その日は、雨が降っていた。細い細い、雨。久しぶりの長雨に、私は少しの苛立ちを感じていた。雨の日は、私の錬金術の効き目が甘くなる。焔は水に弱い。そのくせ、事件はおかまいなしにやってくるのだ。
「大佐、お電話が入っております」
司令室にいた私に、内線が入る。苛ついている自分を偽る余裕もないまま、私は受話器をあげた。
「マスタングだが」
声が硬いのは多めにみてもらうことにしよう。
『ヒューズだ。今すぐこっちに来てくれ!』
突然の言葉に声を失う。いつも穏やかな人間が、私が出たと同時に叫べば、一大事であることが容易に想像できる。
「そんなに焦るな。ちゃんと用件を言え」
これ以上、仕事を増やされるのはゴメンだが、他人に重い荷物を背負わせるのが嫌いなこの男が私に言うのだから、よほどのことなのだろう。
『二時間ほど前のことだ。俺は子供を拾った。拾った場所はセントラルの駅近く。だが、その子供は人間を怖がっていてな、手も足も出せねぇんだ』
「で? 人間を怖がっている子供を私にどうしろと?」
『まぁ、待て。――それでな、力技で悪いと思ったんだが、こちらの都合で寝かせて、軍の施設へ運んだ』
ヒューズも落ち着いてきたのだろう、用件を順序だてて話し始める。そして、言葉を一端切り、不審に思った私が声を発するよりも早く、ヒューズは声を潜めて言った。
『子供には義肢が必要だ』
「――――体が・・・?」
左の手足を失っている、と男はため息混じりに告げた。
『それでだな、おまえ確か【鋼】と面識があるだろう?』
「あぁ。まさか、その子供に機械鎧(オートメイル)を?」
鋼とは、鋼の錬金術師のこと。エドワード・エルリックという12歳の子供。国家錬金術師で、右手と左足がオートメイルだ。
「ちなみに、その子供の年齢は?」
『11歳だ』
「11歳?!」
『今はだいぶん落ち着いて、俺たちのことを避けなくなったが、俺にはオートメイルがどんなものだかさっぱりだ』
私はこの男の言いたいことに思い当たる。鋼がオートメイル手術を受けたそこへ、子供を連れて行って欲しいということなのだろう。だが、オートメイル手術は大人でさえ辛いらしい。――そんな手術を果たして受けるだろうか。
私は受話器を握ったまま思い出す。エルリック兄弟の故郷、リゼンブールを。
「子供はオートメイル手術のことをわかっているのか?」
『一応はな。本人が言い出したことだからな。だが、手術自体がどういうものかを理解しているかどうかはわからない。だからこそ、その当人を手術をする本人の口から聞かせたいんだ』
つまりは、本人がそれでも希望すれば手術を受けさせるということだ。
「――・・・いいだろう。おまえに貸しを作っておくのも悪くない」
『あぁ、頼む!』
「時間が出来次第、そちらへ向かう」
言いながら、私は壁にかけてある時計を見やる。受話器を握る手と反対の手で、机の上にある書類を分類する。昨夜は非番だったが少し出てきて片付けておいたのは正解だったらしい。
「――一時間あれば大丈夫だろう。乗る列車の時刻がわかり次第、連絡する。それでいいな?」
『あぁ』
受話器をおかずにフックを押し、私は中尉を呼ぶ。すぐに彼女は現れ、いつもより硬い表情の私に気づいて眉を寄せた。
「私はこれからセントラルに向かう。一時間後の列車の手配と、ピナコ・ロックベルに連絡を取ってくれ」
「ピナコ・ロックベル・・・・・・オートメイル技師ですね。お電話をお繋ぎすれば?」
「あぁ、至急だ。頼む」
「了解しました」
退出したホークアイ中尉の背中には緊張が見られた。中尉の銃の腕前は私の補佐として充分役立ってくれている。この雨のせいで鈍る私の力を大いに補助してくれるだろう。
左手と左足のない子供。人間を怖がっているということは、人間に『危害を加えられた』ということ。
「大佐、列車の手配が整いました。イーストシティ発16時です」
「わかった。それをヒューズに伝えてくれ」
「了解しました」
中尉の声を聞きながら、私は机の上の書類に目を通す。今日中のものだけでも片付けなければならない。今日中にこちらへ帰ってこられるかわからないからだ。30分ほどで書類との格闘は終了し、私は席を立った。
「大佐、ピナコ・ロックベルとの連絡がつきました」
「時間がかかったな。――・・・繋いでくれ」
受話器をあげ、向こうからの声を待った。
『軍の人間が何の用だい?』
第一声にしては無愛想な言葉。だが、これが彼女だ。
「あぁ、実は子供を一人、そちらへ連れていこうと思う。私は直接会ったことはないのだがね」
『それで? ここに連れてきてどうしようってんだい?』
「その子供は、左の手足がないそうだ」
私がそういえば、彼女は大きくため息をついた。それで? と先を促され、私はあげた腰を元の位置に収めながら言葉を繋いだ。
「これからセントラルへ向かって子供を引き取る。連れて行くのは今夜遅くか明日になるだろうが――間違いなく明日中には連れて行くつもりだ。子供についての情報はまるで手元にないので何ともいえないが、オートメイルにしたいと本人が希望しているらしい。オートメイル手術についての知識は持っていないようだから、技師である貴方と会わせてから決断させたいとの意向だ」
