失われた日々と新たなる日々





「はぁっ・・・はぁっ・・・」
 くっ、と唇を歪め、は固く目を閉じる。




 はじめて人を切ったあの日――・・・。
 彼は確かに敵で、殺したからと言って咎めを受けることもない。けれども、その人にも自分のように大切で守りたい人、自分が死ねば泣いてくれる人がいるはずなのだ。





「――どうした?」
「何でも・・・ない」
 言ったところで慰めを受けるだけ。慰めは少し心を軽くしてくれるが、それだけだ。解決にはならない。
 同室の彼が腰をあげたのがわかった。
 自分が男だと偽っているため、宿も勿論、仲間と一緒だ。
「おまえらしくもない。ま、強がるところはそのままだけどなァ」
 もうすっかり慣れてしまったその姿は、胸当てや剣を携えないビクトール。
 ぽす・・・と大きな手が頭に乗せられる。
「慰めるなんてこたァ苦手だからな」
 それにおまえ、嫌いだもんな。
 門の紋章戦争のときから一緒に戦ってきたビクトールは、覚えていたのだ。
「――けどなぁ」
 ビクトールはいまだ唇をかみ締めたままのの、その赤い髪を撫ぜ、その手を背に回す。素早い動作で背に回した手で、の前に立つ自分の胸へと引き寄せた。
「夢に出るってことは、そのときのことがひっかかってンだろ? 気にしていない――割り切っているつもりでも夢に出る。そんなこたぁ、誰にだってあることだ。・・・俺もたまにはあるしな」
「ビクトールも?」
「おいおい、一応これでも『人間』だぜ? ネクロードを倒したとはいえ、やっぱり見ちまうときだってあるさ」
 大切な女性の亡骸をもてあそんだネクロード。その体をビクトールは星辰剣で切り捨てた。
「そうだね・・・」
 胸へ引き寄せられたままの腕。力はさほど入っていないのに、人肌が恋しいと思うのはなぜか。
「ビクトールが傍にいると、自分が弱くなっていくよ」
 そういいつつも、その肌から離れられない。
「そりゃ悪かったな」
 こつん、と頭に軽い拳骨が与えられた。
「痛いな、もう」
「痛いようにしてるんだ、あたりまえだろ」
 軽い口調。
 こんな雰囲気に呑まれて、落ち込んでいる気持ちが浮上してしまうのだ。
「ビクトールは本当に強いね」
 自分だけじゃない。この人のくったくのない笑みと言葉で、どれほど勇気づけられたことだろう。
「おまえだって強いだろ?」
 は小さく首を振る。
「ビクトール悪いけど、もう少し・・・・・・」
「あぁ」
 短く返答をしたビクトールは、無骨な指を短い髪にくぐらせる。
「甘えてるな・・・・・・情けない」
 ふいに自嘲が浮かぶ。
「今のおまえはそうだけど、ずっとじゃない。――だから、今は俺に甘えろよ」
 たまに甘えられるとかまいたくなっちまうんだよ。ココロ、許してくれてる証拠だからな。
 ビクトールは静かな声で諭し、の髪を梳いた。
「ありがとう」
 楽になったよ、と笑うに、ビクトールが小さく残念と呟く。
「ビクトール?」
「役得だな」
 いまだ梳く手を止めずにビクトールが唇へ笑みをはく。
「え?」
「わからないならわからせてやろうか?」
 にやり、とまるでどこかのスケベ親父のような顔になった彼の顔は、の瞳には映らない。梳く手が上を向くことを許さないからだ。
「うわっ?! ビクトール?!」
 急に髪を触れていた指がの顎をとらえて上を向かせて、気づけば目の前に彼の顔。
「スケベ親父!!」
 顔を背ける間もなく触れてきた乾いた唇。ほんの少し触れるだけのそれに、の顔が真っ赤になっていく。
「これで貸し借りナシ。な?」
「馬鹿!」
 耳まで真っ赤にしては怒鳴る。
「そんな大声出すなって。男同士でそんな声出してると、変態だと思われるぜ?」
「・・・っ」
 唇をかみ締めて、はビクトールを睨みつける。それをビクトールは軽く笑って、大きな手でぐしゃぐしゃとの髪をかき乱す。
「もうっ!」
「そうやって、俺の前では隠すなよ。――本当のおまえも、偽ってるおまえも・・・・・・全部、受け止めてやるから」
 喜怒哀楽。すべての感情を見せてくれよ。
 そう言うビクトールは、自らの過去に縛られているを導いてくれる。その心の奥底にあるはずの、自分自身の過去をも凌駕して。
「ビクトール、ありがとう」
「さっき言っただろ、貸し借りナシだって。――おまえがそうやって俺のために笑ってくれりゃ、それだけでいい」
 自分に向けて、いつも笑っていてくれ。
 乱した髪を梳かしてやってから、ぽん、と肩を叩いた。
「もうすぐ昼か。ちぃーっと寝すぎちまったみてぇだな」
 空を見れば真っ青で、それがまだ時間の経過を知らせてくれる。
が心配するかな。本当は今日の夕方には城に着く予定だったのに」
「まぁ、少しぐらいいいんじゃねぇか。・・・それまでの二人っきりを楽しまないとな」
「楽しまなくていいっ」
 あはははと声をたてて笑うビクトールには立ち上がって足を蹴り上げる。
「おっと、危ない」
 片手で軽々とそれを受け止めた彼に背を向けながら舌打ちして、はハンガーにかけてあった上着と外套を取り上げる。それを見て、ビクトールも胸当てをして剣を取り上げる。






「帰ろう、城へ」
「あぁ・・・帰る場所があるってぇのは、イイもんだな」