ミステリ&SF感想vol.229

2019.11.05

鵬藤高校天文部 君が見つけた星座  千澤のり子

ネタバレ感想 2017年発表 (原書房)

[紹介と感想]
 駅のホームで飛び込み自殺を止めようとして事故に巻き込まれた菅野美月は、そのために人より遅れて鵬藤高校に入学することになった。そして、クラスメイトの高橋誠に誘われるままに天文部に入部した美月は、そこで出会った人々とともに様々な“事件”に遭遇し、それを経て少しずつ心を開いていく……。

 高校の天文部を舞台にした青春ミステリの連作短編集です。殺人事件が起こるエピソードもありますが、基本的には学園ミステリらしくやや小粒なネタを扱いながら、それらを巧みに組み合わせた作りになっています。そしてその中に張りめぐらされた、作者らしい細かい伏線が注目すべきところでしょう。
 もっとも、本書で重きが置かれているのは(どちらかといえば)主人公・野村美月の――とりわけ同じ天文部員である高橋誠との関係をめぐって――揺れ動く心情であって、ミステリ要素はそれを描き出すための“手段”として使われている感があります*1が、結果として青春小説とミステリが無理なく融合した、青春ミステリの佳作に仕上がっていると思います。

「見えない流星群」
 天文部では、早朝にしか見えないおひつじ座流星群の時期に合わせて、学校で徹夜観測を行うことになった。ところが、学校に集合して観測を始めようとした矢先に、部室棟の一室で顧問の先生が殺されているのが発見される。犯人は天文部員の中にいるのか……?
 まさかの殺人事件が目を引きますが、その扱いは少々変則的で、疑心暗鬼に陥った部員たちが犯人探しに躍起になる中、おなじみのロジックを“逆転”させた処理が秀逸です。最後に明かされる推理もまた変化球気味ながら、本書の方向性を打ち出すものといえるのではないでしょうか。

「君だけのプラネタリウム」
 学園祭で展示するプラネタリウムの制作にいそしむ天文部員たちだったが、下校中の女子生徒が不審者に髪を切られる事件が発生し、学園祭の開催に危機が。部長の中村先輩は“地上の星座”と事件の関係を疑い、切られた髪は思わぬところで発見され、さらに……。
 学園ものでは定番の学園祭に、突然の危機が迫るエピソード。写真に写った“地上の星座”がイメージしづらい*2のが気になりますが、天文部ミステリならではの○○*3に部長・中村先輩の推理、そしてなかなか強烈なホワイダニットと、見どころ十分です。

「すり替えられた日食グラス」
 新年度になり、部員不足に悩む天文部では、間近に迫る金環日食を新入部員獲得につなげようと、牛乳パックと特殊なセロファンで観測用の日食グラスを作り始めた。だが、せっかく作ったその一部が、太陽を見ると目を傷めるおそれがあるものにすり替えられて……。
 本書の中では珍しく、ほとんど“誰が、なぜ日食グラスをすり替えたのか?”一本で進んでいく作品で、真相はかなりわかりやすいと思いますが、ただ“持ち去る”だけでなく“すり替える”一手間を加えた謎の作り方、さらにはそれによって犯人の意図が際立っているのがうまいところです。

「星に出会う町で」
 天文台とプラネタリウムのある町で行われる一泊二日の天文ツアー。ボランティアとして参加予定だった大学のサークルで食中毒事件が起き、天文部員たちが急遽代役をつとめることになったが、参加者の中に天文部へのストーカー疑惑のある人物がいるらしく……。
 合宿代わり(?)の一泊二日の天文ツアーが舞台となった一篇。SNSへの書き込みからストーカー疑惑へ発展するのと呼応して、ツアー参加者の中に怪しい人物の存在が浮かび上がってくる構成がよくできていますし、まさかの真相にはうならされます。細部に気になるところもありますが、個人的には本書のベスト。

