ミステリ&SF感想vol.209

2013.12.31

ホームズ鬼譚~異次元の色彩 The Hommage to Cthulhu  山田正紀/北原尚彦/フーゴ・ハル

ネタバレ感想2013年発表 (創土社 クトゥルー・ミュトス・ファイルズ8)

[紹介と感想]
 クトゥルー神話の一篇をモチーフにしたアンソロジー〈The Hommage to Cthulhu〉の一冊で、本書のお題はH.P.ラヴクラフト「異次元の色彩」*1。山田正紀、北原尚彦、そしてフーゴ・ハルの三人が競作に挑んでいますが、さらにもう一つのテーマとしてシャーロック・ホームズもので揃えてある*2のが見どころで、あまり例を見ない異色のアンソロジーとなっています。
 “「異次元の色彩」+ホームズ”と二つの“縛り”があるにもかかわらず、いい意味でやりたい放題の「宇宙からの色の研究」、材料をオーソドックスに組み合わせた「バスカヴィル家の怪魔」、そしてしっかりしたミステリ(ゲームブック)の「バーナム二世事件」と、三者三様でそれぞれに楽しめます。

「宇宙からの色の研究」 (山田正紀)
 「異常な状況下における“拘禁性神経障害とその呪い”」という専門分野のために、私は証人として法廷に召喚された。その法廷の被告人コナン・ドイルは、シャーロック・ホームズをライヘンバッハの滝に突き落とした容疑で告発されていたのだ。証言を済ませて法廷を後にした私――ドクター・ワトソンの前に現れたのは……。
 クトゥルー神話とシャーロック・ホームズを題材としながら、どこから見ても“山田正紀のSF”――同じくホームズが登場する『エイダ』を髣髴とさせる――になっているのがさすがというべきでしょう。上のあらすじは(これでも)まだ序の口で、あれやこれやが次々と登場する物語は自由奔放といってもよく、圧倒的な魅力を備えています。
 少々乱暴ないい方かもしれませんが、クトゥルー神話とホームズ譚の“ある種の共通点”に着目し、それを(『エイダ』を書いた)山田正紀流に展開してみせた作品という印象。最後には決着をみせてはいるものの、“その後”が気になる結末になっているのも実に山田正紀らしいというか。

「バスカヴィル家の怪魔」 (北原尚彦)
 17世紀半ばに隕石が墜ちたダートムアの地では、夜ごと荒れ地が燐光を放つなど数々の異変が発生し、領主のヒューゴー・バスカヴィルが魔犬に頭を食いちぎられて死んだという。その後も一族には不吉な死が続いてきたが、しばらく前に再び隕石が荒れ地に墜ち、やがて現在の当主チャールズが魔犬に殺されたのだ……。
 コナン・ドイル『バスカヴィル家の犬』を下敷きにした、正統派ホームズ・パスティーシュ『バスカヴィル家の犬』は30年以上前にジュヴナイルで読んだきりで細かいところは覚えていないのですが(汗)、怪奇色の強い演出に比してあまりにこけおどしのトリックが難点に感じられたところ、この作品では「異次元の色彩」が組み込まれることで弱点が“補完”され、よくできた怪奇ミステリに転じています。
 怪奇に支えられたクライマックスは凄まじいまでに恐ろしく不気味で、強烈なインパクトを残しますが、最後のホームズの“推理”がさらに薄気味悪い余韻を残しているのが見事です。正直、本家『バスカヴィル家の犬』よりもこちらの方が面白い――というのはいささか語弊があるかもしれませんが……。

