この島の特産品です」
私たちも使ってるの。
彼女たちは小さく言って、巾着のひもをほどく。が中を覗き込むと、林檎の形をした瓶。
「お酒でつくった美容液です。船の生活はきっと、陸よりお肌によくないだろうから」
にだけ聞こえる声で言われる。
「ありがとう」
彼女たちに笑いかけると、背後からの声。
「出航だ。戻ってこい」
少し不機嫌そうな声に、は二人と顔を見合わせ笑いあう。
「嫉妬?」
「随分と見かけと違うんですね」
「前に言ったろ?」
『「自分の目の届く場所にいろ」、「辛いことがあったら自分のところで泣け」って無言で迫る、過保護な船長がいるから大丈夫だよ』
「!」
再度、不機嫌なローの声がかかる。
ふふ、と姉妹が笑って、の後ろに見えるローへ手を振った。
「船長さん、さんをお願いします!」
「はあ!?」
姉妹の言葉に、が声を荒げる。
ローは二人の言葉にニヤリと不敵に笑った。それが、答えだ。
「意味わかんねぇ。なんで『お願い』されなきゃならねぇんだよ、オレが」
「さん、船長さんと恋仲なんでしょ?」
「え? ……ばっ、何を……ッ」
「船長さんが過保護なのは、そういうことでしょう?」
何も言えなくなったに、彼女たちは優しい笑みを浮かべる。
「そのままのさんでいてください」
「偽っていても、それがさんですから」
驚きに目を見開くその目尻に浮かぶ涙を見ない振りをして、二人はの体を船の方へと回して。
「この先は、船長さんの役目でしょう?」
「――ほんとに……、ありがとな」
は言って、船に飛び移る。その頭に刺青の入った指が置かれた。
「出航だ!」
「アイアイ、キャプテン!」
白い巾着の中から取り出したのは、赤い林檎を模した瓶。中身は、酒でつくられた美容液だ。瓶のふたを開けて香りを嗅いでみるが、酒の匂いはしない。巾着をテーブルに置くとコトリと音がして、中にまだ何かが入っていた。覗き込んで取り出すと、細身のリップクリームと手荒れ用のクリームだった。どうやらそれも酒からつくられているらしく、美容液と同じような成分が混じっている。
女性ならではの気配りだ。
出航してから数時間経って落ち着いた船の中、はそれらを前にして物思いにふけっていた。
船長室にはペンギンがいて、ローとこの先の航路について話をしている。だからこうして、食堂の隅っこでそれらを眺めている。
――1人になれるところ、探さないとなぁ。
美容液を人前で使うのはなんだか嫌だし、ナミから受け取った本も読んでいない。
リップクリームだけをツナギのポケットに入れ、は残りの2つを巾着に入れなおす。それを手にぶら下げて、1人になれるような場所を探すことにする。
結局、元自室の倉庫が一番落ち着くため、本を読むときはそこへ行くか、甲板のどこかを探すしかないようだ。
船長室の前を通ると、いまだペンギンは出てきていないようだ。微かな声を耳にして、は元自室へと向かうことにする。
中に入ってクローゼットの鍵を開けると、そこへ手に持っていた巾着を入れ、かわりに文庫本を一冊取り出す。ツナギのポケットは少し大きめで、文庫本なら入るサイズ。ナミかロビンの気遣いなのか、2冊の文庫本のどちらにも、布製のブックカバーがかけられている。一つは黒で、もう一つはグレーだ。
なぜにこんな色にしたのかとは2冊の本を持ってしばらく思案するが、ふとグレーが自分の瞳の色だと思いつく。
「まさか、な」
ローの瞳は黒だ。そんなことでこの色合いを選ぶだろうかと思うが、あの二人ならばやりかねない。
「表紙の文字が見えないから都合いいけどな」
グレーのブックカバーのついた文庫本をポケットにいれると、クローゼットを閉め、鍵をかける。
は文庫本をいれたのと反対のポケットから懐中時計を出すと、時間を確認してから倉庫から出て甲板へと足を運んだ。
ペンギンが部屋から去ったあと、の気配を探すが近くにはいないようだった。
海に落ちてもなら大丈夫だろうが、近くにいないと落ち着かない。
ローは手に持っていたペンギンから渡された資料を机に置くと、を探すべく椅子から腰をあげた。
いつもいる食堂、元自室の倉庫へ行ってみたが姿がない。
いつでも自分の近くに置いておきたいからというローの勝手な理由で、倉庫からの部屋にしたその部屋の半分を、また倉庫に戻した。は少し難色を示していたものの、それでも酒豪の多いクルーのために、自分の部屋の半分を明け渡すことを了承した。
自分のことには非常に疎いくせに、自分以外の者たちに対して鋭い指摘をする一面を持つ。
――きっと、1人になれる場所を探して艦内を歩き回っているのかもしれないな。
基本的に1人でいることが好きな彼女は、この船に乗って集団生活を知った。
自分のせいで島が壊滅状態に追い込まれ、自分のせいで人が死んだ。
そう思っているは、孤独に身を置くことで他人を守っていると思い込んでいる。
艦内を歩きの姿を探しながら、過去を振り返る。
――大切だったコラソンの意思を継いで、ドフラミンゴの策略を阻止した。だがそれも、自分一人では無理だった。……麦わら屋がいなければ、ありえなかっただろう勝利。
孤独だったローがハートの海賊団を率いて船長をしているのは、1人で生きるのは不可能だと知ったからだ。
ローは歩みを緩める。
甲板の前方、見張り台からは死角となる位置に彼女は居た。珍しくこんな場所で眠っている彼女が起きないように足音をなくして近づき、その手にあるものをみやる。
――本?
