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亜愛一郎の逃亡/泡坂妻夫

1984年発表 創元推理文庫402-16(東京創元社)
「赤島砂上」
 突如現れたサングラスの男の意図が不明なのは確かですが、それだけでは謎としてあまりにとらえどころがない感があります。というよりも、謎の主体が“新川冬子”の方であるにもかかわらずサングラスの男の方がクローズアップされることで、謎の所在が巧妙に隠されているとみるべきでしょう。
 (ドーランを塗ってあるとはいえ)“隠すべきものを堂々とさらす”という発想は、海外古典の有名作((作家名)エドガー・アラン・ポオ(ここまで)(作品名)「盗まれた手紙」(ここまで))に通じるところがありますし、“裸は裸の中に隠せ”というのはもちろんこれまた有名作((作家名)G.K.チェスタトン(ここまで)(作品名)「折れた剣」(ここまで)に直結するものです。このように、二つの古典ミステリを組み合わせたトリックが、非常に面白く感じられます。

「球形の楽園」
 カプセルをクレーン車で吊り上げて落とすことで、密室内の被害者を“撲殺”するというメイントリックは、ある国内作家の長編((作家名)赤川次郎(ここまで)(作品名)『三毛猫ホームズの推理』(ここまで))とかなり似たものになっているのが残念なところ*1。また、甥夫婦が“乗物気狂い”(66頁)というのは、クレーン車を操作できることを示唆する伏線としてはやや弱いように思われます。
 亜が壊れたボトルシップを手がかりに(しかも自分が殴られた際に)トリックを見抜いたところも面白いと思いますが、崩れた団子の山と倒れたトーテムポールの扱いを比較して犯人の心理――後ろめたさ――に迫る推理が秀逸です。

「歯痛の思い出」
 上岡菊彦があからさまに怪しいのは難点といえば難点ですが、奇妙なしぐさ一つ一つの意味*2やその目的――前日の出来事を思い出す――といった真相は、やはりよくできていると思います。そして、“井伊は猟師になったような気分だった。自分の目の前に兎が飛んで来て、木の根に突き当たって、ひっくり返る――。”(135頁)という結末*3の、何ともいえないとぼけた味が絶品です。

「双頭の蛸」
 刺創を盲管銃創と見せかけることで自身を容疑の圏外に置くトリックは、某海外古典((作家名)カーター・ディクスン(ここまで)(作品名)『黒死荘の殺人』/『プレーグ・コートの殺人』(ここまで))を完全に裏返しにしたもので、自動的に銃弾を発射するトリックと組み合わせることによって、その効果が高まっているところが秀逸です。
 このシリーズにしては珍しく、物的証拠をもとにした解決になっているのも目を引きます。

「飯鉢山中腹」
 バックで突っ走って車の前後を逆に見せかけるという豪快なトリックには脱帽。亜が指摘している(226頁)ように、旧道の出口側に目撃者がいた場合にはトリックが破綻してしまう危険性はありますが、新道ができてからほとんど利用されなくなったという設定を考えれば、何とかなるでしょうか。
 亜と田岡のいう〈ニウ島屋〉に理詰めで説明をつける有江警部に対して、あくまでも〈ニウ島屋〉と書かれていたことを前提として“あべこべの真相”に至る亜の解決は見事ですが、頑なに“警視庁”をチョウシケイの車ですね”(228頁)と読む最後の一言の、そこはかとない“台無し”感が何ともいえません。

「赤の讃歌」
 亜の推理のきっかけとなる、“赤チンの色についてだけ考えると鏑鬼氏が大好きな赤だから”(261頁)という発想が非常に面白いと思います。
 それにしても、鏑鬼正一郎の最大の後援者であった浅日向夫妻にして、正一郎の心中を最後まで理解していなかったというのは、悲劇というべきかもしれません。

「火事酒屋」
 不審を抱かれずにまんまと現場から脱出するトリックは、有名な海外古典((作家名)G.K.チェスタトン(ここまで)(作品名)「見えない人」(ここまで)を思わせると同時に、同じ作者の(作品名)「折れた剣」(ここまで)に通じる“火事場には消防士を隠せ”(?)という言葉も浮かんできます。が、いずれにしてもそこに“寝ている人間の背の高さはわかりにくい”という秀逸なアイデア――そしてもちろん、背が低いと消防士になれないという設定*4も――を加えることで、大胆なトリックの完成度が高まっているのは間違いないでしょう。
 そして解決の決め手となる“消防士”の背の低さを、担架の足元に亜の鞄が置かれる(だけの余裕があった)という描写(285頁)でさりげなく示してあるところが実に巧妙です。

「亜愛一郎の逃亡」
 離れからの消失トリックは他愛もないものですが、懐中電灯の光で“人魂”を演出するという工夫には見るべきところがあるでしょうか。
 この作品の最大の見どころはやはり、これまでに登場してきた脇役たちの“その後”で、“桜井料二助教授“留尻の詩人鈴木正麻呂”“歌手の加茂珠洲子と加茂トシコ*5あたりにはニヤリとさせられますし、「右腕山上空」『亜愛一郎の狼狽』収録)で(一応伏せ字)“俺も逃げ出す必要があるのだ”と焦っていた塩田景吉が無事に(?)社長になっている(ここまで)のにはほっとさせられます。
 ただ、「病人に刃物」『亜愛一郎の転倒』収録)で(一応伏せ字)共犯者となったはずの陽里看護婦が看護婦長に出世している(ここまで)というのは、さすがに現実的でなさすぎると思いますが。

*1: (2015.03.07追記):河出書房新社編集部・編「文藝別冊 泡坂妻夫」のある箇所(←これを読むと前例が何かわかってしまいますが……)によれば、ちょうど自分でも考えていたトリックが前例で使われたとのことで、“もう少しほとぼりがさめた頃にね、あれ使わしてもらおうかな”と大胆に(?)宣言されています。
*2: “炭坑節”(120頁)には苦笑させられる部分もありますが、それが恐ろしいほどに正鵠を射ているところが何ともいえません。
*3: “白く丸い顔で前歯の四本が変に大きく、兎に似ていた。”(108頁)という伏線(?)もまた絶妙です。
*4: しかもこの設定が、銀蔵が消防士になれなかった理由という形でごく自然に盛り込まれているのが見事なところです。
*5: 当然ながら、あの“淑子”のことでしょう。

2008.10.10再読了

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