「バーナム二世事件」 (フーゴ・ハル)
 マサチューセッツ州アーカムにあるミスカトニック大学で発見された、ワトスン博士の未発表の手記。そこに断片的に綴られていたのは、19世紀末のロンドンで起きた奇怪な殺人事件――元サーカス団長のバーナム二世が、邸の中庭にある馬車の中で、窓から投げ込まれた石の塊に頭を砕かれて死んだ事件の顛末だった……。
 ゲームブック形式のユニークなミステリで、最初から普通に読んでも楽しめますが、ぜひともチャレンジしていただきたいところ*3。ちなみに、ゲームブックにありがちな“行き止まり”(○○に戻る)がないので、“名探偵の条件”(30ヵ所以内)をクリアするには注意が必要です。
 さりげなく配置された手がかりとその解釈はよくできていますし、〈解決編〉の前に配置された――“読者への挑戦”にあたる――〈質問事項〉がまたなかなか秀逸です。
 なお、“執事のバレット()”(268頁下段・272頁下段)は、正しくは“執事のバレット(40)”なのでご注意を。

*1: 「宇宙からの色」の題名で、本書にも冒頭部分が収録されています。
*2: 編集担当・増井暁子氏による解説に記された、アンソロジー成立の経緯も興味深いものがあります。
*3: ちなみに私自身は完全敗北でした(苦笑)。

2013.09.17読了

死美女の誘惑 蓮飯店あやかし事件簿  丸山天寿

ネタバレ感想 2013年発表 (講談社ノベルス)

[紹介と感想]
 『琅邪の鬼』に始まる、秦代の中国を舞台とした歴史伝奇ミステリのシリーズ番外編。第二作『琅邪の虎』の後、第三作『咸陽の闇』でシリーズの主役・徐福塾の面々が都の咸陽へ旅立って不在の間に、琅邪の街で相次いで起きた怪事件を描いた連作短編集です。
 物語の中心となるのは、琅邪の街の求盗(警官)・希仁、街で一番人気の飲み屋の女主人・、そして房中術を極めた美形で女たらしの巫医・佳人の三人*1。少なくとも『琅邪の鬼』を先に読んでおいた方が人間関係などがわかりやすいのは確かですが、本書から読んでもあまり問題はないと思います。
 いずれのエピソードでも妖怪(化生)が絡んだ事件が起きるなど、伝奇ミステリの要素が前面に出されており、(ミステリとしてはやや緩いとはいえ)この舞台ならではの謎と真相が魅力的。また、各篇の題名にも示されているように事件に関わってくる美女が、女好きの佳人が謎解きに乗り出す理由となっているのも面白いところで、男などどうでもよくただひたすらに女性の味方という佳人の潔い姿勢が印象に残ります。

「死美女の誘惑」
 琅邪の街に現れた巫医・佳人は、顔も名前もわからない娘に誘われて一夜を共にしたが、目覚めてみるとそこは墓地だったという。なぜか金の枕と産着を残していった娘は、幽霊だったのか……? 折しも琅邪では、腹を食らいつくされた上に顔を潰された無残な死体が相次いで見つかり、妖怪の仕業と噂されていたのだが……。
 同衾した幽霊娘との再会を願う佳人はさすが(苦笑)ですが、対照的に事件は実に凄惨。その真相は、とある理由で若干見えやすくなっていますが、この作品の場合は瑕疵とはいえないように思います。

「夢美女の呼び声」
 何かに呼び寄せられたように、沖を漂流する大きな船に乗り込んでみると、食料や水、さらに財宝が残されていたものの人の姿はなく、やがてたどり着いた豪華な寝室の寝台には、裸の娘が冷たい骸となって横たわっていた――船大工の若者が見たという、奇妙な夢の話を聞いた佳人は、若者の夢の中に入ると言い出して……。
 “メアリー・セレスト号事件”*2を髣髴とさせる漂流船――の夢という、何ともとらえどころのない謎で、どこへ落ちるのかまったく予断を許さないところが大きな魅力です。儒者・笠遠先生の狂言回しとしての活躍ぶりも見逃せないところですが、最後に明らかになる真相はなかなか秀逸。

