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少年時代/深水黎一郎

2017年発表 ハルキ文庫 ふ10-1(角川春樹事務所)

 収録されている三篇は一見するとバラバラですが、本書カバーのあらすじに連作小説”と記されているので、「天の川の預かりもの」「ひょうろぎ野郎とめろず犬」何らかの形で最後の「鎧袖一触の春」につながることまでは予測できるでしょう。ここで最も考えやすいのは、三篇の語り手である“僕”が同一人物という構図でしょうが、作者はそのような“直球”を投じることなく、三篇の“僕”がそれぞれ別の人物だったというひねった“真相”を用意しています。

 その“真相”が確定するのは「鎧袖一触の春」「エピローグ」にかけての箇所ですが、これはいわば最後の“答え合わせ”のようなもので、実際にはそれよりもだいぶ前に、ほとんど“真相”に直結しそうな“手がかり”が示されています。すなわち、“ひょうろぎ野郎ども”“めろず野郎”(いずれも196頁)という圭介の方言には、いやでも(?)「ひょうろぎ野郎とめろず犬」を想起せずにはいられません*1し、“あきらめることは、いつでもできるからな”(197頁)という孝之の言葉はシゲさんの台詞(25頁)を髣髴とさせるもので、その後の試合での小内刈り*2と併せて「天の川の預かりもの」とのつながりをうかがわせます。

 この“手がかり”が配置されているのは、「鎧袖一触の春」の終盤、N大付属高との試合の直前という重要な場面で、クライマックスとなる試合に向けて盛り上がるところにかなり目立つ形で示されていることになり、実際にここで“真相”に気づいた方も多いのではないでしょうか。このように、本書は意図的に“真相”がわかりやすいように書かれているとみてよさそうですが、さらにいえば、クライマックス直前のこのタイミングで“真相”がわかるように書かれている、というのがより適切かもしれません*3

 つまり、“真相”が明らかになることで、読者は「天の川の預かりもの」の“僕”(孝之)と「ひょうろぎ野郎とめろず犬」の“僕”(圭介)が立派に成長したことに感慨を覚えるとともに、ここから始まる試合の展開の中で、「鎧袖一触の春」の“僕”だけでなく孝之と圭介にも感情移入しやすくなるというか、“僕”に対する以上の強い思い入れを抱くことになるのではないでしょうか*4。しかも前述の手がかりそのものが、孝之が今でもシゲさんとの思い出を大事にしていること、そして圭介が(“おやじ”とはいいながら)とっさに親譲りの方言が出る程度には両親と良好な関係を保っていることをうかがわせるのが絶妙です。

 「エピローグ」に至って、圭介と元父親の愉快なやり取りが再開されるのも見どころですが、「二年後」シゲさんが再登場して成長した孝之の姿を目にする場面が用意されているのが、何とも心憎いところです。事件後のシゲさんの境遇には悲哀を誘うものがありますが、それでもきっかけを得て再びサキソフォンを吹く時がくることを予感させる、見事な幕切れ*5といっていいでしょう。

 ところで、「鎧袖一触の春」の語り手の名前は最後まで明かされずに終わりますが、もしかして“黎一郎”だったりするのでしょうか。

*1: 方言がわからない他の部員たちの様子をみると、圭介以外に「ひょうろぎ野郎とめろず犬」の語り手たり得る人物は見当たりません。
*2: 「天の川の預かりもの」には“シゲさんが教えてくれたのは(中略)小内刈りという技のかけ方だった。”(26頁)とあり、それが「鎧袖一触の春」では大切な技らしく滅多に使わない(中略)孝之の伝家の宝刀の小内刈り。”(210頁)とされているのが印象的です。
*3: 裏を返せば、本書の仕掛けの本質は、“効果的なタイミングで明かすために“真相”を伏せておく”ところにある、といえるように思います。
*4: 残る聡と晋太郎は“貧乏くじ”を引かされたようなものかもしれませんが、三篇しか収録されていないのでやむを得ない(?)でしょうし、“強豪校相手に全勝”という結果では現実味に乏しいということもあるでしょう。
*5: 最後の最後は、本書の“陰の主役”といってもいい圭介の父親が持っていってしまうわけですが……(苦笑)。

2017.04.24読了