「海を見るのが、そんなに良い?」
暇を見つけては海を見る彼女に、彼は問いかける。その右手にはホットコーヒーの入ったカップが湯気をたてていて。
「船を一周まわっちまったよ」
この海賊船――ゴーイングメリー号の船長がいるはずの船首のメリー。その上に彼女は座っていたのだ。
「ロビンちゃんもよく甲板から海を見ているし、ルフィもそうだし……悪魔の実の能力者は、海に呪われるからかな」
蜜色の髪をゆるやかな風になびかせ、そう言って空いている左手で器用にも煙草を取り出し、唇に銜えた。
「海に嫌われるから、余計なのかも――しれないな」
よっ、と。
そんな掛け声をかけながら、彼女はメリーから甲板に飛び降りた。
「落ちたらどうするんだよ」
そんな動きを見、咎める口調で彼は言った。
「大丈夫。落ちたら『サンジ』が助けてくれるんだろ?」
「俺をアテにしないで欲しいな。――コーヒー、飲むだろ?」
「ありがとう」
受け取り口をつける。
「いつも気が利く」
「それがコックの役目だからね」
「そりゃそうだ」
「それにしても」
サンジは彼女の姿をみやって呟く。
「俺がお膳立てするから、一度ドレスを着てみないか? 」
「……私が着ても、似合わない」
「それはどうかな」
サンジはウインクひとつして、を見やる。
「クソ真面目に言ってるんだけど、一度でいいから…さ」
しばらく考えて、彼女は仕方なさそうに笑む。
「一度きりなら」
「ありがと」
「どうしてそんなモノが見たいのか、さっぱりわからないけどな」
ひらひらと手を振り、彼女はそれだけを言って女部屋へと戻っていった。
「ナミさん、少し…いいですか?」
いつもなら目をハートにしてやってくるサンジが、落ち着いた口調で近づいてくるのはとても珍しい。
「どうしたの、サンジくん?」
ナミはそれを内心不思議に思いながらそう返す。
「次の島までどれぐらいあります?」
「そうねぇ…」
ナミは、空と海とを見比べ、身体全体で風を感じる。
「明日あたりには島に着けるんじゃないかしら。春島に近いから、気候もよさそうね。それが何か?」
またルフィのせい?
そう言うナミに、少しだけ躊躇うサンジ。
「食料調達以外の相談――そうなのね?」
ナミの言葉にサンジは、躊躇いを拭えぬまま頷く。
「実は――……」
サンジは声を小さくして、事情を大まかに説明する。
「私も見ていたいし、協力してあげる。でも、高くつくわよ?」
共犯者の笑みでナミが笑えば、サンジは少しだけ苦笑して。
「妬かれてみたいというのも、男の心理ですからね」
そう言って、さらに笑みを深くした。
ナミの言ったとおり、その日から二日後、春島に近い、このあたりで一番大きい島へと着いた。
街の賑わいはそうとうなものだ。
「ログがたまるまでに4日。その間、昼と夜との二回に分かれて交代で船番。それでいいわね?」
「それで、どうやって決めるの?」
ロビンの問いに、ナミは「私が決める」と言い切った。
「文句があるなら聞くわよ? ――ないのね。じゃ、決めていくから」
ナミの言葉にサンジが「ちょっと待って」と口を挟む。
「何?」
「レディに夜の船番は危険だ。夜は野郎どもで決めればいいんじゃないかな」
「みんな、異論は?」
それじゃあ…とナミはクルーたちを見やる。
「まずは、私が今日は残る。言い出した責任も兼ねてね」
今日の夜はルフィ。明日はチョッパーとウソップ。明後日はロビンとゾロ。明々後日はとサンジ。
そうナミは言い、クルーたちを見渡す。
「OK?」
皆の肯定を確認して、すぐに解散となった。
翌日。
「あら?」
ナミはサンジとの約束を果たすべく、街へと出ていた。
「!」
「……ナミ」
は驚いたようにナミを見ている。
「珍しいわね、こんなところで」
「え? あ…うん」
「何かあった?」
「――別に?」
「そう。ならいいんだけど」
ナミは訝しげな表情をしたがすぐに戻す。
「あ、そうそう。ちょっと付き合ってもらえない?」
「いいけど」
「紙とペンがね、とっても安く手に入る店があるって聞いてきたんだけど、それがどうも…怪しいのよね」
「護衛をしろと?」
「いけない?」
ナミよりも少し背の高いは、左腰に一本の刀をさしている。紅に光るそれは、雫さえもつかない刀身。最高の傑作品だ。
「お願い、」
「仕方ないね、わかった」
の表情は穏やかだ。
