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  4. 列車に御用心

列車に御用心/E.クリスピン

Beware of the Trains/E.Crispin

1953年発表 冨田ひろみ訳 論創海外ミステリ(論創社)
「列車に御用心」

 運転士のベイリーのみならず強盗のゴジェットまでも見つからないことで、少々ややこしくなっている感はありますが、“二人が同時に消失”と考えるのはいささか無理があるので、ベイリー=ゴジェットであることはある程度予想できると思います。

 さらにゴジェットの死体が発見されることで、表向きの“いかにして駅から消失したのか?”という謎から“誰が列車を運転してきたのか?”にこっそりシフトしているのがお見事。駅からの脱出が不可能となれば、列車到着以前のアリバイがないのはメイコック駅長ただ一人*1で、フェンの解決にも納得です。

 ちなみに、某所での指摘については、“運転室からほかの車両へは通り抜けができない”――コンパートメントから運転室を見通せる通路がない―ので“運転士は(乗客の)だれにも見られることなく運転室から(ホームに)出られる”(いずれも19頁;括弧内は筆者が補足)という趣旨ではないかと。また、発車の汽笛は(「乗り降り終了」という意味で)車掌が鳴らしていたのではないでしょうか。

「苦悩するハンブルビー」

 ガースティン=ウォルシュの突然の銃撃が何をごまかすものなのかがポイントですが、銃弾の一発目と二発目で派手に物を打ち砕いてあるのが巧妙で、その後の“三発目はいったいどこに飛んだのやら”(38頁)というさりげない記述が隠蔽され、ガースティン=ウォルシュが薬莢を捨てたことや“徒競走のスタート合図用”(35頁)といった手がかりもあるとはいえ、空砲に思い至るのが難しくなっています。

 また、たとえ空砲に気づいたとしてもその意味がすぐにはわかりにくいのは確かで、作中で指摘されている(43頁)ように事例があり、またミステリでも前例がある*2ものの、散弾銃を手に押しかけてきた被害者がすでに撃たれていたとは考えにくく、真相を見抜くのは困難でしょう。

 最終的に空砲ではない空薬莢が見つかったことで、事件の真相は藪の中――というか、表面的にはつじつまの合わない部分がなくなってしまい*3、旧友が罪を犯した(蓋然性が高い)ことを知りながら手出しができない、ハンブルビー警部の“苦悩”が深まることになる結末が印象的。

「エドガー・フォーリーの水難」

 推理の根拠としてハンス・グロス『犯罪捜査』*4が引用されていますが、“脚部が膨張する一方で靴の革は収縮する”(65頁)といわれればまったくそのとおりで、これ自体はさほど特殊な知識とはいえないように思われます。

 そこに気づかなくても、夫人がフォーリーを殺害したことは見え見えだと思いますが、この作品で解き明かすべき真相は殺人ではないのがユニークなところで、夫人の犯行に気づきながらそれを材料にゆすりを目論んだ、ボーウェン本部長が告発される場面は青天の霹靂。“海軍出身”“テムズ河川警察”での経験(いずれも54頁)といった手がかりで、読者が真相を見抜くことができるのか少々微妙ではありますが、ひねりが加えられた面白い構図だと思います。

「人生に涙あり」

 ミステリではおなじみの一事不再理ですが、それを勝ち取るために、決定的な証拠の存在を公判の最終日に“思い出す”というのがすごいところ。もっとも、犯行前後の被害者の行動に直結した証拠だけに、取調べの最中に思い出さないのは不自然ではあるのですが、まあそこはそれ。

 手がかりとなるのは手紙の中の“人生に涙あり”という言葉ですが、プライスに尋ねるまでその意味は判明せず、ラジオの演奏曲順が変更されたことも隣人の証言で初めてわかるものですから、このあたりは推理よりもフェンの行動力と執念(?)が光るというべきでしょうか。いずれにせよ、手紙が午後四時までに書かれていたことがわかれば、プライスからの手紙が配達された時刻がおかしいのは明らかで、そこに仕掛けられたトリックを見抜くのはさほど難しくないでしょう。