「夜空にかけた虹」
 天文部では、引退した三年生の先輩たちを送る会の準備が進められていた。そんな中、美月のもとに正体不明のアドレスから、星座の写真が添付されただけの奇妙なメールが届き始める。さらに美月の周辺では変事が続くが……。
 いくつかの謎が(時にやや強引に)盛り込まれ、“何が起きているのか”が眼目となっていますが、重要なのは差出人不明のメールの謎と“もう一つ”。数々の伏線に支えられた結末は、連作の最後を鮮やかに締める見事な幕切れといえるのではないでしょうか。
*1: とはいえ、さほど物足りなさを覚えるわけでもありませんが。
*2: 写真の“中央に”○○(一応伏せておきます)が写り、“地上の星座”が“上部に”(いずれも56頁)――となると、カメラのアングルが今ひとつよくわかりません。
*3: 例によって文字数は適当です。

2017.03.12読了  [千澤のり子]

紙片は告発する Illegal Tender  D.M.ディヴァイン

ネタバレ感想 1970年発表 (中村有希訳 創元推理文庫240-11)

[紹介]
 英国の小さな町キルクラノンで、町議会議員の娘でありながら周囲から軽んじられているルースは、タイピストとして勤める町政庁舎で奇妙な紙片を拾った。そのことを警察に話すつもりだと同僚たちに漏らしたその夜、彼女は何者かに殺害されてしまう。現在、キルクラノンの町は町長選出をめぐって揺れていることもあって、秘密を抱えている人間も多いはずだった。副書記官のジェニファーも例外ではなく、不倫相手の書記官ジョフリーが、二人の関係の発覚につながる手紙を落としたのではないかと恐れていた。秘密の暴露を防ぐために、ルースの口を封じたのは一体誰なのか……?

[感想]
 本書はおなじみD.M.ディヴァインの第九長編で、キルクラノンという小さな町の町政庁舎を主な舞台に、庁舎内に落ちていた紙片に記された秘密――原題の意味がわかれば見え見えになってしまいますが*1――をめぐる事件の顛末が描かれています。後述するように、謎解きが物足りなく感じられるのは否めませんが、ディヴァインお得意の丁寧な人間描写で読ませる作品となっています。

 事件が起こる直前までの物語序盤は、被害者となるルースの視点で進んでいきます。家庭内では出来のいい姉と比べられて劣等感を抱き、職場では同僚たちに軽んじられて鬱屈した思いを抱えるルースですが、そこから逃避するように姉の元恋人(!)との交際に前のめりになる*2あたりなど、幼さの残る自意識が痛々しく描かれているのが目を引きます*3。そしてまた、紙片の秘密を何となくよこしまなこととまでしか理解できず、その危険性に気づかないまま、同僚たちの気を引くために口を滑らせてしまう姿が悲哀を誘います。

 やがて、事件の発生によって町の副書記官ジェニファーに視点が移ったところで、途端に“世界”の解像度が上がるというか、ルースの目に映っていなかったものが見えてくるところがよくできています。町政庁舎での業務がある程度詳しく描かれているのもさることながら、職員や議員の権力争い、偏見や差別やセクハラ*4、さらにジェニファー自身の不倫まで含めた町政庁舎の人間模様が大きな見どころで、それが事件の影響も受けて――さらに紙片の秘密の発覚を受けて様々な動きをみせていく様子からは、それぞれに印象的な人物造形も相まって最後まで目が離せません。

 一方、肝心の事件の謎解きは、紙片の秘密が明らかになった段階で容疑者がかなり限定されてしまうのが苦しいところ。ミスディレクションもあまり功を奏しているとはいえず、目立たないように書かれている手がかりもシンプルなので、驚きよりも納得感の強い真相といった感じですが、それが明らかになった際の犯人の台詞はなかなかよくできていると思います。そして事件が解決された後、ジェニファーに訪れる“終わり”と“始まり”は、定番といえば定番(もしくは予定調和的)ではありますが、何とも感慨深い幕切れとなっています。ディヴァイン作品の中ではミステリとしてやや落ちるものの、ファンであれば十分に楽しめる一冊といえるのではないでしょうか。

*1: 巻末の古山裕樹氏による解説では、冒頭でさらりと明かされていますが、これは事前に知らずに読み進める方が面白いのではないかと思います(物語が進むにつれて追い追い明らかになりますが……)。
*2: 事件後に交際相手の真意は明かされますが、それ自体はまあ理解できなくもないとして、(一応伏せ字)その後のあれこれで、ルースがすっかり省みられなくなっていく(ここまで)のは、少々割り切れないところではあります。
*3: 先に邦訳された『三本の緑の小壜』では、作者にしては珍しい少女の一人称での描写に驚かされたのですが、本書でのルース視点の描写をみると納得です。
*4: 古典ではないとはいえ、五十年近く前の作品ということで、現在の感覚とはだいぶ違っていることに改めて気づかされます。