短い黒髪ときつい眼差し、そして、その言葉遣いのために性別を問われることが多い。自らを守るために「女」を半ば捨てている彼女にとってはどうでもよいことなのだが。
「いらっしゃい」
扉を開けた瞬間、耳に入ったそれに、はそれなりに良い印象を受けたのだが、ナミは「こんにちわ」と挨拶したものの、体の緊張を解くことはしなかった。
「ナミ?」
「わからない?」
「――いや……わからないわけじゃないけど?」
「だったら私の傍にいて?」
決して傍を離れないでね。
ナミは小声でそう念を押す。
多分間違いなくといっていいほど、は「小柄な男」として見られているだろう。ナミから「用心棒」として傍にいて欲しいといわれたときから、男に見えるように振舞っている。
「これなんかよくないか?」
棚に並んだ紙を指さす。押し花の入った和紙。
「綺麗ね。これでサンジくんにラブレターでも書けば喜ぶかしらね?」
ナミは言いながらそっとを盗み見る。そして、目に入った表情に口元を緩ませた。
――私が言った言葉に反応するくらいなら、サンジくんの我侭を聞いてあげればいいのに。頑固ね。
「、清算するから」
「――あ? あぁ…わかった」
「大丈夫? ちゃんと仕事してよ?」
「わかってるよ」
「わかってない!」
「痛っ…てっ……なみ、痛てぇ」
の耳を引っ張って、ナミは自分の唇へと近づける。
「清算するときが勝負なの。気を抜かないで」
小さく咎める声。耳元で言われた言葉に、は目を眇めた。
「了解しました、お姫様」
恭しくナミに頭をたれ、ナミの背を押した。
清算する間、はナミの半歩後ろでその光景を見ていた。左腰の刀に手を無造作に置き、右手は所為なげにポケットへ突っ込まれたまま。
それでも目を離すことはしない。
穏やかな表情はしているが、同業者ならその内に秘めているものに気づくだろう。
案の定、店員は自分たちを見逃してくれた。
「お疲れ様」
ナミは言って「お茶にしましょう」とを誘う。
「気を張っているのは性に合わないよ」
のんべんだらりといる方が良いとは本当に脱力している。
「あの店は盗品を売買しているんだろう?」
「よくわかったわね」
「一つ、入ったときの視線。二つ、品物の値段。三つ、清算時の店主の目」
一本ずつ指をたて、は気になったものをあげた。
「人の目踏みをする視線は、入ってきた人間の『人の良さ』を見ていた。世間に疎いとわかれば、店員は傍に来たはず。品物の値段についてだけど、上下の落差が激しすぎる。カウンターに近いほど、値段が高い。人の心理では、『気になるもの』は見えるところに置いてしまう』傾向がある。――良く見れば、見たことのあるような品もいくつかあったしね」
誘われるまま、はオープンカフェの一角にあるテーブルへと向かう。ナミが適当にオーダーを出す。
「それで?」
ナミはの推測を聞きたいと先を促した。
「あとは店主の目。まるで獲物を狙う獣のようだったよ。口元だけで目は笑っていなかった。ナミが盗品以外のものばかりを買っていたから、余計だろうけれど」
手元に運ばれてきたコーヒー。ナミの元には紅茶。
「私は盗品でもよかったんだけれど、欲しいものがなかったんだもの」
紅茶を一口のみ、ナミは微笑んだ。
「あ…サンジくん」
ナミは笑んだまま、テラスから外を見やって呟く。
「何やってるのかしら。食料調達はまだ出航前に済ませるように言っていたから、何かを探しているのかしらね」
そう誰に言うことなく呟き、ナミはちらりとを見やる。見られたことに気づいていないは、サンジをまっすぐに見ている。
――気になるなら行けばいいのに。…まぁ、の性格だと無理だろうけど。
ゴーイングメリー号に乗る一年前までは別の船に乗っていたらしい彼女。出会ったときに戦力になるほどの腕の良さは確認済みで。だからこそ、自身が女という事実を忘れているんじゃないだろうかと疑ってしまう。
――サンジくんも大変ね。相手だと、狂っちゃう気持ちもわからなくはないし。
自分のように、女であることを自覚してくれれば――もっと楽なんだけれどね。
サンジを見つめる視線は、確かに女性のそれだというのに。
はぁ…と向かいにいるに気づかれぬように、ナミはため息を吐き出した。
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