「どうだい? 今獲れたばかりの魚だよ」
魚屋の前を通ると珍しく声をかけられた。
「綺麗な色してるね。買いたいのはやまやまなんだけど、サイフの紐が堅くてね」
苦笑まじりにそう答えれば、女将がおやおや・・・と苦笑い。
「嫁さんはさぞかしやりくり上手なんだろうな」
「あんた、余所の家庭をちゃかすんじゃないよ」
旦那を軽く笑いながら咎めて、女将は悪いね、と謝る。
「謝らなくていいよ。久しぶりに声をかけてもらえて嬉しかったし。こっちこそ、買えなくて悪いね」
「いいよ、そんなことは」
まだ夕暮れまでたっぷりと時間があるからね。
女将はおおらかに笑う。
戦の中に身を置いて数年、男としての生活が続いているせいか、先程のように声をかけられることが少なくなった。
「、待たせたな」
振り返れば、そこには青が鮮明に。
「あ、フリック。おかえり」
「あんたの連れだったのか」
フリックを見た主人がそう言って笑う。
「一週間前に砦にやってきたばかりでね。このあたりの地理を教えておくために連れてきたんだ」
「まぁ、砦の近くにあるのはこのリューベか、この北にあるトトの村、あとはその先のミューズぐらいだものねぇ」
「まぁな。地理と言ってもたかがしれてるが、地図よりも自分の足で見てまわったほうがいい。――モンスターも弱いながらも結構多いしな」
「そうだねぇ。・・・ん?」
フリックが少しだけ笑みを浮かべて受け答えをしているのを横で見上げていたを見、女将はハッとしたように視線を向けた。
「フリック、もしかして・・・この子」
あぁ・・・とフリックが破顔する。
「こいつはこれでも『女』だよ」
確かに、女とはとても見えない格好だけどな。
黒の上下に金の縁取りのされた外套。左の腰には金色の鞘に入った剣。右の腰には金色の短剣が携えられている。ブーツも履きふるした感がする。剣を携えて幾度となく戦いの中を生きぬいたのがわかる動き。歩き方ひとつとってもそれはとても『女性』と見えるものではなく、もちろん、自身も女だということを自覚しているが本当のところはどうでも良い、というところだろう。
「少しぐらい女らしくしてもいいと思うんだが・・・・・・」
「女だと言って得した覚えはないからね。それに、傭兵として働くのに女だといえば侮られるし」
これだから、言ってもきかなくてな。
フリックがため息まじりに言えば、女将も主人も納得したように笑う。
「じゃあ、しばらくは砦で傭兵を?」
「資金も欲しいし、行くところも・・・今のところはないしね」
「そろそろ行くぞ、」
「ありがとう」
フリックが彼らに頭を下げ、を促す。は彼らに頭を下げながらそう言い、先を歩き出した青に追いつくべく、歩調を早める。
「久しぶりに昔を思い出したよ」
フリックに追いつけば、彼は歩調をにあわせてゆっくりにしてくれる。
「前にいた町のことか?」
「そう。・・・助けてもらったまま居座ったその町も、この村より少し大きなくらいの小さなところで、誰も住んでいない家があるからそこを使えばいいって――まるで家族のように言ってくれたよ」
「そうか」
リューベの村を出て南へ向かいながら、それでもは言葉を続ける。これほど昔のことを語るは珍しく、自ら語るということは聞いてほしいのだろうと思い、フリックも相槌を打つだけで先を促した。
「ホウアンっていう先生に診てもらって、一年間、その町で過ごした」
「ホウアン?」
「もしかして、知ってる?」
「あぁ、ホウアンは今はミューズにいる。砦にはあまり来ないが、弟子のトウタが時々やってくるぞ」
「そうかー。久しぶりに会いたいなぁ」
「今度、ミューズに行くときに連れてってやるよ」
「ありがとー」
にっこりと笑顔でフリックを見上げる。その途端、視界の隅に見えた影にが身構えた。同時にフリックにも見えていたらしく、彼も同様に身構えていた。
「カットバニーか」
フリックの呟き。
「、これ持っててくれ」
視線は向けたまま、フリックが左手にある荷物を差し出すが、は受け取らなかった。
「たまには見てれば?」
自分ひとりで片付けるとは言外に言った。それに気づいた彼は「おまえがそういうなら」とより一歩後ろへ下がった。
「久しぶりにやってみる?」
『たまには良いかもな。運動にもなりはしないだろうが』
直接脳に響いた声に、はたぶんな、と呟きながら金の鞘から剣を引き抜いた。
「おい、おまえそれ・・・」
「たまにはこれも使ってやらないとね。錆びついちゃかわいそうだし」
するりと抜いたのは、細身の刃。刀身は珍しくも金色で、柄の部分には紋章が浮かび上がっている。
「久々だから緊張するなぁ」
間延びした声音でどこが緊張してるんだか、とフリックが苦く笑うのに、が小さく笑う。
「行こうか、光炎剣」
『あまり軽々しい行動は控えたほうがいいぞ。軽視すれば怪我をする』
「わかってるよ」
は地を蹴った。
カットバニーは全部で三匹で、飛び道具で攻撃してくるので間合いを詰めてしまえばこちらのものだ。
飛んでくる斧を姿勢を低くすることで避け、飛び込む勢いを落とさずにカットバニーの背後へ走りこむ。斧は前にしか飛ばせないから、背後へ回ることができれば勝負は早い。