「狐美女の決意」
 狐の水飲み場と呼ばれる山中の川岸で、怪しい狐火が出現した翌日、狐狩りをしていた猟師が川で溺死しているのが見つかった。ちょうど川で魚を獲っていた漁師によれば、狐火のあたりから現れた白く小さなものが、猟師を川に引きずり込んだという。言い伝えの通り、狐の恨みを晴らす化生・水狐が現れたと噂されるが……。
 何から何まで“狐づくし”の事件……ではあるものの、怪異の仕業かと思えば早々に容疑者が浮上するあたり、一筋縄ではいきません。これも真相が見えやすいところがないでもないですが、それが逆に独特の効果をあげている感もあり、すべてが解き明かされる結末は圧巻の印象です。

「飛美女の執念」
 琅邪の港に立つ松の木の天辺に、男が刺さって死んでいるのが見つかった。一方、男のなじみの娘が海で溺死していたが、その身体には大船の碇の巻き上げ機が。さらに前夜には空飛ぶ娘が現れて、将軍の目の前に牛を落として飛び去っていったという。空から物を落として海を埋めようとする化生・精衛の仕業なのか……?
 発端となる島田荘司ばりの(?)豪快な謎が目を引きますが、事件のすべてが“精衛”の仕業とされることなく、意外な展開を見せていくのが面白いところ。希仁と佳人の“犯人探し合戦”を経ての、事件の決着のさせ方も痛快でよくできています。

「蛇美女の嫁入り」
 琅邪の街を守る求盗・希仁の屋敷に、花嫁として紹介されてきた娘が住み着いて、希仁を慕う街の娘たちはやきもきすることに。ところが、その娘の身辺にはどうも色々とおかしなところがあるらしく、ついには蛇の化身に違いないという噂まで立つ始末で、佳人らがその真相を確かめることになったのだが……。
 謎めいた人物の正体を探ることがメインで、ややおとなしめ……かと思えば活劇も。“蛇の化身”を印象づける数々の謎が次々に解き明かされていくのが鮮やかですが、さらにその後の意表を突いた見事な結末に脱帽。

*1: 他にも『琅邪の鬼』以来おなじみの人々が登場していますが、個人的には儒者・笠遠先生の再登場がうれしいところです。
*2: 「メアリー・セレスト号 - Wikipedia」を参照。

2013.09.21読了  [丸山天寿]

シャーロック・ホームズたちの冒険  田中啓文

ネタバレ感想 2013年発表 (東京創元社)

[紹介と感想]
 シオドー・マシスン『名探偵群像』柳広司の諸作品などと同様、著名人が探偵役をつとめる歴史(?)ミステリの作品集。おなじみシャーロック・ホームズとアルセーヌ・ルパンはともかく、大石内蔵助の妻・りく、アドルフ・ヒトラー、小泉八雲といった探偵役のチョイスは、かなり異色ではないかと思われます*1。それぞれの作品で扱われる事件もなかなかよくできていますが、それだけで終わることなくさらなる“真相”が用意されているのも見どころで、時に伝奇小説風の要素も取り入れられ、異色の探偵役ならではの(歴史)伝奇ミステリに仕上がっています。
 個人的ベストは、J.D.カー生誕百周年記念アンソロジー『密室と奇蹟』のために書かれた(!)「忠臣蔵の密室」

「「スマトラの大ネズミ」事件」
 ロンドンで相次ぐ首切り殺人。第一の事件では娼婦の生首がいつの間にか現場から消え失せ、第二の事件では被害者が“スマトラの大ネズミ”と走り書きを残す。さらにケント州でも事件が起こり、暖炉に放り込まれた生首が炎の中で目を開いて絶叫したという。奇怪な事件の捜査に乗り出したホームズとワトスンは……。
 コナン・ドイルによる“原典”*2の中で言及されている未発表事件をもとにしたパスティーシュ。何とも派手な事件に対する真相は、実に豪快、かつ(一応伏せ字)不気味でグロテスク(ここまで)なもので、田中啓文らしいというか何というか。ワトスンの未発表原稿という定番の体裁がはまっているのもうまいところです。

