涙だけは嘘を吐けない 7





 
「可愛らしいお嬢さんね」
 店内に入ると、モデルのような女性がこちらを見て微笑んだ。だが、その微笑みよりも、先程発した言葉の方がにとっては重要だ。
 ――お嬢さん、だって?
 今はメイクもウィッグもしていないし、格好はいつもの海賊団のツナギだ。この場所がローの知り合いが経営する店とはいえ、知らない気配に、身体が拒否反応を示す。
 体を硬直させたことに気づいたローが、その背にそっと手を当てる。その大きな手の温度に安堵の息を漏らしたを見て、彼女は少し驚いた表情を見せたが、すぐに先程と同じようにふわりと微笑んだ。
「驚かせちゃったかしら」
「いえ……大丈夫です。お世話になっているのに、すみませんでした」
「いいのよ、気にしないで」
「……はい」
 は少し頭を下げると、邪魔にならないようにと店の扉へと向かう。
「どこへ行く」
「少しだけ外に出てきます。……大丈夫です、船に戻ったりとかしませんから」
「遠くへ行くなよ。俺が気配を追える範囲でいろ」
「わかりました」
 扉の向こうへ消えていく後ろ姿を見やって、ローが深く息を吐く。
「彼から聞いていたから驚かないように気をつけたんだけれど、気づかれちゃったかしらね」
「あれは貴女(あなた)のセリフが悪い」
「だって、可愛かったんだもの」
「そのセリフじゃない」
「あぁ……お嬢さん、ね」
「あの格好でいるときは『男』として動いている。揶揄(からか)うなよ? へそを曲げたら厄介だ」
 ローのセリフに、彼女は微笑ましいと笑う。
「へそを曲げても機嫌取りするんでしょ? 大事な大事な、将来の奥様だもの」
 くすくすと笑いながら、テーブルを拭いていく。それを部屋の隅で眺めながら、ローはの気配を探った。
 ――遠くへは行っていないな。
「キャプテンが起きてる……!」
 航海中、一番に起きてくることのない船長がいることに、シャチが驚き声をあげた。
「うるせぇ」
は?」
 ペンギンが不在に気づいて声をかければ、ローは視線を外へと向けた。それだけで彼は把握をし、隣にいたベポを外へ行かせる。
「何で外に?」
「さぁな」
 ローには何となく理由がわかったが、あえて知らないふりをする。彼女の心の問題だ、彼女自身が納得しなければいけない。
「心配じゃないんですか?」
 シャチの問いかけに、ローは視線を外へ向ける。聞かれるたびに視線をのいる方へ向けるのが、何よりの証拠であるが。
「心配してないわけないだろ。信用してんだよ、を」
「あぁ、なるほど」
 ローが答える気がないことに気づき、ペンギンが答える。
「なんでも与えりゃいいってもんじゃねぇ」
 ローはそれだけ言って、カウンターに腰を下ろした。










ー!」
「おはよう、ベポ」
 朝日を眩しそうに眺めていたは、呼ばれた方へ振り返り、見えた姿に少し表情を崩した。
「もうすぐご飯だよ」
「わかった。先に行っててくれ、すぐに行く」
「ダメだよ、一緒に行かなきゃだめ」
 白い大きな手が、の手を握る。
 それを見下ろして、彼女は少しだけ泣きそうな顔をした。だが、それはほんの一瞬で。
「わかった、行こうか」
 握られたままのその手を握り返すと、ベポは嬉しそうに笑う。
と手を繋ぐの、嬉しい!」
「そう?」
「手を繋ぐと、あったかいでしょ?」
「そうだな」
「あったかいってことは生きてるってことだよね!」
「……そうだな」
 ――生きている。……そうだ、オレは生きてる。仲間以外に素を見せられなくても、それでもオレは生きてる。
「ベポ!?」
 思考に沈んでいたの視界が、急に動いてクリアになった。
「だって、お腹ペコペコなんだもん。が動かないから悪いんだよ!」
 そうベポは言って、を肩に担いで歩き出す。
「ごめん、ごめん。そうだったな、朝ごはんって呼びにきてくれてたんだった」
 ちゃんと歩くからおろしてくれと言ったが、ベポは鼻歌まじりで歩いていく。
 何度言ってもおろす気の無いベポの背中を見下ろしていた顔をあげ、少しずつ小さくなる街並みを眺める。
 ――たとえ昔の自分を知る人がいなくて寂しくても、現在を知っている仲間がいる。それで十分なんだ。いつの間にか、仲間がいることが当たり前になって、それに甘えて、子供の頃の知り合いが誰もいないからって寂しいと泣いて……、まるで子供だ。
「ベポ、おろしてくれ」
 今度は希望通りにおろされた。
 ――昔のことを忘れることはできないし、したくない。あの事件がなければ、オレはこの船に乗ることはなかっただろう。
 はしっかりと前を向く。
 ――この船を、先に進ませるために。
「ベポは何回も食べたことあるんだろ? ここの料理」
「うん! おいしいよ!」
 にっこり笑った白くまに、は笑みを返して。
「それは楽しみだ」
 ローが起きているということは、ここの料理を好ましく思っているはずだ。
 ――料理のレパートリーを増やす努力もしよう。海賊らしく、盗んで。
 自分の思考に彼女はくすりと小さく笑って、ベポが開けた扉へと入っていった。










