中央司令部の一室に通された私と中尉はソファに腰を落ち着けた。続いて入ってきたのは、ヒューズに抱きかかえられて入ってきた・という少女。
「ありがとうございます」
はそう言って頭を下げた。おろされた少女の体は普通の服を着た上から、青いロングコートでくるりと巻かれている。
「ヒューズ中佐・・・大佐と中尉との三人にしていただけますか?」
「――・・・わかった」
ヒューズは頷きながら私を見る。少女を気遣え、ということだろう。
「話が終わったら呼べ」
短く私にそう言って、ヒューズが出て行った。一人残った少女は、少し怯んだ様子ではあったが、それでも私たちから顔をそらすことはしない。
「私の本当のことを、聞いてほしいんです。――ヒューズ中佐やアームストロング少佐には言っていません」
「それをどうして私たちに?」
ホークアイ中尉が私のかわりに聞いた。それには、少しの沈黙が返された。
「・・・わかりません。でも、私はお二人に・・・聞いてほしいと思いました。聞いていただけますか?」
少女は言い、右手でコートを手繰り寄せて握り締めた。
「大丈夫よ。私たちが出来る限りのことをしてあげるわ」
中尉が落ち着かせるようにふわりと笑う。それに、少女が小さく笑みを浮かべた。
「私の両親は錬金術師で、父は錬成陣を弾に描いていました。母は少しかじった程度だったので、特別なものは一切できませんでしたが、壊れたものを直すぐらいのことはできていました」
少女の言葉に耳を傾けながら、私は弾に練成陣を描く者がいると聞いたことがあるのを思い出していた。北方司令部の大尉ではなかっただろうか、と彼女の声を聞きながら思う。
「家は二代から三代に一度、錬金術師に長けた者が出るそうです。――書斎には錬金術に関する本がたくさんあって、私もそれを絵本がわりにしていました。私が錬金術を使えるようになったのは五歳のときで、そのころはまだ、父の真似をして遊んでいただけでした」
彼女はポケットに手を突っ込み、そこから一つの弾を取り出した。
「これは、父の使っていたものです。大佐なら、聞いたことがあるかもしれません」
「あぁ・・・聞いたことがある。北方司令部に在籍し・・・確か、大尉ではなかったかと記憶しているのだが」
「そのとおりです。――そして、国家錬金術師でした。名前は――」
「『閃光』の錬金術師だったな」
「――はい」
閃光のように早い弾を繰り出し、鮮やかな金色の光を発するために、その二つ名が与えられたらしい。
彼女は頷き私の記憶を肯定し、話を続けた。
「そして、一週間前。私たちの家へ、一通の手紙が着きました。差出人のない手紙だったので、両親ともが警戒をしていました。ですが、見ずに燃やすわけにもいかず、封を切り、父だけが内容を読みそのまま燃やしてしまったんです。母と私はそれに何が書いてあったのかを聞きましたが、父は教えてくれず――そして、それから四日経った三日前、父は朝早くに出かけて行きました。母も行く先を聞いていなくて、不思議に思った私は北方司令部へ連絡を入れましたが、その日はまだ出勤もしていなかったんです」
不安になった彼女は、母を部屋に残し、北方司令部へと足を運ぼうとしたのだそうだ。その途中、彼女は見ず知らずの男に拉致されてしまった。だが、それはどうやらはじめから仕組まれていたらしく、拉致した男は元から狙いを彼女に定めていたようだった。
彼女がそうと気づいたのは拉致されたその日の夜遅くで、気を失わされて気がついたときには、翌日の昼ごろだったそうだ。
「私は逃げようと何度か試みましたが、結局は大人と子供の差は激しくて・・・・・・」
少女は俯き、唇を噛み締める。その姿に、手を差し伸べたくなるのをぐっと我慢をし、私は彼女の言葉を待った。
「次の日、私は目隠しと手足を鎖でつながれたまま、車に乗せられました。何時間か走ったあと、私は冷たいコンクリートの上に体を下ろされました。――そこではじめて、私は連れられてきた理由を知ったんです」
彼女は冷たいコンクリートの上に描かれたものに気づいた。幼いながらも錬金術と共に過ごしてきた彼女だからこそ、わかったのかもしれない。――・は、練成陣の中央に置かれていたのだ。
「同じ錬成陣の中に、一匹のトラが居ました。それと私を合成するつもりだったんです」
「合成獣(キメラ)の人体実験か」
「――そうです。私の力では逃げ出すこともできず・・・キメラになるくらいなら死のうと、思いました」
「けれど、君は生きている」
はい、と力なく彼女は頷く。