「忠臣蔵の密室」
 ついに悲願の討ち入りを果たした赤穂浪士。だが、求める宿敵・吉良上野介は、すでに炭小屋内で殺害された後だった。しかも現場に降り積もった雪には足跡一つなく、小屋の出入り口はただ一つだけ――大石内蔵助の元妻・りくは、長男・主税や原惣右衛門からの手紙に記された、不可能犯罪の謎に敢然と挑む……。
 「忠臣蔵」と密室殺人という意外な取り合わせもさることながら、「J.D.カー生誕百周年記念アンソロジー」に対してこんな“飛び道具”を持ってくるセンス(?)がさすがです。“これは、『閉じたる場』にござる”(84頁)という台詞も最高。安楽椅子探偵をつとめるりくの謎解きは、“雪密室”の真相にとどまらず思わぬところまで進んでいきますが、最後はやはり田中啓文……(苦笑)

「名探偵ヒトラー」
 ヒトラーと腹心のボルマンが大本営〈狼の巣〉で夜を過ごしていると、脱走したユダヤ人囚人が侵入したとの知らせが。やがて執務室に現れた囚人はボルマンにより射殺されたが、突然の停電とともに“夜光怪人”が出現し、ロンギヌスの槍を盗んで消え失せてしまったのだ。自らホームズを気取るヒトラーの推理は……?
 アドルフ・ヒトラーが『バスカヴィル家の犬』に言及していたという史実にまず驚かされますが、そこからヒトラーを熱烈なシャーロキアンに、ひいては“名探偵”にまで仕立ててあるのがすごいところ。事あるごとに語り手のボルマンに対して得意げに推理を披露するヒトラーの姿はインパクトがありますが、ロンギヌスの槍*3盗難事件を通じて浮かび上がる、ヒトラーとボルマンの“狂気”が印象に残ります。

「八雲が来た理由{わけ}
 日本にやって来たラフカディオ・ハーンは小泉八雲と名乗り、少しずつ松江の人々に溶け込んでいく。やがて、被害者がろくろ首になったかのような奇怪な殺人事件や、不気味なのっぺらぼうが登場する事件に出くわした八雲は、鮮やかにその謎を解いてみせた。そんな八雲が、はるばる日本に来た理由とは、一体……?
 後の『怪談』にちなんだ事件*4が扱われた作品で、特に“ろくろ首”の事件では“ごく短時間/短距離のアリバイ”ともいうべきユニークな不可能状況が目を引きます。八雲による解決も鮮やかに決まって……と思っていると、まったく予期せぬところからのサプライズを皮切りに、題名のとおり“八雲が来た(あまりにも意外な)理由”が明かされるのが見事。

「mとd」
 久々にモーリス・ルブランのもとに現れたアルセーヌ・ルパンは、ジュノアール伯爵が持つ秘宝〈サン・ラー王のスカラベ〉を盗み出すという。だが、ガニマールに扮して伯爵の城に乗り込んだルパンは、秘宝が恐るべき大ミミズクに守られているのを目の当たりにして、頭を抱える。さらに、シャーロック・ホームズまでが……。
 アルセーヌ・ルパンのパスティーシュなので冒険小説色が強くなっているのはもちろんですが、その中でも“いかにして秘宝を盗み出すか”――“大ミミズクの弱点は何か”が(手がかりとともに)解くべき謎として示されます。最後の真相まで含めて、やや見えやすくなっているきらいがないでもないですが……。

*1: 小泉八雲については、楠木誠一郎『小泉八雲〈へるん先生〉探偵帖』という作品もあるようですが(未読)。
*2: 「サセックスの吸血鬼」『シャーロック・ホームズの事件簿』収録)。
*3: 詳しくは「聖槍 - Wikipedia」を参照。
*4: もちろん作中では、『怪談』の元ネタになった事件とされています。

2013.09.28読了  [田中啓文]

アリス殺し  小林泰三

ネタバレ感想 2013年発表 (創元クライム・クラブ)