小さな本は文庫サイズで、流行りの小説がこのサイズで本屋に並んでいるのを見たことがある。ローは医学書がほとんどで読んだことはないが。
その本にはグレーの布でできているブックカバーがかけられており、表紙はわからない。
読んでいるうちに眠ってしまったのだろう、体の上にあったその本がパサリと音をさせながら甲板へ落ちる。ローはそれを拾い上げると中身を見ずに栞を挟み、自分のズボンの後ろポケットに押し込んだ。眠ったままのは起きる気配はなく、彼はその体を抱き上げた。
自室のベッドへと寝かせると、ポケットに突っこんでいた文庫本を枕元に置く。
【少し、ナミと話がしたくて】
前にがそう言っていたのを思い出す。いつの間に連絡を取り合う仲になったのか問いただしたい気もしたが、彼女が連絡を取るほどに気を許す女はそういない。ましてや海賊。ロビンほどではないが博識で常識人、金には目がくらむがそれ以外ではとても優秀な航海士。
ふと、この間の島でが手に持っていた本を思い出した。
――航海術の本。文庫本。どちらにもナミ屋が関わっていそうだな。
ローは眠るを見下ろして、知らない振りをするべきかどうかと、頭を悩ませるのだった。
「……あれ……?」
いつの間にベッドで眠っていたのだろうか。
「食堂を出て、倉庫行って、ペンギンがまだ居たから本持って甲板行って、えっと……」
小さく声に出して自分の行動をトレースする。そうやって少しずつ頭の回転をさせていくが、ベッドに入った記憶がない。
見慣れた天井と、いつもソファベッドで寝ると主張するが、そこでは寝かせてもらえず、最近は1人寝もさせてもらえない――慣れ親しんだ、ベッドの感触。
ゆっくりと室内を見てみるが、ローの姿はないようだ。時計を見ると夕食の準備をするにちょうどいい時間で、上体を起こしてからベッドから両足を出しておりた。
服はツナギのままで、ポケットを探るとリップと時計があった。ベッドへ視線を向けると頭元に本が置いてあった。
「キャプテン……かな」
自分で入った記憶がないのだから、彼以外にはありえない。ベポという可能性もなくはないが、頭元に本が置いてある時点で違うだろうと判断する。
ポケットに文庫本を入れて、まずは倉庫へ行って文庫本をクローゼットへ。それから夕食の準備をするべくキッチンへ行くと、食堂には新聞を読むローの姿。
気配を察したのか、ローはを振り返りながら新聞をテーブルに置いた。
「起きたか」
いつどこで寝ても、食事の支度をする時間を過ぎたことはない。――ローに潰されない限りは。
「ありがとうございました」
「あぁ、今度から気を付けろ」
「はい」
小言があると思ったが、拍子抜けしてしまう。本のことも聞きそびれてしまった。
ツナギのポケットから懐中時計を取り出し、時間を確認する。そろそろ準備をはじめないと、人数が多いため間に合わなくなる。
「、悪かったな」
冷蔵庫から食材を取り出したところで、ローにそう言われて振り返る。
「はい?」
何のことだかわからないと首を傾げると、彼は少しだけ沈黙する。
「おまえの部屋」
「あぁ…、そんなこと」
元々、自分の部屋の役割をしていたのははじめだけで、最近はずっと船長室が生活の場になっていた。
「最近はずっと船長室だったし、今更ですよ。それに……っ!」
は言いかけた言葉を慌てたように止めた。
――何を言おうとしてたんだ、オレは!