「変成反応の光の中、息苦しくなったのを覚えています。けれど、次の瞬間、私の目の前には――真理がありました。あぁ、これが人体練成をする人間が見る『真理』なのだと、なんとはなしに思いました」
「だが、あなたは禁忌である人体練成をしたわけでは――・・・」
「被害者にも見えた、ということか。で、その後遺症が?」
左の手足が消えたことが、その真理を見た代償なのか、と私は問うたが、それにはNOという返事が返ってきた。
「私の左手と左足は、トラのそれになっていました」
「合成は失敗したのか」
「――身体の一部だけの変成をしたわけではないのであれば、ですね」
ホークアイ中尉の言葉は的確だ。少女は「そのとおりです」と肯定し、話の先を続けた。
「私の身体を主として、トラの体を合成するつもりだったようですが、結果として『失敗』しました。私は、私の意識があることを感謝しました。たとえ体が変わったとしても、生きていけると。――けれども、世間は甘くない。体が人ではないものを人間として扱うことはしません。機械の体ならば人として扱ってくれるのに、どうしてなんでしょうね・・・」
薄く儚い笑みを浮かべた彼女は、私の目を見つめて続ける。
「獣の手であっても、変成反応は出ました。左の・・・獣の手の平と、右の手の平を合わせ、私は鉈を練成しました」
練成陣を描かなくとも練成できる人物は少ない。エドワード・エルリック――鋼の錬金術師も両手を打ち鳴らして練成をしていたな、と私は思い当たる。
「あなたのその怪我はまさか・・・・・・」
ホークアイ中尉は、彼女の言葉のあとに何が待っているのか気づいたようだ。私もよそ事を考えながらも、同じ結果に行き着いていた。強すぎる心は、いずれは崩壊するだろうと、先を心配してしまう。
「考えている通りだと思います。――私は、自分の左手と足を、自らの手で切断しました。さっきは言いませんでしたが、母は常任医師で、北方の医療班に配属されていました。私にも医術の心得が多少なりともあります。自分の手足のどこを切ればいいということも、勿論――・・・」
そして、彼女は左の手足のない状態で、セントラルの駅近くで潜んでいたのだ。あとから聞いた話だが、ヒューズが彼女を拾ったその近くに、多量の血痕があったらしい。拾われたその場で切断し、医術を施したのだろう。
「なぜ、錬金術師を恐れる?」
君も錬金術師なのだろう? と言外に問えば、彼女は「わかりません」と答えた。
「君の心なのだろう?」
「――錬金術は・・・もう、使いたくありません。できることなら、一生関わりたくない――・・・」
合成されそうになったその記憶が、脳に焼け付いているのだろう。それが一種のトラウマとなっているのだろうか。
「君の心は楽になったかね?」
「――え?」
「私たちに自らの過去を話して、そしてその後はどう? 楽になったかしら? 人に話せば楽になれることもあるわ。一人で抱え込むより二人、三人で抱え込むほうが気分が楽になるわ」
中尉は笑んだまま、彼女を見つめた。彼女は暫く考えたあと、「そうですね」と小さく呟く。
「楽になったのかも、しれません。――あなたたちって、可笑しな人たちですね。大佐、中尉」
「可笑しいと言われたのははじめてだな。それで、私の右手を取れるかね?」
「――取れなくても、取ります。私には、手と足が必要なんです」
言い切ったところに、電話が鳴った。ホークアイが腰をあげ、近くの電話の受話器を取り上げた。
「はい」
『中尉か。話はどうだ?』
「今、終わったところです」
『実はな、彼女の母親が殺されたらしい。――さっき連絡が北方から入ったんだが、男は多分、錬金術師だ。家も燃やされていたそうだ』
「――・・・大佐に報告をしておきます。彼女には・・・?」
『おまえたちの方から、頼めるか?』
「わかりました、大佐にお願いしておきます」
『あぁ・・・辛いことを言わせるが、頼む』
「――大丈夫です」
受話器をゆっくりと置いた中尉の様子が違うことに、私は不安を感じずにはいられない。
「大佐、お話があります――・・・」
中尉の視線が真剣であることに、これは不安が的中してしまったと思うしかなかった。
ソファから腰をあげた私の耳に小さく囁き入れる言葉は、私にとっては悪夢としかいいようがない。
「今、連絡が入った。君の母親が、何者かに殺された。犯人は多分、錬金術師だ」
「錬金、術師・・・・・・」
彼女は呟きながら、唇を噛み締めた。私の目を見つめたまま、まるで息をするのを忘れたかのように身動き一つしない。そして、ようやく彼女の肩が上下したのを確認し、私は細く息を吐いた。これ以上このままならば、強引にでも息をさせようと思っていたのだ。
