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アリア系銀河鉄道/柄刀 一

2000年発表 講談社ノベルス ツG-01(講談社)

「言語と密室のコンポジション」

 まず第一の問題は、“地の文”とは何なのかということです。物語が宇佐見博士の視点で語られているため、一見違和感がないようにも思われますが、本来は宇佐見博士の思考のみが“地の文”と解釈されるべき根拠はまったくありません。
 この問題を回避するためには、例えば“ベテルの塔”の住人たちは“地の文”に影響を与えないよう訓練されている、といった何らかの設定が必要だと思われます。

 次の問題は“清音の部屋”です。扉には“Room of the Surd”と書かれているわけですが、“surd”は本来“無声音”の意味で、日本語の“清音”という概念は英語にはないようです。そうなると、そもそものこの部屋の作用が不合理になってしまいます。
 ちなみに、私が参照した辞書では“surd”(無声音)の例として“p”が挙げられています。これによれば、“a pen”が“阿片”に変化することはあり得なくなってしまいます。

 さらに根本的なものとして、この“ベテルの塔”で使われる言語は何なのか、という問題があります。宇佐見博士が日本語でしゃべり、また思考しているせいか、世界が全般的に日本語に支配されているようですが、要所で英語に基づく影響が表れています。この不統一性は非常に不合理に感じられます。
 メインの消失した凶器の謎は英語によって生み出されたものだったわけですが、この場面で言語を英語に限定する、つまり英語の枠組みで解決を行うことにまったく合理的な根拠がなく、恣意的なものにしか感じられません。

 最後に、表現の概念レベルの問題が挙げられます。鉋(plane)や蹄鉄(horseshoe)がそれぞれ上位概念である大工道具(carpenter's tool)や馬車引きの道具(carter's tool)となるのに対して、なぜペンは筆記用具(writing tool)にならずに下位概念である“pen”のままなのか、何ら合理的な説明はありません。この点も、ご都合主義と感じさせられる大きな要因となっています。
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 ところで、消失した凶器の問題を日本語(外来語を含む)の枠組みで考えてみると、凶器であるペンに被害者の血が付着した時点で“ペンチ”に変化してしまうのではないでしょうか。

「ノアの隣」

 東西の反転については、非常によくできたトリックだといえるでしょう。「JUNK LAND」内のGooBoo乱入スペシャル第5回「M線上のアリア」でMAQさんもご指摘のように、上陸前の一瞬、雲間から月が顔をのぞかせる程度の天候において、方角を判断する基準は建物の外観しかないのですから、東西を取り違えてしまうのも仕方のないことだと思います。

 しかも、昇った後の太陽の位置もこの誤認を補強しています。
 例えば、「天才バカボン」ではありませんが、“西から昇ったお陽様が、東に沈む”という状況を想像するとき、その途中の経路はどうでしょうか。北半球の住人であればおそらく大多数の人が、南の空を通過する太陽を思い浮かべることでしょう。西から昇った太陽が、北の空を通過して東に沈むとすれば、東西だけでなく南北も入れ替わっているのですから、単に自分が方角を勘違いしていると考えるのが自然だと思います。
 つまり、“アララトになる地”が南半球から北半球へと移動したことで、実際には太陽が南に位置するようになったわけですが、ノアたちにとっては以前と同じく“北”の空に太陽があるように思われることで、東西のみが入れ替わるという奇蹟が補強されているのです。

 ただ、一つ気になるのは、太陽の位置に気づいた時の宇佐見博士の反応です。この時点で宇佐見博士は建物の“回転”に気づいているわけですから、ノアたちにとっての“北”の空が実際には南の空であることも当然わかっているはずです。そうなると、そちら側に太陽があることに衝撃を受けるというのは、明らかにおかしいでしょう(太陽が北の空にあることで驚いているので、宇佐見博士は北半球の住人であると考えられます)
 ここはやはり、太陽の位置の方に先に気づいたことにすべきだったのではないでしょうか。
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 進化論の方にも一つだけツッコミを。
 この作品では、キリンの首や象の鼻などについては水中生活ということでうまく説明されていますが、それ以外の体型については明らかに水中生活では不利でしょう。例えば、キリンの細く長い脚は泳ぐのに適していませんし、象の耳は熱を逃がさないよう小さくなるはずです。

「探偵の匣」

 この作品のような、多重人格の探偵役によって複数の解決が導かれるという趣向は、私自身も以前に思いついたことがありましたが、アイデア倒れに終わってしまいました。しかしこの作品では、多重人格だけでなく転生という概念も組み合わせることで、なかなかうまく処理されていると思います。

 例えば、吉武博士の前世であるサー・マーキスが日本の生活スタイルを知らないため、靴の問題を考慮に入れていないところや、サー・マーキスと同様に吉武博士本人も倫理観が邪魔をして妻の愛人が女性であることに気づかないなど、誤った解決に到達してしまう必然性がうまく描かれています。

 そして最後の仕掛けですが、多重人格という事実をあらかじめ提示しておくことで、“宇佐見博士”までもが別人格の一つだったという真相を隠すやり方は、やはりうまいというべきでしょう。ただ、真相につながる手がかりの提示があまりフェアでないように思えます。

 まず、この作品に限ったことではありませんが、利き手というのは手がかりとして曖昧であると思います。個人的な例で恐縮ですが、私自身、右利きとして育てられた左利きの人間であるため、日常生活でも右手を使う場合と左手を使う場合が混在していますし、左右どちらの手でもこなせる作業もあります。したがって、利き手の問題はあまり手がかりとして考えにくいものがあります。

