「良いのか?」
「自分で決めたことだから。たとえ『軍の狗』と言われても・・・どんな苦渋を舐めることになっても、私には必要だと思った。――これで満足する理由になる?」
「上等だ」
自分の実力に裏づけされた彼の表情は、自信に満ち溢れている。
「日時はおって連絡する。宿で良いな?」
「私の家はありませんから。それは大佐も知ってるでしょ?」
「――・・・そうだったな。おっと、すまないな」
机にあった電話が鳴った。言葉尻で謝りながら、彼は受話器を取る。
「あぁ・・・それにしても急だな。――・・・あぁ、本人に聞いてみる。少し待ってくれ」
彼はちらりと視線を向け、それから受話器を耳から離して言った。
「君、今から試験を受けてみるか?」
「今から?」
「あぁ。君ほど若い人間が国家錬金術師の試験に出るのは久しぶりでね。大総統がちょうど来ている。見てみたいと言っているのだが、どうする?」
彼の顔を見れば、口元を引き上げて笑っている。それが何だか「子供には無理だ」と言われているようで癪に触った。
「受けるよ。見世物になるのも我慢してやるさ。・・・自分の欲望を満たすためにね」
机の前にある椅子に座ったままの男は、机を挟んで立っている彼女の表情に難しい顔をした。
「君は13歳には見えないね」
「どこからどう見ても13歳でしょ」
「そうじゃない。――ものの考え方がどうもな」
「こうなる要因があったってコトでしょう。これで迷惑をかけたコトはありませんから、あなたに言われる筋合いはありませんよ、ロイ・マスタング大佐」
「はじめて私の名前を呼んでくれたね」
フルネームというのが、ちょっと残念だけれどね。
ロイは薄く笑うと、椅子から腰をあげた。
「さて、君を案内するとしよう。――君の先行きを決める、大事な場所へ」
白い手袋をはいた右手を差し出され、彼女は瞬時にその手を払いのける。
「そんなに強く払いのけることはないだろう?」
「私はまだ13歳の子供ですから、女性としての扱いは不必要です」
ロイは破顔し、心底悲しそうな表情で払いのけられた右手を見やる。そして、彼は彼女の横を通り過ぎてドアノブに手をかけた。
「せめて、扉ぐらいは開けても良いだろう?」
ガチャリと音をさせてドアノブを回す。開いたドアの隙間から彼女はスルリと抜け出し、ロイを振り返る。
「大人と子供の区別ぐらいつけたらどうですか? 大佐。ホークアイ中尉の苦労がわかる気がします」
言いながら、彼女は廊下の向こうから歩いてくる人影を見やる。それは、先ほど名前の出てきた人物だった。
「ホークアイ中尉、お久しぶりです」
「、久しぶりね。――本当はもっとゆっくり話したいけど、今は先を急ぎましょう」
「はい」
「大佐、車を用意しておきました」
「あぁ、ありがとう」
ロイの目が、無言で歩みを促す。の足が数歩進んだところで、ようやくロイは歩を進める。後姿は普通の人間に見える。だが、彼女の左脚と左手は機械鎧(オートメイル)なのだ。それを知っているのは、今のところ、ロイとホークアイ、そして――大総統のみだ。
「心配ですか?」
ようやく追いついたロイに、ホークアイが小さな声で聞けば、彼は視線だけを彼女へ向けた。それだけで、答えがイエスだということを読み取った彼女は、前を歩くに聞こえないよう、「きっと大丈夫ですよ」とロイに答えた。
「あぁ・・・そうだな」
ロイはそれに小さく頷き返すのだった。
「本当に良いんだな?」
問いかけは短い。整った顔に苦渋を浮かべ、彼は問いかけた主に視線を向ける。
「その質問、二度目ですよ大佐。答えはイエス。それなりの覚悟がないとここには来られません」
「――・・・そうだな」
彼は机の引き出しから書類を手渡す。机越しに手渡された書類を、彼女は受け取る。
「これが規約だ。読むのは面倒だから、あとで目を通しておいてくれ」
手渡された書類に目を向けた彼女に、彼はもう一枚の書類を手渡す。
「これは?」
「見ればわかる」
「大佐・・・・・・これも一応は、仕事のうちじゃないの?」
「まぁ、そう言われればそうだが。見ればわかるんだ、いいじゃないか」
「真面目にやってください、大佐」
扉を開けて入ってきながら、ホークアイは大佐へ目を向け、続いてその机を挟んだ向かい側にいる彼女へと歩み寄った。
聞きなれた声に、大差へ向けていた体を反転させ、彼女は見つけた姿に小さく微笑んだ。
「あ、ホークアイ中尉。お疲れ様です」
大佐と呼ばれた彼は小さく苦笑し、中尉と呼ばれた彼女は、少しつりあがっていた目尻を下げて微笑んだ。
「国家錬金術師になると思っていました、」
「中尉のおかげです」
にっこりとと呼ばれた彼女は笑む。名前を呼び捨てにするほど仲の良い二人の雰囲気に、少々訝しんだ大佐は、いまだ語り合う二人の間に割って入った。
「君にもう一つ、渡すものがある」
小さな手のひらサイズの箱をの手渡す。受け取ったそれの蓋を開ければ、その中身は銀時計だった。
「これで君は、正式に国家錬金術師『軍の狗』だ」
「そうですね」
は銀時計をジーンズのベルト通しにひっかけながら、興味なさそうに言った。