彼女は暫く口を閉ざしてから「わかったよ」とだけ言った。ありがとうと返せば、あんたに言われる筋合いはないと突き放されてしまった。
『こっちへ来る時間がわかったら連絡してほしいんだけど、頼めるかい? オートメイル手術をするしないに関わらず、こちらにも準備があるからね』
「もちろんだ」
私がはっきりと答えあと、暫くの沈黙が続いた。そして、小さく息が吐かれた音が聞こえる。
『あんたからの頼みじゃなきゃ、引き受けたりしないよ』
彼女はそれだけを言い、電話を切った。途端、図ったようにノックの音。扉の外からは中尉の声。
「お時間です。お急ぎください」
「わかった」
私は重い腰を、ようやくの思いであげたのだった。
セントラルの駅に降り立てば、私に連絡を寄越した当の本人は居ず、かわりに大きな体が見えた。アームストロング少佐だ。
「お待ちしておりました、マスタング大佐、ホークアイ中尉」
キビッと敬礼をする少佐に視線を向け、私は先を促す。そんな不機嫌な私をよそに、ホークアイ中尉がアームストロング少佐にヒューズの居場所を聞いた。ゆっくりと歩を進めながら、少佐は言った。
「少女と一緒に車の中においでです。ただ――・・・」
「ただ?」
少佐の言葉の先が気になって、私は問い返す。
「少女の名前は『・』。これが本当の名前かどうかはわかりません。実証できるものがありませんから。左手と左足を失った理由を、彼女は喋ろうとはしません。そして、もう一点・・・・・・」
少佐は不意に脚を止めた。それにならって、私たちも足を止める。
「彼女は錬金術師に恐怖を抱いています。ですから、私はこれ以上、傍に寄ることができません」
少佐が向けた視線は車の中。少女は珍しくも銀の髪。肩に微かにつくセミロング、少し毛先がはねているのがわかった。車と自分たちの距離は5メートルといったところだろうか。
「錬金術師を怖がっているなら、私ではどうしようもないな」
「ですが、ヒューズ中佐がマスタング大佐ならば、と」
「ふん、ヒューズが自ら連れていけば何の問題もないだろうに」
私は止めた足を再び動かした。少佐はその場で立ち尽くしているが、この際どうでもよいことだ。
――ヒューズに文句を言ってやらねばならないな。
私の後ろに中尉。そして、その後ろの方に立ち尽くしたままの私たちを見守る少佐。
私は黒塗りの車の横に立ち、コツコツとガラスを叩く。鈍い音に気づいたニューズがこちらを見やり、扉を開けた。
「あらかたのことは少佐から聞いた。ここまで来たが、私では役にたてそうにないな。――中尉、帰るぞ」
「待って・・・!」
ヒューズの向こう側に座っていた少女が、小さく声をあげた。それに私はいつの間にか苦い顔をしていた表情を和らげた。
「私を、連れて行ってください」
遠目で見たときにはねていたと思われていた髪は、癖っ毛というわけではなく――無理に切られたそのままが残っているようだった。勇気を振り絞って声を出したのだろうことが伺える彼女の瞳に自分が映っているのに気づき、私は和らげた表情をそのままに、右手を差し出した。
「君は錬金術師が嫌いなのだろう? 私は国家錬金術師、焔の錬金術師マスタング大佐だ。それでも君は、私のこの右手を取れるのかい?」
言葉も出来るだけ穏やかに、けれども内容はなんと言おうとも少女にとってはキツイものだろう。けれども、私はあえてそれを言うことにした。嘘偽りを言ってもいつかはばれるのだ。はじめから言ってしまった方が、我々のためでもあるし、当然、彼女のためでもある。
「国家・・・錬金術師・・・・・・」
「そうだ。私に頼むということは、そういうことだ。理解はできたかね?」
「おまえは・・・!」
私の言い方が気に入らないのだろう、ヒューズが言葉を荒げた。
「ヒューズ中佐。失礼ながら――たとえ偽りを通しても、最後に傷つくのは彼女です。本人の意思を尊重するのが、得策なのでは」
今まで黙って成り行きを見守っていたホークアイ中尉が、静かに言った。それにヒューズはわかってはいるんだ、と声のトーンを落とした。
私の右手を取れない彼女は、私を見ることができなくて俯いている。膝の上で握り締めた両手を見つめ続けている。
「今日中に君をリゼンブールへ連れて行くか否かを決めなければならない。――先方の都合もある」
「ヒューズ中佐、軍の宿泊施設を使わせていただけますか?」
「あ・・・あぁ、勿論だ」
「では、私どもは先に軍施設へ行って――」
「あの!」
ホークアイ中尉の言葉を遮り、俯いていた少女が顔をあげて言った。
「あの! もう少し、お話を――・・・」
「軍の施設へ向かってから、ゆっくりとお話しましょう。その方が落ち着けます、こんな場所よりずっと」
「はい・・・っ」
彼女はぱっと明るい顔になり、私の後ろにいる中尉に笑いかけた。私よりもやはり、女性であり錬金術師ではない中尉に任せたようが良いのだろうか。
そんな思いを抱きながら、それでも私はそんなことを臆面にも出さずにヒューズの開けた車のドアを閉めた。
車が発進するのを確認し、私は歩み寄ってきた少佐が手配した車が滑り込んでくるのを見やったのだった。
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