胸中で自分にツッコミを入れる。だが、出てしまったものを聞き逃すはずのない船長が、聞かない振りをしてくれるわけもなく。
「それに?」
一歩、また一歩とゆっくりと近づいてくるローの姿に、は同じだけ後退する。トン、と腰にキッチン台が当たったのがわかり、逃げ場がないことを悟る。
いつもなら意地悪そうな笑みを浮かべてローはやってくるのに、今日は真剣な表情で。
視線も、体も、思考も――逃げ場が、ない。
とうとうローはの目の前にまできて、見下ろしてくる。見上げたは、その見下ろしてくる真剣な眼差しに耐えきれなくなって俯いた。
彼の両腕が彼女の体の両側から伸びて、キッチンへと落ちた。完全にローに囲われた状態で、は数ミリの場所にある彼の体温を感じて、体の芯が熱くなるのがわかった。
――万が一にもこの人に追い出されてしまったら、きっと自分は。
「顔をあげろ」
強制する声に、俯いていた顔をあげる。
見上げた灰色の瞳に映るのは、彼の真剣な眼差しと、少し不安げな色。
「……それに……あのベッドで…………、キャプテンがいないと、落ち着かないんです」
見慣れた部屋、慣れた雰囲気、そして――馴染んだ、体温。
人と接することが苦手なが、自分を偽ることなく縋りつくことのできる場所。
――なくてはならない、存在。
「おかしい、ですよね。……オレがそんなこと、思うなんて」
ローと絡ませていた視線を反らし、は彼の肩越しに見える食堂へ向ける。
「逃げるな」
視線を彷徨わせ、無意識に逃げを打つ体と心を声一つで繋ぎ止め、ローはの視線をもう一度自分へと縫い留める。
「おかしくなんかねェ。……俺がそうやって仕向けたんだからな」
「え?」
「好きだ。――おまえを他の誰にも渡す気はねぇ」
目を丸くし、はローから視線をはずせないまま、低い声で告げられた言葉を呆然と受け止める。
独占欲だと告げられたり、手放せないと言われたことはある。だが、出会ってから今まで、はっきりと言葉にされないままだった。
はそっと目に力を入れる。
――これから食事を作らないといけないのに。
「おまえは?」
ローは答えを求めながら、腰を屈めてうっすらと滴の溜まった目尻に口づける。
「好き、です。……もう、ヤだ……ッ」
「言ってることが支離滅裂だぞ?」
「もう…っ、恥ずかしいから、はなしてください……っ」
「そんな理由で、俺が言うことを聞くとでも?」
「思いませんけど! 食事! 夕食作らないといけないんですから……っ、はなっ、はなしてください…ッ」
どうやってこの腕の中から逃れたらいいのかわからなくて、は目尻に涙をためたまま、困った顔をする。
「……はぁ……、……やべぇ……」
深いため息とともに、ローの低い呻き声が落ちる。
「今夜、覚悟しとけよ? ――泣いても、やめてやれねぇ」
「え? ……えっ!?」
彼の声が耳に響いて、脳の奥までローの熱に侵されている気がする。
「えっと……あの……、キャプテン、オレの仕事が終わるまで喋らないでもらえます、か」
困った顔のまま、は彼から視線を外してそう言った。ローは意味が理解できずに彼女を凝視してしまう。
どういうことだ、とローが声をかける前に、彼女から答えが返る。
「声、聞いたら……、怪我、しそうだから」
きっと脳が焼け付いてしまって、動けなくなりそうだとは思う。だが、そうはっきりと言うのが恥ずかしくて、遠回しにそう言った。
ローは口を閉ざしてを見つめていたが、やがて囲っていた腕をはずしながらそっと耳元でささやいた。
「今は言うことを聞いてやるよ」
の潤んだ瞳の理由に気付いて、ローはこれ以上の接触と声を止めることにするのだった。
――大人しく言うこと聞いてやるのも、おまえだけだ。……。
【鳴かぬ蛍が身を焦がす 完】
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