[紹介]
 大学院生・栗栖川亜理は最近、不思議の国に迷い込んだアリスの夢ばかり見ている。だが、ハンプティ・ダンプティの墜落死に遭遇する夢を見た後、大学では“玉子”というあだ名の博士研究員が屋上から墜落死を遂げ、グリフォンが生牡蠣を喉に詰まらせて窒息死した夢の後には、現実でも牡蠣を食べた教授が急死する。夢の世界の死と現実の死はつながっているらしいのだ。不思議の国では三月兎と頭のおかしい帽子屋が犯人探しを始めるが、最重要容疑者にされてしまったアリスには死刑の危機が。同じ不思議の国の夢を見ているらしい同学年の井森とともに、事件を調べ始めた亜理だったが……。

[感想]
 小林泰三の新作ミステリである本書は、ルイス・キャロル『不思議の国のアリス』を下敷きにした*1ユニークな作品。〈不思議の国〉と〈現実世界〉とが交互に描かれ、両方の世界で似たような事件が起きる――というあたりは、辻真先『アリスの国の殺人』にも通じるところがあります*2が、こちらは小林泰三らしく〈不思議の国〉に関するSF的なアプローチも見受けられるなど、舞台はファンタジーでありながらもはっきりとSFミステリを指向した内容となっているのが大きな特徴です。

 まず〈不思議の国〉での出来事が描かれる冒頭から、いかにも『アリス』らしい不条理なやり取りが展開されているのはもちろんとして、それがそのまま〈現実世界〉の方にも反映されているところにニヤリとさせられます。より正確には、もともと小林泰三の作品にみられる奇矯なキャラクター、あるいは杓子定規でかみ合わない会話が、実に『アリス』的な――少なくとも『アリス』の世界と親和性が高いというか。いずれにしても、二つの世界の物語がさほど違和感なく組み合わされているところがよくできています。

 最初のハンプティ・ダンプティ殺害こそ比較的普通(?)ですが、その後は〈不思議の国〉らしく風変わりな事件――特に“凶器”が――ばかりで魅力的。一方、〈現実世界〉ではそれに対応した不可解な死が相次ぎ、その関連が確実なものとなることで、二つの世界にまたがる二重の犯人探しが大きな見どころとなっていきます。調子の外れた〈不思議の国〉の住人たちによる事件の捜査は心もとなく*3、アリスにかけられた疑いを晴らすために、主人公・栗栖川亜理と井森(あるいはアリスと蜥蜴のビル)は奔走することになります。

 二つの世界の交錯がうまい隠れ蓑になっている一方、犯人がある程度見えやすくなっている部分もないではないのですが、そこはどうやら織り込み済みの印象。どちらかといえば、〈不思議の国〉が絡んだ特殊な状況の中で“いかにして犯人を突き止めるか”に重点が置かれている感があり、その中心に位置する異色のダイイングメッセージが非常に秀逸。これは、ダイイングメッセージに付きまとう“ある問題”に着目し、その克服を最優先にしたもので、その結果として『アリス』の世界にふさわしいものとなっているのも見事です。

 待望の真相解明とともに終盤に用意されているのは、巧妙な伏線に支えられた衝撃的かつ怒涛の展開。作者お得意のグロ描写がエスカレートしていくあたりには抵抗のある方もいらっしゃるかもしれませんが、事件の解決からすべてに決着がつけられる凄まじい結末に至るまで、物語からまったく目が離せません。好みが分かれそうな作品ではあるものの、作者の持ち味が存分に発揮されているのは確かですし、『アリス』とミステリの融合という点では随一といってもいいのではないでしょうか。

*1: 他に、『鏡の国のアリス』『スナーク狩り』なども。
*2: といいつつ、『アリスの国の殺人』は昔読んだきりで、細かいところを思い出せないのですが……。
*3: “天然”で(一応伏せ字)証拠を隠滅してしまう(ここまで)下りには苦笑を禁じ得ません。

2013.10.02読了  [小林泰三]
【関連】 『クララ殺し』 『ドロシイ殺し』

列車に御用心 Beware of the Trains  エドマンド・クリスピン

ネタバレ感想 1953年発表 (冨田ひろみ訳 論創海外ミステリ103)

