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議会に死体/H.ウェイド

The Dying Alderman/H.Wade

1930年発表 武藤崇恵訳 ヴィンテージ・ミステリ(原書房)

 トラントは市長に対して暴言を放ったすぐ後に殺されたわけですし、犯行の機会がなかったとはいえない(シトルの証言はかなり微妙です)こともあって、事件直後の時点では市長が最も怪しく感じられたのですが、まんまとやられてしまいました。結局のところ本書は、真犯人である市長を一旦は露骨に怪しく描いておきながら、そこからいかにして疑いをそらしていくか、という一点に全力が注がれた作品といえるのではないでしょうか。

 そのための仕掛けの一つは、トラントのリボルバーが盗まれていた事実が早い段階で明らかにされていることで、これによって計画的犯行の可能性が強まるために、殺害の直前に動機が生じた市長を疑いにくくなっているところが巧妙です。もちろん、160頁~161頁のレース本部長とロット警部のやり取りでも指摘されているように、(自殺に見せかけるために)リボルバーを準備していた犯人がたまたま目に入ったナイフを使ったというのは若干筋が通らないようにも思われますが、ナイフを使えば音がしないというメリットがあることも確かなので、一概に不自然とまではいい切れません。

 そしてそれ以上に効果的なのが、捜査の指揮を執るレース本部長の思惑――“私情”というのはいいすぎかもしれませんが――です。不審を抱きながらも(半ば無意識に)市長を“守ろう”とするその姿勢が、登場人物のみならず読者にも大きな影響を与えていることは否定できないでしょう。加えて、事件の鍵を握っていそうなハリス曹長を、厳しく追及することなく終盤まで放置しているところも見逃せません。

 また、直接事件の捜査に当たるヴォーリー警視とロット警部が、ともに“金、あるいは女”(65頁~66頁)に動機を見出そうとしているのもポイントで、その観点からすると市長には動機が見当たらないため、二人とも市長をあっさりと容疑者から除外しています。これが二人の手落ちであるのはもちろんですが、レース本部長があえてその方針に異を唱えなかったことが、結果的に二人の捜査をミスリードしたともいえるのではないでしょうか。

 当然ながら、マーダイクという“もう一人の犯人”の存在もミスディレクションとなっているわけですが、アリバイトリックはさすがに単純すぎで、そのせいでもう一つ裏の真相があることが見えやすくなっているのは少々残念なところ。ただ、最終的に自殺までしていることでダミーの犯人と決めつけづらくなっているのは、よく考えられているというべきでしょう。

 結末につながる伏線としては、レース本部長が市長を訪問した際の、“また石鹸のような香りがして、レースはクラブでのことを思いだした”(74頁)という記述が非常に秀逸です。市長が日常的に石鹸の香りを漂わせているとミスリードすることで、事件直後の“石鹸のような香り”(23頁)という手がかりを目立たなくしているのはいうまでもありませんが、さらに“レースはクラブでのことを思いだした”とわざわざ書かれていることで、真相が明らかになった際のレース本部長の(ひいては読者の)悔しさが強められているように思います。

 “MA”というダイイングメッセージの解釈が、メアリー(トラント夫人)からマーダイクを経て、最後の最後になって市長(MAYOR)に落ち着くという趣向もよくできていると思います。英単語そのものはよく知られている*と思いますが、日本語に翻訳された作品であるために一貫して“市長”としか書かれていないことで、日本の読者には特に真相が見えにくくなっているのが面白いところです。

*: したがって、結末以前に“MAYOR”という言葉を示しておかなくても、アンフェアとはいえないと考えます。

2007.07.27読了