2017.03.20読了  [D.M.ディヴァイン]

少年時代  深水黎一郎

ネタバレ感想 2017年発表 (ハルキ文庫 ふ10-1)

[紹介]
 町を歩く三人組のチンドン屋の後を追って隣町までついていった僕は、サキソフォンを吹いていた若い男・シゲさんに送り届けてもらうことになった。帰り道、シゲさんに色々なことを教えてもらった僕だったが、その翌朝……「天の川の預かりもの」
 近所のお金持ちの一家が急に引っ越していった後、置き去りにされていた白い仔犬を拾った僕は、その犬を家に連れ帰って飼い始める。打算的であくの強い両親は、役に立たない犬を何かにつけて馬鹿にしていたが……「ひょうろぎ野郎とめろず犬」
 高校の柔道部の春合宿で、一年生の僕たちは上級生やOBたちの理不尽なしごきに苦しめられていた……。やがて三年生になった僕たちは、残った部員五人だけで夏の総体に臨むが、一回戦で私立の強豪校と対戦することになって……「鎧袖一触の春」

[感想]
 本書は、2007年に『ウルチモ・トルッコ 犯人はあなただ!』『最後のトリック』*1)でデビューした深水黎一郎の、デビュー10周年記念として三ヶ月連続で刊行された新刊の第一弾で、題名通りのノスタルジックな青春小説です。収録されている三篇はいずれも少年“僕”を語り手としながら、“子供と大人”“子供と家族”、そして“高校の仲間たち”といった具合に異なる人間関係に焦点を当てていくことで、趣の異なる物語に仕立てられているのが目を引きます。

 最初の「天の川の預かりもの」は、“最初の一行”から過去へさかのぼり、“僕”の思い出――チンドン屋とシゲさんにまつわる、日常から逸脱した体験が語られていく形になっています。“最初の一行”に向けて“どのようにそこへたどり着くか”という興味もあります*2が、その顛末が(ある程度とはいえ)明らかにされているために、“僕”の体験、とりわけシゲさんとの交流が、より一層貴重なものとして伝わってくるのがうまいところです。

 続く「ひょうろぎ野郎とめろず犬」では、“僕”と飼い犬の“ツンコ”を中心に家族の様子が描かれていきますが、何とも強烈なキャラクターの両親とのやり取りや、“ツンコ”の自由な振る舞いと人間たちの思惑との食い違いによる騒動など、呼んでいて笑いがこぼれてくる実に愉快な作品です。しかしそれでいて……というよりも楽しいエピソードを通じて愛着がわくからこそ、しんみりさせられる結末が一際印象深いものになっています。

 最後の「鎧袖一触の春」は一転して、高校の柔道部を舞台に、一年生の“僕”たちが壮絶なしごきに苦しめられる発端から、クライマックスとなる強豪校との死闘に至るまで、(時おりユーモアを交えながらも)基本は“スポ根もの”といっても過言ではないシリアスな柔道小説。時には男子高校生らしいアホな(?)やり取りもありますが(苦笑)、物語を通じて強く伝わってくるのは“僕”たちの柔道に対する思いと、努力に裏打ちされた意地で、それが鮮やかに炸裂する試合の場面は圧巻です。

 青春小説とはいえ、作者のことですからもちろんミステリ的な趣向も用意されているのですが、かなりわかりやすく書かれているところをみると、読者を騙す/驚かすことを意図したものではなく、あくまでも物語を効果的に演出するための手段として使われている、ととらえるべきでしょう。その趣向も相まって、読後にはさわやかな後味と深い感慨をもたらしてくれる、実に魅力的な青春小説の快作です。

*1: 文庫化の際に改題されています。
*2: フィリップ・マクドナルド『ライノクス殺人事件』などの、結末が冒頭に置かれたミステリに通じるところも(多少は)あるように思います。

2017.04.24読了  [深水黎一郎]

午前三時のサヨナラ・ゲーム  深水黎一郎

2017年発表 (ポプラ社)

