風ヶ丘五十円玉祭りの謎/青崎有吾
- 「もう一色選べる丼」
〈放置されたどんぶり〉と〈残されたソースカツ〉という不可解な謎がまず示されているわけですが、その陰にひっそりと隠れていた〈箸がない〉という新たな謎が“発見”されるのが面白いところ。そして、それが突破口となって犯人の行動と意図が明らかになるところが秀逸で、〈“日常の謎”と“気づき”の関係〉(ネタバレなしの感想の(*5)を参照)をわかりやすく体現しているといってもいいのかもしれません。
〈箸がない〉とはいっても、学食の箸が必要だったとは考えにくいところがあるので、“マイ箸”→弁当にまで思い至ってもよさそうなところでしたが、別に弁当があるとすれば犯人が(中途半端に)食べすぎだと思われるのがネックですし、そもそも弁当の箸をわざわざ学食に持ってくること自体が本来は不自然でしょう。そこに、思いがけず凝った真相が用意されているのがお見事で、やや綱渡りのような印象を受けるところもある(*1)ものの、〈放置されたどんぶり〉まで含めてすべての状況に筋の通った説明をつける、十分に蓋然性の高い解釈といっていいのではないでしょうか(*2)。
それにしても、
“早苗の早{さ}は早弁の早{はや}だから”
(36頁)という迷台詞には笑わせてもらいました。- 「風ヶ丘五十円玉祭りの謎」
“日常の謎”の最大の特徴は、謎に(少なくとも表向きは)事件性がないところにあるといっていいでしょう。つまり、事件や犯罪を扱ったものに比べるとさほど深刻でも重大でもない(ように見える)――したがって、謎の当事者/関係者に対して〈なぜ尋ねないのか〉という問題が潜んでいる(*3)と考えられるのですが、この作品で裏染天馬は袴田柚乃の期待にもかかわらず、謎解きをせずにかき氷屋に質問するという“暴挙”に出ているのが愉快です。
さて、裏染鏡華の“スリ対策”という推理は、その前に出店を回ってお釣りを確認していた――お釣りをもらってばかりだったことから生まれているのが面白いところですが、通常は手持ちの小銭を減らす方向の心理が働くのは確かですし、何より“願掛け”という別の目的が伝えられている時点で無理があります。それに対して裏染天馬の推理は、犯人(社務所の息子たち)の不可解な言動をいわば“補助線”として使い、そちらを解明することで五十円玉の真相を解明するという手順が巧妙です。
その真相については、“効果の割に手間がかかりすぎる”といったような見方もあります(*4)が、犯人は出店の店主たちに指示を出しただけなので、(数が多いとはいえ)それほどの手間とはいえないように思います。気になるのはむしろ効果自体の有無で、まず百円玉や五百円玉の代わりに五十円玉が使われることで、落ちた小銭一枚あたりの“期待値”は確実に下がるはず。一方で、それをカバーできるほど小銭の落し物の数が増えるかといえば、感覚的には疑問が残るところ(*5)で、実際には合計金額は少なくなってしまう可能性さえあるのではないでしょうか。もっとも、この場合は“犯人がどう考えたのか”が重要であって、犯人が高校生ら少年たちであることを考慮すれば、問題とはいえないようにも思います。
- 「針宮理恵子のサードインパクト」
この作品は、“日常の謎”としてはかなり特殊といえるように思います。というのは、語り手(針宮理恵子)は目前の状況をいじめだと思い込んでおり、そこに“謎”が見出されていないためで、それは(探偵役たる)裏染天馬への依頼が謎解きではなく問題解決(*6)となっているところにもはっきりと表れているでしょう。もちろん、読者はミステリ=謎解きを期待しているわけですが、一見すると情報量が少ないこともあっていじめ以外の可能性を想定しづらいのは確かで、“謎”がはっきり見えないまま進んでいく展開が異色です。
その中で、閉められたカーテン、さらには揺れているキーホルダー、スプレー、洗顔シートといった、ほぼ一瞬だけ登場した細かい手がかりをもとに、そもそもいじめではなかったという思いもよらない真相を導き出す裏染天馬の推理は鮮やか。そしてその慧眼を作者が自画自賛(?)することなく、語り手の針宮理恵子の視点を通して“怪物的”に描いてあるのが印象的です。
- 「天使たちの残暑見舞い」