[紹介と感想]
 本書はエドマンド・クリスピンの第一短編集で、十六篇もの作品が収録されているのがまず目を引きます。そのうち、最後の二篇以外はおなじみのシリーズ探偵、ジャーヴァス・フェン教授が登場する作品となっています。
 いずれも分量の限られた作品が数多く収録されているにもかかわらず、似たりよったりになることなくバラエティに富んだ印象を与えるのがすごいところですが、それは事件そのものの多彩さもさることながら、“どのように謎が解かれるか”――さらにいえば“探偵役が何に気づいたか”に重きが置かれているのも一因ではないかと思われます。
 一部の作品については解明にやや特殊な知識が必要になることが、作者による「はじめに」であらかじめ注意されています*1が、さらにいくつかの作品では、日本語に翻訳されたことそれ自体によって*2若干面白味が損なわれている感があるのが残念。とはいえ、全体としてはやはりよくできていて、飛び抜けた作品こそないものの職人芸が楽しめる作品集といったところ。探偵小説研究会・編著「2014本格ミステリ・ベスト10」(原書房)の海外本格ミステリ・ランキングで第1位に輝いたのも納得です。

「列車に御用心」 Beware of the Trains
 田舎の駅に到着した列車が、汽笛を鳴らした後もなぜか一向に発車しない。何と、運転席から運転士が消失していたのだ。しかし、その列車に乗っているはずの強盗を捕らえるため、駅は警官たちに包囲されており、どこにも逃げ道はなかった……。
 あまり例のなさそうな不可解すぎる人間消失が扱われた作品で、現場の状況や列車の仕組みなど少々わかりづらいところもあるものの、急転直下の解決が鮮やかです。

「苦悩するハンブルビー」 Humbleby Agonistes
 ハンブルビー警部が語る奇妙な事件――旧友を訪ねてみると、いきなり押しかけて散弾銃をぶっ放した村の鼻つまみ者を、正当防衛で射殺したところだという。ところが、どうしたのか突然拳銃を警部に向けて、銃弾を三発撃った後、茫然自失に……。
 本書の大半の作品に登場もしくは作中で言及される、フェンの“相棒”ハンブルビー警部の旧友が絡んだ事件を描いた作品。謎の焦点ははっきりしているのですが、ある種“ホワットダニット”ともいえるそれが一筋縄ではいかないものになっています。結末もお見事。

「エドガー・フォーリーの水難」 The Drowning of Edgar Foley
 とある警察署を訪れたフェンは、そこへ運ばれてきたエドガー・フォーリーという男の溺死体に興味を抱く。妻にひどい暴力をふるっているところを、同じ村に住む知的障害の男に川へ突き落とされ、一週間近くたって引き上げられたというのだが……。
 「はじめに」の注意書きのとおり、読者が真相を解明できるかどうかは微妙なところではありますが、ひねりが加えられてユニークな謎解きになっているのが見どころでしょう。

「人生に涙あり」 "Lacrimae Rerum"
 フェンが友人たちに語る完全犯罪の思い出――作曲家が自宅で殺害され、動機のあった妻に容疑がかかるが、被害者はその日届いた手紙に返事を書いていたことが判明し、犯行時刻が当初の推定からずれて妻のアリバイが成立することに……。
 “完全犯罪”たる所以はおなじみの“あれ”ですが、そこに至る経緯やトリック、そしてフェンが真相を見抜く手がかりが面白いところ。その後の顛末にもニヤリとさせられます。

「門にいた人々」 Within the Gates
 夜の路上で殴り殺された男。居合わせたフェンの機転で犯人は逮捕されたが、被害者は暗号解読の専門家で、警察の依頼を受けてギャングの摘発につながる暗号文を解読し、その結果を届ける途中だったらしい。その手に残っていた紙切れには……。
 フェンの目の前で起きた殺人で、犯人も動機も明らかになり、さて……というとらえどころのない作品で、作者の周到な企みが光ります。もっとも、個人的な事情で半分くらいまでは見当がついたのですが、そこから先は完敗です。