 店にいた女性は店主の奥様だと聞いて、なんとはなしに納得する。どちらも同じ島の出身で、ローとは知り合いらしい。
 外から帰ってきた時、2人と話をしていたのを見て、邪魔するつもりのなかったはベポと一緒にみんなのところに混ざって食事をするつもりだった。
 ところが、ローは帰ってきたを視界に入れた途端、店の奥に行こうとした彼女をカウンターに座るよう促した。それを断ったを無言と視線で強制的に座らせた、といった方が正しいが。
 ――オレ、場違いじゃね?
 目の前に置かれたのは、スープとパン、サラダとベーコンエッグ。スープを飲みながら、視線だけで隣のローの皿を確認する。そこに彼の嫌いなパンはなく、かわりにあったのはおにぎりだ。
 ――パンが嫌いと前もって言ってあったのか、それとも、知っていたのか。まぁ、何回も来て世話になってるみたいだし、前者でも後者でも変わらないか。
 船長の食事に合わせたのか、ベーコンエッグは塩胡椒ではなく、出汁の味がした。
 ――すべてありふれたものだけど、美味い。
 の雰囲気が柔らかくなったことに気づいたローは、目の前にいる店主に気づかれないように唇に笑みを刻んで、コーヒーを口にする。
 ――ここから厨房が見えないのが残念だな。
 食後のコーヒーを飲みながら、は視線を店主の指へとうつす。その手に指輪が光っている。
 ――ああ、そういえばオレの指にもあったなぁ。はずしていいのかな? ……不機嫌になりそうだけど。
 思わず、コーヒーカップを持つ左手に視線を向ける。飾り気のない指輪。違和感すら抱かない、存在感のないリング。それはまるで、今のとローの状況を表しているかのようだ。
 ――外すのは簡単だ。外したいかと問われれば、答えは……。
 中身のなくなったコーヒーカップをソーサーに置けば、その中に出来たてのコーヒーが注がれた。
「ありがとうございます」
「どういたしまして。ミルクと砂糖も置いておくわね。考え事をするなら、糖分も必要よ?」
 にっこりと笑って、彼女は店の厨房へと消えて行った。
 ――お見通し、か。さすが船長の知り合いだけはある。
 いつもは入れない砂糖とミルクを入れてスプーンでかきまぜる。ぐるぐるとコーヒーが回るのを眺めながら、思考に沈む。










 外から帰ってきたが、ある程度の現状把握ができたことに気付く。落ち着かなく彷徨わせていた視線はいつも通りに戻り、気遣うようにローへ向けた目は、すぐにベポやペンギン、シャチの方へと向けられた。こちらを邪魔しないようにとの配慮だろうが、そんなものは必要ない。
 あちらへ行きそうな彼女を自分の隣に強制収容して、食事を開始する。
 食事を目にした彼女の雰囲気は、随分と落ち着いている。
 特に難しい料理が出ているわけではない。ごく普通の、家庭でも出るようなものだ。だが、はそれにそっと口をつけゆっくりと咀嚼すると、少しだけ考えるそぶりを見せた。
 ――可愛いな。
 そう、隣に視線を向けずに視界の隅にとらえて思う。ここで目を完全に向けようものなら、目の前にいる女性にツッコミを受けるのは目に見えている。
 あちらは騒々しく食事をしているから、こちらとの温度差がかなりあるが、これもいつものことで気にしていない。もちろん、もだ。
 食後のコーヒーをゆっくりと飲みながら、目の前の女性と他愛ない話をする。の視線が目の前にいる女性からその隣にいる店主へと移る。その指に光るものを見やり、そっと視線を落とした。
 ――外すのか、外さないのか。
 の左の指には、ローが強引にはめた指輪が光っている。