「門にいた人々」

 被害者の手に残っていた紙切れの“cryptogam”(隠花植物)を、“cryptogram”(暗号文)のタイプミスだと見せかけるトリックで、“このしょの”“からなず”(いずれも98頁)といった本当のタイプミスも交えてあるのが周到です。もっとも、英語ならば“cryptogram”ではなく“cryptogam”と書かれていることに気づかない読者もいそうですが、日本語の場合は“クリプトガム”と表記せざるを得ないので、目立ってしまうのは否めません。

 で、個人的に知識があったので“クリプトガム”が“隠花植物”であること――被害者が握っていた原稿が暗号文と無関係であることまではわかったのですが、そこからどうなるのかが見当もつかず、意外なところから“犯人”が登場して驚かされました。「エドガー・フォーリーの水難」に通じるところのある仕掛けですが、よくできていると思います。

「三人の親族」

 暖炉の中から発見された腕時計の文字盤があからさまに浮いていて、犯人がそれを使ったことまでは予想できるのですが、それをパイプの上げ底として毒薬を収容する奇天烈なトリックは、さすがに想定外。

 当然ながら、ジョッキに毒薬を混入し終えるまではタバコが吸えない――煙が出ないわけですが、暖炉に“吸いつぶした短いタバコとその空き箱”(113頁)があったことから、その場の誰かがタバコを吸っていたことは明らかなので、その煙が文字通りの“煙幕”になって気づかれなかったと考えていいでしょう。

 それにしても、犯人は自宅でパイプに毒薬を仕込んで、そのままこぼさないように現場まで運んできたことになるわけで、想像すると苦笑を禁じ得ないところです。

「小さな部屋」

 フェンが“小さな部屋”に注目していることは当初から明らかですが、その時点では事件の様相がまったく不明であるために、さりげなく、しかし堂々と書かれたをはずして、勢いよくドアを開けた。”(120頁)という手がかりに気づきにくくなっているのが秀逸。もちろん、煉瓦でふさがれた窓の方が目立つということもあるでしょうが……。

 また、被害者ベティが命を落としていることで“殺人事件ではないか”という疑念が生じ、ミセス・ダンヴァーズの犯罪の本質である監禁が相対的に目立たなくなった結果として、その手段である閂の存在(あるいは所在)がうまく隠されているように思われます。

 フェンの最後の台詞にも表れているように、聞き込みの際の幼児や犬に関する質問によって、監禁以外の可能性がしっかり排除されているのも周到です。

「高速発射」

 当初からハンブルビー警部がボウヤー夫妻に疑いをかけていることもありますが、表面的につじつまが合っている事件だけに、どのような形で引っくり返されるか予想がついてしまうのは否めないところです。それでも、銃声の手がかりで事件の様相が一変するのは鮮やかですし、雷鳴による“気づき”もお見事です。

 とはいえ、「高速発射」という邦題ではマンリカー速射猟銃の銃弾が高速であることが強調されてしまい、真相がかなり見えやすくなっているように思われるのですが、これは致し方ないところでしょうか。原題の「Express Delivery」は“高速発射”という意味も含みつつ、より一般的な意味である“速達便”とのダブルミーニングになっているのですが、解説で紹介されている井上一夫氏の旧訳のように「速達便」という邦題では、作品の内容と完全に乖離してしまうのがつらいところです。

「ペンキ缶」

 フェンが“どこか変だと思わないか”と気にしている新聞には、“どこといって変わったところはありません”(いずれも156頁)と、“ペンキの汚れがない”というネガティヴな手がかりがさりげなく示されているのがうまいところ。

 もちろん、題名に示された“ペンキ缶”と結びつけることで、フェンが何を問題にしているかに気づくことも可能ですが、最後の“ひねるべきドアノブは二つ(161頁)に仰天して読み返してみると、シリンダー錠も二つ”(155頁)という形で手がかりが示されているのに脱帽です。

「すばしこい茶色の狐」

 最初はオーデルが脅迫者だと思われたところが、“すばしこい茶色の狐”と頭書のあるもう一通の脅迫状によって構図が反転し、オーデルが脅迫されていた側に転じるのが鮮やか。そして、オーデルより前にフェンのタイプライターを使う機会から、容疑者をジュディスとエレンに絞り込んだ上で、フェンに報告したジュディスを除外してエレンが犯人だと断定したウェイクフィールドの推理は、なかなかよくできています。