「三人の親族」 Abhorred Shears
 金持ちの実業家が、三人の親族を呼び集めてホテルのラウンジでビールを飲んでいる最中に、ビールに混入した毒薬で殺害されてしまった。ところが、使われた毒薬――液状のアトロピンを持ち込むための容器が、どこからも発見できなかったのだ……。
 容疑者が完全に限定された中で、毒薬の混入をめぐる不可能状況が中心に据えられた作品で、奇天烈な毒殺トリックに脱帽せざるを得ません(苦笑)
 ところで、作中に“液状のものが使われたとか――粉末を酒に入れてかき混ぜられたとしても、すっかり溶けきる前に飲むひとが気づくおそれはまずないそうです。”(112頁)とあるのは、液状のアトロピンが使われた根拠の説明としてはおかしなもので、例えば“飲むひとが気づかないはずはないそうです”などの誤りではないかと思われます*3

「小さな部屋」 The Little Room
 福祉委員の仕事で必要になった施設を手に入れるため、ミセス・ダンヴァーズが住む大邸宅を視察に訪れたフェンだったが、あることに気づいて興味を抱く。はたしてその邸宅について調べてみると、過去の悲劇が浮かび上がってきたのだが……。
 ある手がかりに気づいたフェンが、埋もれていた事件の真相を掘り起こしていく異色の作品で、事件の顛末も相まってどことなく奇妙な味わいになっています。最後の最後になって明らかにされる、手がかりのさりげなさが秀逸です。

「高速発射」 Express Delivery
 ボウヤー夫妻の屋敷で、いとこのイヴがライフルで狙撃されるが、銃声を耳にして飛びのいたために九死に一生を得る。そして二発目の銃声が響く。近くの林で、ライフルを手にしたいとこのジェームズを、ボウヤー夫人が射殺していたのだった……。
 猛獣狩りを趣味とする夫妻の屋敷で起きた、狙撃事件と正当防衛らしき射殺事件が扱われた作品。とある理由で色々とわかりやすくなっている感はありますが、フェンが解明に至る“気づき”や皮肉な結末も含めて、よくできていると思います。

「ペンキ缶」 A Pot of Paint
 家のフェンスにペンキを塗ろうとしたところを、何者かに殴り倒された宝石商。その直前に訪ねてきていた素行の悪い甥に疑いがかかるが、宝石商は甥が帰った後にペンキ缶を持って外に出て、そこで強盗に襲われたという。話を聞いていたフェンは……。
 これも「小さな部屋」と同様、“何が手がかりだったのか”に焦点が当てられた作品ですが、情報の出し方が実に巧妙で、読み終えてみるとうならされます。

「すばしこい茶色の狐」 The Quick Brown Fox
 友人たちとの会話で、推理小説ファンが起こした犯罪の例としてフェンが挙げた事件。一家に招かれた娘の婚約者が、こっそりと脅迫状をタイプ打ちしていたらしい。しかしなぜかその先頭には、“すばしこい茶色の狐”という文章を打った痕跡があって……。
 フェンが語る事件が、推理小説ファンの犯罪者による失敗例として紹介されているのにまずニヤリとさせられます。はたして、犯人の企みはなかなか凝ったもので、それがささやかな手がかりによって瓦解してしまうのが圧巻です。

「喪には黒」 Black for a Funeral
 とある村で起きた殺人事件。被害者はなぜかカジュアルな服装におかたい黒ネクタイを締めていた。しかも、駅から徒歩では間に合わない時刻に帰宅したところを殺害されたにもかかわらず、被害者を乗せたはずのがどこにも見つからないのだ……。
 黒ネクタイと行方不明の車という謎が風変わりで目を引きますが、事件の真相も負けず劣らず非常に面白いものになっています。個人的には、本書の中でベストといってもいいかもしれません。