 また、高所恐怖症の件は前作「ノアの隣」に示されているわけですが、いくらシリーズとはいえ前作の記載をもとにするのはアンフェアでしょう。特に、前作には“宇佐見博士”とはっきり書かれた箇所はないようなので、前作に登場する“宇佐見博士”を手がかりにすることには問題があると思います。

「アリア系銀河鉄道」

 まず、事件についてですが、“×酸××ウム”が仕掛けられた場所については不満です。双眼鏡の接眼レンズや胴体部分を調べておきながら、対物レンズの部分を調べていないのは不自然でしょう。一方、脱獄トリックの方はやや無理があるような気もしますが、まずまずといっていいのではないでしょうか。

 しかし、この作品の最大のポイントが事件自体ではなく、事件が発生する前に解決され、防止されるというオチにあることは明らかでしょう。このオチはユニークなものだと思います。“銀河鉄道の旅”というファンタジックな世界の設定に基づいた“時間遡行”という手段によって、事件を未然に防ぐという掟破りの結末になっているわけで、謎を解く部分ではなく事件を決着させる部分に特殊な設定を利用するという意味で、ひと味違った作品に仕上がっているといえます。
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 ところで「あとがき」では、この物語は死に瀕したマリアの意識の中で生み出されたものだと書かれています。しかし、本当にそうでしょうか?

 まず疑問なのは、時間です。被害者の推定死亡時刻が午前10時であるのに対して、バスの事故が起こったのは午前9時20分ごろです。この間、約40分しかありません。事故が発生した後、死に瀕したマリアたちが病院に運ばれて治療を受け、意識を回復したマリアが“夢”の物語を宇佐見博士に語り、鶴見未紀也に連絡がとられて犯罪が未然に防がれる。これだけのことが40分という短い時間の間に起きたとは考えにくいでしょう。

 もう一つ、すべてがマリアの意識の中の出来事だとすれば、この作品で謎を解いている“宇佐見博士”は主人公である“宇佐見護博士”本人ではないということになります。ところがこの構造は前作「探偵の匣」とまったく同じであるわけで、果たして連作短編で2作続けて同じようなネタを使うものかどうか、大いに疑問です。

 さらに、二人が下り列車に乗り換えた後、軌道を短くすることを車掌らに提案した際、彼らは難色を示しています。しかし、マリアの脳内で生み出された物語であれば、このようなことは起こらずにすんなりいくのが自然でしょう。

 そして、この作品のラストにあるマリアから宇佐見博士への手紙にはこう書かれています。
 電話でもお知らせしたとおり、パパが双眼鏡を手にする前にまにあいました。
(244頁2〜3行)
 この文章から読み取れるのは、鶴見未紀也を救うことができたという結果を、宇佐見博士はマリアからの電話で知らされた未紀也を救ったのはマリアであり、宇佐見博士は直接関与していなかったということです(例えば、「あとがき」に書かれているように宇佐見博士が未紀也に連絡したとすれば、その時点で間に合ったということが確認できるはずです)。これを満たす状況を考えてみると、まず第一に宇佐見博士は動きがとれない状態でマリアだけが現場へ向かったか、あるいはマリアが連絡をとった時点では宇佐見博士は意識を失っていた、ということになります。そうなると、いずれの場合でもマリアが“夢”の内容を宇佐見博士に告げる機会があったとは思えません。
 また、間に合ったということをマリアが宇佐見博士に電話で知らせた際に、事後報告という形で詳しい事情を話したとすれば、その後の手紙で再度報告をするのはあまりにもくどく、不自然です。むしろ、電話では結果を簡単に告げただけなのでしょう。
 したがって、“夢”の内容がマリアの口から宇佐見博士に語られることはなく、その内容は初めから二人の間で共有されていたとも考えられます。

 最後に、手紙には差出人の住所として“天の川銀河オリオン腕内、太陽系第三惑星、地球”と記されています。これはもちろん“夢”の内容を受けたものですが、それが真実マリア一人の夢だったとすれば、なかなかこういう風には書けるものではないでしょう。これもまた、二人の共通の体験に基づくものと考えた方が自然だと思います。

 以上のことを考え合わせると、本来この物語はマリアの意識の中で生み出されたのではなく、バスの事故に遭遇した二人(の意識)が実際に“銀河鉄道の旅”の世界へと転移したのであって、「あとがき」は完全に後付け、つまり何らかの理由(例えば雑誌掲載時の反応など)で後から付け加えられた設定変更である可能性があります。
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 無論これは単なる深読みのしすぎかもしれませんが、このような解釈も可能ではあると思います。そして、作中ではなく「あとがき」という形で説明が付け加えられているという不自然な点も説明できるのではないでしょうか。

「アリスのドア」

 特に突っ込むところはありません。“部屋を下降させる薬の方を先に飲んでしまったらどうなるのか?”という疑問がないではないですが、これこそ宇佐見博士の意識の中で生み出されている物語なので、そのような都合の悪い状況にはなり得ないでしょう。

2001.03.19読了
 なお、この感想を書くにあたって、MAQさん「JUNK LAND」内、GooBoo乱入スペシャル第5回「M線上のアリア」を参考にさせていただきました。なるべくかぶらないように気をつけたつもりですが。

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