「、これで後戻りはできなくなったわね」
ホークアイの言葉に、彼女は「そのために来たんだから」とこともなげに言い切った。
「それで二つ名だが・・・・・・」
「あぁ、さっきの書類に書いてありましたね」
大佐より渡された二枚目の書類に、それは記されていた。
「・。君の称号は『雷鳴』――雷鳴の錬金術師だ」
「彼女の変成反応を見ての称号ですね」
ホークアイの言葉に、大佐は頷く。
が錬金術を行うとき、その変成反応の際に金色の光を放つ。そして、その光は空を轟く雷に見えることからその名前がつけられたのだろう。
「さて、。家を一つ、設けようと思うのだが――どうだ?」
「嬉しい申し出ですが、結構です」
「――家があると何かと便利だと思うが? 帰る場所があるというのはいいものだ。後ろを心配しなくても済むぞ?」
「むしろ私の場合、帰る場所がある方が後ろを心配しなくてはなりませんね」
「ならば、私を頼るというのはどうだ?」
「そこまでしていただく理由がありません」
大佐は窓際まで歩を進め、窓の外を見やる。ホークアイの座っているソファに、向かい合わせで腰を下ろしていたは腰をあげる。
「大佐、私は国家の権力を自分の欲望に利用しようとしてるんですよ? そんな人物の後ろ盾になってどうするんですか」
「はのしたいようにしているだけだろう?」
窓の外へと向けていた視線をへと向け、ロイは不敵に笑った。
「私とて、私の欲望のために『軍の狗』となった。――大佐となった私も、元は一人の人間に過ぎない。そういうことだろう?」
「――――・・・・・・」
「家を持つのが嫌だというのなら、せめて、私たちのこの場所を帰る場所にしてほしい」
「、素直になりなさい」
ロイの言葉が心にしみる。と呼ぶホークアイの声が、心に響く。
「――ありがとう・・・」
バタバタと忙しい中、女性の声が響いた。
「大佐、後ろです!」
後ろ髪を束ね結い上げた彼女は、右手に銃を構え左手をそれに添えて叫んだ。イーストシティでは彼女以上の腕前はいないだろう。それほどの名手だ。
大佐と呼ばれた彼は振り向きざまに、一発の拳を目前の男に叩き込む。左手で繰り出されたそれによろめいた男に、彼の右手が発した焔が襲い掛かる。一瞬に燃え上がり、刹那に消える。その動きは一分と満たない、流れるようなそれだ。
「ハボック少尉、こいつを連行しろ」
「えーっ、俺ですか?」
「お願いします、少尉」
「仕方ないっすね」
ハボックは中尉までに言われては仕方がないという表情で、銜え煙草のまま放心している男を無理矢理立たせた。
連行されていく姿を見送りながら、彼女は彼を見やってから空を見上げた。薄い灰色で覆われた空からは、今にも雨が降ってきそうだ。
「この場にが居なくてよかったですね、大佐」
「あぁ・・・そうだな。――中尉、戻るぞ」
「はい」
彼女の言葉に彼は頷きながら返答し、彼女を促す。それに彼女も頷き返して、一歩を生み出した。
「とうとう雨が降ってきたな」
司令部まで戻ってきたとたんに降り出した雨。静かに降る糸のような小雨を肩越しに見やり、ロイは呟いた。
「あ、ホークアイ中尉にマスタング大佐」
総務部の前を通り過ぎようとした二人を、事務の女性が呼び止めた。
「先ほどお電話が入っていました。また折をみて連絡してきますと切れたのですが」
「相手の名前は?」
総務部を通した電話ということは、軍内部の人間ではないということ。国家錬金術師の中でも司令部直通の電話番号を知っている者もいるが、大抵は通常外線を使う。
「名前は確か――・・・と」
「――・・・」
ロイの呟きに、「お知り合いですか?」との問いがかかるが、彼はそれの質問には無言を通した。
「ホークアイ中尉、彼女の居場所は知っているか?」
ロイは『彼女』と言った。という人間を知っているらしい。そして、それはホークアイにも言えること。
「電話から聞こえる音はどうだった?」
本人の声以外の音を教えてちょうだい。
ホークアイの言葉に、彼女は少し考え込む。自然に俯いていた顔をあげた彼女は、思い出したように言った。
「そういえば、駅構内で聞こえるアナウンスのようなものが聞こえていました」
「それは、一つだけ?」
ホークアイが更に問う。彼女は難しい表情になって天井を見上げた。
「二つ・・・三つくらい聞こえたような気がします」
「――ということは、大きな駅ということね。彼女の行動範囲は広いけれど・・・ここへ連絡をしてくるということは、イーストシティに近いということですから、今頃は多分、セントラルあたりじゃないでしょうか」
ホークアイの言葉にロイは頷き、彼女に礼を述べた。総務部の中へ去っていった彼女を見送り、ロイが自らの執務室へと足を進める。一歩後ろをついて歩くホークアイに、彼は言った。
「彼女がもしここへ来るつもりなら、その前に『あの男』をセントラルに送ってしまおうと思う」
「――私もそれには賛成です」
あの男はきっと、彼女の心を乱す材料になりえるでしょうから。
続いて言われたため息と一緒に吐き出された言葉は、ロイにも深いため息を吐かせたのだった。 |