「どうして・・・! 錬金術なんて!! 私から全部を奪い去って、私にどうやって生きろっていうの・・・!?」
彼女は自らの体をかき抱く。小さく震える肩が、止まらない。
「生きる理由が欲しいか。ならば、私が生きる『枷』になってやろう」
「大佐」
ホークアイ中尉の制止が聞こえたが、止める気は毛頭ない。
「機械鎧(オートメイル)を手に入れ、私に会いにきなさい。錬金術師となって」
「大佐!」
再度、中尉の制止が入る。彼女の今、一番痛いところを突いているからだ。
「私が推薦状を書いてやろう。君が本当に『生きたい』ならば」
「大佐、彼女は」
「中尉。私は、彼女に棘(いばら)の道を告げている自覚がある。だが、彼女は越えなければならないのだよ・・・この壁を。――・。君がこの壁を越えたなら、私の全力をもってして君を支援してあげよう。たとえその願いが、母親を殺した錬金術師を『殺す』ことだとしてもだ」
私の言葉が意外だったのだろう、彼女は綺麗な青い瞳を見開いて私を見つめた。
「そんなに見つめるほど、よい男か?」
くくく、と喉の奥で笑えば、その言葉の内容に気づいた彼女が顔を真っ赤にして顔を背ける。
「さて、夜も遅くなったな。――仮眠室で悪いが、そこで今日は勘弁願おうか。中尉、部屋の手配を」
「了解しました」
中尉はドアノブを回して廊下へ出て行った。
「あぁ、そうだ。君に聞き忘れていたな。――右手を取る気になったかい?」
問う声音は、優しく。
「勿論。あなたが私の後見を約束したことを後悔させてやるためにも」
これが彼女の、精一杯の強がりだということに、私は気づいていて気づかぬフリをする。
「ならば、抱き上げても大丈夫だな」
彼女の返事を待つことなく、青いコートに包まれた彼女の痩せた体を抱き上げた――。
「中尉、リゼンブールに繋いでくれ。それから」
「わかっています、彼女の部屋ですね」
「ああ、頼む」
「了解しました」
ホークアイ中尉は抱き上げられたままのへ微笑み、ヒューズのいるであろう執務室へと消えて行く。その後ろ姿を眺めながら、は小さく破顔して。
「本当に変わった人達」
くすりと笑った彼女に、私は嬉しさを隠せない。
「今日は疲れただろう?」
「別にそうでもないよ」
「体はそうでなくても、心はそうじゃないだろう?」
私は隣部屋から出てきたヒューズを見遣り、頷く。
「ヒューズ、を部屋へ」
「え?」
抱き上げられた腕のまま運ばれると思っていたは、ヒューズへと渡すそぶりを見せられて思わず声を漏らしてしまった。
「おまえさんが連れていけ」
「部屋は?」
「おまえさんがいつも使っている隣だ、と言いたいところなんだがな、部屋はおまえさんと同じだ」
「ヒューズ、同性である中尉と一緒ならまだ理解できるが」
「は不満か?」
「え? 私は別に・・・」
「そうか、なら問題ないな」
うんうんと頷く一人納得しているヒューズに、ロイは呆れ顔だ。
「貴様・・・」
「俺はおまえを信用しているんだ。それに、彼女の道をつくる第一歩は、おまえの方が適任だ」
国家錬金術師であるおまえの方が、な。それに、俺は何かあったときに彼女を守ってやれない。人間兵器とさえ言われている錬金術師に、生身である自分が勝てるわけがない。だからこそ、おまえに彼女を守って欲しくて――ここまで呼びつけたのだから。
決して言葉に出さないそれは、ヒューズの胸中でのみ語られた事実。
「明日のリゼンブール行きの切符は俺が手配しておく。――また明日な、」
「はい。ありがとうございました。また・・・明日」
私に抱き上げられたまま薄く笑ったの右手をヒューズが取り上げ掠め取るようなキスをし、髪をくしゃりと撫ぜてから背を向けて去っていった。
「中佐の意地悪!」
言って膨れっ面をしたは年相応で、ヒューズの扱いに関心する。自分ならきっとこうはいかないだろう、と。
「私では何かと都合が悪いかもしれないが・・・」
子供のいない自分では、に対しての扱い方が異なってしまう。子供の視線になって行動するなどという、気の利いたことはできないだろう。これはきっと、愛妻家で子供が大切と毎日のように豪語するヒューズでなければできないだろう。
それなのに、ヒューズは私にを託した。ということは、ヒューズにとって自分では役不足と思っているはず。
「中佐は私を子供扱いしてるんです。でも、私は大人になりたい。背伸びをしている大人だとしても――それで大人に見えるなら、きっと・・・子供より大人を選びます。父も母もいない私は本当に一人で、一人で生きていくには子供では無理ですから」