「窓の名前」 The Name on the Window
 幽霊の出るという東屋にこもった男が短剣で刺し殺されたが、埃の積もった床には被害者の足跡しかなかった。死ぬ前に被害者が煤けた窓に書き残した名前から、犯人はすぐに逮捕されたものの、密室状況の現場に犯人が出入りしたトリックは……?
 作中でジョン・ディクスン・カー『三つの棺』の“密室講義”が引き合いに出されている密室もの――といっても施錠による密室ではなく“足跡のない殺人”ですが、強固な不可能状況であることは間違いありません。少々わかりやすい部分もあるものの、全体としてはなかなかよくできています。

「金の純度」 The Golden Mean
 フェンが村で出会った、どことなくいやな感じのする若者は、どうやら父殺しを企てたらしい。山から転落して瀕死の父親を救ったフェンだったが、父親は息子をかばって、突き落とされたことを頑強に否定する。しかしある手がかりに気づいたフェンは……。
 犯人も事件の構図も当初から明らかで、唯一フェンが気づいた手がかりだけが謎とされているのですが、(やむを得ない)諸般の事情により、ミステリとしての面白味は皆無に近くなっているのが残念。それでも、謎解きの後に用意された結末の一節は見ごたえがあります。

「ここではないどこかで」 Otherwhere
 田舎で起きた射殺事件。凶器の銃に残った指紋から、被害者と険悪だった男に疑いがかかる。ところが、アリバイのない時間帯には、現場近くにいた証人たちが誰も銃声を耳にしていないため、容疑者には犯行不可能ということになってしまい……。
 一風変わったアリバイもの。シンプルにして鮮やかなトリックもさることながら、真相が解明された後の顛末が何とも愉快。そしてそれを受けたフェンの最後の台詞が実に辛辣で印象に残ります。

「決め手」 The Evidence for the Crown
 多情な女が殺害された上に、高価な婚約指輪目当てに左手を切断して持ち去られる事件が発生。かつてその指輪を贈った元婚約者に疑いがかかるが、警察の捜査は決め手を欠いた状態。そんな中、素人探偵趣味のあるバーニーという男が……。
 シリーズ探偵のフェン教授が登場しない作品。警察に代わって“決め手”をつかもうとする素人探偵バーニーの行動が、思わぬ結末につながるのが見どころで、してやられてしまいました。

「デッドロック」 Deadlock
 深夜の探偵ごっこに出かけたぼくとマーガレットだったが、帰宅してみるとぼくの靴には血のしみが残っていた。翌朝、運河の閘門付近で血痕が見つかり、やがて水の中から独身貴族のマーチソンの死体が発見される。だが、殴られて倒れた後もまだ息があったらしいマーチソンを、運河に突き落として殺したのは誰なのか……?
 十四歳の少年の視点で事件が描かれた、青春小説の趣が強い作品。現場付近の見取図があるとはいえ、分刻みで進行する事件前後の状況や登場人物の配置/位置関係など、少々わかりづらいところもありますが、巧みに組み立てられた謎と真相はよくできています。そして、過ぎ去った事件を振り返る印象深い結末には、心を動かされます。

*1: “「エドガー・フォーリーの水難」「門にいた人々」「高速発射」「金の純度」の四編の謎を解明するには、(中略)専門に近い知識を少々必要とすることは心に留めておいていただきたい。”(7頁)
*2: 決して翻訳が悪いという意味ではなく、あくまでも英語と日本語の違いに起因する問題なので致し方ないのですが……。
*3: もう一箇所、容疑者全員が“アトロピンの入手も可能”とされているにもかかわらず、“ジリアンかフレッドが犯人なら、間違いなくアトロピンを使うはず。というのも、その毒物を入手可能なのはローリーだけだから”(いずれも115頁)とあるのも意味不明ですが、こちらは意味の通りそうな文章が想定できないので、原文からして誤っているのかもしれません。

2013.10.08読了  [エドマンド・クリスピン]