 しかして、二枚目の脅迫状が(頭書を除いて)どこをどう見ても一枚目とそっくり同じ”という形で、一枚目と同じく“かすれぎみの細い印字”(いずれも177頁)だったという手がかりをさりげなく示す、フェンの語りが実に秀逸。かくして、ジュディスによる二段構えの凝った企みが、インクリボンの交換という偶然によってもろくも瓦解した、何ともいえない結末がお見事です。

「喪には黒」

 まず行方不明の車の謎については、最初から存在しなかったという豪快な(?)真相になっていますが、実のところ、“被害者のアリバイの問題”を“車の消失の問題”であるかのように見せかける*5ことで、事件の真相を隠蔽してあるのが実に巧妙です。

 被害者が徒歩で帰宅したことが明らかになると、当然ながら犯行時刻が後にずれることになり、事件発生より前に報告が行われた、いわば“予言成就”トリックに通じる真相が浮かび上がってくるのが秀逸。犯人にはやむを得ない事情があったとはいえ、黒ネクタイの件も含めて報告に合わせた事件を起こすという逆転が非常に面白いところです。

 また、冒頭で物語の視点(神の視点)をタイラー巡査に据えておいて、さらりとビートン巡査部長に視点を移動させてあるのもうまいところです。

「窓の名前」

 窓にかかれた名前が、“OTTO{オットー}(209頁)とあえてアルファベットで表記されていることで、左右対称の字面が目立つことになっているのが少々残念。その後にヒントとして“窓にあった名前だが(中略)大文字だったかい?”(213頁)というフェンの質問があるので、それで十分だったような気がしないでもないですが、まあ仕方ないところでしょうか。

 いずれにしても、窓の名前――ダイイングメッセージが裏側から正しく解読されてしまうことで密室の真相が見えなくなる、ダイイングメッセージと密室トリックが一体化されたユニークな仕掛けになっているものの、密室の謎は比較的わかりやすくなっています……が、そこに“落とし穴”が。

 “OTTO”が犯人の名前として書かれているのでそれで終わりと思ってしまいそうになりますが、“サー・ルーカスが東屋に入ったのを見届けると”(206頁)という、これまた実にさりげない手がかりによって、別の人物――サー・チャールズが真犯人として浮かび上がってくるのが巧妙。被害者がオットーを“告発”する動機もしっかり説明されていることで、十分に納得のいく真相となっています。

「金の純度」

 現場に落ちていた金時計が手がかりであることは明らかな上に、「金の純度」という邦題のせいで何が問題となるのかもあからさまになのですが、さすがにそこから先は発表当時の英国人ででもなければわからず、「ふーん」というよりほかないのが残念。

 ちなみに、金時計(“金の手段(?)”)を指すと思われる原題の「The Golden Mean」には、“中庸”という意味があり(→「中庸 (ギリシア哲学) - Wikipedia」を参照)、おそらくはそちらに引っかけてあるのでしょうが、これも日本人にはわかりづらいものになっています。その原題を“金の純度”と訳してあるのは、本来であれば無用に核心を明かしすぎて台無しにしてしまうところですが、この作品の場合は前述のようにどのみち日本の読者に謎が解けるとは考えにくく、むしろそこまで明かしてある方がすっきりしているようにも思われます。

「ここではないどこかで」

 容疑者にアリバイのない八時半から九時までの間に銃声がなかった、という証言は動かせないと考えてよく、そうすると成立した容疑者のアリバイにトリックが――と見せかけて、被害者の側のアリバイにトリックが仕掛けてあるのが巧妙。実際のところ、容疑者ペンジのアリバイは詳細が説明されないので崩しようがないということもありますし、被害者の姉シサリーが嘘の証言をしている可能性まで指摘されているのですが、殺されたジョシュアの方がアリバイ工作をした可能性に思い至らない限り、真相は見えません。

 犯人ペンジが自身の命運を握る証人シサリーと結婚する、アクロバティックな結末には苦笑を禁じ得ませんが、出し抜かれたことに憤るハンブルビーに対して、フェンが口にする辛辣な見解にはなるほどと思わされるものがあり、“正義はとっくになされたんだよ”(250頁)という最後の一言が印象に残ります。

