優しい悪夢 2





 
 は女が屋敷に帰ってきたことを知って、椅子から腰をあげる。表情は女が好む、柔らかいものにして、行動も指の先まで神経を届かせる。これはローからの提案で、催眠術にかかったふりをし、女が好むようにすれば、奴隷として売られることがないからだ。
 ――さて、あと2日か。
 は胸中で呟き、歩をすすめる。女が取引をするため、このハニーアイランドを出るまでに女を倒さなければならない。女の催眠術は気絶すれば消えるはずだ。
 はポケットから白い手袋を取り出し、はいた。
 遠くに見える女の姿を見つけ、深々と首(こうべ)を垂れる。
「お帰りなさいませ」
 ハートの海賊団でいる時よりも低めの声音と、ゆっくりの口調。女の出す手をそっと握ると、薄く笑みを浮かべた。










「ここだ」
 アベルはペンギンとシャチを連れて、島の南にある畑に来ていた。
「へぇ……これが」
 3人は畑の中で作業している人間に見つからないように、近くの塀に隠れている。緑の葉も茎も細く、先には白い蕾があった。
「あれは夜に花を咲かせる。その花びらが薬になるそうだ」
 アベルは小さな声で説明し、帰ろう、と2人を促す。
「え?」
 シャチが思わず声を出す。
「そこにある小屋に苗や種があるが、そんなもの取りに行かなくても、俺が持っている」
「……いいのかよ、俺らに渡して」
 シャチの質問はもっともだ。
「構わねェ。少しぐらいなくなったところで、まだ情報収集中だ、どうにでもなる」
 アベルは海軍とは思えないほど、悪い笑みを浮かべる。
「――本当に海軍か?」
 ペンギンの言葉に男は真剣な表情へ戻す。
「……海軍の中にも、色々あるということだ」
 アベルは言って、歩を進めた。





 畑から戻った2人は、あてがわれた部屋でローと連絡を取る。
「薬草の種と栽培方法を受け取りました」
『わかった。……お前たちは、そのままそこで様子を見ていろ。受け取ったものだけ、こっちへ移す』
「了解、キャプテン」










「明日、ですね」
 アベルの部下である女がに声をかける。
「えぇ……」
 そっと微笑んで、は頷く。
「明日はできるだけ、私から離れていた方がいいでしょう。彼にもそう伝えておいてくださいね」
 丁寧な口調では言い、何か言いたそうな彼女を目線で制する。
「私がどういう行動を取っても、驚いてはダメですよ」
 女は無言で頷く。
 ――万が一、催眠術にかかってもキャプテンならオレを止められるはずだ。










 ハニーアイランドにある観光地は賑わいをみせている。白い砂浜もビーチパラソルが並んでいる。所せましと店が並び、若い人たちにも人気だ。その裏で何が行われているかも知らず。
 そこは、孤島とは別の時間に催眠術が行われ、かかった者は屋敷に集まる。屋敷内では、日によるが数回、行われている。自分が催眠術にかからないという保障はどこにもない。屋敷内は、特に念入りにされているようだ。
 ウェヌスに呼ばれ、は彼女の元へ急ぐ。そこへ近づくにつれて、気配を感じる。
 ――キャプテン、だな。
「あの男を、追い払いなさい」
 ウェヌスの手にある刀が、きらりと光った。
 ……追い払う。
 差し出された刀を持ち、はローを見る。
 細めらえた灰色の瞳が、少し虚ろに見えるのは気のせいだろうか。
 今まで彼女の施す催眠術に、はかからなかった。だが、今回は――。
 ローは、が受け取った刀が光ったのを見逃さなかった。
 ――今までのものと種類が違うのか……。
 は手に持った刀を鞘から抜き、床に落とす。
 ペンギンとシャチは、女が倒された際に起こる混乱に乗じて薬草を盗むために孤島に残っている。
「ベポ、俺が言うまで動くな。……あいつは、操られている」
「え!?」
「刀に細工がしてあったらしい。……気を抜くなよ」
 がローに勝てたことはないが、どういう形での戦闘になるかはわからない。
 ローはいつでも能力を発動できるようにしながら、の動きを注意深く見る。
「あの男を、排除しなさい」
 女の言葉に、は薄く笑みを浮かべ、次の瞬間、ローへと走りこんでくる。
「"ROOM"」
 能力を発動したローは、の振るう刀を間一髪で避ける。ひらりと、ローの肩に刀で斬られた髪が落ちた。
 は次に、刀を突きだす。それもギリギリで避けたローは、能力を更に発動する。
「"シャンブルズ"」
 を対象にし移動させようとしたが、彼女に避けられてしまった。
 ローの眉が寄せられ、今まで避けられたことなどなかったそれに、驚きを隠せていない。
 ――無意識に見聞色の覇気が使われたのか?
 能力を展開したまま、ローは長刀を抜いた。相手に抜く気はなかったが、短期戦がいいだろうと思う。それに、能力だけで勝負するより、刀の方が体力差や実力差がある分、早く決着がつくだろうと思ったのだ。
 ローの刀は身の丈程ある。はその刀より背が小さいため、彼の懐に入る必要がある。
 白い手袋に刀の柄を握り、彼女はローへ向けて走りこむ。どうやっても自分の刀が相手に触れる間合いに入らなければならない。ローが振り払った刃を軽く避け、は体勢を低くし、力いっぱい自分の足でローの足を払う。体勢を崩すローだったが、体が落ちきる前に、自分を能力での間合いからはずれた場所へ移動させる。
 そこへ走ってきたの刀を自らの刀で受け止めると、彼女の刀を上へ払う。ローの力に負けて、白い手袋から刀が離れ、手の届かない場所へと落ちた。
 彼女は刀へ視線を向けたが取りに行くのは不可能と感じたのか、そのまま放置するようだ。
 正気ならば、体術でローにかなうはずがないと気付くはずだが。
 彼は、自分をの後ろへ移動させると、刀を持っていない手で、気を失わせるのを目的に手刀を叩き込む。意識をなくしたの体が膝から崩れ落ちるのを片腕で抱きとめると、ベポへとその体を預けた。
「ベポ、先に戻ってろ」
「アイアイ!」
 ベポは受け取ったを俵を担ぐようにして、屋敷の出口へと走った。それを、女に言われて追いかけるのが数名。
 ローはベポなら大丈夫だろうと判断し、ウェヌスと呼ばれている女を見やる。目には剣呑な色を宿して。
 女は、自分の部下だと信じているアベルの部下である2人に、ローを排除するように命じる。だが、それが実行される前に女の後ろへとローが移動し、にしたのと同じように、手刀を叩き込む。
「能力ばかりに力を入れているからだ」
 女は自分の能力に溺れ、自身の強さだと思い込んだ。能力が使えなくなった時のことを考えていなかったのだ。
 床に倒れた女を見下ろし、近くにいた海軍の部下2人に視線を向けると、手にあった刀を鞘に戻す。
 白い帽子を深めに被りなおすと、あとは好きなようにしろと言って出口へ歩き出す。
『キャプテン、回収完了しました』
 ポケットに入っていた子電伝虫からの声に、撤収だと声をかける。
『了解』
「今から船に戻す。先にベポが戻っているはずだ、出航準備をしておけ。もし万が一、ベポに追手がいたら、適当に相手してやれ」
は?』
「ベポに預けた」
『わかりました』
 ペンギンの質問に短く答えて、ローはペンギンとシャチを能力で船へ移動させ、自分も屋敷を出てすぐに移動した。