[紹介と感想]
 青春小説『少年時代』に続く三ヶ月連続刊行の第二弾は、まさかの野球小説集。野球の九イニングになぞらえて書下ろしも含む九篇が収録されていますが、恋愛小説風、ショートショート、実験小説風、果てはSF(?)に至るまで、“野球濃度”に差はありつつもバラエティに富んだ作品が揃い、時に苦さを交えながらも全体としては楽しい作品集となっています。野球好きの方には間違いなくおすすめです。
 個人的ベストは、作者の中日ドラゴンズ愛が色濃く反映された「もうひとつの10・8」

「1 午前三時のサヨナラ・ゲーム」
 別れてから久しぶりに再会した咲枝は、突然“海が見たい”と言い出した。そして激しい雨が降る真夜中に、咲枝との思い出の数々にふけりながら車を走らせる中、熱狂的な千葉ロッテマリーンズのファンである咲枝が目を止めたのは……。
 エキセントリックな元恋人との久々の再会から、山あり谷ありの回想を経て、どこか不穏な空気も漂い始めたところから、最後の“右打者の内角”云々にまでつなげる手並みが鮮やか。“サヨナラ・ゲーム”を食らった側にも爽やかな後味を残す快作です。

「2 野球嫌い」
 野球好きの父と兄の姿を見て、すっかり野球嫌いになった玲菜。ところが、せっかくできた彼氏は大の野球好きで、今日も玲菜をよそに、テレビの野球中継を食い入るように観ている。仕方なく横に座って野球を観始めた玲菜だったが……。
 野球に興味のない方からみると、熱烈な野球好きの生態は不可解きわまりない――というのは“野球あるある”といってもいいのかもしれませんが、もう一つの“野球あるある”*1との組み合わせが絶妙で、シンプルながらも鮮やかな印象を残す物語に仕立てられています。

「3 ゆく河の流れは絶えずして、しかも」
 嫁入り直前のあの日から、祥子のことを想い続けてきた。1998年の横浜ベイスターズの快進撃には、大洋ホエールズ時代から応援していた祥子のことを思わずにいられなかった。そして17年ぶりに再会した祥子は、昔とあまり変わらず……。
 時の流れを戻そうとするロマンチストの主人公に対して、題名*2などで暗示されている結末はあまりにも……。読者の年齢や性別にもよるかもしれませんが、心に刺さる作品です

「4 もうひとつの10・8」
 熱狂的な中日ドラゴンズのファンだった親友が、がんで亡くなった。葬儀の後、遺族から一枚のDVDを渡されたが、それは親友が常々“生涯最低の試合”と評していた“1994・10・8”――リーグ優勝がかかった中日対巨人の試合の映像だった……。
 リーグ最終戦で勝った方が優勝という大一番で、中日ドラゴンズが敗れてしまった1994年10月8日(→「10.8決戦 - Wikipedia」)。ファンにとってはまさしく“生涯最低の試合”といっても過言ではないでしょうが*3、(おそらく)それを何とかしたいという作者自身の思いが投影された登場人物による、渾身の“改変”が圧巻です。“先発はホニャナカ”*4や“MKR”(←秀逸!)など、終始漂うユーモラスな雰囲気も印象的。

「5 もうひとつの10・19」
 1988年10月19日、ロッテオリオンズ対近鉄バファローズのダブルヘッダー第二試合。同点で迎えた九回裏、制限時間が迫る中でロッテ有藤監督の抗議が続き、引き分けではリーグ優勝を逃す近鉄の選手やファンは焦っていた。と、その時……。
 抗議で試合が中断した挙げ句の時間切れ引き分けで、近鉄バファローズが惜しくも優勝を逃した“10・19”(→「10.19 - Wikipedia」*5がお題ですが、「もうひとつの10・8」とはまったく違った形の“もうひとつの……”に脱力。

「6 生涯徒爾一野球観戦居士」
 日々プロ野球全試合をテレビ観戦し、日常の何もかも野球にこじつけて考えてしまう、筋金入りの野球マニア・阿部黎史。そんな彼がお見合いをすることになったが、野球の話を禁止されてもなお野球用語を口走る始末。はたしてその結果は……?
 冒頭から主人公の並外れたマニアぶりにニヤリとさせられますが、すべてに“野球フィルター”がかかったようなその思考が一種の伏線となっている、後半の“変転”は何とも凄まじいものがあります。さらに、ご丁寧に“注意書き”が挟まれた結末がまた強烈。

