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儚い羊たちの祝宴/米澤穂信

2008年発表 新潮文庫 よ33-2(新潮社)
「身内に不幸がありまして」

 読者からみれば登場人物が限られていることもあって、丹山吹子が一連の殺人事件の犯人であることは予想できますが、吹子を慕う村里夕日までが殺害されるのはやはりショッキングですし、その異様な動機は――跡継ぎの立場ゆえの重圧にも言及されているとはいえ――さすがに想定外。

 そして秘密の書棚に並んだ本が、眠りを恐れる吹子の心理を示唆する伏線となっているのが非常に秀逸。実をいえば、最後に吹子が挙げている(文庫版49頁~50頁/単行本37頁~38頁)作品はほとんど読んだことがないのですが、〈村里夕日の手記〉でも言及されている(文庫版15頁/単行本12頁)横溝正史『夜歩く』には――そのストレートな題名のせいもあって――完全にしてやられた思いです*1。加えて、夕日の手記の中であらかじめ(夕日自身の)“夜歩く”ことへの恐怖が示されているのも周到です。

 最後の最後になって、“どんな約束でも断れる魔術的な言葉(文庫版51頁)*2として、題名である“身内に不幸がありまして”が出てくるところが、幕切れとして実に見事です。

「北の館の罪人」

 六綱早太郎が内名あまりに頼む買い物は一見すると脈絡がありませんが、冒頭で“いっぷう変わった絵”(文庫版54頁/単行本42頁)に言及されていますし、画材屋で買い求めたラピスラズリが“とてもいい材料になる”(文庫版97頁/単行本76頁)ことから、知識がなくとも真相に思い至ることは難しくないでしょう。

 描かれた紫色の空が“朝焼け”に変わるトリックもなかなか面白いと思いますが、それが“いい話”で終わることなく残酷に反転するのが凄まじいところ。描かれたあまりの手にいずれ現れる赤い手袋は、まぎれもなく早太郎による告発であり、絵の中に塗り込められた早太郎の髪の毛も、偶然の産物ではなく告発の一環だと考えるべきでしょう。

「山荘秘聞」

 物語の焦点となるのは、遭難した越智靖巳を保護しながらそれを救助隊に告げない屋島守子の不可解な行動で、読者には直接示されていますが、用意されたベッドの数などを手がかりにしてそこにたどり着いた歌川ゆき子の推理はお見事。

 その真相については、地下の食料庫の“変わったお肉”(文庫版160頁/単行本125頁)というミスリードも仕掛けられてはいるものの、(ゆき子はいざ知らず)読者に対してははっきり示されている、もてなすべき客を切望する守子の心情を考えればおおよそ明らかでしょう。

 しかしながら、ゆき子との“対決”の中で持ち出される煉瓦のような塊(文庫版175頁/単行本137頁)*3が新たに緊張感を生み出しているところがよくできていて、そこから最後の一行に至って思わず安堵させられることで、奇妙な読後感につながっているように思われます。

 ちなみにその最後の一行は、単行本では“口止め料です。どうぞ、この山荘でのことはご内聞に”(単行本143頁)だったのを、文庫版では“これで、あなたの沈黙を買いましょう”(文庫版183頁)と変更されています*4。個人的には、単行本の方ではやや直接的に過ぎるように感じられ、文庫版の方が好みです。

「玉野五十鈴の誉れ」

 玉野五十鈴の行動は一見すると“手のひら返し”とも受け取れるものの、そこで物語が終わらないということは、その後に用意されている“逆転”も予想できるところ――ではあるのですが、その“逆転”の内幕を暗示する最後の一行――“――始めちょろちょろ、中ぱっぱ。赤子泣いても蓋取るな――”(文庫版256頁/単行本202頁)が凄まじい破壊力を備えています。

 純香を窮地から救い出したこと自体ももちろんですが、純香から教わった唯一のことをしっかりと役立てた(?)ところが、“玉野五十鈴の誉れ”を際立たせている感があります。また裏を返せば、これを最後の一行に持ってくるために全体を周到に組み立ててあるといえるのではないでしょうか。

「儚い羊たちの晩餐」

 スタンリイ・エリン「特別料理」に登場する“アミルスタン羊”という名称を使うことで、最後まで直接的な表現をしないまま結末を暗示してあるところが、残酷な内容でさえもあくまで上品に記されている本書にふさわしいように思います。その観点でいえば、“アミルスタン羊”という言葉の何と便利なことか(苦笑)

 腹の底から実際家であるがゆえに〈バベルの会〉から除名された大寺鞠絵が、夢想に走らざるを得ない事実を知って“アミルスタン羊”を所望するという物語は凄絶。しかも、鞠絵が知らなかった“厨娘”の真実がそれをエスカレートさせて〈バベルの会〉の消滅を引き起こすという結末には圧倒されます。唐突に終わっている日記に記されなかった鞠絵の心情は、傍から推し量ることすら拒まれているような印象も受けます。

 “儚い羊たちの祝宴”は、“儚い羊たちの晩餐”――“儚い羊たち”が晩餐に供されることによって幕を閉じましたが、〈バベルの会〉の復活が新たな“羊たち”を招き寄せることになるのは確実。そこでどんな物語が紡がれるのかは、読者の夢想に委ねられている、ということでしょう。

*1: ちなみに、秘密の書棚には“ウィルキー・コリンズやディクスン・カー”(文庫版15頁/単行本11頁)もありますが、前者は(以下伏せ字)『月長石』(ここまで)、後者はやはり題名がストレートな『夜歩く』でしょうか(もっとふさわしい作品があったような気もしますが、すぐには思い出せません)。
*2: 単行本では、“どんな約束でも断れる魔法の言葉(単行本39頁)となっています。
*3: これについては、単行本では最後の頁でも“触れれば切れそうに真新しく、人を殴り殺すこともできそうな煉瓦のような塊”(単行本143頁)と、いささかあざとい記述になっていますが、文庫版では“触れれば切れそうに真新しい煉瓦のような塊”(文庫版183頁)と変更されています。
*4: 単行本では上述のあざとい記述もあって、バランスを取るために直接的な表現をせざるを得なかったのではないか、と考えます。

2012.04.29読了