 操舵室へ行くと、ベポとペンギンが待機していた。出航準備もできている。
「キャプテン、は医務室のベッドに寝かせてるよ」
「わかった。念のため、潜水するぞ」
「アイアイ~!」
 しばらくして、船が潜水をはじめたのを確認して、ローは操舵室を離れる。の様子を見るため、医務室へ足を運ぶ。
 ベッドの上にいる彼女は目を開けていて、ゆっくりと瞬きを繰り返していた。
「気分はどうだ?」
 問いかけに、彼女の視線だけがローに移る。
「少し怠いですけど、大丈夫そうです」
 小さな声でゆっくりと吐き出された息に言葉を乗せた彼女は、少し苦い笑みを浮かべた。
「しばらく潜水して島から離れる。お前はこのまま寝ていろ」
 ローは言って、大きな手での額に触れる。
 ほぅと息を吐いた彼女は、体の力を抜いて目を閉じた。
 寝息が聞こえてきたのを確認して、ローは医務室を出て操舵室へ入る。
「ペンギンとシャチが、キャプテンここに来るだろうからって、そこのテーブルに薬草置いてったよ」
 ベポの言う通り、テーブルの上に薬草が袋に入れておいてあった。それを手に取り、また医務室へ戻ると、薬草の取り扱い方法を確認するべく、本棚から厚い本を取り出し開いた。










 次の日の新聞に、ハニーアイランドで起こった事件が大きな見出しで載っていた。
 手柄はアベルと部下2人のものになっていたが、ハートの海賊団から不満が出ることはない。こうなることは予想済みで、だからこそ、面倒な事後処理をすべて任せて逃げてきたのだ。
 も食堂で船員たちのコーヒーを入れながら、いつも通り過ごしている。
「そういえば、あの薬草って何に効くんですか?」
 シャチの問いかけに、ローがそちらに視線を向ける。
「あれだけでは薬にならねぇ。あれだけで使うなら、あの花びらを乾燥させて潰して、塩を混ぜれば美肌効果はあるだろうな」
「美肌?」
 珍しくが反応する。
「作ってやろうか?」
 ニヤニヤと笑うローに、が「う……」と唸って口をつぐむ。彼の表情に嫌な予感しかしないからだ。
「俺も! 俺も欲しい!」
 シャチの言葉に、ペンギンが呆れ顔だ。
「どうせそれで女の子を釣るつもろだろ」
「釣るんじゃなくて、プレゼントだって」
「物で釣ってデートしてもらうんだったら、一緒だろーが」
「女の子が喜んでる姿って、可愛いじゃん?」
 シャチの言うことは一理あるが……。
「何でおまえのために俺が作らなきゃならねぇんだ。教えてやるからお前が作れ」
「え! いいんですか!?」
「シャチ、やめとけ」
 ペンギンは先の展開がわかっているようだ。
「まずは花を咲かさないとな?」
「――……もしかして」
「だから言っただろ?」
 まずは種から栽培して花を咲かせるところからだと気付いたシャチが、そんなのあんまりだ!と叫ぶのに、食堂にいた仲間たちが大笑いする。
 も一緒に笑っていると、ローがポケットから小さな袋を取り出す。
「風呂に入るときにそれを一つまみ、入れてみろ」
「これって……」
「そこの棚から拝借して作った。シャチには黙ってろよ?」
 小さく言われた言葉に、は嬉しさに口元が緩むのを隠すように、コーヒーカップへと口をつけた。










【優しい悪夢 完】





     
spritus 様(お題サイト様) 






最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。
本当は細かな設定を決めて書き出したものでしたが、掘り下げて書き始めるとあまりにもページ数がすごいことになり、読みにくいお話となりそうだったので要点のみをまとめたものにしました。
完全に、タイトルと内容があっていない気がします……。
                                                          2017.06.14