「7 言い訳だらけのスタジアム」
 オーナーの意向で、理系の選手をドラフトで優先的に指名してきたチームは、しかしオーナーの思惑もむなしく下位に低迷し続けていた。今日も今日とて、選手たちはつまらないミスをするたびに、悪びれた様子もなく言い訳を口にするのだ……。
 理系ならではの、というか何というか、奇想天外な言い訳の連発が笑えます。個人的には、最後に試合を決めた(?)四番打者の無駄に壮大な言い訳が最高です。

「8 ジェイムズ・ジョイスを読んだ元中継ぎエース」
 抑えのエースが危険球で退場し、急遽登板することになった戦力外寸前の元中継ぎエースは、延長15回裏一打逆転サヨナラの大ピンチ――しかし無失点で切り抜ければプロ野球人生初のセーブ獲得――を前に、様々な思いをめぐらせる……。
 ジェイムズ・ジョイス『フィネガンズ・ウェイク』(→Wikipedia)を下敷きに、マウンドに上った元中継ぎエースの“意識の流れ”(→Wikipedia)を克明に綴ってみせた*6、実験的かつ愉快な作品。あまりにもとりとめのない、また身も蓋もない思考には苦笑を禁じ得ません*7が、試合の決着と結末が何とも味わい深いものになっています。

「9回裏 地球連邦大学紀要 No.一二八三八」
 ――内容紹介は割愛します――
 “9回裏とナンバリングされた最後のエピソードは、題名でおわかりのように何とSF風味。でありながらも、野球愛、さらには野球ファン愛に満ちた、本書の掉尾を飾るにふさわしい一篇です。
*1: 私自身も似たような経験があるので、よくわかります。
*2: いうまでもなく、鴨長明「方丈記」の書き出しから。
*3: しかしどちらのファンでもない私は、あまり記憶に残っていなかったりしますが。
*4: 割と若い背番号だったはずなので、選手名鑑などで名前は記憶に残っています。
*5: こちらは、最後の方はテレビで観ていたような記憶が……って、えっ、もう30年前!?
*6: 『フィネガンズ・ウェイク』は未読で、このあたりはよくわからないまま書いていますが、ご了承ください。
*7: もっとも、“わしのフォークはただ重力で落ちとるだけや”(209頁)とあるのは、期せずして(?)正しいというか(→「フォークボール#投げ方と落下の原理 - Wikipedia」)。
 ちなみに、ボールを人差し指と中指でうまく挟めない場合は、人差し指を折り曲げて親指と中指でボールを挟み、すっぽ抜くように投げると(うまくすれば)フォークボールっぽく落とすことができます。

2017.05.23読了  [深水黎一郎]

ストラディヴァリウスを上手に盗む方法  深水黎一郎

ネタバレ感想 2017年発表 (河出書房新社)

[紹介と感想]
 青春小説『少年時代』・野球小説『午前三時のサヨナラ・ゲーム』に続いて三ヶ月連続刊行の第三弾である本書は、“芸術探偵”神泉寺瞬一郎がストラディヴァリウス盗難事件に遭遇する〈芸術探偵シリーズ〉の書き下ろし中編を表題作に、作曲家リヒャルト・ワーグナーの熱烈なファン(ワグネリアン)の生態を愉快に描いた〈ワグネリアン三部作〉*1、そして雪国で屈託を抱えながらヴァイオリンを習う少年を主人公にした、作者が大学院生時代の処女作――といった具合に、音楽テーマで統一された一冊となっています。
 表題作以外はミステリとはいえませんが、作者のファンであれば十分に楽しめることは間違いないところで、いずれ劣らぬ三者三様の魅力*2のある作品集です。
 なお、文庫版(河出文庫)では『最高の盗難』と改題されています。