一匹を横凪に倒し、その勢いを保ったままその二つ隣にいるカットバニーを柄で頭部を叩く。脳震盪を起こして倒れた二匹目に目もくれず、真ん中で一歩前に出ていたカットバニーを、今度は刀身で足元を払う。
ものの一分とかからない。
「さすがだな、」
「カットバニーだから威張れないよ」
鞘に剣を戻しながらフリックの元まで歩み寄る。
「さ、早く戻ろう。みんなが待ってるよ」
あぁ、とフリックは頷き、と並んで歩き出した。
「、少し寄り道をしないか?」
「寄り道?」
フリックが指すのは、砦のまだ向こう。
「砦を越えていくってこと?」
「あぁ。たまにはいいだろう」
「フリックがいいというなら、付き合うよ」
砦の前を通り過ぎ、少し歩けば川に行き当たる。
「こんなところに川があったんだ・・・」
「この橋の向こうにラダトの街がある。この川を下ればトラン共和国の国境へ行ける」
ふぅん、こんなところからねぇ。
川を下る船を見やってが呟く。
「、のことが気になるか?」
「気にならないって言えば嘘になるけど、彼は彼なりに生きてるだろうから心配はしてない、かな。フリックは?」
「会いたいといえば会いたいが、まぁ・・・あいつにはそのうち会える気がしているから」
「それは傭兵としての直感?」
「傭兵、ということは別として、直感には違いないな」
直感というのは、思いのほか役にたつものだと二人とも思っている。それは実践で経験済みで、だからこその見解なのだ。
「本当に会えるといいんだけどね」
そんな呟きが、の唇からもれた。
「さぁ、いいかげん帰らないと、あいつらが心配するな」
と二人でリューベに行くと言っただけで、数人の傭兵とビクトールが目を見開いた。驚いた風の彼らに表情は穏やかに、けれども視線だけは牽制してフリックは砦から彼女を連れ出したのだ。
心配する、とは少し違うな。
フリックはそう胸中で苦笑い。
あれやこれやと言い訳を考えなくてはならないかもしれない、と少しだけ諦めの境地。それを我慢してでも彼女と二人でいたかったのだと、自分でも馬鹿らしいと思うくらい自覚している。
「フリック、今日はありがとう。楽しかったよ」
薄く笑うのは、本当に嬉しいからだ。
傭兵という身分であってももフリックも、そしてビクトールも表情は穏やかで、けれども、本当に笑えるときは少ない。
皮の手袋をはいた右手での髪を撫ぜたあと、フリックはその背中をそっと押した。
「女として扱ってくれるんだ?」
背中を押されたが声をたてて笑いながら問いかけてくるのに、フリックは至極当然というように。
「当たり前だろう。どんなに腕がたっても、女だろう? がそういうのが嫌いなことはわかっているんだが・・・」
「フリックならいいよ。・・・他の人たちと違うから」
「そうか?」
見上げるの瞳が細められて。
「女だから・・・そんな差別をフリックもビクトールもしないから。僕を僕として見てくれるから。――だから、女として扱われても別にいいと思える」
「ビクトールと一緒か・・・」
「不満?」
いたずらっ子のような瞳でが笑う。フリックの呟きの理由を理解してのことだろうか?
「今はそれで我慢しておくよ。砦の前まで帰ってきてしまったしな」
名残惜しいと言外に言えば、フリックの荷物を奪いとったは彼を振り返って言った。
「今度ミューズに行くとき、連れってくれるんだよね?」
「あぁ、おまえが行きたいというならな」
「行きたい」
「なら、連れてってやるよ。ただし、ミューズへ行くときはビクトールも一緒にな」
知り合いがいるんだよ、とフリックが言う。
「仕方ないなぁ」
さすがにここまでくれば、が何を思っているのか想像がついた。
フリックが、嬉しい気持ちを隠しきれずに困った顔をする。
「向こうで一泊するか。そうすりゃ、ビクトールはたぶん知り合いと一緒に酒を飲む。相手は市長だからさすがに夜明けまで飲むことはしないだろうが、それでも・・・な」
二人きりになれる。
直接的な言葉が言えなくて、フリックは語尾を濁してしまう。
「フリックらしいね」
それがまたいいんだけど。
は呟いて両肩をすくめる。
「悪かったな」
ふぃと他所を向いてに奪いとられた荷物を奪い返し、そそくさと砦の中へ入っていってしまう。
「、早くしろよ!」
砦に入ったはずのフリックが入り口から半分だけ姿を現し声をかけてくる。顔をそちらへ向け慌てて駆け寄ると、フリックが扉を開けてくれ、フリックと扉の間をはすり抜けた。そのとき、「今度はトトの村まで行こう」とフリックから小さな誘いの言葉。
トトの村の先にあるミューズへ行くときはビクトールが一緒。だからその手前までは二人きりで。
そういう意図があるのだろう。
フリックは自室へ戻り、はレオナのいる酒場に顔を出す。
「、今日はなんだか嬉しそうだね」
「うん、イイコトがあったからね」
「イイコト?」
そう、イイコト。でも教えられない。
は本当に嬉しそうに、瞳を細めて微笑んだ。
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