世の中がそんなに甘くないことを私は知っているつもりですと、子供の顔から急に大人になって、はそんなことを呟く。
「あ、ごめんなさい」
「いや、いいんだ。できるだけ言葉にした方がいい。どこかで出してやらなければ、積もっていくそれに押しつぶされて身動きが取れなくなる」
「大佐も・・・そうなっちゃうことがあるんですか?」
「私も一人の人間だ。――咎を受けなければならないことも、罪にならぬ罪を犯したこともある。軍にいるから許されることも、世間に出れば許されないこともある。ま、そういうことだよ」
の見上げてくる視線が柔らかくなっていくのに、私は不思議に思う。
「私じゃ役不足かもしれないけど、聞くことならできますけど?」
先ほどの言葉が私自身の心の動きを象徴しているようで、は更に自分が重荷になるのではないかと思っている。軍にいるから許されるが世間で許されないことはたくさんある。それゆえに、軍の狗と揶揄される国家錬金術師は、権力を手に入れる代わりに世間から孤立し、突き刺さる視線の殆どが否やを唱えるものばかりだ。
自分の過去を封印し、なおかつ後押しをしてくれるのはありがたい。けれどもそれは、一歩間違えば『罪』という重荷を背負うことになるのではないだろうか。きっとそう思ったのだろう。
「何を考えている? 私としては、君の可愛い顔が百面相しているのも飽きなくて良いが」
抱き上げられたまま思考にのめりこんでいたは、私の言葉で覚醒する。仮眠室へと移動する私の歩く速度はいくらかゆっくりだ。の傷に触らぬように。だが、口から出る言葉と表情は意地が悪くなるのはどうしようもなく、それがの表情をさらに百面相させる。
「あはは、本当に君は可愛いな」
私は声をたてて笑い、たどりついた仮眠室の扉をあけた。
「ここが今夜の寝床だ。仮眠室だから窮屈だが、まぁ・・・眠るだけなら大丈夫だろう」
ベッドへを横たえる。
「少し眠るといい」
「ありがとう・・・ございます」
薄く笑って、は瞼を閉じる。暫く眺めて寝息が聞こえてきたころ、仮眠室にある内線が鳴った。
『お休み中のところ申し訳ありません、大佐。リゼンブールとの連絡がつきました。どうなさいますか』
「も眠ったことだし、私が直接、話をしよう」
『わかりました』
プツリとホークアイ中尉が電話を切った音がし、すぐに雑音とともに犬の鳴き声が聞こえてきた。それが、リゼンブールと繋がったことを私に知らせてくれる。
「連絡が遅くなって、申し訳ない」
『あんたがそんな殊勝なこと言うようになるなんて、明日は雨かね』
相手は私の軍での地位など気にしている風もない。それが彼女に好意を抱いている第一の理由だ。
「雨など降らさんよ」
『その自信はどこからくるのかね。・・・さ、本題に入っておくれ。彼女とは無事に会えたんだろ?』
「勿論だ。彼女は隣で眠っているよ」
先ほどから幾らか声を落として喋っているのが相手に伝わっているのだろう、そうだと思ったよとの言葉が瞬時に返ってくる。
「明日の午前中にはそちらへ着く。義肢の必要なのは左下腿と、左手部。彼女自身に医術の心得がある。最小限の方法で切断されている。――名前は・。11歳」
『11歳の子供がオートメイル手術を・・・』
呟きが切なく聞こえた。私とて同じ気持ちだ。だが、私は彼女の進む道に『枷』をつけた。重く引きずるしかない枷だ。それを取り払うも払わぬも本人次第。
「彼女には錬金術の心得がある」
『まさか』
「心配しなくても良い。彼のように人体練成をしたわけではない。・・・いや、大きく見えれば同じかもしれないが」
『どういうことだい?』
「――私の口からは語れない。本人の口から聞いてくれ。・・・一応これでも、彼女の後見人だからな」
『あんたが後ろ盾になるって言うのかい?』
どんなことになるかもしれないのに、と言外に語る彼女に、私は安心させるために言い切ってやる。
「私には重要な道だ。誰にも邪魔はさせんよ」
うっすらと笑いすらしながら言い切れば、彼女は前に言葉交わしたときと同じようにため息をついた。
『明日の午前中だね。待ってるよ』
一方的に電話が切られる。
鋼ののことが聞きたいはずなのに、彼女は一言も聞かずに電話を切った。まぁ、噂ぐらいは流れているだろうが、心配しているだろう。少し土産に語って帰るのも良いかもしれないが、本当は本人たちが帰るほうが良いはずだ。
今度会ったらそのあたりのことも言っておいてやろうと、私は受話器を置きながら考えていた。
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