「ストラディヴァリウスを上手に盗む方法」
 神泉寺瞬一郎の後輩ヴァイオリニスト・武藤麻巳子が国際コンクールで優勝し、凱旋コンサートが行われる。だが、麻巳子は出番の直前に何者かに襲われ、時価数十億円の名器ストラディヴァリウスが奪われてしまったのだ。瞬一郎の判断ですぐに会場が封鎖されたが、ストラディヴァリウスはどこへ消えたのか……。
 瞬一郎自身もヴァイオリニストということで、海埜警部補相手の“ヴァイオリン講義”を交えながら進んでいくのがまず親切。題名のとおりハウダニットが前面に出された作品ですが、意表を突いた大胆な真相自体ももちろんのこと、“芸術探偵”ならではの鮮やかな解決、さらにそれを支える推理もよくできています。そして最後の、何ともしたたかな犯人の独白が、ユーモラスな後味を添えています。

〈ワグネリアン三部作〉
「或るワグネリアンの恋人」
 熱烈なワグネリアンの森山利和は、恋人の坂本穂花にワーグナーの教育をしようとしていたが、クラシック音楽はほとんど聴いたことがないという穂花の教育は、なかなかうまくいかない。しかし数ヶ月後、ついに穂花をワーグナーの楽劇の生上演に連れ出した森山は……。
 主人公の行動はいかにもマニアらしい(自戒)ものですが、ワーグナーにあまりなじみのない読者にとってはありがたいというか何というか。対する恋人の、とんちんかんなのか何なのかよくわからない反応も見どころです。そして結末は、(おおよそ見当がつくとはいえ)なかなか強烈。

「或るワグネリエンヌの蹉跌」
 女子大生・和久祢梨亜{わくねりあ}は筋金入りのワグネリエンヌ。周囲からは浮きながらも、ワーグナーの世界にどっぷり耽溺してきた彼女だったが、就職活動でつまづいてしまう。一つも内定がもらえないまま、ついには願掛けとしてワーグナー断ちを始めたのだが……。
 あまりにもマニアすぎてすべてをワーグナーに結びつけてしまう主人公のずれっぷりが面白い作品。とはいえ、就職活動が始まると笑うに笑えない雰囲気になる中、その反動で一気に振り切ったような結末にはニヤリとさせられます。また、“藤枝和行”*3の名前がちらりと出てくるのも、ファンとしてはうれしいところです。

「或るワグネリアンの栄光」
 マニア向けの難問が出題されることで評判のクイズ番組「カルテッシモQ」、今回のテーマは〈ワーグナー〉。このテーマならば、と自信を胸に参加した俺だったが、予選の結果は三位。選び抜かれたワグネリアンがしのぎを削る決勝を勝ち抜いて、見事に優勝に輝くのは……?
 1990年代初めに放送された「カルトQ」*4を元ネタにしたクイズ番組の顛末が描かれ、ワグネリアンならぬ身には見当もつかない難問奇問が楽しい*5作品ですが、前の二篇に登場した森山利和・和久祢梨亜も交えた激戦の末に待ち受けている、ある意味で意外な結末が秀逸です。

「レゾナンス」
 大雪が積もった日曜の朝早く、僕は毎週のヴァイオリンのレッスンに出かけた。だが、一度も休まずレッスンに通っていることだけが取柄の僕は、今日も満足な演奏ができず、失意を胸に教室を後にする。その帰り、近道をしようと雪深い森に入り込んだ僕が、そこで目にしたものは……。
 本書で唯一演奏者の視点で描かれた作品で、題名の“レゾナンス”――“共鳴”から語られていく音楽観*6、そして演奏者としての心理には、非常に興味深いものがあります。また、ふとしたきっかけで内面が大きく揺れ動くあたりは、青春小説らしい魅力といえるのではないでしょうか。(ミステリではないので)結末は予想できるように書かれていますが、その幻想的な光景は鮮烈な印象を残します。
*1: 初出も文芸誌ではなく、日本ワーグナー協会が年に一回発行している研究誌「ワーグナーシュンポシオン」とのことです。
*2: 〈ワグネリアン三部作〉はセットにして。
*3: 『トスカの接吻』『ジークフリートの剣』に登場しています。
*4: 「カルトQ - Wikipedia」を参照。ちなみに、一度某テーマに応募して予選で玉砕(笑)したことがあります。
*5: 個人的には記述問題の(作中で)二問目が、解答の破壊力も込みで気に入っています。
*6: ここで出てくる“関係性の網の目”という表現が、「ストラディヴァリウスを上手に盗む方法」で使われているのも見逃せないところです。

2017.05.27読了  [深水黎一郎]