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葦と百合/奥泉 光

1991年発表 集英社文庫 お25-2(集英社)

 この作品では、式根の視点で進行する本編だけをとって見れば、茸毒の影響もあってかなり幻想が混じり込んでいるものの、ある程度首尾一貫しているといってもいいでしょう。しかしそれ以外の部分は、〈Intermezzo II〉あたりからどうも怪しくなってきます。

 例えば、文庫版344〜345頁に衛藤有紀子『鬼音峡殺人事件』の抜粋が掲載されていますが、これが本編〈ブナの章〉の冒頭とまったく同じになっています。ここで、普通のメタフィクションであれば、“ぼく”の視点の部分が上位に位置する“作中の現実”となり、本編は『鬼音峡殺人事件』という作中作にあたると考えられるところでしょう。ところがこの作品では、〈Intermezzo I〉で式根の入院を告げる衛藤有紀子からの電報が届き、それを受けて佐川と中山が本編〈茸の章〉に登場するなど、“ぼく”の視点の部分と式根の視点の部分が同じレベルに位置することが示されています。つまり、ここで若干の“ねじれ”が生じているのです。

 本編〈百合の章〉の叙述も、式根の回想と交錯しているため、かなり怪しいものになっていますが、それでも何とか筋は通っているように思えます。しかし、末尾の〈Fragment〉が混沌を促進しています。
 例えば〈Fragment II〉では、本編すべてが岩館銀太郎の長編小説であることを暗示しているようです。しかし、これはあり得ないのではないでしょうか。岩館銀太郎の小説は昭和22年に「探偵奇譚クラブ」誌に発表されたことになっていますが、この時点で〈核シェルター〉や〈コミューン〉といった概念が知られていたとは思えないからです。
 さらに〈Fragment V〉に至っては、〈Praludium〉の途中以降のすべてを否定する内容になっています。そして、〈Fragment V〉と物語本編のどちらが上位に位置するかは判然とせず、同じレベルで衝突しているように思えます。つまり、この作品には相互に矛盾する複数の“現実”が含まれているといえるでしょう。

2001.07.02読了

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