宍戸先輩が遭遇した“天使たちの百合百合しい(?)一幕と消失”――この幻想的な光景が、避難訓練というきわめて現実的な光景に変換されてしまうのが実に鮮やかで、その落差の大きさが魅力です。それでいて、最後には二人の少女の関係について、ロマンチックな含みを持たせてある(187頁)のが絶妙。
少女たちが
“窓際に立ち”
、“顎から上が隠れて”
(いずれも161頁)いたという細かい手がかりもさることながら、“九月一日”
(159頁)(すなわち防災の日)という大胆な手がかりがよくできています。実際のところ、“出入り口のある廊下から片時も目を離さなかった。”
(163頁)という記述を信用する限り、少女たちは三階の窓から教室の外に出たと考えるしかないわけで、それを可能にする手段を考えていけば、そちらの方から真相に到達することもできそうです。また、タイミングよく避難訓練を始めることで裏染天馬の推理に説得力を与える、効果的な演出も見逃せないところでしょう(*7)。最後になって、〈なぜ裏染天馬は見返りなしに謎解きをしたのか?〉という“謎”を“発見”した、袴田柚乃の推理――しかもどうやら図星らしい――にはニヤリとさせられます。
- 「その花瓶にご注意を」
〈なぜ割れる音が聞こえなかったのか?〉という謎から、別の場所で割れた花瓶の欠片が運ばれてきた、とする推理は当然といえるかもしれませんが、偽装のために水が必要だったというのが巧妙なところで、ペットボトルの水が使われたことから美術準備室にいた矢烏が犯人とする裏染鏡華の推理には、十分納得できるものがあります。しかしここで、追及を受けた矢烏が(予備の?)ペットボトルキャップを取り出して、容疑を否定するという展開が秀逸。
ここで裏染鏡華は、より決定的な証拠を見つけ出す必要に迫られるわけですが、そのために犯人の行動をさらに詳しく――そもそも〈なぜ花瓶を持って行ったのか?〉も含めて――解き明かすことになるところがよくできています。何かのギャグかとも思われた花火密売事件が、しっかり伏線として生かされているところにも脱帽。
最終的な決め手はホワイダニットとは無関係(*8)ですし、
“台の前いっぱいに赤と緑が散らばっている。”
(200頁)という記述だけで、そこに“小さな水色のガラス”
(193頁)が存在しない――赤と緑の欠片にまぎれてもいない――とまで、読者が確信を持って読み取れるかどうかはやや微妙な感じですが、これもよくできているといっていいでしょう。
“自分をよく知る家族が作ったなら、好き嫌いを把握してないわけがない。”(37頁)というところ、実際には家族があえて嫌いなおかずを弁当に入れることはあると思います。しかしその場合でも、さすがに弁当を全部捨てるような、すなわち
“隅から隅まで犯人が大嫌いなメニューで埋め尽くされ”(37頁)る可能性は、相当に低いかもしれませんが。
*2: 袴田柚乃が学食で耳にした女子の会話が、(もちろん実際には無関係かもしれないながらも)“真相”に説得力を与える伏線として使われている(41頁)のも巧妙です。
*3: ちなみに、「天使たちの残暑見舞い」では当事者/関係者が不在であること、また「その花瓶にご注意を」では(軽いとはいえ)事件性があること、そして「もう一色選べる丼」ではそれら両方の理由によって、〈なぜ尋ねないのか〉を考慮するまでもない状況となっています(「針宮理恵子のサードインパクト」については後述)。
*4:
“そんなことのためにわざわざこんな面倒くさいことをする奴なんていないと声を大にして言いたい。”(麻里邑圭人さん)。
*5: 財布などから小銭を出し入れする頻度はさほど変わらないように思いますし、受け渡しする小銭の枚数が増えれば増えるほど、数え間違いを避けるために扱いが慎重になるようにも思われます。
*6:
“こいつが言えば、山吹たちもやめてくれるかもしれない。”(126頁)とあるように、針宮の意図は“いじめ”をやめさせることにあります。
ついでにいえば、前述の〈なぜ尋ねないのか〉問題が無効になっていることも明らかでしょう。
*7: 加えて、
“八月三十一日の金曜日”(147頁)と日付をずらすことで、“防災の日”に意識を向けにくくしてあるようにも思われます。
*8: 裏染鏡華が思い出してさえいれば、最初の謎解きの時点でそれを矢烏に突きつけることもできたことになります。
2014.04.29読了