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白魔の塔/三津田信三

2019年発表 (文藝春秋)/(文春文庫 み58-2(文藝春秋))

 なぜか(?)単行本が見つからないので、引用箇所は文春文庫版を示しています。


 波矢多の謎解きはまず本筋を離れて、アイリーン・モア島の灯台の事件から始まります。マーシャルの日誌に記されながら、実際には発生していなかったというが、マーシャルの頭の中で起きていた――という解釈には大いに説得力があると思いますし、それを前提とすれば、デュカを殺してマッカーサーをも死なせたマーシャルが自ら命を絶ったという解釈も、妥当なところでしょう。

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 本筋の方ではまず、入佐加がペンキ塗りの最中に見た“巨大な白い人”が説明のつかない怪異とされる一方、波矢多を脅かした“白もんこ”がほぼすべて茂助の仕業だった――天狗礫は猿によるもの――とされています。同じように“怪異”と思われる現象について解釈が分かれているのが目を引きますが、前者についてはそのサイズからして合理的な説明がつけにくいのは確かですし、後者については、波矢多とほぼ同じ経緯で轟ヶ埼灯台にたどり着いたにもかかわらず、入佐加が“白もんこ”に遭遇していないことが、怪異ではないことの根拠といえるかもしれません*1

 そして本書の最大の謎となっている、波矢多自身の体験と入佐加の過去の奇妙な一致については、作中で波矢多が“物凄い偶然と必然と運命が奇しくも纏まって集中した”(400頁)とする解釈が非常に面白いところ。すなわち、
 (1)二人がともに太呴埼灯台で自殺未遂の少女を助けた*2
 (2)二人が助けた少女が白家の白露と白穂だった、
 (3)入佐加の前任の磐井(289頁~290頁)と波矢多の前任の須永(385頁)がどちらも白家に出入りしていた、
という三つの“偶然”を組み合わせることで、白露と白穂が灯台の“白い人影”として/白家で入佐加と波矢多を迎えたことを“必然”に仕立てる解釈が秀逸です(より正確にいえば、(1)の偶然と(3)の偶然を手がかりとして、白露と白穂の態度に合理的な説明をつけるために(2)の偶然を仮定した*3、という手順になるのでしょうが……)。

 そこまでいけば、入佐加の妻・路子が白露だったというさらなる解釈も、十分に納得できるものになります。最初の逢瀬では、路子は“三人の巫女さんの真ん中で、神楽を舞って”(330頁)いたのが自分だと認めただけで、自分から“道子”と名乗った様子はありませんし、(入佐加は“さすがに写真で知っていたとは言い難いようなので”と考えているものの)“私は前から、あなたのことを……”(いずれも331頁)という言葉は道子にはそぐわない一方で、会ったことのある白露であればまったくおかしくはないでしょう。そして“路子”への改名も、“『白露』という名前から『白』と『雨』を取り去った”(411頁)という波矢多の解釈が鮮やかです*4

 路子が白露だとすれば、白露の娘である白穂はさらわれた花実ということになりますが、白穂の父親が“旅芸人”だったというのは波矢多の思い込みにすぎず、“父親は一箇所に落ち着くことなく、全国を転々としている放浪者だった”(117頁)という表現だけなら、灯台守にも当てはまるというのは間違いありません。

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 かくして、(“謎”のすべてではないにしても)ようやく納得のいく合理的な説明が示されたかと思ったところで、入佐加が突然姿を消して代わりに日記が出現するホラー的な展開を迎えるのが強烈。今まで会話していた入佐加が怪異現象で“消失”したと考えても、また逆に入佐加との会話が最初から“頭の中”の出来事だった――アイリーン・モア島の灯台のマーシャルと同じように*5――と考えても、どちらにしても何とも恐ろしいものがあります。

 ただし、“その会話の中で、新しい事実が何か一つでも、孝蔵さんの口から話されたかどうか”(420頁)という路子の言葉は、“日記に記されていないことが話されたかどうか”という意味でしょうが、波矢多は“今まで入佐加の話を聞いていた”(と、少なくとも考えている)わけですから、それが答えられるはずがないのではないかと思われますし、にもかかわらず“路子の指摘通りだと察した”(420頁)のは少々おかしな気が……。

 そして「終章」では、轟ヶ埼灯台が――記憶を失った波矢多を残して――アイリーン・モア島の灯台さながらの状態となった上に、轟ヶ埼灯台を離れた波矢多を“巨大な白い人”が追ってくる(予感)という、シリーズの主役としてはとんでもない結末が用意されています*6。最後の一行には、“物理波矢多ならではの新しい旅路が、またしても始まる”(426頁)とありますが、字面とは裏腹に不安しかない一文となっているのが強烈です。

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*1: 二人の道程では、案内人(足助と茂助)が最大の違いとなっているので、その違いが波矢多の体験した“怪異”の原因と考えても無理はないでしょう。
 もっとも、佐々野は白衣の森で波矢多と同じような体験をしている(242頁)わけですが……。
*2: これについては、太呴埼灯台が自殺の名所であること(21頁)を考えれば、入佐加と波矢多が揃って自殺未遂の少女を救う経験をしていてもおかしくはない、といえます。
*3: 波矢多は、“白露さんは(中略)道子さんの関東旅行が、きっと羨ましかったのでしょう。”(401頁)としていますが、路子が“数年前に(中略)丑緒にも足を延ばした”(332頁)ことは確実なので、(順序が前後しますが)路子=白露だとすれば十分に可能性はあるでしょう。一方、“中学校の関東方面の修学旅行で、丑緒にも行きました”(50頁)という桐絵の言葉があるとしても、“白穂さんは修学旅行で関東に来ており”(401頁)とまでいえるかどうか――中学校へは通っていたとしても修学旅行にまで参加したかどうか――と考えると、こちらはやや弱いように思われます。
*4: “『道』の字よりも、『路』の方が広くて大きい”(341頁)という路子の説明も悪くはないのですが。
*5: “あの灯台の事件に何らかの解釈を下すことができれば、こちらの謎も解ける可能性が出てくるのではないか”(390頁)という波矢多の説明は、どう考えてもこじつけでしかないのですが、ここで波矢多をマーシャルと重ねるためにそちらの“謎解き”が必要だった、ということかもしれません。
*6: ご承知のとおり、すでに刊行されている次作『赫衣の闇』は本書より前の話――作中で言及されている“闇市での事件”(56頁)――なので、波矢多の運命は依然として「五里霧中」のままです。

2019.04.25読了