「ウェヌス様」
貴族のようなドレスを身に纏い、優雅に差し出した手の甲に、男が恭しく唇を寄せる。
「本当にお前は美しい」
男にしては背が低い彼は、灰色の瞳に細く柔らかい髪、そして、薄い唇には笑みを浮かべている。
「ありがとうございます」
下を向いている瞳が細められ、口角があがる。それは刹那のことで、腰を折っていた彼は、上体を起こして顔をあげた。
王子様風を装うのは、目の前の女性からの指示だ。
「少し外へ出るわ」
「ご一緒いたしましょうか?」
「いいわ。また戻ってきたら相手してちょうだい」
「お気をつけて、いってらっしゃいませ」
柔らかな声音で言うと、ドレスの裾を翻して出ていく後姿に、腰を折った。
男は与えられた部屋へ入ると、不自然にならないようにしながら見渡し、監視がいないことを確認して息を吐いた。
――疲れるな……。
言葉にすることはせず、胸中だけに留める。ここは敵陣の真ん中、いつばれるかわからないからだ。
男はネクタイを緩めると窓へ近づき見える海へ視線を向け、警戒を怠ることなくポケットから子電伝虫を取り出す。
「地下へ向かいました」
『わかった。気を抜くなよ、』
「了解です、キャプテン」
男()はポケットへ子電伝虫を戻すと、窓際にあった椅子に腰かける。
――ペンギンとシャチ、うまくやってるかな。
は胸中で呟き、子電伝虫で話しただけで素に戻ってしまいそうな自分を律するため、女の前で作っていた笑みを浮かべ目を閉じた。
この頃、ペンギンとシャチは孤島の中にある建物にいた。
「いってぇ……」
シャチはこの島へと移された際に腰を打ち付けたらしく、呟きながらさすっている。ペンギンはそんなシャチを見やってから、自分たちのいる部屋を検分する。
――監視はなし、電伝虫の類も……なさそうだな。
「部屋から出られそうだ」
ペンギンは床から腰をあげると窓へ近づき外を見る。この部屋以外にもいくつか部屋がありそうだと思う。
シャチも腰をあげ、ペンギンに近づく。
「随分、海が近いな」
「あぁ……。あの地下は海の下だったみたいだな」
窓から外を見る感じでは、2階にいるようだ。これぐらいなら飛び降りることもできる。
「強制労働とかあると思ったんだけどなァ」
そう覚悟もしていたのだが、少し違うようだ。
「少し外に出るか」
「了解」
ペンギンの言葉にシャチは頷いた。
部屋から連れ戻されるかもしれないが――そう思いつつ、部屋の扉を開ける。扉の向こうに人がいるかと思ったが、監視の人間はいなかった。
廊下をできるだけ音をたてずに歩き、建物中央にある階段を下りる。その先は広いホールのようになっていて、人が行き来していた。
「あぁ、新人か」
ホールに居た1人の男が、2人を見て言った。
「こっちに来い、この島のことを教えてやる」
ペンギンとシャチは顔を見合わせると、その男についていく。
1階ホール、階段の裏に扉があってそこへ案内される。中には男と女が1人ずついたが、見たことのある顔だとわかった瞬間、ペンギンとシャチは体を固くした。隠し持っていた折りたたみナイフを、ポケットの中で握る。
「大丈夫だ――と言っても無理かもしれないが、こいつらは俺の部下だ」
そう言った男はアベルと言い、海軍の人間だった。ここで行われている違法取引の現場を押さえるため、ここにいるそうだ。部下の2名はウェヌスという女の屋敷で、催眠術にかかったふりをして様子をうかがっているという。
「お前たちの顔は知っている。当然、俺たちがおまえたちの力にかなわないこともわかっている。…………目的が違うなら、手を組まないか」
ペンギンはポケットに入れてあった子電伝虫のスイッチを入れる。ローにこの会話を聞かせるためだ。
「お前たちの目的は何だ」
シャチの問いに、アベルは答える。
「さっきも言ったが、ここで違法取引が行われている。麻薬と人間だ。催眠術で操った人間を奴隷として売っている。気にいった者は手元に置いているようだが……。そっちは?」
子電伝虫をポケットから取り出すと、ペンギンは自分の手のひらに置いた。子電伝虫の姿を見ただけで、アベルには相手が誰か理解できるはずだ。
『話は聞かせてもらった。――俺たちの目的は、その島にある薬草だ』
「薬草か。なら、俺が場所を知っている」
『わかった。海軍と仲良くするつもりはねェが……取引といこう。その方が俺たちらしい』
子電伝虫がニヤリと笑う。
「俺たちは薬草と栽培方法を提供する」
『俺たちは、そこにいるペンギンとシャチ、女の屋敷にいるの戦力を提供する。時期を見て俺も入るが……それでかまわねェか』
「あぁ、助かる。こっちの戦力はほとんどないに等しい」
今はまだ情報収集中のため、3名しかいない。
『は術にかかったふりをして潜入している。あいつの顔は女の好みだからな』
「わかった。部下の2人は女の屋敷にいることが多い。何かあればそちらに連絡を入れる。俺はこちらにいるから、そこの2人と連絡を取り合うことにする」
アベルは言って、ペンギンとシャチを見やる。それに2人は頷いた。
ペンギンは子電伝虫をポケットに戻すと、男にこの島のことを聞いた。
自分が調べたことしかわからないが、と前置きが入った。
この島は薬草を育てるために存在する。1日1回、あちらの島から女がやってきて催眠術を施す。催眠術にかかった者は屋敷に移され、かからない者はこの島に据え置かれる。
孤島であるこの島は海に囲まれていて、徒歩での移動はできない。移動手段が船しかないため、島のあちらこちらの海岸線に、何十人もの、元海賊や海軍を配置している。もちろん、術を施されている者たちばかりだ。
普通の人間なら、この島から出るのは不可能だろう。
屋敷とは地下で繋がっていて、屋敷がる島の名前は「ハニーアイランド」と言い、女主人は「ウェヌス」と呼ばれている。本名ではないらしい。
その島は3分の2が夏の気候で、3分の1が秋の気候だ。夏の気候の場所には、女の屋敷と、海岸線にはビーチがあり、観光名所になっている。
女は顔の整った男が好きで、傍らに置いている。はその顔と表情を気に入られ、傍にいる。
月に1回、ウェヌスは取引に行くため、7日間、ハニーアイランドを留守にする。それまでに決着をつけなければならない。その取引にを連れていかれては、面倒だからだ。
――その日が、もうそこまで来ていた。
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