 ――ピアスだけで満足していた、今までは。ローと同じものがある、それだけで十分……だった。コレが、この指に入るまでは。
 いつもとは違う味、いつもとは違う……思い。
 海賊は死と隣り合わせだ。いつ何時、どんな形で失うかもしれない、命。だからこそ、今を精一杯、悔いのないように生きている。
 ――こんな望みは、きっと海賊には無茶なのかもしれない。『女』であっても『女』では生きられない、自分には。
 それでも、ローは言ってくれたのだ。


『俺の傍にいてくれ。結婚なんて大げさなことをすりゃ海軍が黙っちゃいないから今はしないが……危険を冒してでも、お前を俺に縛り付けたい』


 ――オレをこんなに泣き虫にしたのは、ローだ。だから、責任を取ってもらわないと。
 はコーヒーを飲み終わると、視線をあげる。店主もその奥様も、目の前にはいない。
 ちょうどいい、とは左の指から指輪を抜いた。そして、それを隣にいるローへと差し出す。
「どうした?」
「これを、お返しします」
 ローは無言でそれを受け取る。
「ローの目的が達成したら、その時にもう一度、貰えませんか……?」
「コレでいいのか?」
「……それが、いい、です」
 不安げな瞳が、揺れている。けれど、その瞳には決意が見えていた。
「わかった。――俺は我慢するつもりも、他のヤツらにくれてやるつもりもねぇ。……覚悟しろよ?」
 ニヤリと笑ってそう言われ、は早まったかも、と脳裏で思う。
 それでも。
「……はい」
 ――今は、いつも傍にあるピアスと自分の胸の中にある想いで十分。
「オレが泣くのは、ローの前だけだって決めてますから」
「あぁ…、それでいい」
 目を細めて満足気に口角を引き上げたローに、も満足気に笑った。










「この先は海軍がいるかもしれないから、気を抜くなよ!」
 ペンギンの言葉に、元気な「了解!」の返答。
 幾重にも重なったその中に、の声も含まれている。
 出航作業のために散り散りになった船員たちを見送り、彼女も自分の作業をはじめる。
「あ、キャプテン。次の島ですけど――」
 出航の準備で大忙しの仲間たちを見やりながらローが船長室から出てきた。それを見つけたペンギンが、彼を呼び止め次の島への航路と準備を確認する。
 食堂のテーブルに大きな海図を広げて二人で話をする姿をちらりと見やってから、も作業を再開する。
 長い航海をするのがはじめてな彼女は、毎回、次がどういう島なのかを簡単にでも聞くようにしている。
 ログポースが指す次の島まで、一か月。その間に一度だけ小さな島へ寄るらしい。その島へ寄ってもログポースの指針には影響がないらしく、不足分の食糧を購入するだけで、すぐに出航するようだ。
、次の島に行く間に小さいが海軍基地がある。なるべく甲板には出るな」
「リョーカイです」
 匂いが強く残る料理は出さないほうがいいだろうとは判断し、鍋に水を入れて火にかけながら、手に入れた食材で何を作るか、思考をめぐらす。
 そんなの後姿を見やり、ペンギンが囁くような小声でローへ問いかける。
「いいんですか? 言わなくて」
「あぁ、今はいい。島が近くなってきたら俺から伝える。――ヤツはきっとこの船に来るはずだ」
「海軍には珍しく、こちらの意思もある程度、聞いてくれますからね」
 会いたいか、と問われれば即答でNOと言うが、ローの言うところの『ヤツ』は、唐突に訪問するのが常だ。
 パンクハザード事後にも単身でやってきて、ロビンとだけ喋って帰っていったという情報も得ている。
 ――あの男のことだ、のことで何かしらの情報を得ているだろう。
「島の近くになったら、甲板に出る見張りは二人一組で行動させろ」
「わかりました」
 確認の終わったペンギンが食堂を出て行き、それを見送ったローは視線をへと向ける。彼女はキッチンに向かって作業中だ。
 ――に何か仕掛けてこなければいいが……。
 ローは胸中で呟き、彼女へ気付かれないように深い息を吐いた。











【涙だけは嘘を吐かない  完】










     
  確かに恋だった様 (お題配布サイト)
 




【涙だけは嘘を吐かない】 完結いたしました。

今回は、泣くこと、溺愛が目的のお話でした。その副産物が性別を戻す、ということでした。
ストーリーを考えるのは楽しかったのですが、文字にするのが難しい作品でした。

次回作については、まだはっきりとストーリーを決めていませんが、過去の話が出せるといいなと思っております。

リアル(仕事を含む)の都合でなかなか時間が取れず、執筆に時間がかかり、申し訳ありませんでした。
次作は更に時間がかかるかもしれませんが、お付き合いいただけると幸いです。
                                                                         2018.11.05