「決め手」

 何も考えずに読んでいたので、“決め手”となるはずの手首を隠し壁から取り出した容疑者レヴィットが、いきなり素人探偵バーニーを告発した場面では驚愕。読み返してみると、“握った証拠をしかとお見せしようじゃないか。”に続いてさらりと“それから四十分ほどが経ち”(いずれも262頁)と記述され、視点が据えられたバーニーの行動が大胆に隠蔽されているのが巧妙。

 最後に明らかになる(真の)“決め手”は、バーニーが“インスペクター”という言葉で検札係ではなく警部――“コッパーフィールド”(いずれも257頁)を思い浮かべてしまったことですが、冒頭の一文で“警部{インスペクター}(252頁)と表記されてはいるものの、検札係の意味もあることが作中で事前に示されていないので、英語にあまりなじみのない読者には推理不可能です。

 その点について考えてみたのですが、本書巻頭の「列車に御用心」の序盤にある、“もう警部さん{インスペクター}には会ったんでしょ?”“インスペクターだって?(中略)どのインスペクターのことだ?”(いずれも12頁)というやり取りが生かされていないのが残念。というのも、この箇所に“(インスペクターには警部のほかに乗車券の検札係の意味もある)”と訳注を入れてあれば*6、それを日本の読者へのフェアな手がかりとすることができた――例えばこの作品の訳注(266頁)“「列車に御用心」でも訳注で示したように”と前置きするなどして――わけで、何とももったいなく感じられます*7

「デッドロック」

 事件の状況が少々わかりづらくなっている感はありますが、最終的には作中でぼくとワット警部が検討している(299頁)ように、“倒れていたのが二人だった”というのが問題で、被害者マーチソンとチャーリー・クックのどちらが先でどちらが後だったのかによって、事件の様相が変わってくることになります。
 ここで警部は、チャーリーがマーチソンを引きずっていった物音を船長とマーガレットが聞いていないことから、“マーチソンがだった”と断定して、唯一アリバイのないジェシカおばさんを犯人としています。その推理は本人の言葉どおり“簡単明瞭”(300頁)ではあります。が、警部の知り得なかった手がかり――ぼくの靴についた血のしみを考慮に入れると、実際には“マーチソンがだった”とせざるを得なくなり、警部の解決がひっくり返ってしまうのが鮮やか。

 マーガレットが生きていた間は、ぼくとマーガレットを遠ざける障壁となっていた暗黙の共犯関係が、マーガレットが空爆で命を落としてしまったことで、ぼくの心のなぐさめとなっているのが何ともいえません。そして、失われたものへの追憶を込めて事件を振り返る、ぼくの心情に胸を打たれます。

*1: ポーターのウォリーが“駅長さんは夕食をとりに村へ行ったまんまだ”(14頁)と説明していたことは、フェンには伝わっていませんが、“駅長室です――居眠りでもしてたんでしょうな。”(19頁)というハンブルビー警部の説明で、列車到着時の駅長の所在がはっきりしないことはわかるでしょうし、他の登場人物――乗客・車掌・ポーター・警察関係者については全員アリバイが明確です。
*2: 思い出したのは、海外古典の長編((作家名)ジョン・ディクスン・カー(ここまで)(作品名)『猫と鼠の殺人』(ここまで))です。
*3: “前に探した場所にあった”(45頁)のであれば、有罪の証拠とすることも可能だったかもしれませんが。
*4: 解決より前には“教科書類は読破されているはずです”(55頁)としかありませんが、この作品の発表当時は“教科書”といえばこれ、ということだったのでしょうか。
*5: というわけで、巻末の亜駆良人氏による解説で“一種のアリバイトリック”(314頁)と明かされているのは、少々いただけません。
*6: そもそも、本来ここに訳注があってしかるべき――でなければやり取りの意味がわからない――なのですが、「決め手」のヒントになることが敬遠されたのかもしれません。
*7: 作者は、「列車に御用心」でのやり取りからこのネタを使うことを思いついたのかもしれませんが、少なくとも本書を刊行する時点では、「列車に御用心」がヒントになることも織り込み済みだったと考えるべきではないでしょうか。

2013.10.08読了